2011年9月1日木曜日

知らしむべからずよらしむべし・・・褌子

  水俣病が日本科学技術史上の恥部というのはその通りだと思う。私が化学会社の新潟工場に入社した頃、昭和電工鹿瀬工場の新潟水俣病が新潟大学の椿教授によって発見されたが昭電かわにたって頑として否定していた日本化学会の対応はひどかった。まだ日本化学会はいちども公式には反省していないのではないだろうか。(日本医師会も戦前の中国人捕虜などにたいする人体実験などの謝罪をいちどもしてないという)
  鉄腕アトムは1951~68年まで「少年」に連載された。昭和26年から昭和43年まで。つまり私の場合、小学3年くらいから会社に就職して3年目くらいまで。そのまんなかあたりの1957年に東海村の原子炉が発運転したということは私の中学3年のとき。このときの記憶は猫跨ぎさんのようにない。(むしろ前年の1956のハンガリー動乱とスエズ動乱を覚えている)
 ビキニでの水爆実験で第五福竜丸が被曝したのは1954年3月1日(昭和29年)。広島長崎で核兵器の恐ろしさを知った日本人がみたび、被爆したのだが、原爆と原発とはまるでちがうものだとおもいこまされてきた。そして今度の福島での大惨事へとつながる。
 原爆の被爆者の治療を長年やってきた肥田舜太郎博士が福島にはいって、政府と東電が情報隠しをしたために取り返しがつかない被曝をしてしまった子供たちがたくさんいる…と発言している。3月12日、水素爆発がおきた時点でアメリカ大使がいうように福島第一原発から80キロ圏外へ緊急避難するべきだったのだ。3月12日から15日のあいだの被曝で、こんどもまた第二の水俣のようなことが起きているのではないだろうか…
  民は知らしむベからずよらしむべし

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