いぜん、相談にのっている無籍のKさんのことを書いたことがある。
父親の名前と自分の名前、誕生日、4才くらいで母親が家出したことだけしか父から教えられた記憶がない。あとは横浜の保土ヶ谷で何とか小学校にかよったこと、11才ころ、父が入院し叔父さんに育てられたこと、二十歳まえに父が死亡したことを人づてに聞いたこと以外は壮年期までの記憶を全くうしなっているひとである。
そしてKさんには戸籍がないために、住民票も健康保険証もなく労災保険も適用されないと雇用している親切な社長さんから何とかKの戸籍をとってくれと頼まれているひとである。
裁判所に届け出て戸籍をとることを「就籍」という。この一年くらい、何度か私の車で家裁に案内し、調査官の聞き取りをすませて、きのうはじめて判事の審問をうけたが、「横浜市に過去にKという住民がいたという記録がどうしてもでてこない。現状ではあまりにわからないことが多すぎて、就籍は許可できません」との判事のことばで、さすがにKさんはショックをかくせない様子だった。
担当判事は、Kさんが清潔そうなみなりのおじさんで毎日、仕事をきちんとして家賃をはらい普通のひとりぐらしをしているひとなので「育ててもらった叔父さんの名前もいっしょに遊んだ叔父さんの子供の名前も、住んでいた町の名前も全く覚えていないなんてことあるだろうか……」とぶつぶつつぶやきながら絶句していたという。(守秘義務があるために審問の場には私は立ち会うことができないのであるが、しきりに首をかしげながら控え室にあらわれたKさんの表情がすべてを物語っている)
��さんのいう生年月日が正確であれば現在59才である。30~40才くらいまではちゃんと「自分が誰なのか」覚えていたのである。それが自分の出自を話したり書いたりするチャンスが一度もなくて必要がなくて全てを忘却してしまったのである。
わたしは控え室でKさんに
「昔は覚えていた」と判事にいいましたか?ときくと、聞かれなかったのでいわなかったという。それではだめだ、それをいいに行こうと私とKさんは調査官を呼び出して「昔は覚えていたんだ。いま年をとって思い出せないだけなんだ!」と強く訴えた。調査官は「どんなことでも思い出したことがあったら連絡をください」という。それを手がかりに横浜市に再・再度の調査請求をしたいと。
私は帰りの車の中で「Kさんのこの頭になかにきっと記憶が残っているはず。根気よく呼び起こしてみようよ」とKさんの頭をこんこんと指でつついた。Kさんもやっと笑顔をみせて「思い出してみます。夢のなかでも思い出せないか、がんばってみます」とこたえた。
誰か、Kさんの幼少年期の記憶再生の手伝いをしてくれませんか。保土ヶ谷全域をぐるぐる何日もかけて歩きまわったら、想い出すのかなあ・・・
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