ちょっと取込んで留守にしていた。あれ、褌子氏は玉門関へ行ったのではなかったのか。急遽旅程変更か。それは残念。しかし羨ましさを通り越してちょっと形容に苦しむね。その行動力は。ホント、突発性認知性に注意だね。
寺山修司は高校生のころ俳句をやり、ついで短歌へ移り、最後に演劇に転じた。表現芸術の究極に演劇あり。その演出をやったのなら、今更、俳句、短歌もあるまい。あとはのたれ死にするしかない。
ま、冗談だが、余技として俳句または短歌なら断然俳句だね。自己表白は確かに恥ずかしい。その恥ずかしさを尺度にするなら、短歌の後の、七、七はどうだい。感情の限りを尽くし、バリトン歌手のベルカントよろしく朗朗と詠う。実に恥ずかしい。そこへ行くと俳句は相当恥ずかしさから逃れられる。つまりうまく作ると、韜晦することが出来る。
ただ、恥ずかしさもこの年齢になると、別にフリチンになったところでどうということも無いのではないか。
私小説論は面白いし、日本文化論と結びつく。むかし人間探求派と称する俳人群があった。聞いたことがあると思うが、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷なんか。いまでも大きな影響力を持っているが、ふと彼等は私小説じゃないか、きわめて日本的なという気がしてきた。これを乗り越えないとなあという気が最近しているが。ま、これは蛇足。
2011年9月29日木曜日
2011年9月28日水曜日
突発性認知症・・・褌子
逸徳さん。福島第一原発のかなり近くまでいったのですね。私も農家の四男坊なので田んぼが雑草におおわれているのをみるのはつらい。年5ミリシーベルト以上の除染対象汚染土は最低でも東京ドーム23個分だそうだ。福島県だけでも県土の17%。こんな汚染土を山から田畑から宅地から一体どうやってはがしとって一体どこに積み上げるのか・・・・・
高校時代の同級生でA君というひとがずっと牡鹿半島に支援にいっていて被災地から時々メールをくれるが、体力的にも自分には出来ない行動力で尊敬している。逸徳さんもそれにつぐ行動力の持ち主である。私も海外で突発性認知症になったときに備えなければいけない年齢であるが、それいぜんに深刻なのは英語力。耳の悪いせいもあって聞き取りができない。北京空港で航機場をまちがえシャトル巴士乗り換えに冷や汗をかいた。ホテルのフロントでも支払いに何度も困ったが、なんとか切り抜けて無事一週間の独り旅で帰ってこれた。なお中国ではちゃんとしたホテルなら英語が通ずるが残念ながらこちらが話せない。だが紙に書くと通ずる。中国のタクシーは英語はだめだが漢字をかくと簡体字でなくとも何とか通ずる。韓国ソウルの青年には英語が通ずる。が、こちらが話せない。韓国のおじいさんおばあさんは日本語がかなり通ずるがこの世代も少なくなってきたそうだ。
去年の五能線の男ふたりの独り旅は楽しかった。そのうち私がまだ行ったことのない与論島とか屋久島とか対馬とか済州島とか隠岐島とか父島母島とか喜界島とか八重山群島とか焼尻島とかで旅を実現させたい。ふたりがいっぺんに突発性認知症になっても人口減少に悩む離島のおじさんおばさんたちは死ぬまでここで住みなさいあんたがたと親切にしてくれる。
高校時代の同級生でA君というひとがずっと牡鹿半島に支援にいっていて被災地から時々メールをくれるが、体力的にも自分には出来ない行動力で尊敬している。逸徳さんもそれにつぐ行動力の持ち主である。私も海外で突発性認知症になったときに備えなければいけない年齢であるが、それいぜんに深刻なのは英語力。耳の悪いせいもあって聞き取りができない。北京空港で航機場をまちがえシャトル巴士乗り換えに冷や汗をかいた。ホテルのフロントでも支払いに何度も困ったが、なんとか切り抜けて無事一週間の独り旅で帰ってこれた。なお中国ではちゃんとしたホテルなら英語が通ずるが残念ながらこちらが話せない。だが紙に書くと通ずる。中国のタクシーは英語はだめだが漢字をかくと簡体字でなくとも何とか通ずる。韓国ソウルの青年には英語が通ずる。が、こちらが話せない。韓国のおじいさんおばあさんは日本語がかなり通ずるがこの世代も少なくなってきたそうだ。
去年の五能線の男ふたりの独り旅は楽しかった。そのうち私がまだ行ったことのない与論島とか屋久島とか対馬とか済州島とか隠岐島とか父島母島とか喜界島とか八重山群島とか焼尻島とかで旅を実現させたい。ふたりがいっぺんに突発性認知症になっても人口減少に悩む離島のおじさんおばさんたちは死ぬまでここで住みなさいあんたがたと親切にしてくれる。
おかえりなさい・・・・逸徳
褌子さん、ご無事でおかえりなさい。 上海にいったということを聞いていたら、新聞に上海地下鉄の事故が報じられ、おもわず乗客の中にあなたの名前はないかと、ドキッとした。とにかくいつどこに出没するかわからんという人だからな。こういう行動力なら、お師匠のいうように「形而上的にぼける」暇はないわな。・・・ いやわからん。上海あたりの裏町をうろついていて、突然「あれ ここはどこ? あたしはだれ?」という光景がリアルに想像される。突発性認知症である。
しかし、俳句はだめだなあ。いまいち真剣味がなく、羞恥心が強いもんで・・・和歌のほうがむいてるかなと思ったりするが、それよりも一般に創作というのは、どこかまっぱだかになって銀座の雑踏をあるくような、いいにいわれない恥ずかしさがあるのである。したがって、一番恥ずかしくて、想像するだけで顔から火がでそうになる光景は、たとえば自分で「私は詩人です」と自己紹介するような場面なのだ。私小説というのがある。あれ絶対わからん。他からみれば、どこの馬の骨かわからんやつの、どうでもいいことを延々と描くという神経がわからん。いったいだれに読んでもらいたいのだ。そういう思いがないのなら、便所でつぶやいているのとどこが違うんだ。自分の世界のことは、自分の中にとどめておけばいいのに。・・・・だから演劇にくびつっこんでも、役者はやらなかった。役者として舞台にたつのはストリッパーとかわらん。考えただけで恥ずかしい。
福島にいってきた。いわきにとまって、そこから車で海岸線を北上し20キロラインの警戒線を突破して、(あとで聞いたら、これ災害対策ナントカ法違反で、10万円の罰金か拘留らしい。しらなかった。したがってこの話はないしょである。)だから細かいことは書けないのだが、完全に死の街になっていた。美田地帯だったところはすべて背丈をこえる原野と化し、住宅街では、にげだした時のまませんたくものが風にゆれていた。某寺院では、お骨が何体かあずけられたままになっていた。みんなにげちゃったので葬式ができないのである。酪農家の畜舎から逃げ出した、やせこけた牛の群れが街中をうろついているそうである。常磐線は寸断され、線路がぺんぺんぐさで覆われていた。
ある事故がおこったとき、そこにどのような光景が出現するか。それを想像して、対策は講じられなくてはいけないのだろうが、このような光景は確かにわれわれの想像をこえる。というよりも、想像できる土台になる体験がわれわれにはない。したがって、原発対策の国会は、ぜひ20キロ圏内でもひらくべきだろう。なあに、議員たちはみんなもう被曝を心配するような年ではないのだから。
興味深いのは、原発事故で想定していた、緊急時の災害対策システムがまったくまともに機能しなかったことである。原発から数キロのところにオフサイトセンターというのがある。事故になったら関係者が集まって対策を講じる中央司令部になる予定だったそうだ。これまったく機能しなかった。みんなにげちゃったからね。
いわきで、原発問題のある学習会を傍聴した。参加者はみんな年寄ばっかり。聞いたら老人会の学習会だった。あとで、ひとりの参加したおじいさんと話した。彼いわく。「これはまごのための戦いです」・・・・ そりゃそうだ。そこにいる人たちもそしておいらたちも、福島の収束をみとどけることはまず不可能である。世代を超えたながい戦い。いったいこういういきのながい事例は今までにあったのだろうか。いろいろ考えさせられた。
しかし、俳句はだめだなあ。いまいち真剣味がなく、羞恥心が強いもんで・・・和歌のほうがむいてるかなと思ったりするが、それよりも一般に創作というのは、どこかまっぱだかになって銀座の雑踏をあるくような、いいにいわれない恥ずかしさがあるのである。したがって、一番恥ずかしくて、想像するだけで顔から火がでそうになる光景は、たとえば自分で「私は詩人です」と自己紹介するような場面なのだ。私小説というのがある。あれ絶対わからん。他からみれば、どこの馬の骨かわからんやつの、どうでもいいことを延々と描くという神経がわからん。いったいだれに読んでもらいたいのだ。そういう思いがないのなら、便所でつぶやいているのとどこが違うんだ。自分の世界のことは、自分の中にとどめておけばいいのに。・・・・だから演劇にくびつっこんでも、役者はやらなかった。役者として舞台にたつのはストリッパーとかわらん。考えただけで恥ずかしい。
福島にいってきた。いわきにとまって、そこから車で海岸線を北上し20キロラインの警戒線を突破して、(あとで聞いたら、これ災害対策ナントカ法違反で、10万円の罰金か拘留らしい。しらなかった。したがってこの話はないしょである。)だから細かいことは書けないのだが、完全に死の街になっていた。美田地帯だったところはすべて背丈をこえる原野と化し、住宅街では、にげだした時のまませんたくものが風にゆれていた。某寺院では、お骨が何体かあずけられたままになっていた。みんなにげちゃったので葬式ができないのである。酪農家の畜舎から逃げ出した、やせこけた牛の群れが街中をうろついているそうである。常磐線は寸断され、線路がぺんぺんぐさで覆われていた。
ある事故がおこったとき、そこにどのような光景が出現するか。それを想像して、対策は講じられなくてはいけないのだろうが、このような光景は確かにわれわれの想像をこえる。というよりも、想像できる土台になる体験がわれわれにはない。したがって、原発対策の国会は、ぜひ20キロ圏内でもひらくべきだろう。なあに、議員たちはみんなもう被曝を心配するような年ではないのだから。
興味深いのは、原発事故で想定していた、緊急時の災害対策システムがまったくまともに機能しなかったことである。原発から数キロのところにオフサイトセンターというのがある。事故になったら関係者が集まって対策を講じる中央司令部になる予定だったそうだ。これまったく機能しなかった。みんなにげちゃったからね。
いわきで、原発問題のある学習会を傍聴した。参加者はみんな年寄ばっかり。聞いたら老人会の学習会だった。あとで、ひとりの参加したおじいさんと話した。彼いわく。「これはまごのための戦いです」・・・・ そりゃそうだ。そこにいる人たちもそしておいらたちも、福島の収束をみとどけることはまず不可能である。世代を超えたながい戦い。いったいこういういきのながい事例は今までにあったのだろうか。いろいろ考えさせられた。
光速より速い物質・・・褌子
西安から北京経由で帰ってきた。
きのうの夜は涼しかった。虫の声もにぎやか。白花の彼岸花を咲いている。秋分をすぎたんだから間違いなく秋になったんだ。
新聞をみたら光速より速い物質が見つかったそうだ。へー不思議だね。
きのうの夜は涼しかった。虫の声もにぎやか。白花の彼岸花を咲いている。秋分をすぎたんだから間違いなく秋になったんだ。
新聞をみたら光速より速い物質が見つかったそうだ。へー不思議だね。
2011年9月25日日曜日
西安から・・・・褌子
上海から飛行機に乗ってはじめて西安にきた。かつての長安。どこにいっても名物の石榴を売っている。玄宗皇帝の時代に大唐帝国が滅びてから1200年もたってしまったが76人もの歴代皇帝がいた古代中国最大の国際的古都。中国では遣唐使としてきた弘法大師や吉備真備よりも唐王朝の大臣にまでなった阿倍仲麻呂のほうがはるかに有名だという。
秦の始皇帝の都の咸陽も近い。
始皇帝陵はいまは登れないが兵馬俑はやはり圧巻。井戸掘りの農夫が偶然みつけたというところがまことに中国的。まだ何が埋まっているかわからないらしい。秦はたった27年で滅びた。阿房宮あとも一面の畑でどこらへんかまだわからないという。
日曜日のせいか華清池はひとひとひと。国慶節のせいもあって月末は日本への飛行機が満員とのことで急遽あす西安から北京経由で帰ることにした。
歴史物語だとして知っていた中国古代史が本当の話だったんだと知るとやはり感慨深い。
秦の始皇帝の都の咸陽も近い。
始皇帝陵はいまは登れないが兵馬俑はやはり圧巻。井戸掘りの農夫が偶然みつけたというところがまことに中国的。まだ何が埋まっているかわからないらしい。秦はたった27年で滅びた。阿房宮あとも一面の畑でどこらへんかまだわからないという。
日曜日のせいか華清池はひとひとひと。国慶節のせいもあって月末は日本への飛行機が満員とのことで急遽あす西安から北京経由で帰ることにした。
歴史物語だとして知っていた中国古代史が本当の話だったんだと知るとやはり感慨深い。
2011年9月21日水曜日
巨大台風・・褌子
きのうみたハヤブサ帰還のテレビは面白かった。ひさしぶりに日本の科学技術の底力を感じた。
映画にもなるという。
日本列島ぜんぶが台風15号の風雨の影響をうけているという。じつに巨大な台風だ。
むかし、台風で無残に壊われた奈良室生寺の五重塔が、すぐ専門の宮大工集団によって修復される様子をテレビでみた。日本人はむかしから台風とつきあってきたんだなと思うが、それでもまたまた紀伊半島直撃とは非情だ。
こちらも成田発の飛行機が欠航となり中国行きは明日にのびたが一人旅なので気楽。集団ツアー旅行だったら大騒ぎだろうな。
映画にもなるという。
日本列島ぜんぶが台風15号の風雨の影響をうけているという。じつに巨大な台風だ。
むかし、台風で無残に壊われた奈良室生寺の五重塔が、すぐ専門の宮大工集団によって修復される様子をテレビでみた。日本人はむかしから台風とつきあってきたんだなと思うが、それでもまたまた紀伊半島直撃とは非情だ。
こちらも成田発の飛行機が欠航となり中国行きは明日にのびたが一人旅なので気楽。集団ツアー旅行だったら大騒ぎだろうな。
2011年9月20日火曜日
お疲れ様・・・猫跨ぎ
胃癌の手術は30年前、家内が経験した。傍にいて見ているので、貴兄の今の状況はよく判る。食事の違和感はたしかにかなり続いたように思う。一度に沢山は食べられない。のどを通過する違和感も同じで、噎せやすくなった。声に違和感があり、これは麻酔の後遺症とか言っていたが、貴兄のコーラスの活動の具合を推察するにそちらは大丈夫の様だね。その妻も30年再発もせず来たのだが、昨年、あっけなく肝臓癌で先立ってしまった。勿論30年前の再発ではない。
癌は結局よく判らない。直る癌は治るし、そうでない癌は治らない。その閾はさっぱり判らない。運を天に任せるしかないというのが私の結論だ。
貴兄は今のところ順調のようだから、恐らくあと30年は大丈夫の口だろうね。おそらく、死生観といえば大袈裟かも知れないが、何事かに思いを致したのだろうと思う。ちょっと忙しすぎる活動予定もよく判る。要するに好きやるしかないね。私も同じだが。
妻について一言。死に際は見事だった。完全に覚悟して死を許容していた。あれだけは敵わない。きっと温めていたのかも知れない。
癌は結局よく判らない。直る癌は治るし、そうでない癌は治らない。その閾はさっぱり判らない。運を天に任せるしかないというのが私の結論だ。
貴兄は今のところ順調のようだから、恐らくあと30年は大丈夫の口だろうね。おそらく、死生観といえば大袈裟かも知れないが、何事かに思いを致したのだろうと思う。ちょっと忙しすぎる活動予定もよく判る。要するに好きやるしかないね。私も同じだが。
妻について一言。死に際は見事だった。完全に覚悟して死を許容していた。あれだけは敵わない。きっと温めていたのかも知れない。
熊さん回復おめでとうございます。
ほぼ完璧に回復したとは、おめでとうございます。
合唱・ゴルフ・アメリカ旅行など大いに楽しんでください。できたら10月21日からのほろほろ会旅行にも参加してほしい。
あとだいたい30~40年くらいだし楽しくやりましょう。 褌子
合唱・ゴルフ・アメリカ旅行など大いに楽しんでください。できたら10月21日からのほろほろ会旅行にも参加してほしい。
あとだいたい30~40年くらいだし楽しくやりましょう。 褌子
がん闘病記 九州の熊
いやいやうまく乗せられてしまった。完全に思うつぼだね。
手術後の顛末・・。
結論からいうとほぼ完ぺきに回復したといえます。3月24日に手術、4月16日退院。退院直前に病床のなかで3つの目標をたてた。①5月から合唱再開 → 退院直後の記録をみると、4月20日に団員の一人が転出したのでその送別の宴がありそれに参加している、連休明けの5月6日に定例練習に参加している。 ②7月までに本コースでゴルフプレイ → 記録はないが6月にコースに出た。それ以降手術まえより頻繁にプレイをしている。あまりスコアはよくないが意地でやっている感じ。最近はすこし改善傾向。9月はきのうまでに7回のラウンド(ただし雨で2回キャンセル)。ゴルフ三昧の毎日だ。 ③なるべく早い時期に(年内に)アメリカ再訪 → 今月末から10月初にかけてアトランタ、ニューヨーク訪問予定。退院後1~1.5ヶ月間隔でフォローアップ検診。医者からはきわめて順調に推移、懸念される兆候はひとつもありません、ゆっくり楽しんできてください、とのこと。いま渡航準備真っ最中、ルン♪ルン♪なり。
というわけでがん宣言のショック、失意のどん底から奇跡の復活を果たしました。
ほぼ完ぺきに、の¨ほぼ¨の内容。食事には苦労している。これは予想をはるかに上回る大誤算だった。食べたものがのどに詰まる(円滑にのどを通過しない)。ひとくち、ふたくち食べたらむかむか感があって食がすすまない。味覚が鈍くなってしまいたいていのものはおいしいと感じない。・・等々。食べる量は健常時とくらべ半分程度になった。食べ物の種類も制限されている。体重は術前63kgからいまは53kg。体脂肪率は8%前後。原因はくすりの副作用とか。転移を予防するための投薬を5年間続けるのだそうだ。1日おきに朝、晩3錠づつ。この状態が5年間続くと考えるとぞっとする。退院後ことの経緯を知った方々から家族、友人、知人の経験談を聞かせてくれて励ましてくれる。1年くらい経ったら普通通り食べられますよ、と。そんな慰めはなんの役にも立たないよ、と叫びたくなるが皆さん善意で言ってくれているのでありがとうございますと応じ、実は聞き流している。がん闘病者の体験記事や雑誌をよく見かけるがやはり苦痛の部分は本人にしかわからない苦しみがあるということをしみじみ実感している。総合的にはやはり半病人です。でも気にしてもしょうがないから楽しいことだけを意識して普段の生活をしていこうと思います。皆さん気にかけて頂いていた、というこで大変感謝しております。改めて御礼申し上げます。
手術後の顛末・・。
結論からいうとほぼ完ぺきに回復したといえます。3月24日に手術、4月16日退院。退院直前に病床のなかで3つの目標をたてた。①5月から合唱再開 → 退院直後の記録をみると、4月20日に団員の一人が転出したのでその送別の宴がありそれに参加している、連休明けの5月6日に定例練習に参加している。 ②7月までに本コースでゴルフプレイ → 記録はないが6月にコースに出た。それ以降手術まえより頻繁にプレイをしている。あまりスコアはよくないが意地でやっている感じ。最近はすこし改善傾向。9月はきのうまでに7回のラウンド(ただし雨で2回キャンセル)。ゴルフ三昧の毎日だ。 ③なるべく早い時期に(年内に)アメリカ再訪 → 今月末から10月初にかけてアトランタ、ニューヨーク訪問予定。退院後1~1.5ヶ月間隔でフォローアップ検診。医者からはきわめて順調に推移、懸念される兆候はひとつもありません、ゆっくり楽しんできてください、とのこと。いま渡航準備真っ最中、ルン♪ルン♪なり。
というわけでがん宣言のショック、失意のどん底から奇跡の復活を果たしました。
ほぼ完ぺきに、の¨ほぼ¨の内容。食事には苦労している。これは予想をはるかに上回る大誤算だった。食べたものがのどに詰まる(円滑にのどを通過しない)。ひとくち、ふたくち食べたらむかむか感があって食がすすまない。味覚が鈍くなってしまいたいていのものはおいしいと感じない。・・等々。食べる量は健常時とくらべ半分程度になった。食べ物の種類も制限されている。体重は術前63kgからいまは53kg。体脂肪率は8%前後。原因はくすりの副作用とか。転移を予防するための投薬を5年間続けるのだそうだ。1日おきに朝、晩3錠づつ。この状態が5年間続くと考えるとぞっとする。退院後ことの経緯を知った方々から家族、友人、知人の経験談を聞かせてくれて励ましてくれる。1年くらい経ったら普通通り食べられますよ、と。そんな慰めはなんの役にも立たないよ、と叫びたくなるが皆さん善意で言ってくれているのでありがとうございますと応じ、実は聞き流している。がん闘病者の体験記事や雑誌をよく見かけるがやはり苦痛の部分は本人にしかわからない苦しみがあるということをしみじみ実感している。総合的にはやはり半病人です。でも気にしてもしょうがないから楽しいことだけを意識して普段の生活をしていこうと思います。皆さん気にかけて頂いていた、というこで大変感謝しております。改めて御礼申し上げます。
パンダ問答・・・褌子
熊さんと猫さんが難しい熊猫問答をしていて微笑ましい。
熊猫は中国ではパンダのこと。
中国へ明日から27日までいってくる。上海の魯迅生誕130年祭のシンポのあと吐魯番(トルファン)あたりまで行く計画だったが、9月30日から国慶節のせいで超満員で帰ってこれないことがわかり、急遽、西安から先はあきらめた。高速鉄道は乗らないので安心、モノリンガルが心配。息子の航空会社のタダの切符だが、いきあたりばったりの一人旅には向いている。
一昨夜BSの小栗康平監督『泥の河』で泣けてしまった。宮本輝の原作も知らず映画も観たことがなかったがマルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を何かでみたことがあって、いつまでもあらすじを忘れることができなかった。
昭和三十年の大阪の貧しい貧しい下町のはなし。小学三年のノブちゃんが学校に来てないキっちゃんと仲良くなるが、ふとしたことで突然かなしい別れがやってくる…。
キっちゃんの父は戦死、汚い河に係留する小さな郭船のなかで病弱の母(加賀まりこ演ずる)が子供を食わせていたのだ。 キっちゃんが小さな川カニに灯油をかけて焼き殺す場面があって逃げるカニを追ってノブちゃんはみてはならないものをみてしまうのだ。禁断の場面をみてしまったために船が突然ひっこししてしまう。この場面のマルセ太郎の独り芝居がすごい。マルセ太郎じしん、大阪生まれの在日朝鮮人で辛酸をなめて育ったひとだという。
こういう日本がかつてはあった。いや今も形をかえてあるのだ。だから毎年三万人も自殺しているのだ。
私が知る無籍のKさんはちょうどノブちゃんキっちゃんの年代。4才で母が家出。病気の父もKさんを孤児院に預けて死んでしまう。両親は横浜大空襲で家族をすべて失った被災者どうしだったのではないだろうか。Kさんはつらいことが多すぎて解離性健忘症になったのだ。この夏、現地を足で歩いてそんな確信がしている。
【写真はマルセ太郎】
熊猫は中国ではパンダのこと。
中国へ明日から27日までいってくる。上海の魯迅生誕130年祭のシンポのあと吐魯番(トルファン)あたりまで行く計画だったが、9月30日から国慶節のせいで超満員で帰ってこれないことがわかり、急遽、西安から先はあきらめた。高速鉄道は乗らないので安心、モノリンガルが心配。息子の航空会社のタダの切符だが、いきあたりばったりの一人旅には向いている。
一昨夜BSの小栗康平監督『泥の河』で泣けてしまった。宮本輝の原作も知らず映画も観たことがなかったがマルセ太郎の「スクリーンのない映画館」を何かでみたことがあって、いつまでもあらすじを忘れることができなかった。
昭和三十年の大阪の貧しい貧しい下町のはなし。小学三年のノブちゃんが学校に来てないキっちゃんと仲良くなるが、ふとしたことで突然かなしい別れがやってくる…。
キっちゃんの父は戦死、汚い河に係留する小さな郭船のなかで病弱の母(加賀まりこ演ずる)が子供を食わせていたのだ。 キっちゃんが小さな川カニに灯油をかけて焼き殺す場面があって逃げるカニを追ってノブちゃんはみてはならないものをみてしまうのだ。禁断の場面をみてしまったために船が突然ひっこししてしまう。この場面のマルセ太郎の独り芝居がすごい。マルセ太郎じしん、大阪生まれの在日朝鮮人で辛酸をなめて育ったひとだという。
こういう日本がかつてはあった。いや今も形をかえてあるのだ。だから毎年三万人も自殺しているのだ。
私が知る無籍のKさんはちょうどノブちゃんキっちゃんの年代。4才で母が家出。病気の父もKさんを孤児院に預けて死んでしまう。両親は横浜大空襲で家族をすべて失った被災者どうしだったのではないだろうか。Kさんはつらいことが多すぎて解離性健忘症になったのだ。この夏、現地を足で歩いてそんな確信がしている。
【写真はマルセ太郎】
2011年9月19日月曜日
熊さんじゃないか・・・猫跨ぎ
「価値観」なんてむずかしい英語使うのはだれだと思いきや、おや熊さんじゃないか。声を張り上げるほど回復したのはご同慶の至り。まずはお祝い申し上げたい。簡単に経緯をご披露願いたい。皆心配していたんだ。
ちょっと言い過ぎ? 九州の熊
「・・やってみると良いと思うが、後続はさっぱりだね。羞恥心が強いのと、いまいち真剣味がないんだな」 自分の価値観だけで他人のことをこう表現するのはあまりいただけない。合唱音楽にあまり興味を示さないひとに向かって「芸術文化への理解があまりなさそう・・」と決めつけるようなものだ。
猫跨ぎ氏特有の挑戦表現にのってしまったかな・・?
猫跨ぎ氏特有の挑戦表現にのってしまったかな・・?
趨勢か・・・猫跨ぎ
今朝の朝刊にドイツの代表的総合電機大手シーメンスが原発事業から完全に撤退する方針を決めた、と報じた。同社社長は完全撤退の理由について、「脱原発というドイツ社会・政治の明確な姿勢に対する企業としての回答」と語った。福島第一原子力発電所の事故以降、世界の主要メーカーの中で原発事業からの完全撤退を表明したのは初めてという。
数日前、州立バイエルン歌劇団の日本公演を前に、総員400名のうち100名が来日を拒否したと報じていた。言うまでもなく放射能被爆をおそれてのことである。これが、ドイツの人達の今の率直な日本観である。雰囲気が良く判る。(と、他人事に言っている場合ではないが)。そんなこんなで、この国は、国を挙げて舵を切ったと言っていいのだろう。
また昨日、小泉純一郎元首相が川崎で講演し、脱原発の立場を明瞭にし、原発は低コストであるというこれまでの政府の公式見解を批判したという。時代の趨勢を見るのに敏な政治家の発言として注目する。
数日前、州立バイエルン歌劇団の日本公演を前に、総員400名のうち100名が来日を拒否したと報じていた。言うまでもなく放射能被爆をおそれてのことである。これが、ドイツの人達の今の率直な日本観である。雰囲気が良く判る。(と、他人事に言っている場合ではないが)。そんなこんなで、この国は、国を挙げて舵を切ったと言っていいのだろう。
また昨日、小泉純一郎元首相が川崎で講演し、脱原発の立場を明瞭にし、原発は低コストであるというこれまでの政府の公式見解を批判したという。時代の趨勢を見るのに敏な政治家の発言として注目する。
2011年9月18日日曜日
俳句の世界・・・猫跨ぎ
勿論、ベールは掛けておいて下さい。自句自解も程度を過ぎると興ざめになるのはよくあることだから。
それにしても、俳句の世界は懐が深くて興趣がつきない。散文で表現する世界とまた違う位相が開けるからね。皆さん、やってみると良いと思うが、後続はさっぱりだね。羞恥心が強いのと、いまいち真剣味がないんだな。
それにしても、俳句の世界は懐が深くて興趣がつきない。散文で表現する世界とまた違う位相が開けるからね。皆さん、やってみると良いと思うが、後続はさっぱりだね。羞恥心が強いのと、いまいち真剣味がないんだな。
2011年9月17日土曜日
函館通信156・・・句評御礼・・・仁兵衛
褌子さん、猫跨ぎさん早々の句評有難う御座いました。お二人の角度の違った感想を読み、作者の気持ちと合ったり違ったりするところを楽しませて貰っています。
さて、午後四時を中年と言うのは40才台をイメージしましたが早すぎますかね。娘の夫が42歳になりきつい勤めと子育てに四苦八苦しているのを横目で見ているところからの発想した句です。我々の40台はどうだったでしょうか。皆さん手を胸に当てて思い出してください。つい25年ほど前の話ですよ。
猫又ぎさん、毎日付ける日記も行動日記からはみ出すことが度々ありますね。それが行過ぎると飛躍がおおきすぎて他人には全く分からない物(句)になるようです。捨て置いてください。作者なりの作句意図はありますがそこまで行くと句の面白さも何も無くなるなと思っています。
藤沢周平の「一茶」を読んで影響されたのかもしれません。何でもかんでも句にしてしまいたいと今は思っています。それにしても「戦後の露」は飛躍しすぎだな。
さて、午後四時を中年と言うのは40才台をイメージしましたが早すぎますかね。娘の夫が42歳になりきつい勤めと子育てに四苦八苦しているのを横目で見ているところからの発想した句です。我々の40台はどうだったでしょうか。皆さん手を胸に当てて思い出してください。つい25年ほど前の話ですよ。
猫又ぎさん、毎日付ける日記も行動日記からはみ出すことが度々ありますね。それが行過ぎると飛躍がおおきすぎて他人には全く分からない物(句)になるようです。捨て置いてください。作者なりの作句意図はありますがそこまで行くと句の面白さも何も無くなるなと思っています。
藤沢周平の「一茶」を読んで影響されたのかもしれません。何でもかんでも句にしてしまいたいと今は思っています。それにしても「戦後の露」は飛躍しすぎだな。
2011年9月16日金曜日
草ロール・・・猫跨ぎ
仁句は日記で良し、に徹しているから、どうこう言うこともないが、
次の三句はそう。
・秋うららATMは故障中
・粉薬咽んでをりし野分あと
・歯石取る音治まりて秋の空
・午後四時を中年と言い虫すだく
もうわれわれは老年で宵闇は始まっているが、するとこれは誰のことかな。
・昨日今日傷つき易き秋の雲
やや心境に踏み込んだ句か。そうなんだよね。年を重ねてもこの種の感情の動きは昔のままだ。
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
草ロールは今や北海道の秋の季語だね。ジョン・ウェインか。「リオブラボー」は晩年で、なんといっても「駅馬車」だね。
・実はまなす無限の空に突き出して
はまなすを見なくなって久しい。トゲトゲが痛かった。
申し訳ないがまた何句か飛躍が大で着いて行けなかった。
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
・上野から戦後の露の生まれけり
「戦後の露」は解釈が拡がりすぎて、何だろう。
・通帳に書き込まれたり秋の声
「秋の声」も何かプライベートな事柄のように思えるね。
次の三句はそう。
・秋うららATMは故障中
・粉薬咽んでをりし野分あと
・歯石取る音治まりて秋の空
・午後四時を中年と言い虫すだく
もうわれわれは老年で宵闇は始まっているが、するとこれは誰のことかな。
・昨日今日傷つき易き秋の雲
やや心境に踏み込んだ句か。そうなんだよね。年を重ねてもこの種の感情の動きは昔のままだ。
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
草ロールは今や北海道の秋の季語だね。ジョン・ウェインか。「リオブラボー」は晩年で、なんといっても「駅馬車」だね。
・実はまなす無限の空に突き出して
はまなすを見なくなって久しい。トゲトゲが痛かった。
申し訳ないがまた何句か飛躍が大で着いて行けなかった。
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
・上野から戦後の露の生まれけり
「戦後の露」は解釈が拡がりすぎて、何だろう。
・通帳に書き込まれたり秋の声
「秋の声」も何かプライベートな事柄のように思えるね。
初秋の月・・・褌子
長命の相が豊かな黒髪、秀麗な眉目にくっきりとでているのは逸徳さんである。
わたしは全くどうなるかわからない。佳人薄命ともいうし…
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
馳走。なるほどね。むかしはミリバールといったがいつからヘクトパスカルになったのか最近はベクレル、シーベルト。むかしはキューリーをつかったが
・通帳に書き込まれたり秋の声
貯金通帳?むかしは米穀通帳、配給通帳もあったが
・秋うららATMは故障中
のどかでいいね。炎天下に壊れている自販機などみるとほっとする。
ゆうべの月もよかった。昼は暑かったがさすがに夜の風は涼しくなった。
かしましい虫の声がここちよい。西洋人は虫の声を騒音と感ずるらしいが、こちらはカエルの鳴き声も虫の音も小川のせせらぎみたいでちっともうるさくないから不思議。
・午後四時を中年と言い虫すだく
妙な句だな。人生の午後四時という意味か。虫すだくがいい。
・昨日今日傷つき易き秋の雲
そんな雲にだんだんなってきたのかね函館は
きのうなんぞはこちらは入道雲がでていたよ。しかしなんとなく元気がない入道雲だった
・粉薬咽んでをりし野分あと
むせぶのは夜霧のなかの霧笛がいいが。
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
ジョンウエインなつかしいね。映画『アラモ』で売り出した。ジーパンがかっこよかった。牧場の草ロールと相性がいい。特選。
・実はまなす無限の空に突き出して
無常観がある。映画『裸の島』をおもいだした
・上野から戦後の露の生まれけり
「ああ上野駅」思い出すなあ。上越線十三番線
・歯石取る音治まりて秋の空
そうね。そういう年なんだね
わたしは全くどうなるかわからない。佳人薄命ともいうし…
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
馳走。なるほどね。むかしはミリバールといったがいつからヘクトパスカルになったのか最近はベクレル、シーベルト。むかしはキューリーをつかったが
・通帳に書き込まれたり秋の声
貯金通帳?むかしは米穀通帳、配給通帳もあったが
・秋うららATMは故障中
のどかでいいね。炎天下に壊れている自販機などみるとほっとする。
ゆうべの月もよかった。昼は暑かったがさすがに夜の風は涼しくなった。
かしましい虫の声がここちよい。西洋人は虫の声を騒音と感ずるらしいが、こちらはカエルの鳴き声も虫の音も小川のせせらぎみたいでちっともうるさくないから不思議。
・午後四時を中年と言い虫すだく
妙な句だな。人生の午後四時という意味か。虫すだくがいい。
・昨日今日傷つき易き秋の雲
そんな雲にだんだんなってきたのかね函館は
きのうなんぞはこちらは入道雲がでていたよ。しかしなんとなく元気がない入道雲だった
・粉薬咽んでをりし野分あと
むせぶのは夜霧のなかの霧笛がいいが。
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
ジョンウエインなつかしいね。映画『アラモ』で売り出した。ジーパンがかっこよかった。牧場の草ロールと相性がいい。特選。
・実はまなす無限の空に突き出して
無常観がある。映画『裸の島』をおもいだした
・上野から戦後の露の生まれけり
「ああ上野駅」思い出すなあ。上越線十三番線
・歯石取る音治まりて秋の空
そうね。そういう年なんだね
2011年9月15日木曜日
函館通信155・・・大仕事・・・仁兵衛
大仕事と言うからノーベル賞ものの大発見でもしたのかと期待したんだが外れたな。私も含め毎日大過なく過ごしている人はあせって大きな仕事を見誤らないで下さいよ。
こういう時は大自然に身を任すことが一番良いようだよ。それを実行しているのは褌子さんだと思うね。褌子さんにはきっと神様から長生き賞が与えられるよ。皆の骨を拾って下さいね。
それでは近作十句
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
・通帳に書き込まれたり秋の声
・秋うららATMは故障中
・午後四時を中年と言い虫すだく
・昨日今日傷つき易き秋の雲
・粉薬咽んでをりし野分あと
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
・実はまなす無限の空に突き出して
・上野から戦後の露の生まれけり
・歯石取る音治まりて秋の空
こういう時は大自然に身を任すことが一番良いようだよ。それを実行しているのは褌子さんだと思うね。褌子さんにはきっと神様から長生き賞が与えられるよ。皆の骨を拾って下さいね。
それでは近作十句
・秋白しヘクトパスカル馳走せり
・通帳に書き込まれたり秋の声
・秋うららATMは故障中
・午後四時を中年と言い虫すだく
・昨日今日傷つき易き秋の雲
・粉薬咽んでをりし野分あと
・草ロール傍らに立つジョン・ウェイン
・実はまなす無限の空に突き出して
・上野から戦後の露の生まれけり
・歯石取る音治まりて秋の空
2011年9月14日水曜日
大仕事・・・猫跨ぎ
逸徳氏の投稿に気が付かなかった。
まだ死ぬという大仕事・・・これね、数年前に出た上坂冬子の著作「死ぬという大仕事」がルーツだと思う。あの頃〝死ぬという大仕事〟のフレーズがあちこちで見られた。彼女の癌と闘病中の著作で、まもなく亡くなった。~ではないかと思うがどうか。私も何かの折使ったような気がする。
それはともかく、大きな荷物を背負って死ぬという気分にならぬようせいぜい身軽にしておきたいものだ。ポンと彼岸へ飛ぶ。これが理想。
まだ死ぬという大仕事・・・これね、数年前に出た上坂冬子の著作「死ぬという大仕事」がルーツだと思う。あの頃〝死ぬという大仕事〟のフレーズがあちこちで見られた。彼女の癌と闘病中の著作で、まもなく亡くなった。~ではないかと思うがどうか。私も何かの折使ったような気がする。
それはともかく、大きな荷物を背負って死ぬという気分にならぬようせいぜい身軽にしておきたいものだ。ポンと彼岸へ飛ぶ。これが理想。
新米総理・・・猫跨ぎ
新米総理が正心誠意やると言っているのだから、暫くは見守ってやればいいではないかと思うが、聞くに堪えない汚い野次は何だ。野党党首のコメントも意地クソ悪い。大したことのないイモみたいな連中が偉そうに言っている。
この前、面白い囲み記事を見た。ヨーロッパの国民に幸福度のアンケートをとった。
一位はデンマーク。これは納得。二位は何とギリシャ。イタリア、スペインなど問題国がいずれも高位を占めた。これらの国の経済危機がEUの金融不安を招き、世界同時不況が囁かれているのに。ドイツ、フランスなどEUを支えている国はそんなに高くないのが何とも皮肉だ。
政府が緊縮政策を打ち出すと暴動騒ぎを起こしたのがギリシャだった。この国民は節電の号令をかけてもどこかの国みたいには絶対随わないだろうな。
経済欄をみると、中国はイタリア国債を大量に買うらしい。またブラジルはヨーロッパに経済支援をする用意があると言っている。
アメリカはボロボロになってイラク、アフガンから撤退するのだろう。ではアラブ過激派の天下になるかというと違う。アラブ世界も民主化運動で様変わりしつつある。世界の勢力地図は地殻変動を起こしている。いやもうすっかり変わっているのかも。
この前、面白い囲み記事を見た。ヨーロッパの国民に幸福度のアンケートをとった。
一位はデンマーク。これは納得。二位は何とギリシャ。イタリア、スペインなど問題国がいずれも高位を占めた。これらの国の経済危機がEUの金融不安を招き、世界同時不況が囁かれているのに。ドイツ、フランスなどEUを支えている国はそんなに高くないのが何とも皮肉だ。
政府が緊縮政策を打ち出すと暴動騒ぎを起こしたのがギリシャだった。この国民は節電の号令をかけてもどこかの国みたいには絶対随わないだろうな。
経済欄をみると、中国はイタリア国債を大量に買うらしい。またブラジルはヨーロッパに経済支援をする用意があると言っている。
アメリカはボロボロになってイラク、アフガンから撤退するのだろう。ではアラブ過激派の天下になるかというと違う。アラブ世界も民主化運動で様変わりしつつある。世界の勢力地図は地殻変動を起こしている。いやもうすっかり変わっているのかも。
突然ですが・・・・逸徳
さる方からお誘いがあり福島原発被災地の視察ツアーに参加することになった。 浜岡原発20キロ圏住民として、現地にたって考え、感じてみたいと思う。 結果はまた報告する。
鉢呂さんが辞任した。「死の街」という表現が問題だという。しかし、これ単なる文学表現ではないか。なんだか言葉狩りの様相を呈してきたなあ。 マスコミはチェルノブイリ報道でおんなじ言葉をつかっていたろうに。 言葉の劣化と政治のばかばかしさがひどくめだつ。ちなみに彼は北大のOBでなかったか。
最近、新聞をとらない若い夫婦の家庭が増えてきたそうである。ネットのニュースですましてしまうそうだ。ところが、これもつい最近気が付いたのだが、ヤフーのニュースはほとんどが産経と時事、たまに読売である。これはひどい偏り方で、どうりで菅さんの最後の方の論調はもう罵詈雑言にちかかった。こんなの読んでたらみんなばかになるぞ。
こういうことが続くと、国全体のことを考える気がなくなる。半径1000メートルぐらいをまずしっかり考えることにしよう。もうどうでもええという気分になる。
最近の老いについてのホロホロ会のやりとりは面白い。生死について、もっと軽やかに日常的感覚で語りたい。「還暦や まだ死ぬという 大仕事」という句が記憶にあるが、誰が詠んだかわすれた。もしかしたら自分かもしれんな。ちなみに厚生省の簡易生命表によれば。我々の余命は大体16年である。ながいなあ。
鉢呂さんが辞任した。「死の街」という表現が問題だという。しかし、これ単なる文学表現ではないか。なんだか言葉狩りの様相を呈してきたなあ。 マスコミはチェルノブイリ報道でおんなじ言葉をつかっていたろうに。 言葉の劣化と政治のばかばかしさがひどくめだつ。ちなみに彼は北大のOBでなかったか。
最近、新聞をとらない若い夫婦の家庭が増えてきたそうである。ネットのニュースですましてしまうそうだ。ところが、これもつい最近気が付いたのだが、ヤフーのニュースはほとんどが産経と時事、たまに読売である。これはひどい偏り方で、どうりで菅さんの最後の方の論調はもう罵詈雑言にちかかった。こんなの読んでたらみんなばかになるぞ。
こういうことが続くと、国全体のことを考える気がなくなる。半径1000メートルぐらいをまずしっかり考えることにしよう。もうどうでもええという気分になる。
最近の老いについてのホロホロ会のやりとりは面白い。生死について、もっと軽やかに日常的感覚で語りたい。「還暦や まだ死ぬという 大仕事」という句が記憶にあるが、誰が詠んだかわすれた。もしかしたら自分かもしれんな。ちなみに厚生省の簡易生命表によれば。我々の余命は大体16年である。ながいなあ。
いうなれば・・・猫跨ぎ
この手の話は尽きないが、考えてみれば老境にあって、枯淡とか優遊の境地を楽しむなんかは大体爺さんだな。婆さんの世界ではなさそうだ。
永田耕衣という人を皆さんご存知かどうか知らないが、私にとっていま、極北にいる俳人。もう故人だけれど、機会あればご覧あれ。
結論は女は形而下に生きぬ抜くしたたかさあり、男は形而上的に呆ける、この辺じゃないか。
永田耕衣という人を皆さんご存知かどうか知らないが、私にとっていま、極北にいる俳人。もう故人だけれど、機会あればご覧あれ。
結論は女は形而下に生きぬ抜くしたたかさあり、男は形而上的に呆ける、この辺じゃないか。
2011年9月13日火曜日
東は東、西は西、両者はとわに会わず・・・褌子
山崎方代のうたも面白い。いなおりが見事であるが、やはりばあちゃんではよめない。じいちゃんのうただ。
灰になるまで男は男、女は女。両者は永久に会わず。Men make houses, women make home.??
―――――ゆうべの月は見事だった。けふは暑そうだが、房総半島の元禄大津波の痕跡をもとめるツアーに参加する。
灰になるまで男は男、女は女。両者は永久に会わず。Men make houses, women make home.??
―――――ゆうべの月は見事だった。けふは暑そうだが、房総半島の元禄大津波の痕跡をもとめるツアーに参加する。
2011年9月12日月曜日
そこに本質がある・・・猫跨ぎ
男と女は随分違うぞ。こんなあっけらかんと自分の老いを言えるのは女の特質だね。女は地に足が着いている強さがある。開き直りがある。
男はそこへ行くとからきし駄目だ。観念臭が消えない。
山崎方代(ほうだい。男性だ。ややこしい)は、うじゃじゃけた歌を詠むが、おじやを啜る歌など詠めないだろうな。
とうきょうの夜更けの街の電柱に体あずけてあきらめている
卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり
こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
男はそこへ行くとからきし駄目だ。観念臭が消えない。
山崎方代(ほうだい。男性だ。ややこしい)は、うじゃじゃけた歌を詠むが、おじやを啜る歌など詠めないだろうな。
とうきょうの夜更けの街の電柱に体あずけてあきらめている
卓袱台の上の土瓶に心中をうちあけてより楽になりたり
こんなにも湯飲茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
婆でも爺でもどっちでもよいのが老境の醍醐味
じいちゃんだと思ったら、ばあちゃんだったのか。うん、もいちど読み直したらばあちゃんくさいなたしかに。
九十過ぎたらどっちでもいいんだ。卒寿というから、男も女も卒業したということだ。
褌しているようではまだまだこの境地にはほどとおいということか…
九十過ぎたらどっちでもいいんだ。卒寿というから、男も女も卒業したということだ。
褌しているようではまだまだこの境地にはほどとおいということか…
史ばあさん ・・・猫跨ぎ
あのね、斎藤史さんは女性。父親も歌人だったが、二・二六事件の将校と親交があり、その関連で数年投獄されている。史さんも青年将校たちとは親しかったようで、彼らが銃殺された衝撃が跡を引いたらしい。
額(ぬか)の真中に弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
なんかはそうなんだろう。生涯洋装で通したとか。
額(ぬか)の真中に弾丸(たま)をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
なんかはそうなんだろう。生涯洋装で通したとか。
こんなのもあるよ・・・褌子
斎藤史じいちゃんはこんなのも詠んでるよ。
逸徳じいさんが九十くらいでよみそうなうただ。
・おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくようにゆかぬなり生は
・疲労つもりて引き出ししヘルペスなりといふ八十年生きればそりやぁあなた
逸徳じいさんが九十くらいでよみそうなうただ。
・おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくようにゆかぬなり生は
・疲労つもりて引き出ししヘルペスなりといふ八十年生きればそりやぁあなた
老い ・・・ 猫跨ぎ
毎日食材を買って、料理して、日に三度食べていると、つくづく人間とはのべつ食っているなと思うね。食って排泄を繰り返しているにしては、何か偉そうなことを言っている変な生き物だ。老いは老いていく自分にとっては格別のことではないらしいね。それは一安心だが、しかし傍からみるとすさまじきものだ。
斎藤史さんは詳しくは知らないが、老い行く母についてこんな歌も遺している。
老い不気味 わがははそはが人間(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく
関連してこの前、句会で
香水に恋をしてゐたかも知れず
という身も蓋もないことを投句していたのがいたが、今更なあ。
斎藤史さんは詳しくは知らないが、老い行く母についてこんな歌も遺している。
老い不気味 わがははそはが人間(ひと)以下のえたいの知れぬものとなりゆく
関連してこの前、句会で
香水に恋をしてゐたかも知れず
という身も蓋もないことを投句していたのがいたが、今更なあ。
急に老いのこころがまえ三つ(笑い)・・・褌子
��・11のWTCから10年たったのか。
10年日記というものをつけだして早くも5年たった。
新聞が斎藤史というひとの短歌を「老いの醍醐味」として紹介しているが気に入ったのを三つ転載させてもらう。
作者は93歳で亡くなるまで老いをみつめた歌をつくりつづけたという。
・ぐじやぐじやのおじあなんどを朝餉とし何で残生が美しからう
そうか、やっぱりそうなのか
・九十歳の先は幾つでもいいやうなお天気の中花が咲くなり
この心境までゆくまであと20年もあるなあ
・いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
ということなんだろうな。なんだやっぱりそういうことだったのか
―――――というわけで何だか元気がむくむくでてきた
10年日記というものをつけだして早くも5年たった。
新聞が斎藤史というひとの短歌を「老いの醍醐味」として紹介しているが気に入ったのを三つ転載させてもらう。
作者は93歳で亡くなるまで老いをみつめた歌をつくりつづけたという。
・ぐじやぐじやのおじあなんどを朝餉とし何で残生が美しからう
そうか、やっぱりそうなのか
・九十歳の先は幾つでもいいやうなお天気の中花が咲くなり
この心境までゆくまであと20年もあるなあ
・いかがなる晩年来ると思ひしが至りてみればごく当たり前
ということなんだろうな。なんだやっぱりそういうことだったのか
―――――というわけで何だか元気がむくむくでてきた
2011年9月11日日曜日
句評お礼・・・猫跨ぎ
褌子、仁ちゃんお二方の暖かい句評どうも有難う。しかし俳句は難しいね。今いる結社誌で俳句昭和史を柄にもなく辿っているけれど、先人の苦心には頭が下がる。しかし時代は繰り返すといいながら、やはり明らかに新しい姿を見せてくる。俳句もこのままではね、変わらねば。
「放射能を移してやる」か。くだらん話だが、これ、視察帰りの大臣を囲んでのオフレコ取材だったらしい。それが大臣発言となっちゃった。首が飛んだわけだが、何だか後味が悪い。真面目に議論の俎上に載せれば、そりゃけしからんとなるが、いうなればよくある悪ふざけだった(程度が知れるのが情けないが)。マスコミとの阿吽の呼吸が成立する以前だったのが不幸だった。鉢呂って、北大農学部出身だね。国会対策関係のベテランとかで、あまり政策通でもないらしい。いずれ馬脚をあらわしたのでないか。残念だが。
「放射能を移してやる」か。くだらん話だが、これ、視察帰りの大臣を囲んでのオフレコ取材だったらしい。それが大臣発言となっちゃった。首が飛んだわけだが、何だか後味が悪い。真面目に議論の俎上に載せれば、そりゃけしからんとなるが、いうなればよくある悪ふざけだった(程度が知れるのが情けないが)。マスコミとの阿吽の呼吸が成立する以前だったのが不幸だった。鉢呂って、北大農学部出身だね。国会対策関係のベテランとかで、あまり政策通でもないらしい。いずれ馬脚をあらわしたのでないか。残念だが。
函館通信154・・・句評・・・仁兵衛
猫跨ぎさんの近作から選ばせて頂きました。
・氷水ほどの話も丁度果て・・・氷水ほどの話とはどんな話だったのだろうという想像が拡がってゆく楽しさがなんとも言えない良さだ。
・噴水のきらきら少年老いやすく・・・きらきらと輝くのは噴水か少年か。あーあ歳は取りたくないなーとの願望が迫ってくる。
・椋鳥のまだまだ入る大欅・・・千葉県のどこか。街中に大欅があり椋鳥の巨大な巣になっているのをTVで見た。椋鳥の集団で飛んでいるのを私はごま塩台風と言っているがこの鳥の習性は本当に面白い。この集団性は猛禽類から身を守る本能的行動なのだろうが街中の大欅をねぐらにしているその生命力の強さに脱帽である。句の中七にその生命力がよく現れています。褌子さん同様特選です。
・新涼や手足の熱き赤子抱く・・・赤子の手足の熱さと新涼との取り合わせの妙。
・氷水ほどの話も丁度果て・・・氷水ほどの話とはどんな話だったのだろうという想像が拡がってゆく楽しさがなんとも言えない良さだ。
・噴水のきらきら少年老いやすく・・・きらきらと輝くのは噴水か少年か。あーあ歳は取りたくないなーとの願望が迫ってくる。
・椋鳥のまだまだ入る大欅・・・千葉県のどこか。街中に大欅があり椋鳥の巨大な巣になっているのをTVで見た。椋鳥の集団で飛んでいるのを私はごま塩台風と言っているがこの鳥の習性は本当に面白い。この集団性は猛禽類から身を守る本能的行動なのだろうが街中の大欅をねぐらにしているその生命力の強さに脱帽である。句の中七にその生命力がよく現れています。褌子さん同様特選です。
・新涼や手足の熱き赤子抱く・・・赤子の手足の熱さと新涼との取り合わせの妙。
Re:秋の一日・・・褌子
・折られたる頁を元に半夏生
何気ないしぐさと半夏生の合性がいい。
こんなふうに歳をとっていけたらいい。
・早足の雲水片陰を行かず
片蔭…面白いことばをおぼえた。公民館の会合に大きな愛犬を連れてきた人がいて、 犬は太陽光をさけて片蔭だけに見事にうずくまっていて笑いをさそっていた。夏の葬 式でも最後の出棺となるとみんな片蔭に避難して霊柩車を見送っていた。
片蔭にゐる半分の会葬者 岸田稚魚
・氷水ほどの話も丁度果て
てんこ盛りの氷水もたちまちシャーベットになり腹におさまってしまう
若い恋人どうしを想像した。楽しかったなああの頃は
・裏山の少し疲れて盛夏かな
やはり盛者必衰。夏の終わりが迫っている
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
こういうものに目がとまる作者の年齢を感ずる佳句
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
どういわけか安部公房『砂の女』をおもいだした
・噴水のきらきら少年老いやすく
こんな頃があったなあ
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
貝原益軒の養生訓ですか。妙なものをもっているね。
もっているだけで長生きしそうな本だね
・椋鳥のまだまだ入る大欅
木にびっしりととまっている椋鳥はさわがしい。木のしたはフンだらけ。だが益鳥ら しい。夕暮れ時の大集団の飛翔ほど秋を感ずるものはない。
掲句に諧謔あり。断然一席。
・新涼や手足の熱き赤子抱く
赤ちゃんはあったかいね。ミルクの匂いもしそう。幸せとはこういう瞬間なのだ
何気ないしぐさと半夏生の合性がいい。
こんなふうに歳をとっていけたらいい。
・早足の雲水片陰を行かず
片蔭…面白いことばをおぼえた。公民館の会合に大きな愛犬を連れてきた人がいて、 犬は太陽光をさけて片蔭だけに見事にうずくまっていて笑いをさそっていた。夏の葬 式でも最後の出棺となるとみんな片蔭に避難して霊柩車を見送っていた。
片蔭にゐる半分の会葬者 岸田稚魚
・氷水ほどの話も丁度果て
てんこ盛りの氷水もたちまちシャーベットになり腹におさまってしまう
若い恋人どうしを想像した。楽しかったなああの頃は
・裏山の少し疲れて盛夏かな
やはり盛者必衰。夏の終わりが迫っている
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
こういうものに目がとまる作者の年齢を感ずる佳句
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
どういわけか安部公房『砂の女』をおもいだした
・噴水のきらきら少年老いやすく
こんな頃があったなあ
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
貝原益軒の養生訓ですか。妙なものをもっているね。
もっているだけで長生きしそうな本だね
・椋鳥のまだまだ入る大欅
木にびっしりととまっている椋鳥はさわがしい。木のしたはフンだらけ。だが益鳥ら しい。夕暮れ時の大集団の飛翔ほど秋を感ずるものはない。
掲句に諧謔あり。断然一席。
・新涼や手足の熱き赤子抱く
赤ちゃんはあったかいね。ミルクの匂いもしそう。幸せとはこういう瞬間なのだ
2011年9月9日金曜日
秋の一日・・・猫跨ぎ
秋の旅行もそれなりに盛り上がる予感で、ますます結構ですね。楽しみだ。
前の職場の数人で年四回の句会をやっていて、来週が秋の句会の予定。六月、内一人が転移癌を発症。暗澹としていたら、抗がん剤治療で経過良好とのこと。今回は紙上参加ということで投句あり。仔細は知らないが、しみじみとした秋の一日。
最近の十句
・折られたる頁を元に半夏生
・早足の雲水片陰を行かず
・氷水ほどの話も丁度果て
・裏山の少し疲れて盛夏かな
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
・噴水のきらきら少年老いやすく
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
・椋鳥のまだまだ入る大欅
・新涼や手足の熱き赤子抱く
前の職場の数人で年四回の句会をやっていて、来週が秋の句会の予定。六月、内一人が転移癌を発症。暗澹としていたら、抗がん剤治療で経過良好とのこと。今回は紙上参加ということで投句あり。仔細は知らないが、しみじみとした秋の一日。
最近の十句
・折られたる頁を元に半夏生
・早足の雲水片陰を行かず
・氷水ほどの話も丁度果て
・裏山の少し疲れて盛夏かな
・夕涼や大皿を拭く骨董屋
・へこみ易きアルミ空缶夏終る
・噴水のきらきら少年老いやすく
・読まずとも曝す和綴の「養生訓」
・椋鳥のまだまだ入る大欅
・新涼や手足の熱き赤子抱く
2011年9月8日木曜日
2011年9月6日火曜日
青岸渡寺はだいじょうぶか・・・褌子
那智大社の本殿までが裏山が崩れて土砂で埋まっているとは。じつに大変な雨量だったんだね、
むかし熊野古道を半日歩いて那智大社の裏にたどりついたことがあったが。じつにのどかな山里だったがいまあまりの豪雨にうちのめされている。
数年前にいった普陀洛渡海の西国三十三所第1番の札所青岸渡寺がなつかしく思い出される。
もういちど行くことがあるかどうか…
むかし熊野古道を半日歩いて那智大社の裏にたどりついたことがあったが。じつにのどかな山里だったがいまあまりの豪雨にうちのめされている。
数年前にいった普陀洛渡海の西国三十三所第1番の札所青岸渡寺がなつかしく思い出される。
もういちど行くことがあるかどうか…
2011年9月5日月曜日
那智大社も・・・猫跨ぎ
熊野本宮大社の話をしていたら、新聞を見ると熊野那智大社の裏山が崩れ、本殿の一部が土砂で埋まっているらしい。宮司は「土砂が垣根を越えて、本殿が高さ2メートルほどまで埋まっていた。50年神社にいるが、これほどの被害はない。世界遺産の危機だ」と話したという。
また、那智大滝も水量が大幅に増え、滝の前にある大社の施設の一部が流失、半壊した。文化財などの収蔵庫は無事だった、と。
熊野古道の参詣道も寸断された。田辺市の熊野本宮大社に向かう中辺路は数カ所で土砂崩れが起き、通行できなくなっている、と伝えている。 いやはやである。
また、那智大滝も水量が大幅に増え、滝の前にある大社の施設の一部が流失、半壊した。文化財などの収蔵庫は無事だった、と。
熊野古道の参詣道も寸断された。田辺市の熊野本宮大社に向かう中辺路は数カ所で土砂崩れが起き、通行できなくなっている、と伝えている。 いやはやである。
十津川・・・猫跨ぎ
台風12号は典型的な雨台風で和歌山県、奈良県、三重県などに甚大な被害をもたらしたらしい。奈良県の十津川村もその一つ。
120年ほど前の明治22年8月18,19日、たぶん台風だと思うがこの一帯を襲い十津川村は殆ど壊滅したことは司馬遼太郎の「街道をゆく」に詳しい。途方にくれた住民はリーダーの発案に随いその年、北海道に移住した。その数600戸、2691人という大規模なものだった。それが現在の新十津川町。いま、当地は有数の米作地帯になっている。玉葱産地でも知られる。
ところでこの台風により当時音無川の三角州にあった熊野本宮も押し流されてしまい、現在の地に移設されたことも有名だ。地震だけじゃなく、大水害も繰り返す。
120年ほど前の明治22年8月18,19日、たぶん台風だと思うがこの一帯を襲い十津川村は殆ど壊滅したことは司馬遼太郎の「街道をゆく」に詳しい。途方にくれた住民はリーダーの発案に随いその年、北海道に移住した。その数600戸、2691人という大規模なものだった。それが現在の新十津川町。いま、当地は有数の米作地帯になっている。玉葱産地でも知られる。
ところでこの台風により当時音無川の三角州にあった熊野本宮も押し流されてしまい、現在の地に移設されたことも有名だ。地震だけじゃなく、大水害も繰り返す。
2011年9月4日日曜日
いっぽう陽関は・・・褌子
敦煌から南西約70kmの所に陽関がある。
ここはシルクロードのルートの一つである「西域南路」の関所であり、また玉門関同様、重要な軍事拠点でもあった。この陽関については、唐代の詩人王維(701?~761?)が詠んだ有名な詩がある。中国ではいまも惜別の宴では朗々三唱する。
友との別れを惜しむ気持ちはいまも昔もちっとも変わらないのに、大勢の兵士とシルクロードに旅たつ隊商でにぎわった玉門関も陽関もいまは写真のようにすっかり朽ち果てている。
【写真は陽関の防壁にたたずむ筆者】
渭城の朝雨 軽塵を潤す
客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ一杯の酒
西の方陽関を出づれば故人無からん
西へ行くと・・・猫跨ぎ
万里の長城も西へ行くとだんだん簡略、粗放になり手作り感が出て来るらしい。NHKテレビで見た記憶があるが、今でも場所によっては修復工事が行われているようだ。日本でも土木工事が機械化される前よく見受けられた重しの四方に長い把手を付けたものを四人で上へ持ち上げては落とし突き固める。歌を唄いながらリズミカルに調子を出してやっていた。古代でもこんな調子でのんびりやっていたのではないか。
2011年9月2日金曜日
玉門関の長城・・・褌子
中島敦『李陵』を読む。
(漢の武帝のまえでただひとり、匈奴に捕らわれた李陵をかばって宮刑に処せられた司馬遷は宦官になって一念発起、ついに「史記」を完成させた)
玉門関は敦煌から西北に90㎞、前漢代に匈奴からの侵入に備えて築かれた。陽関とならぶ最西端の関所で、西域に向かう天山北路の要衝。漢代当時の長城は砂利、黄土、葦などを何層にも突き固めてつくられた。二千二百年以上の風雪により写真のように崩れている。
戦争責任・・・猫跨ぎ
自分を当時に置き換えて考えると、こちこちの皇国少年だったと思うね。多分間違いない。だから当時の人達に戦争責任を問うなら、世界事情を知りうる立場で、日本をずるずると戦争に引きずり込んでいった指導者層であって、庶民、青年層に問うても詮無いことと思うね。
2011年9月1日木曜日
函館通信153・・・仁兵衛
逸徳さん、葉書自体は覚えていないけどこの件は鮮明に覚えているよ。言っているのは社長ではなく40代の若さで取締りになった大正13年生まれの当時の部長だった。このお年だと終戦時が22歳、海軍の若手将校だったと思う。現在も87歳で健在だ。直接の部長ではなかったが頭の切れと頑丈な体の持ち主であった。反面社内では敵も多かった様だ。
何を考え終戦を迎えたのだろうか我々には分からぬ深層がありそうだった。仕事中の何かの時に私が戦争体験を話題にしたのかもしれない。急に「お前は何を考えているんだ」に始まり「目の前の仕事も禄に出来ないのに」とお説教がつづき、逸徳さんが書いてくれた様な事も話に出たんだと思う。こちらも若かったし、この年代の人とあまり接触が無かったので皮肉っぽい言い方でもぐもぐ言ったのだろう結局は部長が何を考えているのか分からずじまいであった。
どうなんだろうこの年代は戦争で死んだ人も多いしそれこそ戦争責任に対してどう考えているのか今でも知りたいと思う。
何を考え終戦を迎えたのだろうか我々には分からぬ深層がありそうだった。仕事中の何かの時に私が戦争体験を話題にしたのかもしれない。急に「お前は何を考えているんだ」に始まり「目の前の仕事も禄に出来ないのに」とお説教がつづき、逸徳さんが書いてくれた様な事も話に出たんだと思う。こちらも若かったし、この年代の人とあまり接触が無かったので皮肉っぽい言い方でもぐもぐ言ったのだろう結局は部長が何を考えているのか分からずじまいであった。
どうなんだろうこの年代は戦争で死んだ人も多いしそれこそ戦争責任に対してどう考えているのか今でも知りたいと思う。
ラインホルト・メスナー・・・褌子
パキスタンのナンガパルバートは世界9位の高峰だが、初登攀したのは1953年のヘルマン・ブールである。1970年に垂直の大絶壁ルパール壁をドイツ人 ラインホルト・メスナーとギュンター・メスナーの兄弟が初登攀した。この兄弟はドイツの誇る世界屈指の登山家だったが、登攀成功後、兄のラインホルトだけが生還したためにドイツ山岳会でも長いこと論争を呼んできたのだそうだ。
今夏、公開された映画『ヒマラヤ――運命の山』は兄弟の生い立ちから語り始め、2人そろってついにルパール壁を征服した後、ザイル不足で下山が不可能になり、弟が凍死、兄だけが両手両足を凍傷して倒れていたところを地元の狩人に発見されるところを描いている。
(絶壁にぶらさがりながら体温をうばいつくすすさまじい烈風、ひっきりなしの雪崩、植村直己がマッキンレーから帰ってこなかったのはこんな極寒の地獄であったのにちがいない)
人間はあらゆる苦労をのりこえて自ら地獄に突入していく不思議な存在だな…と思いながら観た。
今夏、公開された映画『ヒマラヤ――運命の山』は兄弟の生い立ちから語り始め、2人そろってついにルパール壁を征服した後、ザイル不足で下山が不可能になり、弟が凍死、兄だけが両手両足を凍傷して倒れていたところを地元の狩人に発見されるところを描いている。
(絶壁にぶらさがりながら体温をうばいつくすすさまじい烈風、ひっきりなしの雪崩、植村直己がマッキンレーから帰ってこなかったのはこんな極寒の地獄であったのにちがいない)
人間はあらゆる苦労をのりこえて自ら地獄に突入していく不思議な存在だな…と思いながら観た。
知らしむべからずよらしむべし・・・褌子
水俣病が日本科学技術史上の恥部というのはその通りだと思う。私が化学会社の新潟工場に入社した頃、昭和電工鹿瀬工場の新潟水俣病が新潟大学の椿教授によって発見されたが昭電かわにたって頑として否定していた日本化学会の対応はひどかった。まだ日本化学会はいちども公式には反省していないのではないだろうか。(日本医師会も戦前の中国人捕虜などにたいする人体実験などの謝罪をいちどもしてないという)
鉄腕アトムは1951~68年まで「少年」に連載された。昭和26年から昭和43年まで。つまり私の場合、小学3年くらいから会社に就職して3年目くらいまで。そのまんなかあたりの1957年に東海村の原子炉が発運転したということは私の中学3年のとき。このときの記憶は猫跨ぎさんのようにない。(むしろ前年の1956のハンガリー動乱とスエズ動乱を覚えている)
ビキニでの水爆実験で第五福竜丸が被曝したのは1954年3月1日(昭和29年)。広島長崎で核兵器の恐ろしさを知った日本人がみたび、被爆したのだが、原爆と原発とはまるでちがうものだとおもいこまされてきた。そして今度の福島での大惨事へとつながる。
原爆の被爆者の治療を長年やってきた肥田舜太郎博士が福島にはいって、政府と東電が情報隠しをしたために取り返しがつかない被曝をしてしまった子供たちがたくさんいる…と発言している。3月12日、水素爆発がおきた時点でアメリカ大使がいうように福島第一原発から80キロ圏外へ緊急避難するべきだったのだ。3月12日から15日のあいだの被曝で、こんどもまた第二の水俣のようなことが起きているのではないだろうか…
民は知らしむベからずよらしむべし
鉄腕アトムは1951~68年まで「少年」に連載された。昭和26年から昭和43年まで。つまり私の場合、小学3年くらいから会社に就職して3年目くらいまで。そのまんなかあたりの1957年に東海村の原子炉が発運転したということは私の中学3年のとき。このときの記憶は猫跨ぎさんのようにない。(むしろ前年の1956のハンガリー動乱とスエズ動乱を覚えている)
ビキニでの水爆実験で第五福竜丸が被曝したのは1954年3月1日(昭和29年)。広島長崎で核兵器の恐ろしさを知った日本人がみたび、被爆したのだが、原爆と原発とはまるでちがうものだとおもいこまされてきた。そして今度の福島での大惨事へとつながる。
原爆の被爆者の治療を長年やってきた肥田舜太郎博士が福島にはいって、政府と東電が情報隠しをしたために取り返しがつかない被曝をしてしまった子供たちがたくさんいる…と発言している。3月12日、水素爆発がおきた時点でアメリカ大使がいうように福島第一原発から80キロ圏外へ緊急避難するべきだったのだ。3月12日から15日のあいだの被曝で、こんどもまた第二の水俣のようなことが起きているのではないだろうか…
民は知らしむベからずよらしむべし
登録:
投稿 (Atom)