あの大震災から早二ヶ月が過ぎようとしている。
思えば30数年前にこの茅ケ崎に居を構えてから、私の目の黒いうちに必ず関東大震災的大地震に襲われると覚悟していた。出来れば再起可能な若いうちにと思っていた。1995年に阪神を襲った予想外の直下型大地震のもたらした悲惨さをテレビで見ながら、次はここだと・・・。
3月11日2時45分、ゆっくりとした揺れから段々と激しくなり、更に激しくなる。カミさんと大慌てで外に出た。それからも納まるどころか更に激しく、電信柱が大きく揺れ、近所の奥さんと3人で肩を抱き合って立ちすくんでいた。直感的に、これまで想定していた関東大地震がとうとう来たのだと・・・思った。地震が静まった後、家の中がどんなにすさまじくなっているのかと中に入ると、驚いたことに何一つ倒れていない。これが今まで心配していたあの地震なのかと?キョトンとしてしまい、直ぐにテレビを見た。 何としたことか、ここを素通りして三陸沖へと、それも千年に一度あるかどうかという類の、しかも原発の爆発という二重の、出来れば見たくなかった悲惨な状況を目の当たりに見てしまった。
関西から一挙に東北へと、いよいよ、いよいよ次はここだと観念している。こんな70近くになってから、ジーさんは腰がもろくなり、バーさんは耳が遠くなり、こんな二人でさて如何しようかなと・・思案に暮れる???更に、褌子さんがいう最もやばい浜岡原発が百数十キロ先にある。こんな原発があるとは?我が家の対応シミュレーションを考え直さないといけない。
所で、浜岡原発が停止になるようだが、中部電力の重役どもは福島の事故を見てこの2ヶ月間何を考えていたのだろうか?取り締まり会で何を議論していたのだろうか?政府からの命令が無いと何も判断できない連中なのだろうか?福島のような事故にあったその時の重役や社員がお気の毒に・・と思ったのか?政府の要請に我が意を得たりと、直ぐ国にアレコレ、アレコレと金の無心をする。情けないというか、恥を知れと!!孫正義を見習えと、官とベッタリノお子様企業の虚弱な体質、そのくせに高給取りだから始末に置けない。
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