2011年9月2日金曜日

玉門関の長城・・・褌子

  
  中島敦『李陵』を読む。
  (漢の武帝のまえでただひとり、匈奴に捕らわれた李陵をかばって宮刑に処せられた司馬遷は宦官になって一念発起、ついに「史記」を完成させた)

  玉門関は敦煌から西北に90㎞、前漢代に匈奴からの侵入に備えて築かれた。陽関とならぶ最西端の関所で、西域に向かう天山北路の要衝。漢代当時の長城は砂利、黄土、葦などを何層にも突き固めてつくられた。二千二百年以上の風雪により写真のように崩れている。

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