2011年5月26日木曜日

予兆・・・・褌子

   公務員を減らせと叫んでいた政党が急にだんまりをきめこむような事態が震災と原発被災地で起きている。学校が避難所となり、教員や市役所の職員が不眠不休で避難所で働いている。平成の大合併で役場がなくなったり市役所が支所に格下げになったところの住民はボランティアの受け入れもままならず、大変な目にあっている。役場ごと福島市にひっこしたところも職員不足で困り果てていると新聞にでていた。
 昔は郵便局の配達員が年金や郵便貯金までぜんぶ扱ってくれたが、郵政民営化で分社化したために被災地の年寄りが困りはてているそうだ。もともと地域医療が崩壊していた医療の現場はさらに深刻な事態になっていることだろう。
 それでも竹中平蔵などはTPPで東北の農漁業を大規模化せよ、などと安全地帯で平然と叫んでいる。
 さて東南海だけでなく房総沖大地震も現実味を帯びてきているというので、房総沖関連の1603年幕府開府以降の地震津波を新聞から抜き書きしてみた。
・1605(慶長8年) 南海と房総沖で大地震。安房や上総で溺死多数
・1614(慶長19年) 銚子で「大海嘯」(かいしょう=満潮時に海水が河川をさかのぼる   現象)銚子の千人塚の由来では漁師千人余が海難で死亡。津波または高潮の可能性   もある
・1677(延宝5)房総東方沖で地震。銚子で津波で261人死亡
・1703(元禄16)房総南方沖で地震。津波で九十九里西部で死者2150人余。飯岡も死者70        人余(今回は16人が行方不明となっている)
・1707(宝永4)東南海道大地震。富士山噴火で宝永山できる
・1854(安政元年)関東・東南海道地震。房総で津波被害
・1855(安政に2年)江戸直下の大地震。江戸の死者6757人余
 先日、小蔵ひでをさんが案内した回向院に慰霊碑があった
・1877(明治10年)チリ津波で九十九里浜に溺死や死傷者
・1923(大正12年)関東大震災。千葉県の死者1370人
         デマで朝鮮人多数を虐殺
・1960(昭和35年)チリ津波が日本列島を襲う
・2011(平成23年)3月11日東日本大震災
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