2013年4月24日水曜日

『シェーン』・・・・ 褌子

    ↓下にドストエフスキー的作家と書いたが、恥ずかしいがどういうことかはうまく説明できない。人間の欲望の恐ろしい深淵、社会組織のもつ闇に向かい合った作家とでもいうことか。
  『邪宗門』読んで気重になったのでこんどはうってかわって軽い本のはなし。
 青木利元『シェーン 白馬の騎士伝説とアメリカニズム』
 青木というひとは1941年生まれの田舎育ち。大企業の社員を経験した。私などとも少し似たような経歴らしい。もっとも中国の文革騒ぎで社会主義に早々と絶望したと述懐している。わたしはまったく絶望しなかったが老舎ほどのすぐれた文学者も自殺においこんだ文革を心底憎悪している。文革や全共闘を天までもちあげた日本の新左翼文化人の罪は軽くない。
 これは余談。
 青木さんは小学上級生の頃、『シェーン』をみていらい映画館にいくのが最高の楽しみになった。わたしは札幌で『第三の男』をみて映画が好きになったが、著者は『シェーン』を三十回くらいみていると言うから、そのはまりようは尋常でない。まったく他愛ないエッセー風の楽しい本なのだがこんな一節もある。
  人生は一場の夢。自分の歩んできた道を振り返ると、潰えていった友情、破廉恥な己の振る舞い、慚愧に堪えない傲慢さ、幸せであった大学入学のころ、社会貢献に夢中であった日々、とぎれとぎれだがその瞬間瞬間が浮かんでは消えていく…。
  そのあとは中略するが、弟子唯円が編んだ親鸞語録の歎異抄から次の一節を引用している。
 ―――――煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに…
  こういう心境、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり、こういう境地には私はたぶんいくつになっても到達できないのではないか。
・・・・
  1953年ジョージ・スティーヴンス監督の『シェーン』に多くのアメリカ国民が感動したという。あのころのアメリカと毎日100人もの人びとが射殺されてもニュースにもならない、年中テロに怯えている今のアメリカとはずいぶん遠く隔たってしまった。
 

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