西原氏も言っていたが、怪しげなサイト、ソフトに安直に近づかなければ余り気にすることもなかろうということだろう。フリーソフトは危ないものがあるね。私も経験があるが、削除しようとしても容易にできなかったりする。レジストリーというPCの動作を支配するかなり深いところに変更を加えたりするから、詳しい人間でないと始末におえない。
結局、パソコンは過剰な機能を搭載していた。もう消えてしまったが、ワープロ専用機は便利で、あれはあれで完結した商品だったが、パソコンに席巻されてしまった。当時としては使いもしない機能を過剰に持たされ高い買い物をさせられた感があった。何となく齟齬を感じたものだ。次にインターネットが爆発的に普及するが、大半はネットを見て楽しむユーザーに対し、これでもかと色んなソフトを搭載して売りつける商品であり続けたんだな。ここにも買い手と商品の間に居心地の良くない齟齬が生じた。
こういう構造は何時までも続かない。それが壊れてゆく過程なのだと思う。必要な単機能にそれぞれ特化して行く。何でも出来ますの総合デパートから個性をもった身軽な専門店に別れてゆくということか。
みな感じていた「齟齬」を積極的に壊して新しい世界を開発する―破壊と創造はやはりアメリカ発なんだ。ソニーなんか顔色無し。残念ながら、原理は他人任せで、専ら結果を受け入れ、こつこつ磨きあげて便利を追求するのが日本なんだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿