ちょっと取込んで留守にしていた。あれ、褌子氏は玉門関へ行ったのではなかったのか。急遽旅程変更か。それは残念。しかし羨ましさを通り越してちょっと形容に苦しむね。その行動力は。ホント、突発性認知性に注意だね。
寺山修司は高校生のころ俳句をやり、ついで短歌へ移り、最後に演劇に転じた。表現芸術の究極に演劇あり。その演出をやったのなら、今更、俳句、短歌もあるまい。あとはのたれ死にするしかない。
ま、冗談だが、余技として俳句または短歌なら断然俳句だね。自己表白は確かに恥ずかしい。その恥ずかしさを尺度にするなら、短歌の後の、七、七はどうだい。感情の限りを尽くし、バリトン歌手のベルカントよろしく朗朗と詠う。実に恥ずかしい。そこへ行くと俳句は相当恥ずかしさから逃れられる。つまりうまく作ると、韜晦することが出来る。
ただ、恥ずかしさもこの年齢になると、別にフリチンになったところでどうということも無いのではないか。
私小説論は面白いし、日本文化論と結びつく。むかし人間探求派と称する俳人群があった。聞いたことがあると思うが、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷なんか。いまでも大きな影響力を持っているが、ふと彼等は私小説じゃないか、きわめて日本的なという気がしてきた。これを乗り越えないとなあという気が最近しているが。ま、これは蛇足。
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