忘れてゆくことの幸福
忘れてゆくことへのあきらめ
ひぐらしの声がきこえる
99才の柴田トヨさんの詩をときどきつぶやいたりしている。。
90才を過ぎたときに息子からすすめられて詩を書き出したのだそうだ。
さて人間に必ず起きる忘却の問題であるが、岩手県宮古市田老地区(旧田老町)では明治29年の大津波で1859人が死亡し、わずか36人が生き残った。
37年後の昭和8年の大津波では地区住民の三分の一の911人死亡。
そのご第一防潮堤が完成し、昭和35年のチリ津波では人的被害がなかった。
津波は防げるということで高さ10㍍の第二、第三の防潮堤ができて二重の防壁のなかに大勢のひとがつぎつぎに住むようになった。(高台に土地が狭いので、分家で海側に家を建てる人が多かったという)
昭和大津波から78年後のこんどの東日本大震災では総延長2・4キロの万里の長城といわれていた二重の防潮堤があっけなく破れて、200名近い死者・行方不明者をだしているという。
避難路が整備され毎年の避難訓練が大変役だったのだが、それでも200名近い犠牲者を生んだ。助かった長老たちは「新しい巨大な防潮堤をつくったことが、絶対安全だという過信を生んだ。亡くなったひとの多くは、逃げ遅れたというより逃げなかったのではないか」という。
結局、この田老地区では115年の間に3000名近い人々が津波で犠牲になっていることになる。
この三陸海岸の小さい漁師町はずっとずっと昔から大津波にほぼ周期的に襲われてきたのに違いない。
人間の伝承というものの難しさがよくわかる。
だいたい二百年で地域の記憶というものはほぼ完全に忘れ去られるのだそうだ。わずか六~七世代。
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