2011年5月27日金曜日

生涯一教師・・・褌子

 逸徳さんの発言に共感すること大。
 校長だの県教委栄転だのくだらんものに脇目もふらず、生涯一理科教師を貫き、いまも科学少年団ひとすじは実に見事というしかない。こんな高潔な友人に五能線の宿で背中をかいてもらったのだと恐縮している日々。
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 ひとつだけ気になったところは「水に落ちた犬はたたけ」。
 これは鄧少平でなく魯迅の「起落水狗、反被咬一口」である。中国の古諺に「不打落水狗」がある。
 じつは6月下旬に、上海で魯迅の臨終写真などをとった沙飛という写真家の調査で中国にいく。魯迅が沙飛とどんな関わりをもっていたのか、上海、紹興などの魯迅記念館をたずねるので、いま魯迅選集で日記、書簡などを読んでいるところだ。
 不倒小翁といわれる鄧少平は文革でなんど失脚しても生き抜いて、毛沢東死後に江沢民のあと最高権力者にのぼりつめた。最初にやったことは中ソ対立下、中国に盲従しないベトナムは懲罰の対象だとアメリカのベトナム侵略戦争に勝利したものの疲弊の極にあったベトナムに攻めこんだこと。
 さらに来日して日産自動車などの近代的な工場をみせつけられて仰天。
 有名な「白猫だろうが黒猫だろうがネズミをとる猫がいい」と改革開放路線をはじめた。要するに資本主義だろうが社会主義だろうが金儲けが一番ということだ。
 その結果、たった40年で改革開放路線は大成功し、いまや金満中国人が銀座で買い漁り、中国国内の所得格差は目をおおうばかりとなった。
 空虚な理論で権力闘争ばかりやっていた毛沢東時代も、世界第二位のGNPで空母までつくりだし大国意識をふりまくようになったシロクロ路線のはての現代中国も両方とも魯迅が求めた中国ではなかったことはたしか。
 というわけで「不打落水狗」の魯迅はシロクロ式鄧少平とは、同床異夢どころか対極的な人物になるのではなかろうか。もっとも鄧少平の愛息は紅衛兵の拷問でいまも車椅子の生活をしているなどしか鄧の正確な人物像をわたしはまだ知らないし、文革騒ぎを脱して現代中国が一面では非常に豊かになり中国史上はじめて、餓死などがなくなったのは事実だ。
 北京、上海などの年寄りは、嫉視していた金持ちや知識人を紅衛兵に密告しては物陰から殺されるのをみていた文革の暗い時代だけは二度とごめんだといい、地方のいまも貧しい年寄りたちのなかには、大都会へでていく若者の拝金主義に眉をひそめ、みんな平等に貧しかった文革時代が懐かしいと思っているひとも少なくないときいたことがある。
 こんどの10日間の調査旅行では、上海からはいって、沙飛が八路軍の従軍写真家として日本軍に追われながら転戦した河北省の貧しい農村部をまわり、最後に北京をみて帰るので、“市場経済をへて社会主義の建設”を看板に13億人で人類初の壮大な実験をやっている現代中国社会の一面もすこしは観察してきたいとおもう。

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