福島第一原発から25キロの南相馬市に住んで40年前から原発の危険性を訴えてきた若松丈太郎さん(75才)の詩に驚いている。東京新聞によれば17年前の詩『神隠しされた街』だ。
こんかいの原発事故がもたらす風景を予言しているのだ。17年前の1994年といえばスリーマイル島事故(1979)チェルノブイリ(1986)のあとだが、東海村JCO事故(1999)の5年前である。
若松丈太郎さんは高校の 国語教師であったが1971年の第一原発の完成前から地元紙や詩人会の会報などに原発の危険性を指摘する文章を書いてきた。
「原爆のことが頭にあるから、これは怪しいものではないか、事故が起きたら大きな被害をもたらすものを人間はコントロールできるのだろうか、という思いがあった」と94年にチェルノブイリ福島県民調査団に参加し、帰国後に『神隠しされた街』を発表した。
以下は東京新聞5月8日号からの引用。
『神隠しされた街』
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
��中略)
半径20㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町 富岡町
��中略)
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこへ姿を消せばいいのか
��中略)
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
��中略)
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす
2011年5月30日月曜日
水に落ちた犬・・・猫跨ぎ
林語堂(西欧流の知識人)が英語の諺の「水に落ちた犬を叩いてはいけない」を例に、中国人のマナー向上を促したのを、魯迅が小耳に挟んで、ちょっと待ったと言ったらしい。資本家や地主の走狗のような輩は水に落としても甘い顔をすればまた噛みつくから再度叩けと。要するに中国は未だフェアプレーをいう段階ではないという主旨なんだろう。
ただ中国人には敵を容赦しないという所があるな。南宋の政治家秦檜は金と通じ、愛国者を弾圧したという故事から、姦臣・売国奴の代名詞となっている。秦檜の墓には後ろ手に縛られた秦檜夫婦の銅像があって、墓を訪れる人は唾を吐きかける習慣が今でもあるとか。この激しさは日本人にはないね。全然別のメンタリティだ。
以下は、ほんの戯れ言だが、大陸のこういう激しさを嫌ってさらに東進を続けて島国にたどり着いたのが日本人の祖先じゃないか。
ただ中国人には敵を容赦しないという所があるな。南宋の政治家秦檜は金と通じ、愛国者を弾圧したという故事から、姦臣・売国奴の代名詞となっている。秦檜の墓には後ろ手に縛られた秦檜夫婦の銅像があって、墓を訪れる人は唾を吐きかける習慣が今でもあるとか。この激しさは日本人にはないね。全然別のメンタリティだ。
以下は、ほんの戯れ言だが、大陸のこういう激しさを嫌ってさらに東進を続けて島国にたどり着いたのが日本人の祖先じゃないか。
2011年5月29日日曜日
中国の一面・・・褌子
逸徳さん
意味がわかりました。高尚な文章を掛け軸にしているんだね。
おれんちの掛け軸は「おお空に富士の神山みえそめし ほのぼの明くる美保の松原 桂月」という時代がかったものだが義父が死んだときにもらったもの。本当に大町桂月かあやしいものだ。
毛沢東は詩人でもあったらしく、万里の長城にも「万里の長城にのぼって漢民族の悠久の歴史に思いをはせずんば男じゃあないぜ」とかいう不到長城非好漢などの八行詩の石碑がたっていて連れて行ってくれた中国人青年が誇らしそうに説明してくれた。
が、中国革命にはあれほど理論的指導力を発揮した毛沢東だが、新中国が成立すると大躍進政策だの人民公社だのめちゃくちゃな経済政策を乱発して失敗だらけ。指導部内で信用失墜し上海に逼塞していたが、文革騒ぎを引き起こして10年間も中国全土を混乱の極に陥れた。日本の全共闘運動もその余波みたいなもの。
やっと毛の死亡で文革は収束したが、中国の発展は30年も遅れたといわれる。辛亥革命後の反革命をみて魯迅は「革命いまだならず」と慨嘆して死んだが、毛の中国もいまの鄧少平の金満中国も魯迅からみれば「革命いまだならず」と慨嘆することだろう。
しょせん、個人崇拝を逆手にとった「人治」は失敗するということか。
毛沢東の評価は功罪7対3だというひとが多い(功績7というのは毛がいなかったら新中国の成立はずっと遅れたということか)。わたしは五分五分だと思ってしまうが。
しかし現代中国人のなかではとくに農民たちのあいだで毛沢東はいまだに絶大な敬愛の対象になっている。シルクロードにいったときも「毛主席は、地主の家畜あつかいから我々を人間にしてくれた」といっていた。
たいして都市の青年たちに圧倒的な人気をほこるのは周恩来である。白猫黒猫の鄧少平の人気は??こんど中国にいったらきいてみよう。
とにかく人間ですべてを評価する。人間のつながりで商売も政治も学問もする数千年の伝統がある。ここから強烈なコネと賄賂社会が発生するし、いったん信頼するとずっと裏切らない人間関係もつづく。これは資本主義も社会主義も関係ない。
いまは“人治”から“法治”への移行期といわれている。
同じ東アジア人の日本人も似たようなところがあるから中国人を批判すると自らにも返ってくるかもしれない。
意味がわかりました。高尚な文章を掛け軸にしているんだね。
おれんちの掛け軸は「おお空に富士の神山みえそめし ほのぼの明くる美保の松原 桂月」という時代がかったものだが義父が死んだときにもらったもの。本当に大町桂月かあやしいものだ。
毛沢東は詩人でもあったらしく、万里の長城にも「万里の長城にのぼって漢民族の悠久の歴史に思いをはせずんば男じゃあないぜ」とかいう不到長城非好漢などの八行詩の石碑がたっていて連れて行ってくれた中国人青年が誇らしそうに説明してくれた。
が、中国革命にはあれほど理論的指導力を発揮した毛沢東だが、新中国が成立すると大躍進政策だの人民公社だのめちゃくちゃな経済政策を乱発して失敗だらけ。指導部内で信用失墜し上海に逼塞していたが、文革騒ぎを引き起こして10年間も中国全土を混乱の極に陥れた。日本の全共闘運動もその余波みたいなもの。
やっと毛の死亡で文革は収束したが、中国の発展は30年も遅れたといわれる。辛亥革命後の反革命をみて魯迅は「革命いまだならず」と慨嘆して死んだが、毛の中国もいまの鄧少平の金満中国も魯迅からみれば「革命いまだならず」と慨嘆することだろう。
しょせん、個人崇拝を逆手にとった「人治」は失敗するということか。
毛沢東の評価は功罪7対3だというひとが多い(功績7というのは毛がいなかったら新中国の成立はずっと遅れたということか)。わたしは五分五分だと思ってしまうが。
しかし現代中国人のなかではとくに農民たちのあいだで毛沢東はいまだに絶大な敬愛の対象になっている。シルクロードにいったときも「毛主席は、地主の家畜あつかいから我々を人間にしてくれた」といっていた。
たいして都市の青年たちに圧倒的な人気をほこるのは周恩来である。白猫黒猫の鄧少平の人気は??こんど中国にいったらきいてみよう。
とにかく人間ですべてを評価する。人間のつながりで商売も政治も学問もする数千年の伝統がある。ここから強烈なコネと賄賂社会が発生するし、いったん信頼するとずっと裏切らない人間関係もつづく。これは資本主義も社会主義も関係ない。
いまは“人治”から“法治”への移行期といわれている。
同じ東アジア人の日本人も似たようなところがあるから中国人を批判すると自らにも返ってくるかもしれない。
2011年5月28日土曜日
どの作品かというと・・・・逸徳
横眉冷対千夫指 俯首甘為孺子牛 これは「眉を横たえて冷ややかに千夫の指に対し、こうべをたれて甘んじて孺子の牛となる」と読むと思います。この言葉の意味を毛沢東がうまく解説していたとのをおぼえています。毛沢東自身すぐれた詩人でしたから。彼によると「千夫つまり世間がこちらを指さして笑っているのを昂然と受け流して、孺子つまりこどもにせがまれれば喜んで牛になって背中に乗せて遊んでやるということですが、孺子とはしいたげられた弱い庶民ということで、旧勢力からどんな批判攻撃を受けても、それは相手にせず、民衆に喜んで奉仕する」の意だというのです。魯迅の生き方によく重なりますね。出典は魯迅選集の、『集外集』(魯迅選集第十二巻 岩波書店)のなかの詩「自嘲」の第五聯と第六聯です。
横眉冷対千夫指 俯首甘為孺子牛・・・・・褌子
逸徳さん
「横眉冷対千夫指 俯首甘為孺子牛」とはどういう意味ですか。
魯迅のなんという作品に出ているのですか。教えてください。
「起落水狗、反被咬一口」は、岩波の魯迅選集第五巻の『フェアプレイ』はまだ早い」にでています。中国のことわざで「不打落水狗」つまり水におちた犬はうつな、を魯迅は、反対に窮地にたった悪い奴らを決して許すな、二度とたちあがれないようにたたきのめせ。水に落ちた狂犬もたたきのめさないと、また噛みついてくるぞと警告している。
「横眉冷対千夫指 俯首甘為孺子牛」とはどういう意味ですか。
魯迅のなんという作品に出ているのですか。教えてください。
「起落水狗、反被咬一口」は、岩波の魯迅選集第五巻の『フェアプレイ』はまだ早い」にでています。中国のことわざで「不打落水狗」つまり水におちた犬はうつな、を魯迅は、反対に窮地にたった悪い奴らを決して許すな、二度とたちあがれないようにたたきのめせ。水に落ちた狂犬もたたきのめさないと、また噛みついてくるぞと警告している。
2011年5月27日金曜日
新中国の行方・・・猫跨ぎ
褌子氏の現代中国観には全く異論はない。新しい国家体制でどこに向かうのか。それにしてもあからさまな大国主義、むき出しの国家主義が強まる気配には辟易する。そして多くの国民がそれを是とし支持しているように見える。内部的にブレーキがかかる気配がない。周辺国家の日本や韓国は、飲み込まれないようにせねば。
すまん・・・逸徳
ああ魯迅だったか まちがえるにことかいて鄧小平とは、アンコと〇ンコの間違いに匹敵するな。 魯迅はわが敬愛する作家のひとり。選集はよく読んだが、一番気に入ったのが「横眉冷対千夫指 俯首甘為孺子牛」で、知り合いの書家に書いてもらって床の間にかけている。もし中国いって、この文句を書いた土産品なんか会ったら買ってきて。おねがい・・・・。
生涯一教師・・・褌子
逸徳さんの発言に共感すること大。
校長だの県教委栄転だのくだらんものに脇目もふらず、生涯一理科教師を貫き、いまも科学少年団ひとすじは実に見事というしかない。こんな高潔な友人に五能線の宿で背中をかいてもらったのだと恐縮している日々。
・・・
ひとつだけ気になったところは「水に落ちた犬はたたけ」。
これは鄧少平でなく魯迅の「起落水狗、反被咬一口」である。中国の古諺に「不打落水狗」がある。
じつは6月下旬に、上海で魯迅の臨終写真などをとった沙飛という写真家の調査で中国にいく。魯迅が沙飛とどんな関わりをもっていたのか、上海、紹興などの魯迅記念館をたずねるので、いま魯迅選集で日記、書簡などを読んでいるところだ。
不倒小翁といわれる鄧少平は文革でなんど失脚しても生き抜いて、毛沢東死後に江沢民のあと最高権力者にのぼりつめた。最初にやったことは中ソ対立下、中国に盲従しないベトナムは懲罰の対象だとアメリカのベトナム侵略戦争に勝利したものの疲弊の極にあったベトナムに攻めこんだこと。
さらに来日して日産自動車などの近代的な工場をみせつけられて仰天。
有名な「白猫だろうが黒猫だろうがネズミをとる猫がいい」と改革開放路線をはじめた。要するに資本主義だろうが社会主義だろうが金儲けが一番ということだ。
その結果、たった40年で改革開放路線は大成功し、いまや金満中国人が銀座で買い漁り、中国国内の所得格差は目をおおうばかりとなった。
空虚な理論で権力闘争ばかりやっていた毛沢東時代も、世界第二位のGNPで空母までつくりだし大国意識をふりまくようになったシロクロ路線のはての現代中国も両方とも魯迅が求めた中国ではなかったことはたしか。
というわけで「不打落水狗」の魯迅はシロクロ式鄧少平とは、同床異夢どころか対極的な人物になるのではなかろうか。もっとも鄧少平の愛息は紅衛兵の拷問でいまも車椅子の生活をしているなどしか鄧の正確な人物像をわたしはまだ知らないし、文革騒ぎを脱して現代中国が一面では非常に豊かになり中国史上はじめて、餓死などがなくなったのは事実だ。
北京、上海などの年寄りは、嫉視していた金持ちや知識人を紅衛兵に密告しては物陰から殺されるのをみていた文革の暗い時代だけは二度とごめんだといい、地方のいまも貧しい年寄りたちのなかには、大都会へでていく若者の拝金主義に眉をひそめ、みんな平等に貧しかった文革時代が懐かしいと思っているひとも少なくないときいたことがある。
こんどの10日間の調査旅行では、上海からはいって、沙飛が八路軍の従軍写真家として日本軍に追われながら転戦した河北省の貧しい農村部をまわり、最後に北京をみて帰るので、“市場経済をへて社会主義の建設”を看板に13億人で人類初の壮大な実験をやっている現代中国社会の一面もすこしは観察してきたいとおもう。
校長だの県教委栄転だのくだらんものに脇目もふらず、生涯一理科教師を貫き、いまも科学少年団ひとすじは実に見事というしかない。こんな高潔な友人に五能線の宿で背中をかいてもらったのだと恐縮している日々。
・・・
ひとつだけ気になったところは「水に落ちた犬はたたけ」。
これは鄧少平でなく魯迅の「起落水狗、反被咬一口」である。中国の古諺に「不打落水狗」がある。
じつは6月下旬に、上海で魯迅の臨終写真などをとった沙飛という写真家の調査で中国にいく。魯迅が沙飛とどんな関わりをもっていたのか、上海、紹興などの魯迅記念館をたずねるので、いま魯迅選集で日記、書簡などを読んでいるところだ。
不倒小翁といわれる鄧少平は文革でなんど失脚しても生き抜いて、毛沢東死後に江沢民のあと最高権力者にのぼりつめた。最初にやったことは中ソ対立下、中国に盲従しないベトナムは懲罰の対象だとアメリカのベトナム侵略戦争に勝利したものの疲弊の極にあったベトナムに攻めこんだこと。
さらに来日して日産自動車などの近代的な工場をみせつけられて仰天。
有名な「白猫だろうが黒猫だろうがネズミをとる猫がいい」と改革開放路線をはじめた。要するに資本主義だろうが社会主義だろうが金儲けが一番ということだ。
その結果、たった40年で改革開放路線は大成功し、いまや金満中国人が銀座で買い漁り、中国国内の所得格差は目をおおうばかりとなった。
空虚な理論で権力闘争ばかりやっていた毛沢東時代も、世界第二位のGNPで空母までつくりだし大国意識をふりまくようになったシロクロ路線のはての現代中国も両方とも魯迅が求めた中国ではなかったことはたしか。
というわけで「不打落水狗」の魯迅はシロクロ式鄧少平とは、同床異夢どころか対極的な人物になるのではなかろうか。もっとも鄧少平の愛息は紅衛兵の拷問でいまも車椅子の生活をしているなどしか鄧の正確な人物像をわたしはまだ知らないし、文革騒ぎを脱して現代中国が一面では非常に豊かになり中国史上はじめて、餓死などがなくなったのは事実だ。
北京、上海などの年寄りは、嫉視していた金持ちや知識人を紅衛兵に密告しては物陰から殺されるのをみていた文革の暗い時代だけは二度とごめんだといい、地方のいまも貧しい年寄りたちのなかには、大都会へでていく若者の拝金主義に眉をひそめ、みんな平等に貧しかった文革時代が懐かしいと思っているひとも少なくないときいたことがある。
こんどの10日間の調査旅行では、上海からはいって、沙飛が八路軍の従軍写真家として日本軍に追われながら転戦した河北省の貧しい農村部をまわり、最後に北京をみて帰るので、“市場経済をへて社会主義の建設”を看板に13億人で人類初の壮大な実験をやっている現代中国社会の一面もすこしは観察してきたいとおもう。
だんだんはっきりしてきた・・・・逸徳
日本の原発技術は悪くない 地震でちゃんと止まった 想定外の津波のせいだといっていたらしいが、それがおかしくなってきた。どうも津波の来る前にあっちこっち壊れていたらしいことが出てきた。これは今後の浜岡にとっても大きい。さらにベントに関して操作ミスが報じられている。スリーマイルのときもそうだったが、やっぱりヒューマンエラーがおこった。もう完全に安全神話はふっとんだなあ。いずれ事故の過程が詳細になっていくだろう。推進派の連中どうするつもりだ。
生涯一助手の件について。なんだか心がいたいなあ。生涯一平教諭のおいらには共感するところがある。東電の加納さんの発言を聞いていると、マリーアントワネットがフランス革命のときに飢えた民衆に「パンがなかったらケーキをたべればいいのに」といった話を思い出す。権力側にたつものの人間としての絶対的な想像力の欠如。こいつは低線量は健康にいいとのたまわったやつだ。ぜひ福島に移住して元気になってもらいたい。今後も、マスコミはどんどんこういう発言を報道してほしいと思う。そして徹底的にたたかれるべきだ。「水に落ちた犬はたたけ」といったのは鄧小平だったかなあ。
反原発派で生涯一助手でも、首にはされないし経済的にも保障されているからいいじゃないかといった意見があるが、そういうことでは断じてない。現代の権力はもっとスマートに真綿で反対派のくびをしめあげる。経済的に冷遇したり、首にするようなことはもう100年前のはなしだろう。そうではなくて、科学の世界では真実のみが尊重され、決定は価値中立的だろうという信頼(そんなものがあるとして)を裏切り、科学とは全然別の、権力の意志にそうかどうかでものごとが判断されるということへのくやしさ。自分の学説がおかしくて冷遇されるならまだいい。そんなこととは関係なく自分がとりあつかわれることへの怨念。 生涯一助手の生き方を貫いた人たちの思いを想像すると心が痛い。「反原発でも学問的業績があれば認められるはず」といった加納発言はまったくうそだ。
ほんとにまったく・・・・
生涯一助手の件について。なんだか心がいたいなあ。生涯一平教諭のおいらには共感するところがある。東電の加納さんの発言を聞いていると、マリーアントワネットがフランス革命のときに飢えた民衆に「パンがなかったらケーキをたべればいいのに」といった話を思い出す。権力側にたつものの人間としての絶対的な想像力の欠如。こいつは低線量は健康にいいとのたまわったやつだ。ぜひ福島に移住して元気になってもらいたい。今後も、マスコミはどんどんこういう発言を報道してほしいと思う。そして徹底的にたたかれるべきだ。「水に落ちた犬はたたけ」といったのは鄧小平だったかなあ。
反原発派で生涯一助手でも、首にはされないし経済的にも保障されているからいいじゃないかといった意見があるが、そういうことでは断じてない。現代の権力はもっとスマートに真綿で反対派のくびをしめあげる。経済的に冷遇したり、首にするようなことはもう100年前のはなしだろう。そうではなくて、科学の世界では真実のみが尊重され、決定は価値中立的だろうという信頼(そんなものがあるとして)を裏切り、科学とは全然別の、権力の意志にそうかどうかでものごとが判断されるということへのくやしさ。自分の学説がおかしくて冷遇されるならまだいい。そんなこととは関係なく自分がとりあつかわれることへの怨念。 生涯一助手の生き方を貫いた人たちの思いを想像すると心が痛い。「反原発でも学問的業績があれば認められるはず」といった加納発言はまったくうそだ。
ほんとにまったく・・・・
2011年5月26日木曜日
混乱の極み・・・猫跨ぎ
福島原発の事故発生時の現地の混乱ぶりがようやく明らかになってきた。
海水注入を中断した件につき、東電は官邸の指示で止めたといい、菅はオレはそんなこと言っていない、細野は斑目が臨界の恐れと言っていたぞ、そのせいだ、何を言うか、可能性はゼロでないと言っただけだ、・・・・・ 口角泡を飛ばして責任のなすりあいをしていたところ、福島原発の吉田所長が、本部は止めろといったが、私の判断で注入は継続したとバクダン発言が飛びだし、みんなの目が点になってしまった。吉田にしてみれば、何も判らん連中が何をアホなことをいうか。こっちは命がかかっているんだということだろう。
取りあえず東電本社が赤っ恥をかいた。普通は業務命令違反で即刻更迭だが、そんなことが出来るはずもない。東電はこのオトシマエどうつけるのか注目しよう。
原子力委員会の斑目につき、亀井があのデタラメ委員長をクビにしろと言った。その気分は判る。混乱のさなか、素人の中に、専門家がいて、意見を求められる。「臨界の危険はあるのか」。「ゼロではありません」。「可能性はあるんだな。じゃ、危ないじゃないか」。となる。素人は黒か白かの意見が欲しい。そういう土俵は学者はむいていない。「学者的良心」は時として混乱の原因となる。亀井はそういうことを言っていたと思う。
海水注入を中断した件につき、東電は官邸の指示で止めたといい、菅はオレはそんなこと言っていない、細野は斑目が臨界の恐れと言っていたぞ、そのせいだ、何を言うか、可能性はゼロでないと言っただけだ、・・・・・ 口角泡を飛ばして責任のなすりあいをしていたところ、福島原発の吉田所長が、本部は止めろといったが、私の判断で注入は継続したとバクダン発言が飛びだし、みんなの目が点になってしまった。吉田にしてみれば、何も判らん連中が何をアホなことをいうか。こっちは命がかかっているんだということだろう。
取りあえず東電本社が赤っ恥をかいた。普通は業務命令違反で即刻更迭だが、そんなことが出来るはずもない。東電はこのオトシマエどうつけるのか注目しよう。
原子力委員会の斑目につき、亀井があのデタラメ委員長をクビにしろと言った。その気分は判る。混乱のさなか、素人の中に、専門家がいて、意見を求められる。「臨界の危険はあるのか」。「ゼロではありません」。「可能性はあるんだな。じゃ、危ないじゃないか」。となる。素人は黒か白かの意見が欲しい。そういう土俵は学者はむいていない。「学者的良心」は時として混乱の原因となる。亀井はそういうことを言っていたと思う。
予兆・・・・褌子
公務員を減らせと叫んでいた政党が急にだんまりをきめこむような事態が震災と原発被災地で起きている。学校が避難所となり、教員や市役所の職員が不眠不休で避難所で働いている。平成の大合併で役場がなくなったり市役所が支所に格下げになったところの住民はボランティアの受け入れもままならず、大変な目にあっている。役場ごと福島市にひっこしたところも職員不足で困り果てていると新聞にでていた。
昔は郵便局の配達員が年金や郵便貯金までぜんぶ扱ってくれたが、郵政民営化で分社化したために被災地の年寄りが困りはてているそうだ。もともと地域医療が崩壊していた医療の現場はさらに深刻な事態になっていることだろう。
それでも竹中平蔵などはTPPで東北の農漁業を大規模化せよ、などと安全地帯で平然と叫んでいる。
さて東南海だけでなく房総沖大地震も現実味を帯びてきているというので、房総沖関連の1603年幕府開府以降の地震津波を新聞から抜き書きしてみた。
・1605(慶長8年) 南海と房総沖で大地震。安房や上総で溺死多数
・1614(慶長19年) 銚子で「大海嘯」(かいしょう=満潮時に海水が河川をさかのぼる 現象)銚子の千人塚の由来では漁師千人余が海難で死亡。津波または高潮の可能性 もある
・1677(延宝5)房総東方沖で地震。銚子で津波で261人死亡
・1703(元禄16)房総南方沖で地震。津波で九十九里西部で死者2150人余。飯岡も死者70 人余(今回は16人が行方不明となっている)
・1707(宝永4)東南海道大地震。富士山噴火で宝永山できる
・1854(安政元年)関東・東南海道地震。房総で津波被害
・1855(安政に2年)江戸直下の大地震。江戸の死者6757人余
先日、小蔵ひでをさんが案内した回向院に慰霊碑があった
・1877(明治10年)チリ津波で九十九里浜に溺死や死傷者
・1923(大正12年)関東大震災。千葉県の死者1370人
デマで朝鮮人多数を虐殺
・1960(昭和35年)チリ津波が日本列島を襲う
・2011(平成23年)3月11日東日本大震災
・・・・・・
昔は郵便局の配達員が年金や郵便貯金までぜんぶ扱ってくれたが、郵政民営化で分社化したために被災地の年寄りが困りはてているそうだ。もともと地域医療が崩壊していた医療の現場はさらに深刻な事態になっていることだろう。
それでも竹中平蔵などはTPPで東北の農漁業を大規模化せよ、などと安全地帯で平然と叫んでいる。
さて東南海だけでなく房総沖大地震も現実味を帯びてきているというので、房総沖関連の1603年幕府開府以降の地震津波を新聞から抜き書きしてみた。
・1605(慶長8年) 南海と房総沖で大地震。安房や上総で溺死多数
・1614(慶長19年) 銚子で「大海嘯」(かいしょう=満潮時に海水が河川をさかのぼる 現象)銚子の千人塚の由来では漁師千人余が海難で死亡。津波または高潮の可能性 もある
・1677(延宝5)房総東方沖で地震。銚子で津波で261人死亡
・1703(元禄16)房総南方沖で地震。津波で九十九里西部で死者2150人余。飯岡も死者70 人余(今回は16人が行方不明となっている)
・1707(宝永4)東南海道大地震。富士山噴火で宝永山できる
・1854(安政元年)関東・東南海道地震。房総で津波被害
・1855(安政に2年)江戸直下の大地震。江戸の死者6757人余
先日、小蔵ひでをさんが案内した回向院に慰霊碑があった
・1877(明治10年)チリ津波で九十九里浜に溺死や死傷者
・1923(大正12年)関東大震災。千葉県の死者1370人
デマで朝鮮人多数を虐殺
・1960(昭和35年)チリ津波が日本列島を襲う
・2011(平成23年)3月11日東日本大震災
・・・・・・
2011年5月22日日曜日
生涯一助手・・・猫跨ぎ
生涯一助手を通した人って結構いるね。
有名なところでは、東大で反公害の公開講座を開いていた宇井純氏とか、全共闘運動を指導した東大教養学部の最首悟氏。東大を勤め上げて私大の教授にむかえられているが。助手といっても国家公務員でそれなりの俸給だから生活は問題ない。
北大で恵迪の先輩で最後まで助教授だった人がいる。業績は問題ないのに一旦コースから外れると駄目らしい。この辺りは部外者にはよくわからない。普通は大学から去るのだろうが、頑として拒否すれば居続けることができるのだろう。助教授なら独立の研究室を持ち実質的に教授と変わらない(と本人は言っていた)。
が、助手はやはり厳しい。助手から助教授に昇任するのは、直近の教授連の審査を経るが、原発をどう推進しようかと頭を絞っている面々が、反原発論者を推薦するわけもない。これは当然じゃないか。だけど辞めさせることも出来ない。この辺は国家公務員の身分保障ということなんだろう。
しかしこれからはどうなるのか。大体、専攻する学生も来ないだろう。原子力関連の講座の教授連は将来に対し茫然自失が続いているのでないか。
有名なところでは、東大で反公害の公開講座を開いていた宇井純氏とか、全共闘運動を指導した東大教養学部の最首悟氏。東大を勤め上げて私大の教授にむかえられているが。助手といっても国家公務員でそれなりの俸給だから生活は問題ない。
北大で恵迪の先輩で最後まで助教授だった人がいる。業績は問題ないのに一旦コースから外れると駄目らしい。この辺りは部外者にはよくわからない。普通は大学から去るのだろうが、頑として拒否すれば居続けることができるのだろう。助教授なら独立の研究室を持ち実質的に教授と変わらない(と本人は言っていた)。
が、助手はやはり厳しい。助手から助教授に昇任するのは、直近の教授連の審査を経るが、原発をどう推進しようかと頭を絞っている面々が、反原発論者を推薦するわけもない。これは当然じゃないか。だけど辞めさせることも出来ない。この辺は国家公務員の身分保障ということなんだろう。
しかしこれからはどうなるのか。大体、専攻する学生も来ないだろう。原子力関連の講座の教授連は将来に対し茫然自失が続いているのでないか。
2011年5月21日土曜日
“原子力村” ・・・褌子
朝日新聞20日付 <耕論>から引用します
元東京電力副社長で自民党参院議員だった加納時男氏。
東大原子炉工学科の一期生でありながら原発を批判してきた安斎育郎氏の両氏の主張を読むといわゆる
“原子力村”のなんたるかがうきぼりになる。
■加納時男■
��7年東京電力入社、89年取締役原子力副本部長、97年副社長。議員在職中は国土交通副大臣などを務める。現在、東電顧問。
●「使い走り」とは失礼千万
私は1997年に東京電力副社長を辞し、翌年の参院選に自民党から立候補して当選しました。2期務める中で、原子力発電を推進し、エネルギー政策基本法の成立に尽力しました。
私はあくまでも経済界全体の代表として立候補したのであり、「原子力村の使い走りとして国政をやってきた」などというのは、失礼千万です。2期目の出馬の際に開いた1万人集会では、当時の東電社長のほか東芝会長、日立製作所社長、三菱重工業会長もねじり鉢巻き姿で駆けつけてくれた。経済界を挙げての「草の
根選挙」だったと思います。
当時の私の秘書5人のうち1人は東電を退職した人で、残る4人は、交代で3年ずつ東電を休職して来てくれました。東電の社長に「いい人がいたら推薦してください」とお願いしたんです。ほとんどが海外留学組で、優秀な方々でした。
東電は給与を負担しておらず、国家公務員としての秘書給与に加え、私の事務所で東電の給与との差額分を補填(ほてん)していました。
そもそも、「原子力村」という言葉自体が差別的です。政治家や官庁、原発メーカー、電力会社が閉鎖社会をつくっている、という意味でしょうが、原子力産業はさまざまな分野の知見を結集しなければ成り立ちません。それを「ムラだ、ムラだ」とおちょくるのは、いかがなものか。
それに、2005年に閣議決定された原子力政策大綱をつくる際には、使用済み核燃料再処理の是非を白紙段階から検討しました。政策大綱が原子力業界だけの思惑で左右されるのであれば、ここまでオープンな議論は不可能だったはずです。原子力行政が独断的、排他的ではないことの証拠です。
専門家養成のため、原子力業界が大学に研究委託や研究費支援をするのも、「癒着」ではなく「協調」です。反原発を主張する国公立大の研究者は出世できないそうですが、学問上の業績をあげれば、意見の違いがあっても昇進できるはずです。ですが、反対するだけでは業績になりません。反原発を訴える学者では、2000年に亡くなった高木仁三郎さん以外、尊敬できる人に会ったことがない。
そもそも「反原発」の学問体系というものがあるのでしょうか。
福島第一原発事故について「津波の想定などリスク管理が甘かった」と言われます。忸怩(じくじ)たる思いですが、東電や原子力業界だけで勝手に想定を決めたわけではなく、民主的な議論を経て国が安全基準をつくり、それにしたがって原発を建設、運転してきたわけです。「東電をつぶせ」などと大声で叫んでいる人もいるようですが、冷静な議論が必要です。事故は国と東電、業界全体の共同責任だと思います。
■安斎育郎■
専門は放射線防護学、平和学。東京大助手を経て、86年立命館大教授。08年から国際平和ミュージアム名誉館長。立命館大名誉教授
●「村八分」にされ助手のまま
私は1960年にできた東京大工学部原子力工学科の第1期生、15人の1人でした。国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めてつくった学科で、「原子力村の村民養成機関」というわけです。当然、同期生のほとんどは原子力業界に進みましたが、私は学生のころから「原子力の安全が破綻(はたん)したらどうなるか」ということに関心があり、1人だけ原子力政策を批判する立場になりました。
国が原子力推進のためにつくった学科から「反原発」の人材が出るなど、あってはいけないことです。私は東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでした。主任教授が研究室のメンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命し、私は後進の教育からも外されました。研究費も回してくれないので、紙と鉛筆だけでできる研究に絞らざるを得ませんでした。東京電力から一時研修に来ていた人は、去り際に「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係でした」と告白しました。
私は「村八分」にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけです。
「私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずはない」と、直観的に分かりました。
そもそも、原子力産業は国家の意思なしにはスタートできません。原発は事故が起こった時の被害総額があまりに大きく、大量の使用済み燃料処理にかかる最終的なコストもはっきりしない。一般の企業がこんなリスクを背負うことは到底できず、産業化には「原発をつくる。一定限度以上のリスクは国が肩代わりする」という国策が前提となります。
「国がやる」ということから始まっているから、「やるのがいいのか、悪いのか」という話には、そもそもならない。「反原発」は即、反国家的行為とされます。原子力業界が批判を受けつけない「村社会」になるのは必然だったと思います。
しかも、「村民」は業界や国だけにとどまらず、原発の建設候補地でもカネを使って、地元の政治家や住民を原発推進派に仕立てていきました。
私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」と言い続けたのですが、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だったことは否めません。
一方で事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体からみればわずかな人数とはいえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということでしょう。
元東京電力副社長で自民党参院議員だった加納時男氏。
東大原子炉工学科の一期生でありながら原発を批判してきた安斎育郎氏の両氏の主張を読むといわゆる
“原子力村”のなんたるかがうきぼりになる。
■加納時男■
��7年東京電力入社、89年取締役原子力副本部長、97年副社長。議員在職中は国土交通副大臣などを務める。現在、東電顧問。
●「使い走り」とは失礼千万
私は1997年に東京電力副社長を辞し、翌年の参院選に自民党から立候補して当選しました。2期務める中で、原子力発電を推進し、エネルギー政策基本法の成立に尽力しました。
私はあくまでも経済界全体の代表として立候補したのであり、「原子力村の使い走りとして国政をやってきた」などというのは、失礼千万です。2期目の出馬の際に開いた1万人集会では、当時の東電社長のほか東芝会長、日立製作所社長、三菱重工業会長もねじり鉢巻き姿で駆けつけてくれた。経済界を挙げての「草の
根選挙」だったと思います。
当時の私の秘書5人のうち1人は東電を退職した人で、残る4人は、交代で3年ずつ東電を休職して来てくれました。東電の社長に「いい人がいたら推薦してください」とお願いしたんです。ほとんどが海外留学組で、優秀な方々でした。
東電は給与を負担しておらず、国家公務員としての秘書給与に加え、私の事務所で東電の給与との差額分を補填(ほてん)していました。
そもそも、「原子力村」という言葉自体が差別的です。政治家や官庁、原発メーカー、電力会社が閉鎖社会をつくっている、という意味でしょうが、原子力産業はさまざまな分野の知見を結集しなければ成り立ちません。それを「ムラだ、ムラだ」とおちょくるのは、いかがなものか。
それに、2005年に閣議決定された原子力政策大綱をつくる際には、使用済み核燃料再処理の是非を白紙段階から検討しました。政策大綱が原子力業界だけの思惑で左右されるのであれば、ここまでオープンな議論は不可能だったはずです。原子力行政が独断的、排他的ではないことの証拠です。
専門家養成のため、原子力業界が大学に研究委託や研究費支援をするのも、「癒着」ではなく「協調」です。反原発を主張する国公立大の研究者は出世できないそうですが、学問上の業績をあげれば、意見の違いがあっても昇進できるはずです。ですが、反対するだけでは業績になりません。反原発を訴える学者では、2000年に亡くなった高木仁三郎さん以外、尊敬できる人に会ったことがない。
そもそも「反原発」の学問体系というものがあるのでしょうか。
福島第一原発事故について「津波の想定などリスク管理が甘かった」と言われます。忸怩(じくじ)たる思いですが、東電や原子力業界だけで勝手に想定を決めたわけではなく、民主的な議論を経て国が安全基準をつくり、それにしたがって原発を建設、運転してきたわけです。「東電をつぶせ」などと大声で叫んでいる人もいるようですが、冷静な議論が必要です。事故は国と東電、業界全体の共同責任だと思います。
■安斎育郎■
専門は放射線防護学、平和学。東京大助手を経て、86年立命館大教授。08年から国際平和ミュージアム名誉館長。立命館大名誉教授
●「村八分」にされ助手のまま
私は1960年にできた東京大工学部原子力工学科の第1期生、15人の1人でした。国が原子力産業に必要な専門家を育成するため、各分野の研究者を寄せ集めてつくった学科で、「原子力村の村民養成機関」というわけです。当然、同期生のほとんどは原子力業界に進みましたが、私は学生のころから「原子力の安全が破綻(はたん)したらどうなるか」ということに関心があり、1人だけ原子力政策を批判する立場になりました。
国が原子力推進のためにつくった学科から「反原発」の人材が出るなど、あってはいけないことです。私は東大で研究者だった17年間、ずっと助手のままでした。主任教授が研究室のメンバー全員に「安斎とは口をきくな」と厳命し、私は後進の教育からも外されました。研究費も回してくれないので、紙と鉛筆だけでできる研究に絞らざるを得ませんでした。東京電力から一時研修に来ていた人は、去り際に「安斎さんが原発で何をやろうとしているか、偵察する係でした」と告白しました。
私は「村八分」にあったからこそ、原子力村の存在を強く実感できたわけです。
「私に自由に発言させないこの国の原子力が、安全であるはずはない」と、直観的に分かりました。
そもそも、原子力産業は国家の意思なしにはスタートできません。原発は事故が起こった時の被害総額があまりに大きく、大量の使用済み燃料処理にかかる最終的なコストもはっきりしない。一般の企業がこんなリスクを背負うことは到底できず、産業化には「原発をつくる。一定限度以上のリスクは国が肩代わりする」という国策が前提となります。
「国がやる」ということから始まっているから、「やるのがいいのか、悪いのか」という話には、そもそもならない。「反原発」は即、反国家的行為とされます。原子力業界が批判を受けつけない「村社会」になるのは必然だったと思います。
しかも、「村民」は業界や国だけにとどまらず、原発の建設候補地でもカネを使って、地元の政治家や住民を原発推進派に仕立てていきました。
私たち原発を批判する研究者は「せめて事故のリスクを分散させるために、原発の集中立地はやめよ。原子炉の出力にも制限を設けよ」と言い続けたのですが、黙殺されました。村の閉鎖性が福島第一原発の事故を悪化させた一因だったことは否めません。
一方で事故後には、これまで原子力利用の推進派だった専門家16人が、事態の深刻さを率直に認め、政府に提言しました。村全体からみればわずかな人数とはいえ、それだけ今回の事故が「村民」にも深刻な影響を与えた、ということでしょう。
2011年5月20日金曜日
老子「天地に仁なし」・・・褌子
■仁句十句について
・ 自転車の行く先雀隠れかな
雀隠れとは面白い春の季語だ。雪が消え自転車の季節になった。
・ 理学部の正面玄関楡の花
懐かしいね。あの煉瓦の理学部本館じつになつかしい。いま北大博物館になっている
・ ダーウィンの易しい講義野焼かな
ダーウィンと野焼き。妙な取り合わせだが。
・ 朝市の身欠き鰊のこぼれけり
みがきにしんの昆布巻きが食いたいな。函館の朝市の景
・ 蒲公英のわたげ賛美歌謳ひけり
さらりと読んだ佳句。あのやさしいわたげには確かにそんな雰囲気がある。
・ くちづけの予感をさせてリラの花
リラの花に接吻がなったのかならなかったのか…青春も遠くなった
・ ため口のつひ出てしまひ花は葉に
屈託がでている。憂鬱などお構いなしに時は過ぎてゆくのだ。
おや「ためいき」でなく「ため口」であったか…
・ 半跏趺坐して柏餅食べにけり
ひざをくんでいる優しい菩薩さまのそばで柏餅を食っている幸せ。
・ デジタル化されて涅槃図薄暑かな
涅槃会は春の季語なんだね。薄暑は夏の季語だがそんなことはどうでもよい。
デジタル化された涅槃図がじつに面白い
・ 青柳町今も坂なす五月かな
函館に青柳町があるのか。海港の坂のまちにも春がきたのだ
■猫跨ぎさんリラ忌三句について
・蟻の来て何処かへ去れり余震なほ
震災・津波・放射能と人間どもの大騒ぎのうちに二ヶ月過ぎた。それでもまた悠久の時は何事もなかったか のように過ぎてゆくのだ。おや、また余震だ。ちくしょう
・弥生尽濡れ新聞の生臭き
津波のがれきの景が目に浮かんだ。ボランティアから帰ってきた人の話では見渡すかぎりの瓦礫の山でホ コリがひどく臭いもあって石綿対策からも濡れマスクがはなせないといっていた
・悲しみのことがら多きリラ忌かな
3月11日午後2時46分まで元気に生きていた人が突然この世にもういない。
人間の一生は案外平等だなんて思っていたが、やはり不条理きわまりない
老子「天地に仁なし」 未来は決して予知できず
・ 自転車の行く先雀隠れかな
雀隠れとは面白い春の季語だ。雪が消え自転車の季節になった。
・ 理学部の正面玄関楡の花
懐かしいね。あの煉瓦の理学部本館じつになつかしい。いま北大博物館になっている
・ ダーウィンの易しい講義野焼かな
ダーウィンと野焼き。妙な取り合わせだが。
・ 朝市の身欠き鰊のこぼれけり
みがきにしんの昆布巻きが食いたいな。函館の朝市の景
・ 蒲公英のわたげ賛美歌謳ひけり
さらりと読んだ佳句。あのやさしいわたげには確かにそんな雰囲気がある。
・ くちづけの予感をさせてリラの花
リラの花に接吻がなったのかならなかったのか…青春も遠くなった
・ ため口のつひ出てしまひ花は葉に
屈託がでている。憂鬱などお構いなしに時は過ぎてゆくのだ。
おや「ためいき」でなく「ため口」であったか…
・ 半跏趺坐して柏餅食べにけり
ひざをくんでいる優しい菩薩さまのそばで柏餅を食っている幸せ。
・ デジタル化されて涅槃図薄暑かな
涅槃会は春の季語なんだね。薄暑は夏の季語だがそんなことはどうでもよい。
デジタル化された涅槃図がじつに面白い
・ 青柳町今も坂なす五月かな
函館に青柳町があるのか。海港の坂のまちにも春がきたのだ
■猫跨ぎさんリラ忌三句について
・蟻の来て何処かへ去れり余震なほ
震災・津波・放射能と人間どもの大騒ぎのうちに二ヶ月過ぎた。それでもまた悠久の時は何事もなかったか のように過ぎてゆくのだ。おや、また余震だ。ちくしょう
・弥生尽濡れ新聞の生臭き
津波のがれきの景が目に浮かんだ。ボランティアから帰ってきた人の話では見渡すかぎりの瓦礫の山でホ コリがひどく臭いもあって石綿対策からも濡れマスクがはなせないといっていた
・悲しみのことがら多きリラ忌かな
3月11日午後2時46分まで元気に生きていた人が突然この世にもういない。
人間の一生は案外平等だなんて思っていたが、やはり不条理きわまりない
老子「天地に仁なし」 未来は決して予知できず
2011年5月19日木曜日
函館通信144・・・リラ忌・・・仁兵衛
猫跨ぎさんのリラ忌(2011)を見てはっとしました。大災害の場景の見過ぎからか俳句が一向に進まなくなってしまっていました。函館での俳句の先輩が亡くなったのも加わったせいか4月3日に震災の嘆きの句を出して今に至っています。
季節的にも合わないかもしれませんが頑張って十句まとめましたので宜しく。
・ 自転車の行く先雀隠れかな
・ 理学部の正面玄関楡の花
・ ダーウィンの易しい講義野焼かな
・ 朝市の身欠き鰊のこぼれけり
・ 蒲公英のわたげ賛美歌謳ひけり
・ くちづけの予感をさせてリラの花
・ ため口のつひ出てしまひ花は葉に
・ 半跏趺坐して柏餅食べにけり
・ デジタル化されて涅槃図薄暑かな
・ 青柳町今も坂なす五月かな
季節的にも合わないかもしれませんが頑張って十句まとめましたので宜しく。
・ 自転車の行く先雀隠れかな
・ 理学部の正面玄関楡の花
・ ダーウィンの易しい講義野焼かな
・ 朝市の身欠き鰊のこぼれけり
・ 蒲公英のわたげ賛美歌謳ひけり
・ くちづけの予感をさせてリラの花
・ ため口のつひ出てしまひ花は葉に
・ 半跏趺坐して柏餅食べにけり
・ デジタル化されて涅槃図薄暑かな
・ 青柳町今も坂なす五月かな
2011年5月18日水曜日
2011年5月17日火曜日
リラ忌 ・・褌子
四年前の5月17日の朝は雨が降っていた。
母が昨日亡くなりました。と五本さんの次男さんから電話がきた。ほろほろ会のメンバーに急報し、山田君が代表して参列することになった。わたしも弔電を送った。だからきのう、5月16日がリラ忌ということになる。

母が昨日亡くなりました。と五本さんの次男さんから電話がきた。ほろほろ会のメンバーに急報し、山田君が代表して参列することになった。わたしも弔電を送った。だからきのう、5月16日がリラ忌ということになる。
2011年5月16日月曜日
鎌倉大仏に大仏殿があったのか・・・褌子
鎌倉の大仏に大仏殿があったことをはじめて知りました。
日本列島はとにかく地震が多いんだね。やっぱり地震の巣の上に原発を54基も作ったのは無茶なことをしたもんだ。
浜岡の停止からはじめて、福島第一のような惨事が二度と再発しないようにするしかないだろう。そうするとやはり全原発は長期的な期限をきめて、すべて廃炉にするしかないのではないか。
日本人に相当な覚悟をせまることになるが、それしかない。
原発大国フランスは地震がない国であるし、アメリカの原発は地震のない中東部にほとんど立地している。日本は本当に異常なのだ。
日本列島はとにかく地震が多いんだね。やっぱり地震の巣の上に原発を54基も作ったのは無茶なことをしたもんだ。
浜岡の停止からはじめて、福島第一のような惨事が二度と再発しないようにするしかないだろう。そうするとやはり全原発は長期的な期限をきめて、すべて廃炉にするしかないのではないか。
日本人に相当な覚悟をせまることになるが、それしかない。
原発大国フランスは地震がない国であるし、アメリカの原発は地震のない中東部にほとんど立地している。日本は本当に異常なのだ。
ちょっと訂正・・・猫跨ぎ
ちょっと訂正。手許の日本史年表を見ていたら、下記と若干違う記載があった。明応7年(1498年)の大地震では「遠江国荒井﨑が壊れ、浜名湖と外海が通じる」とある。
鎌倉の記述があるのは、三年前の明和4年8月15日に、「鎌倉大地震、海水溢れて二百余人溺死。津波のため鎌倉大仏殿破壊する」とあった。3年おいて大地震が続いて起きていた。
鎌倉の記述があるのは、三年前の明和4年8月15日に、「鎌倉大地震、海水溢れて二百余人溺死。津波のため鎌倉大仏殿破壊する」とあった。3年おいて大地震が続いて起きていた。
2011年5月15日日曜日
鎌倉大仏・・・猫跨ぎ
鎌倉の大仏がかっては大仏殿に鎮座しており、大津波で露仏になったとは、その昔観光案内書を読んで知ったが、へーそんなことがあったのか、てな事だったね。
明応7年8月25日、西暦1498年9月20日に東南海地震および東海地震の震源域で巨大地震が発生し、そのときの津波で殿舎が倒壊流出したという。
津波が紀伊から房総の海岸を襲い、伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千などであり、津波の被害が大きな地震だったという。 大仏は海岸から800m以上離れており、標高は12~13m。津波は関東大地震においても大仏まで達していなかった。
こういう事実も、今はリアリティをもって感得するが、3月11日以前は他人事だった。
こんな事例は他にも沢山あるに違いない。
素人はそういうことなんだけれど、地震学という学問はそうであっては困るんだな。こういう歴史的事実を取り込んで社会にきちんと反映する、行政にフィードバックするという仕組みを作らねば。素人と一緒になって周章狼狽してはなあ。やっぱり学問の敗北だ。
今日のニュースで、福島第一原発は津波で電源がやられてすべてが始まったと言っていたが、その前、激震で原子炉自体がかなり損壊していたのではないかとの声がようやく外に出始めたね。第二、第三号機もメルトダウンしている可能性も出て来た。知る人は皆知っていたのかも知れないが。
明応7年8月25日、西暦1498年9月20日に東南海地震および東海地震の震源域で巨大地震が発生し、そのときの津波で殿舎が倒壊流出したという。
津波が紀伊から房総の海岸を襲い、伊勢大湊で家屋流失1千戸、溺死5千、伊勢・志摩で溺死1万、静岡県志太郡で流死2万6千などであり、津波の被害が大きな地震だったという。 大仏は海岸から800m以上離れており、標高は12~13m。津波は関東大地震においても大仏まで達していなかった。
こういう事実も、今はリアリティをもって感得するが、3月11日以前は他人事だった。
こんな事例は他にも沢山あるに違いない。
素人はそういうことなんだけれど、地震学という学問はそうであっては困るんだな。こういう歴史的事実を取り込んで社会にきちんと反映する、行政にフィードバックするという仕組みを作らねば。素人と一緒になって周章狼狽してはなあ。やっぱり学問の敗北だ。
今日のニュースで、福島第一原発は津波で電源がやられてすべてが始まったと言っていたが、その前、激震で原子炉自体がかなり損壊していたのではないかとの声がようやく外に出始めたね。第二、第三号機もメルトダウンしている可能性も出て来た。知る人は皆知っていたのかも知れないが。
言い伝えることの難しさ・・・・褌子
忘れてゆくことの幸福
忘れてゆくことへのあきらめ
ひぐらしの声がきこえる
99才の柴田トヨさんの詩をときどきつぶやいたりしている。。
90才を過ぎたときに息子からすすめられて詩を書き出したのだそうだ。
さて人間に必ず起きる忘却の問題であるが、岩手県宮古市田老地区(旧田老町)では明治29年の大津波で1859人が死亡し、わずか36人が生き残った。
37年後の昭和8年の大津波では地区住民の三分の一の911人死亡。
そのご第一防潮堤が完成し、昭和35年のチリ津波では人的被害がなかった。
津波は防げるということで高さ10㍍の第二、第三の防潮堤ができて二重の防壁のなかに大勢のひとがつぎつぎに住むようになった。(高台に土地が狭いので、分家で海側に家を建てる人が多かったという)
昭和大津波から78年後のこんどの東日本大震災では総延長2・4キロの万里の長城といわれていた二重の防潮堤があっけなく破れて、200名近い死者・行方不明者をだしているという。
避難路が整備され毎年の避難訓練が大変役だったのだが、それでも200名近い犠牲者を生んだ。助かった長老たちは「新しい巨大な防潮堤をつくったことが、絶対安全だという過信を生んだ。亡くなったひとの多くは、逃げ遅れたというより逃げなかったのではないか」という。
結局、この田老地区では115年の間に3000名近い人々が津波で犠牲になっていることになる。
この三陸海岸の小さい漁師町はずっとずっと昔から大津波にほぼ周期的に襲われてきたのに違いない。
人間の伝承というものの難しさがよくわかる。
だいたい二百年で地域の記憶というものはほぼ完全に忘れ去られるのだそうだ。わずか六~七世代。
忘れてゆくことへのあきらめ
ひぐらしの声がきこえる
99才の柴田トヨさんの詩をときどきつぶやいたりしている。。
90才を過ぎたときに息子からすすめられて詩を書き出したのだそうだ。
さて人間に必ず起きる忘却の問題であるが、岩手県宮古市田老地区(旧田老町)では明治29年の大津波で1859人が死亡し、わずか36人が生き残った。
37年後の昭和8年の大津波では地区住民の三分の一の911人死亡。
そのご第一防潮堤が完成し、昭和35年のチリ津波では人的被害がなかった。
津波は防げるということで高さ10㍍の第二、第三の防潮堤ができて二重の防壁のなかに大勢のひとがつぎつぎに住むようになった。(高台に土地が狭いので、分家で海側に家を建てる人が多かったという)
昭和大津波から78年後のこんどの東日本大震災では総延長2・4キロの万里の長城といわれていた二重の防潮堤があっけなく破れて、200名近い死者・行方不明者をだしているという。
避難路が整備され毎年の避難訓練が大変役だったのだが、それでも200名近い犠牲者を生んだ。助かった長老たちは「新しい巨大な防潮堤をつくったことが、絶対安全だという過信を生んだ。亡くなったひとの多くは、逃げ遅れたというより逃げなかったのではないか」という。
結局、この田老地区では115年の間に3000名近い人々が津波で犠牲になっていることになる。
この三陸海岸の小さい漁師町はずっとずっと昔から大津波にほぼ周期的に襲われてきたのに違いない。
人間の伝承というものの難しさがよくわかる。
だいたい二百年で地域の記憶というものはほぼ完全に忘れ去られるのだそうだ。わずか六~七世代。
2011年5月13日金曜日
映画『英国王のスピーチ』・・・・褌子
仁ちゃん夫妻がはるばる上京し、上野の韻松亭で八名で楽しい会食をした。
お酒は東北の銘酒「南部美人」で私はほんの少したしなむ程度であったがじつに美味であった。
いつも素晴らしい会場を予約してくださる小蔵ひでをさんに感謝したい。
地球内部のマントル(地球容量の80%をしめる)の対流を起こしているのは核分裂エネルギーだと国兼さんに教えられて、ヘーそうなのかと得心した。地球がちっとも冷えないのは不思議に思っていたが「恥ずかしくて今更訊けなかった」のである。国兼さんありがとう。
記念写真をとって散会後、上野公園ちかくで映画『英国王のスピーチ』をみた。
今のエリザベス女王の父親のジョージ六世が、どもり=吃音だったという話である。
じつは兄のジョージ五世が国王だったのだが、シンプソン夫人と恋に落ちて王位を投げ出してしまった。(そういえばチャールズ皇太子もダイアナ妃を捨ててカミラ夫人と再婚している。ウイリアム王子は大丈夫かな)
やむなく、ひどく内気でどもりの弟が1936年に英国王になってしまうのであるが、公式行事でのスピーチでWやPではじまる単語がどもって発音できない。王妃が優しい人で何とか夫の吃音をなおそうとロンドン中をかけまわって信頼できる言語矯正師をさがす。
おりしもヒットラーが台頭し1939年ポーランド侵攻で第二次世界大戦がはじまる。ジョージ六世が英連邦諸国民にファッシズムとの戦いをよびかける歴史的なラジオ放送に臨む場面が圧巻。録音機がなかったのかぶっつけ本番。
田中角栄もどもりだったし、金閣寺に放火した青年僧もどもりだったそうだ。
サマーセット・モームもそうだった。語学の天才だったエンゲルスは「きみは二〇カ国語でどもる」とマルクスにからかわれている。
なお私事であるが私も子供の時からどもりに悩んだが、何となくなおってしまった。アイウエオの母音ではじまる言葉だけは今だに発音しづらい。
お酒は東北の銘酒「南部美人」で私はほんの少したしなむ程度であったがじつに美味であった。
いつも素晴らしい会場を予約してくださる小蔵ひでをさんに感謝したい。
地球内部のマントル(地球容量の80%をしめる)の対流を起こしているのは核分裂エネルギーだと国兼さんに教えられて、ヘーそうなのかと得心した。地球がちっとも冷えないのは不思議に思っていたが「恥ずかしくて今更訊けなかった」のである。国兼さんありがとう。
記念写真をとって散会後、上野公園ちかくで映画『英国王のスピーチ』をみた。
今のエリザベス女王の父親のジョージ六世が、どもり=吃音だったという話である。
じつは兄のジョージ五世が国王だったのだが、シンプソン夫人と恋に落ちて王位を投げ出してしまった。(そういえばチャールズ皇太子もダイアナ妃を捨ててカミラ夫人と再婚している。ウイリアム王子は大丈夫かな)
やむなく、ひどく内気でどもりの弟が1936年に英国王になってしまうのであるが、公式行事でのスピーチでWやPではじまる単語がどもって発音できない。王妃が優しい人で何とか夫の吃音をなおそうとロンドン中をかけまわって信頼できる言語矯正師をさがす。
おりしもヒットラーが台頭し1939年ポーランド侵攻で第二次世界大戦がはじまる。ジョージ六世が英連邦諸国民にファッシズムとの戦いをよびかける歴史的なラジオ放送に臨む場面が圧巻。録音機がなかったのかぶっつけ本番。
田中角栄もどもりだったし、金閣寺に放火した青年僧もどもりだったそうだ。
サマーセット・モームもそうだった。語学の天才だったエンゲルスは「きみは二〇カ国語でどもる」とマルクスにからかわれている。
なお私事であるが私も子供の時からどもりに悩んだが、何となくなおってしまった。アイウエオの母音ではじまる言葉だけは今だに発音しづらい。
2011年5月12日木曜日
空焚きだった・・・猫跨ぎ
一号機の圧力容器の水がほとんど無くて、いわば空だきだったとか。制御棒を出し入れする隙間あたりから水がじゃじゃ洩れだったらしい。はじめて合点がゆく。毎時何トンも注入しているのに満タンになる気配が全くない。なんだこれと思っていた(レベル計が壊れていた)。燃料棒は崩れて底に溜まっているらしい。底には水がわずかにあってこれは100度前後らしい。
住田健二・大阪大名誉教授(原子力工学)は「水位からみて、核燃料は形をなしていない可能性が推定できる。これまで水位という非常に大切な情報がわからないまま、ひたすら冷やしてきた。原子炉内部の状態がわかるようになり、作戦が立てやすくなるのではないか」と話す。
こんなことがようやく判った。それでどうなんだ。燃料はどんな状態か。顆粒状かウンコ状か。危なくないのか。臨界は起きないのか。
圧力容器が空っぽで格納容器の水位が予想より低い。じゃ水は何処へ行ったんだ。何も分かっていない。当初の水棺方式は結局どうなるんだ。カフカの城じゃないが、霧の中だ。世界一安全の原発が一皮剥けば、恐るべき魔窟らしい。
今回の大地震も予想していた範疇の全くの外側、埒外だった。そういえば貞観時代に似たような事象が、なんて今頃言ってもどもならん。南海地震と東海地震が同時の起こるかもしらんとか急に言い出し心配をあおっている。地震学のレベルもたかが知れているな。
今年の上半期は、現代の科学技術の頼りなさを暴露してしまった。
地震予知にどれ程の国費を投じているのか。亡くなった竹内均さんが地震予知に一貫して批判的で、そんな事に金を使うよりも、地震災害対策をしっかりやるべしと言っていたことを思い出す。材料強度試験をやって判るが、どれ程均質な試料を作っても、破壊現象はまちまち。確率的なんだ。絶対に収束しない。
住田健二・大阪大名誉教授(原子力工学)は「水位からみて、核燃料は形をなしていない可能性が推定できる。これまで水位という非常に大切な情報がわからないまま、ひたすら冷やしてきた。原子炉内部の状態がわかるようになり、作戦が立てやすくなるのではないか」と話す。
こんなことがようやく判った。それでどうなんだ。燃料はどんな状態か。顆粒状かウンコ状か。危なくないのか。臨界は起きないのか。
圧力容器が空っぽで格納容器の水位が予想より低い。じゃ水は何処へ行ったんだ。何も分かっていない。当初の水棺方式は結局どうなるんだ。カフカの城じゃないが、霧の中だ。世界一安全の原発が一皮剥けば、恐るべき魔窟らしい。
今回の大地震も予想していた範疇の全くの外側、埒外だった。そういえば貞観時代に似たような事象が、なんて今頃言ってもどもならん。南海地震と東海地震が同時の起こるかもしらんとか急に言い出し心配をあおっている。地震学のレベルもたかが知れているな。
今年の上半期は、現代の科学技術の頼りなさを暴露してしまった。
地震予知にどれ程の国費を投じているのか。亡くなった竹内均さんが地震予知に一貫して批判的で、そんな事に金を使うよりも、地震災害対策をしっかりやるべしと言っていたことを思い出す。材料強度試験をやって判るが、どれ程均質な試料を作っても、破壊現象はまちまち。確率的なんだ。絶対に収束しない。
だから・・・・・逸徳
教訓その1 人生ちゃらんぽらんが絶対いい。(だれだ お前にいわれたかぁないといったやつは・・・・) 教訓その2 立場で人は規定される。立場から離れて自由人になることは大変むつかしい。ホントにむつかしい。その立場にしがみつくことは、一方で自分で考えないから責任をとらずにすむし、楽なのである。あるいは自己保身の手法だろう。つまり立場を演じることは、ロボットになることなのだろう。ロボットは悩まない。ロールケーキの役人はその典型だろう。 教訓その3 人間の生き方にも慣性のようなものがある。昨日まで演じていた立場を今日離れても、慣性でついそのままその立場の行動をとる。 つまりただの人になるということはホントにむつかしい。 要するにわれわれにとっての勝負はこれからだろうと思っている。
閑話休題 菊川市は浜岡原発の20キロ圏。市役所に電話して聞いてみた。いざとなったらどこににげたらいいの? わかりません。決まっていません。 市内で環境放射能を市として調べているの? 調べていません 中電のモニタリングポストがひとつあります。 放射能がわかる専門家はいるの? いません・・・・・ 要するになんにもない。無知はこわい。この方がこわい。ホントにこわい・・・・・ 今朝とうとう静岡のお茶からもセシウムとヨウ素が微量ながら出た。もうやけくそ。
閑話休題 菊川市は浜岡原発の20キロ圏。市役所に電話して聞いてみた。いざとなったらどこににげたらいいの? わかりません。決まっていません。 市内で環境放射能を市として調べているの? 調べていません 中電のモニタリングポストがひとつあります。 放射能がわかる専門家はいるの? いません・・・・・ 要するになんにもない。無知はこわい。この方がこわい。ホントにこわい・・・・・ 今朝とうとう静岡のお茶からもセシウムとヨウ素が微量ながら出た。もうやけくそ。
その川内村のエピソード・・・猫跨ぎ
福島県川内村へ10日に一時帰宅した住民に対し、国側が「警戒区域が危険であることを十分認識し、自己の責任において立ち入ります」などとする同意書に署名を求めた。
一部の住民から反発の声があがり、遠藤雄幸村長も「同意したうえで一時帰宅するのだから、改めて署名を取る必要はない。役人仕事でやめたほうがいい」と批判した。
原子力災害現地対策本部長の池田元久・経済産業副大臣は報道陣に対し、「(警戒区域内では)責任を持って安全に気をつけて行動してもらいたいとの趣旨だった」と説明した。
以上は新聞記事からの引用。全くこの国の役人といったら。言われた通り70㎝四方の袋一杯に物を詰め込んで、二時間ピッタリにバスに戻る。そういう人たちだということが判っているのに、無意味な馬鹿げた網をかぶせようとする。
こんな話をラジオで聞いた。何処かの避難所に東京の菓子屋の主人が被災者のためにとロールケーキ700本持って訪れた。すると窓口の役人は、「ここの被災者は800人。100人あぶれてしまう。公平の原則に反するので受け取れない。」と言ったという。実話である。この期に及んでの役人根性は一体何処からくるのか。
しかししばらくして待てよという気がしてきた。考えて見ると、外国が賞賛した、非常時でも律儀で礼節を重んじる日本人の特質と何か底で繋がっているのではないか。特質の裏側にややもすればこんな融通のなさが顔を出すのではないか。ここは注意しなければ。
ちょっと意地の悪い見方かも知れないが、日本人論の一つの材料かも知れない。
一部の住民から反発の声があがり、遠藤雄幸村長も「同意したうえで一時帰宅するのだから、改めて署名を取る必要はない。役人仕事でやめたほうがいい」と批判した。
原子力災害現地対策本部長の池田元久・経済産業副大臣は報道陣に対し、「(警戒区域内では)責任を持って安全に気をつけて行動してもらいたいとの趣旨だった」と説明した。
以上は新聞記事からの引用。全くこの国の役人といったら。言われた通り70㎝四方の袋一杯に物を詰め込んで、二時間ピッタリにバスに戻る。そういう人たちだということが判っているのに、無意味な馬鹿げた網をかぶせようとする。
こんな話をラジオで聞いた。何処かの避難所に東京の菓子屋の主人が被災者のためにとロールケーキ700本持って訪れた。すると窓口の役人は、「ここの被災者は800人。100人あぶれてしまう。公平の原則に反するので受け取れない。」と言ったという。実話である。この期に及んでの役人根性は一体何処からくるのか。
しかししばらくして待てよという気がしてきた。考えて見ると、外国が賞賛した、非常時でも律儀で礼節を重んじる日本人の特質と何か底で繋がっているのではないか。特質の裏側にややもすればこんな融通のなさが顔を出すのではないか。ここは注意しなければ。
ちょっと意地の悪い見方かも知れないが、日本人論の一つの材料かも知れない。
2011年5月11日水曜日
しみじみ思うこと・その2・・・・・・褌子
今朝のテレビで、福島県川内村のわずか2時間の一時帰宅の模様をみた。
川内村159人。バスに分乗し、お年寄りたちが暑苦しい白い放射線防護服をきて線量計とトランシーバーをもっての一時帰宅。バスのそとはのんびりした山村風景。ワラビやゼンマイの一番のシーズンでもあるこんなのどかな村や町が放射能に汚染されてしまったのか…。70センチ四方のビニール袋に位牌やアルバム、孫の下着などをつめてかえってくると放射能検査をうけて着たものを脱ぎ捨てて、また避難所にかえってゆく。
酪農家のおじさんは避難するときに放してきた牛に会ったら「こんな格好したおれのこと宇宙人だとおもうべな」といっていたが牛たちには会えなかったとがっかりして防護服をぬぎすてていた。
第一原発の北西方向の浪江町、飯館町、南相馬市などでセシウム137が1平方㍍あたり300万~470万ベクレルに達しており、チェルノブイリの住民強制避難基準とされた55万ベクレルを大幅にうわまわったと、けさの新聞は伝えている。セシウム137の半減期は30年。ふたたびふる里に帰ることができるのだろうか。
本当に大変なことになったとしみじみ思う。
明日からは蒸し暑い梅雨がくるまえにと、8市町村27638人の一時帰宅がはじまる。
川内村159人。バスに分乗し、お年寄りたちが暑苦しい白い放射線防護服をきて線量計とトランシーバーをもっての一時帰宅。バスのそとはのんびりした山村風景。ワラビやゼンマイの一番のシーズンでもあるこんなのどかな村や町が放射能に汚染されてしまったのか…。70センチ四方のビニール袋に位牌やアルバム、孫の下着などをつめてかえってくると放射能検査をうけて着たものを脱ぎ捨てて、また避難所にかえってゆく。
酪農家のおじさんは避難するときに放してきた牛に会ったら「こんな格好したおれのこと宇宙人だとおもうべな」といっていたが牛たちには会えなかったとがっかりして防護服をぬぎすてていた。
第一原発の北西方向の浪江町、飯館町、南相馬市などでセシウム137が1平方㍍あたり300万~470万ベクレルに達しており、チェルノブイリの住民強制避難基準とされた55万ベクレルを大幅にうわまわったと、けさの新聞は伝えている。セシウム137の半減期は30年。ふたたびふる里に帰ることができるのだろうか。
本当に大変なことになったとしみじみ思う。
明日からは蒸し暑い梅雨がくるまえにと、8市町村27638人の一時帰宅がはじまる。
2011年5月10日火曜日
しみじみと思うこと・・・国兼
あの大震災から早二ヶ月が過ぎようとしている。
思えば30数年前にこの茅ケ崎に居を構えてから、私の目の黒いうちに必ず関東大震災的大地震に襲われると覚悟していた。出来れば再起可能な若いうちにと思っていた。1995年に阪神を襲った予想外の直下型大地震のもたらした悲惨さをテレビで見ながら、次はここだと・・・。
3月11日2時45分、ゆっくりとした揺れから段々と激しくなり、更に激しくなる。カミさんと大慌てで外に出た。それからも納まるどころか更に激しく、電信柱が大きく揺れ、近所の奥さんと3人で肩を抱き合って立ちすくんでいた。直感的に、これまで想定していた関東大地震がとうとう来たのだと・・・思った。地震が静まった後、家の中がどんなにすさまじくなっているのかと中に入ると、驚いたことに何一つ倒れていない。これが今まで心配していたあの地震なのかと?キョトンとしてしまい、直ぐにテレビを見た。 何としたことか、ここを素通りして三陸沖へと、それも千年に一度あるかどうかという類の、しかも原発の爆発という二重の、出来れば見たくなかった悲惨な状況を目の当たりに見てしまった。
関西から一挙に東北へと、いよいよ、いよいよ次はここだと観念している。こんな70近くになってから、ジーさんは腰がもろくなり、バーさんは耳が遠くなり、こんな二人でさて如何しようかなと・・思案に暮れる???更に、褌子さんがいう最もやばい浜岡原発が百数十キロ先にある。こんな原発があるとは?我が家の対応シミュレーションを考え直さないといけない。
所で、浜岡原発が停止になるようだが、中部電力の重役どもは福島の事故を見てこの2ヶ月間何を考えていたのだろうか?取り締まり会で何を議論していたのだろうか?政府からの命令が無いと何も判断できない連中なのだろうか?福島のような事故にあったその時の重役や社員がお気の毒に・・と思ったのか?政府の要請に我が意を得たりと、直ぐ国にアレコレ、アレコレと金の無心をする。情けないというか、恥を知れと!!孫正義を見習えと、官とベッタリノお子様企業の虚弱な体質、そのくせに高給取りだから始末に置けない。
思えば30数年前にこの茅ケ崎に居を構えてから、私の目の黒いうちに必ず関東大震災的大地震に襲われると覚悟していた。出来れば再起可能な若いうちにと思っていた。1995年に阪神を襲った予想外の直下型大地震のもたらした悲惨さをテレビで見ながら、次はここだと・・・。
3月11日2時45分、ゆっくりとした揺れから段々と激しくなり、更に激しくなる。カミさんと大慌てで外に出た。それからも納まるどころか更に激しく、電信柱が大きく揺れ、近所の奥さんと3人で肩を抱き合って立ちすくんでいた。直感的に、これまで想定していた関東大地震がとうとう来たのだと・・・思った。地震が静まった後、家の中がどんなにすさまじくなっているのかと中に入ると、驚いたことに何一つ倒れていない。これが今まで心配していたあの地震なのかと?キョトンとしてしまい、直ぐにテレビを見た。 何としたことか、ここを素通りして三陸沖へと、それも千年に一度あるかどうかという類の、しかも原発の爆発という二重の、出来れば見たくなかった悲惨な状況を目の当たりに見てしまった。
関西から一挙に東北へと、いよいよ、いよいよ次はここだと観念している。こんな70近くになってから、ジーさんは腰がもろくなり、バーさんは耳が遠くなり、こんな二人でさて如何しようかなと・・思案に暮れる???更に、褌子さんがいう最もやばい浜岡原発が百数十キロ先にある。こんな原発があるとは?我が家の対応シミュレーションを考え直さないといけない。
所で、浜岡原発が停止になるようだが、中部電力の重役どもは福島の事故を見てこの2ヶ月間何を考えていたのだろうか?取り締まり会で何を議論していたのだろうか?政府からの命令が無いと何も判断できない連中なのだろうか?福島のような事故にあったその時の重役や社員がお気の毒に・・と思ったのか?政府の要請に我が意を得たりと、直ぐ国にアレコレ、アレコレと金の無心をする。情けないというか、恥を知れと!!孫正義を見習えと、官とベッタリノお子様企業の虚弱な体質、そのくせに高給取りだから始末に置けない。
“千年に一度”が千年前に立て続けに・・・・褌子
安政大地震やコレラ大流行が幕府倒壊を早めたとか、興味深い。
黒沢明の映画「赤髭診療譚」にすさまじい安政地震の様子がでてくる。
いっぽう手塚治虫「ひだまりの樹」は安政のコレラ大流行を背景にした傑作歴史漫画。 このコレラは明治になっても猛威をふるい、日清戦争の戦死者の半分がじつはコレラによる死亡だったとか(吉村昭「白い航跡」)
東日本大震災が起こる前の日本最大級は宝永地震(1707年=M8・6)。高知大岡村教授は「宝永地震は九州、大阪、土佐湾の奥まで津波が押し寄せ、集落ごと流された『亡所』の文字が当時の記録にずらずら並んでいる」という。だから浜岡は危険だが他の原発は心配ないというのは暴論。津波がこなくても直下型地震では地震波が非常に速いので制御棒を入れて止めることを確実にできるのか、と心配する。
東大の都司准教授は「869年の貞観地震の18年後に巨大東南海地震が起きている。
“千年に一度”の地震が、千年前には立て続けに起きている。こんども同じように続いてもおかしくない」と警告する。
地震予知連の茂木元会長は「これ以上の地震は起きないと勝手に人間が決めて『ないと思っていた』では困る。カムチャッカ地震(1952=M9・0)アリューシャン地震(1957=M9・1)チリ地震(1960=M9・5)アラスカ地震(1964=M9・2)と立て続けにおきている。日本も環太平洋地震帯の一部。東電も国も絶対安全といっていたが、その根拠をあたえた専門家も変わってもらわないと…」「じつは地震もモノの破壊もまだよくわからないことが多い。原子炉本体は頑丈でも複雑な配管や装置がとりまく複合体だ。弱いところに集中したら何が起こるかわからない。日本は唯一の被爆国で第一級の地震多発国。そういうところで“原発実験”をやってはならない」
黒沢明の映画「赤髭診療譚」にすさまじい安政地震の様子がでてくる。
いっぽう手塚治虫「ひだまりの樹」は安政のコレラ大流行を背景にした傑作歴史漫画。 このコレラは明治になっても猛威をふるい、日清戦争の戦死者の半分がじつはコレラによる死亡だったとか(吉村昭「白い航跡」)
東日本大震災が起こる前の日本最大級は宝永地震(1707年=M8・6)。高知大岡村教授は「宝永地震は九州、大阪、土佐湾の奥まで津波が押し寄せ、集落ごと流された『亡所』の文字が当時の記録にずらずら並んでいる」という。だから浜岡は危険だが他の原発は心配ないというのは暴論。津波がこなくても直下型地震では地震波が非常に速いので制御棒を入れて止めることを確実にできるのか、と心配する。
東大の都司准教授は「869年の貞観地震の18年後に巨大東南海地震が起きている。
“千年に一度”の地震が、千年前には立て続けに起きている。こんども同じように続いてもおかしくない」と警告する。
地震予知連の茂木元会長は「これ以上の地震は起きないと勝手に人間が決めて『ないと思っていた』では困る。カムチャッカ地震(1952=M9・0)アリューシャン地震(1957=M9・1)チリ地震(1960=M9・5)アラスカ地震(1964=M9・2)と立て続けにおきている。日本も環太平洋地震帯の一部。東電も国も絶対安全といっていたが、その根拠をあたえた専門家も変わってもらわないと…」「じつは地震もモノの破壊もまだよくわからないことが多い。原子炉本体は頑丈でも複雑な配管や装置がとりまく複合体だ。弱いところに集中したら何が起こるかわからない。日本は唯一の被爆国で第一級の地震多発国。そういうところで“原発実験”をやってはならない」
2011年5月8日日曜日
安政年間・・・猫跨ぎ
この前、貞観大地震の話があったけれど、今日の朝刊に江戸末期の大地震や災害の話が載っていた。
安政年間(1854~1860)は震災、洪水、疫病の被害で大変だったという。
ペリーが来航した安政元年、M8.4の東海大地震と南海大地震、M7.4の豊予大地震が起きた。それらの津波が太平洋沿岸部に大被害をもたらした。
安政2年はM6.9の安政江戸大地震が起こっている。藤田東湖が圧死したというエピソードがある。
安政3年には、台風により利根川、荒川が大洪水を起こし、10万人の死者を出した。
安政4年にはインフルエンザ流行、5年の米艦経由のコレラ伝染で10万~30万人の死者を出したという。
安政6年には「安政の大麻疹」というはしかの大流行があった。
徳川幕府は、復興のために不時の財政支出を余儀なくされ、政権の体力を弱めた。薩摩、長州はこの自然災害には無傷ですんだ。徳川方がむざむざと薩長に屈したのはこんな背景があったというのである。成る程、一理ある話だ。知らなかった。何故こういう事を日本史で教えないのかな。
安政年間(1854~1860)は震災、洪水、疫病の被害で大変だったという。
ペリーが来航した安政元年、M8.4の東海大地震と南海大地震、M7.4の豊予大地震が起きた。それらの津波が太平洋沿岸部に大被害をもたらした。
安政2年はM6.9の安政江戸大地震が起こっている。藤田東湖が圧死したというエピソードがある。
安政3年には、台風により利根川、荒川が大洪水を起こし、10万人の死者を出した。
安政4年にはインフルエンザ流行、5年の米艦経由のコレラ伝染で10万~30万人の死者を出したという。
安政6年には「安政の大麻疹」というはしかの大流行があった。
徳川幕府は、復興のために不時の財政支出を余儀なくされ、政権の体力を弱めた。薩摩、長州はこの自然災害には無傷ですんだ。徳川方がむざむざと薩長に屈したのはこんな背景があったというのである。成る程、一理ある話だ。知らなかった。何故こういう事を日本史で教えないのかな。
重要な決定・・・猫跨ぎ
今回の浜岡原発停止の決定を歓迎したい。原発から基軸を移すという決定は今しか出来ない。総理大臣はその重要な決定を下した。
「リーダーシップが無い。」身内からもぼろくそに言われちょっと酷かった。こんな時かさにかかって叩く政治屋が本当に多い。何ならお前やってみたらどうだ、できるのか。
「お盆までに仮設住宅を完了する」は、また出来もしないことをという向きもあるが、こういう事が言えるのは総理大臣しかいない。超法規的に突貫工事でやればいいんだ。
避難施設に行って、避難民と一時間の予定を四時間話し込んだらしい。この人の現場主義の現れだろう。自分の特色を出せばいい。菅首相はこのところ何か吹っ切れたのではないか。
「リーダーシップが無い。」身内からもぼろくそに言われちょっと酷かった。こんな時かさにかかって叩く政治屋が本当に多い。何ならお前やってみたらどうだ、できるのか。
「お盆までに仮設住宅を完了する」は、また出来もしないことをという向きもあるが、こういう事が言えるのは総理大臣しかいない。超法規的に突貫工事でやればいいんだ。
避難施設に行って、避難民と一時間の予定を四時間話し込んだらしい。この人の現場主義の現れだろう。自分の特色を出せばいい。菅首相はこのところ何か吹っ切れたのではないか。
2011年5月7日土曜日
いやはやもうまったく・・・・・逸徳
浜岡はもうはちゃめちゃの大騒ぎである。停止の要請なんて、もう地元の地域ボスたちからみると全くの「想定外」で、さあ面白いことになった。これで中電が、この夏を乗り切ったら、原発なんてなくてもやれるじゃんという悪例?になり、これも困るらしい。信じられんことには、今頃になって自民党の中に「原発推進」の議員組織ができたらしい。おおいにけっこう。日比谷公園か、議事堂のとなりあたりにぜひでかいのつくってくれ。 それから昨日の朝日で、東電の顧問というのが出てきて「低線量は体にいい」とのたまわった。これも結構な話だ。彼は率先して福島原発の避難地域にひっこしてからものをいってもらいたい。 とにかく、ばかばかしくて、しばらくは特上の喜劇がみられそうだ。
浜岡原発が停止・・・ 褌子
世界一危険な原発と言われていた逸徳さんちかくの浜岡がついに停止となる。
予想以上に早い決断であるが、そのくらい福島第一が深刻だということだ。
廃止ではないが、停止になっただけでもその意味はきわめて大きい。
福島第一は廃炉、浜岡は停止、あとの52基は何とか延命させようということかもしれないが、そういう政官業の思惑をのりこえて浜岡停止は日本が脱原発社会への一歩をやっとふみだした記念碑的事件として記憶されるのではないか。
地球人口70億時代で原発必要論はくりかえし繰り返し出てくるだろうが、10万年後まで放射能を残す原発と現存人類との平和共存はむつかしいことを今回学習した。
こんなことを世界全体が真剣に考えざるを得ない時代がこんなに早く来るとは思わなかったし、ついでにいうと千年に一度の大震災に遭遇するとは思わなかった。すべて我が身にとっては“想定外”であった。
ノーベル賞の野依先生が「自然科学が発達すればするほど自然界には人間にとってわからないことが増えてくる。だから科学者たるものが“想定外”などと言い訳するのは科学と技術の役割をごっちゃにしているからだ」という趣旨のことをいっていた。自然科学の日進月歩の発達でたいていのことはわかってきているのでは…等というのはとんでもない思い違いであった。
予想以上に早い決断であるが、そのくらい福島第一が深刻だということだ。
廃止ではないが、停止になっただけでもその意味はきわめて大きい。
福島第一は廃炉、浜岡は停止、あとの52基は何とか延命させようということかもしれないが、そういう政官業の思惑をのりこえて浜岡停止は日本が脱原発社会への一歩をやっとふみだした記念碑的事件として記憶されるのではないか。
地球人口70億時代で原発必要論はくりかえし繰り返し出てくるだろうが、10万年後まで放射能を残す原発と現存人類との平和共存はむつかしいことを今回学習した。
こんなことを世界全体が真剣に考えざるを得ない時代がこんなに早く来るとは思わなかったし、ついでにいうと千年に一度の大震災に遭遇するとは思わなかった。すべて我が身にとっては“想定外”であった。
ノーベル賞の野依先生が「自然科学が発達すればするほど自然界には人間にとってわからないことが増えてくる。だから科学者たるものが“想定外”などと言い訳するのは科学と技術の役割をごっちゃにしているからだ」という趣旨のことをいっていた。自然科学の日進月歩の発達でたいていのことはわかってきているのでは…等というのはとんでもない思い違いであった。
2011年5月4日水曜日
後ろめたいといえば・・・猫跨ぎ
代替エネルギーの話をしていて、何とも後味の悪いというか後ろめたい気持ちが否めない。それは簡単にいうと、いまの便利な日常をそのままにしておいて、エネルギーの供給先を探し求める身勝手さというか、まあ図々しさだろう。
再生可能といいつつ、われわれ人類はいつまでこの地球上に存在しうると見積もっているのか。石油はあと三十年(この数字は我々の子供の頃もそう言われていたが)、他の地下資源も同じオーダーだろう。ウランだってそうだ。要するに、多くの再生不可能の資源を食い続けているわけだ。たかだか、あと数世代かな。
18世紀、マルサスの人口論が提起した問題は、その後、科学技術の進歩によって乗り切ってきたが、さてこの惑星のキャパシティの限界に突き当たってしまった。
後ろめたさとは、言葉を変えれば、結局この問題に目を背けてきたことに対してだ。
再生可能といいつつ、われわれ人類はいつまでこの地球上に存在しうると見積もっているのか。石油はあと三十年(この数字は我々の子供の頃もそう言われていたが)、他の地下資源も同じオーダーだろう。ウランだってそうだ。要するに、多くの再生不可能の資源を食い続けているわけだ。たかだか、あと数世代かな。
18世紀、マルサスの人口論が提起した問題は、その後、科学技術の進歩によって乗り切ってきたが、さてこの惑星のキャパシティの限界に突き当たってしまった。
後ろめたさとは、言葉を変えれば、結局この問題に目を背けてきたことに対してだ。
2011年5月3日火曜日
再生可能とは・・・猫跨ぎ
福島原発の行方が定まらなかった一ヶ月前に、ちょっと経験のない気分の日が続いた。それがこうして代替エネルギーの話が出来る程にはなっただけでも大違いだね。
��00万kwの発電に要する太陽電池パネルは15km四方の面積と聞いたことがある。世界中のあちこちにこんな規模のパネルを敷設する事は可能なのか。これによる環境負荷も新たに発生しよう。気象変動とか。再生可能な手段というのはとにかく密度が薄い。
詳細な計算がどこかでされていると思うが、どうなんだろうね。
だから分散型だけですむまい。並行してどうしても、単一、高密度のエネルギーは必須だろう。ということで結局、核融合ということではないか。核分裂と違ってこれは超小型の太陽を持つことだから、神も許してくれるだろう。そしてその実現までは原発か。
今日は憲法記念日。恒例の両派の集会が開かれている。憲法擁護派は、被災地では最低限の生活が保障されていない、憲法違反であると息巻き、改憲派はこんな場合の非常事態宣言が出せない憲法とは何事かと息巻く。ああそうですか。なにやら空しいね。現地でやってこい。
��00万kwの発電に要する太陽電池パネルは15km四方の面積と聞いたことがある。世界中のあちこちにこんな規模のパネルを敷設する事は可能なのか。これによる環境負荷も新たに発生しよう。気象変動とか。再生可能な手段というのはとにかく密度が薄い。
詳細な計算がどこかでされていると思うが、どうなんだろうね。
だから分散型だけですむまい。並行してどうしても、単一、高密度のエネルギーは必須だろう。ということで結局、核融合ということではないか。核分裂と違ってこれは超小型の太陽を持つことだから、神も許してくれるだろう。そしてその実現までは原発か。
今日は憲法記念日。恒例の両派の集会が開かれている。憲法擁護派は、被災地では最低限の生活が保障されていない、憲法違反であると息巻き、改憲派はこんな場合の非常事態宣言が出せない憲法とは何事かと息巻く。ああそうですか。なにやら空しいね。現地でやってこい。
夢をみましょうか・・・・・逸徳
原子力のかわりに水素エネルギーはいかがでしょうか。かって横浜国立大学がポルシェ計画というのをやっていました。これは大型いかだに太陽電池を積んで、南の海に展開して、その電力で海水を電気分解し、得られた水素を液化してタンクに貯蔵します。この過程はすべて無人で、タンカーで時々液体水素を回収する。その後どうなったかなあ。 海水の電気分解では塩素ガスが出ないかと心配したら、東北大学で海水の電気分解で、水素と酸素しか出ない電極が開発されたとか。 液体水素はもちろん取扱いが大変ですが、原子力よりはいい。JAXAはすでに液体水素によるジェットエンジンの開発をはじめています。もう水素ガスによる自動車は、技術的には問題はないそうで。要するに石油という液体燃料の技術体系はやっぱり代替えも液体でやることが、技術の連続性ということではいいでしょう。 原発のような巨大プラントを1か所において電気エネルギーを消費者におくるという1極集中型のシステムと、たとえば家庭用の小型発電ガスタービンや小規模発電所を小河川にたてるという分散型エネルギー源システムではどちらがいいか。ここでコストを考えると、分散型のほうが高いに決まっているのでしょうが、これがあやしい。要するに環境要因をコストにいれない経済学がおかしいのです。かって大阪市立大の宮本先生が大阪泉野だったかの石油コンビナートをもとにこういう計算をやった有名な研究があります。かっての経済学では、たとえば公害で目の前の海で海水浴ができないので遠くまで電車にのってでかけていかなくてはならない、公害病患者が増えるので病院をたてるということは、経済的には交通や建設、医療などの活動が活発化するので、今までは社会的にはプラスと計算されていたのだそうです。しかしこれは明らかに変でしょう。
追伸 ヨーロッパの企業連合がサハラ砂漠に太陽電池を展開して、ヨーロッパまで海底電線で送電する計画の検討をはじめたようです。
国兼さんの問題提起に関連して。 開発途上国への原子力産業の展開は先進国の巨大企業のいいもうけの対象になるでしょう。それよりも前に、石油などの天然資源の国際的に平等な資源配分のルールがつくれるかどうかではないでしょうか。現在の国際社会は弱肉強食が続いていますが、こんなことではともだおれではないか。 まあそれも我々が死んだあとのことでしょうか。
追伸 ヨーロッパの企業連合がサハラ砂漠に太陽電池を展開して、ヨーロッパまで海底電線で送電する計画の検討をはじめたようです。
国兼さんの問題提起に関連して。 開発途上国への原子力産業の展開は先進国の巨大企業のいいもうけの対象になるでしょう。それよりも前に、石油などの天然資源の国際的に平等な資源配分のルールがつくれるかどうかではないでしょうか。現在の国際社会は弱肉強食が続いていますが、こんなことではともだおれではないか。 まあそれも我々が死んだあとのことでしょうか。
2011年5月2日月曜日
鉄腕アトム・・・国兼
地球人口が70億を超えるという。小学校のときに習った世界人口は20億前後だった。ホモサピエンスのみが今日も増え続ける一方である。そして、先進国という名の10%に満たない人間が世界の資源やエネルギーの50%以上を使い、その豊かな生活を謳歌している。その先進国を支えている文明の根幹は電気エネルギーである(停電になって見れば、
如何にもろい砂上の楼閣に依存しているかヨーク納得のいくことだ)。発展途上国とか低開発国とか言う分類に区分けされている90%を越える人間が、この先進国の豊かさに追いつこうと必死にもがいている。その欲望は当然の帰結であろうが、それを満足させるその根幹は電気エネルギーである。
この増え続けるホモサピエンスと飽くことなき欲望を満足させるための電気エネルギーをどうやって確保するのだろうか?その解決は、只一つ核融合(未だ研究段階だが)か核分裂という人類が見つけたE=mc2という巨大エネルギーに依存するしかないのだろう、と。さもなければ、総ての国が他国の地下資源に左右され、戦争し、そしていずれ枯渇するその資源に、いずれ100億を越えるサピエンスは脅える毎日を送ることになるだろうと。海水からのウラン濃縮等による自前でのエネルギー確保は必然たる帰結であろう。
ウランの核分裂がドイツで発見され、アメリカのマンハッタン計画から未だ70年近くである。まだまだこの原子エネルギの技術は未熟であり、技術的革新が必要なのは勿論である。
鉄腕アトムは、天馬博士という稀代の学者が科学省の全知能を結集して作ったという、原子のエネルギーを用いた最高傑作のロボットである。この稀代の天才的博士と、そしてアトムに人間性を付与したお茶の水博士やヒゲ親父も、又この「鬼子」的な強面のエネルギーからの脱皮には必須なのであろう。
如何にもろい砂上の楼閣に依存しているかヨーク納得のいくことだ)。発展途上国とか低開発国とか言う分類に区分けされている90%を越える人間が、この先進国の豊かさに追いつこうと必死にもがいている。その欲望は当然の帰結であろうが、それを満足させるその根幹は電気エネルギーである。
この増え続けるホモサピエンスと飽くことなき欲望を満足させるための電気エネルギーをどうやって確保するのだろうか?その解決は、只一つ核融合(未だ研究段階だが)か核分裂という人類が見つけたE=mc2という巨大エネルギーに依存するしかないのだろう、と。さもなければ、総ての国が他国の地下資源に左右され、戦争し、そしていずれ枯渇するその資源に、いずれ100億を越えるサピエンスは脅える毎日を送ることになるだろうと。海水からのウラン濃縮等による自前でのエネルギー確保は必然たる帰結であろう。
ウランの核分裂がドイツで発見され、アメリカのマンハッタン計画から未だ70年近くである。まだまだこの原子エネルギの技術は未熟であり、技術的革新が必要なのは勿論である。
鉄腕アトムは、天馬博士という稀代の学者が科学省の全知能を結集して作ったという、原子のエネルギーを用いた最高傑作のロボットである。この稀代の天才的博士と、そしてアトムに人間性を付与したお茶の水博士やヒゲ親父も、又この「鬼子」的な強面のエネルギーからの脱皮には必須なのであろう。
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