2011年5月4日水曜日

後ろめたいといえば・・・猫跨ぎ

  代替エネルギーの話をしていて、何とも後味の悪いというか後ろめたい気持ちが否めない。それは簡単にいうと、いまの便利な日常をそのままにしておいて、エネルギーの供給先を探し求める身勝手さというか、まあ図々しさだろう。
  再生可能といいつつ、われわれ人類はいつまでこの地球上に存在しうると見積もっているのか。石油はあと三十年(この数字は我々の子供の頃もそう言われていたが)、他の地下資源も同じオーダーだろう。ウランだってそうだ。要するに、多くの再生不可能の資源を食い続けているわけだ。たかだか、あと数世代かな。
18世紀、マルサスの人口論が提起した問題は、その後、科学技術の進歩によって乗り切ってきたが、さてこの惑星のキャパシティの限界に突き当たってしまった。
後ろめたさとは、言葉を変えれば、結局この問題に目を背けてきたことに対してだ。

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