シュレーディンガーは生命現象を量子論の延長として考えていたのは間違いない。それは1944年のレベルで言えば組み伏せうるものではなかった。そして男女間の性的な歓喜についても視野にいれていたのだろう。これはますますそうなのだが、本人はいたって大まじめだ。
まあ、そうではあるが、別の角度からこの男を俯瞰すると、何、ただのすけべ親父じゃないかという滑稽譚になる。この世間評価に怖じけて日本人は則を外さないのだが、西洋人はスケールが大きい。というか、この場合、自然科学が肉化している。こういう土壌から自然科学は生まれたのだということがよく判る話だ―というまとめ方をしておこう。
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