吉田満『戦艦大和の最期』を読んだ。東大法学部の学生だったが学徒動員で沖縄海上特攻へ向かう大和に乗艦。戦闘指揮所で出港から轟沈までのすべてを目撃し重油の海を泳いで生還した。敗戦後、たまたま近所に住む吉川英治宅へ戦後の身の処し方を相談にいったときに大和の体験を話したところ、君にしか書けないと励まされ、いっきに文語調で書き上げたという。
若い頃に買ったまま本棚に眠っていたが、読んで良かった。非常に感動。
淡々とした文語調の簡潔な筆致のなかに戦争の悲惨さも鋭く迫ってくるが、こういう日本人もいたのかという著者への敬意のほうが強くわきあがってくる。大岡昇平『レイテ戦記』などとともに日本民族の貴重なひとつの体験記としていつまでも残るのではなかろうか。
―――――さてあれほどの無謀な戦争であれほど多くの人間が殺されたのである。やっぱりどうして戦争は起きたのか…という疑問が残るのである。伊丹万作監督(伊丹十三の父)が敗戦の翌年1946年8月に発表した『戦争責任者の問題』はなぜ戦争が起こるのかと、すぐれた日本人論を展開しているとおもう。いままた秘密保護法などが強行成立するなか、きな臭くなってきているだけに、再度読み返してみたい。
■■■ 戦争責任者の問題 ■■■
伊丹万作 (『映画春秋』創刊号・昭和二十一年八月)
――――― 多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。
―――――中略―――――
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。
そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。
我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。親友たちも、親戚も、隣人も、そして多くの貧しい同胞たちもすべて一緒に死ぬることだと信じていた。この馬鹿正直をわらう人はわらうがいい。
―――――後略―――――
2014年1月31日金曜日
2014年1月30日木曜日
異常な・・・猫跨ぎ
ネットの朝鮮日報(日本語)を開いてトピックスを見たら、トップの10項目のうち、6項目が、慰安婦、靖国の話題だ。異常だね。憎しみをつのらせてこの先どんなイメージを持って居るんだろう。要人の発言も、2チャンネルまがいの下品さを帯びてきた。
「正しい歴史認識を」と口を開けば言うが、あんた、それはそれぞれ違うんじゃない?と言うのがごく普通の常識じゃないかね。いわんや相手の国の代表を捉まえて、こっちの歴史認識に合わないと顔も見たくないなんていう事例は今まであったかな。
過去の問題に、かく狂奔するエネルギーは相当なものだ。これからの見通しがあるとも思えない。これ以上日本が返す返すすんませんでしたと言うはずもないだろう。言ったって収まらないね。100年じゃ怨みは晴れぬと言っているから。何故耳をダンボ(懐かしい)にして日本の動向を注視するのか。精神分析の対象だね。放っておくという事ができない。気になって気になって仕方がない。半沢直樹でないが、何か言えば倍返しだ。こんどの日本人女性科学者の幹細胞の成果についても歯ぎしりが聞こえそうだ。何でまた日本なんだ、と。正気に戻って、地道に基礎科学研究にエネルギーを投下するなどしてはどうかねえ。まあ、余り相手にしないことだね。
「正しい歴史認識を」と口を開けば言うが、あんた、それはそれぞれ違うんじゃない?と言うのがごく普通の常識じゃないかね。いわんや相手の国の代表を捉まえて、こっちの歴史認識に合わないと顔も見たくないなんていう事例は今まであったかな。
過去の問題に、かく狂奔するエネルギーは相当なものだ。これからの見通しがあるとも思えない。これ以上日本が返す返すすんませんでしたと言うはずもないだろう。言ったって収まらないね。100年じゃ怨みは晴れぬと言っているから。何故耳をダンボ(懐かしい)にして日本の動向を注視するのか。精神分析の対象だね。放っておくという事ができない。気になって気になって仕方がない。半沢直樹でないが、何か言えば倍返しだ。こんどの日本人女性科学者の幹細胞の成果についても歯ぎしりが聞こえそうだ。何でまた日本なんだ、と。正気に戻って、地道に基礎科学研究にエネルギーを投下するなどしてはどうかねえ。まあ、余り相手にしないことだね。
2014年1月28日火曜日
骨董と古美術 ・・・褌子
私も古美術品と骨董品の違いがなんとなくわかりました。素人には両者の境目は判然としないが。
保本おじいさんも納得したらしく、銀座の古美術商はあきらめて遠い親戚筋の古物商つまり骨董屋を招いてみてもらったそうです。ところが「めぼしいものがないので…」といってそそくさと帰ってしまったというのです。
そのはなしが昨日、保本夫人から私の耳にはいったので、遠くにいる旧知の骨董屋さんに意見をきいてみました。「言いにくいが、そのおじいさんが生きている限りは誰も買い手がつかないでしょうね。長年かけて大金かけて買い集めた思い入れのあるものを当の本人の目の前で二束三文で値切って買い取るなんてことはできるものではない」ということでした。
骨董商の立場からすると、確実に売れる保証のあるもの以外は引き取りたくない。在庫はもちたくない。只でいいから持って行ってくれと言われるなら別だが。ごく一部のいいものだけを廉価で仕入れて、確実に売りさばいてこそ骨董屋は成り立つのだとわかりました。
保本おじいさんも納得したらしく、銀座の古美術商はあきらめて遠い親戚筋の古物商つまり骨董屋を招いてみてもらったそうです。ところが「めぼしいものがないので…」といってそそくさと帰ってしまったというのです。
そのはなしが昨日、保本夫人から私の耳にはいったので、遠くにいる旧知の骨董屋さんに意見をきいてみました。「言いにくいが、そのおじいさんが生きている限りは誰も買い手がつかないでしょうね。長年かけて大金かけて買い集めた思い入れのあるものを当の本人の目の前で二束三文で値切って買い取るなんてことはできるものではない」ということでした。
骨董商の立場からすると、確実に売れる保証のあるもの以外は引き取りたくない。在庫はもちたくない。只でいいから持って行ってくれと言われるなら別だが。ごく一部のいいものだけを廉価で仕入れて、確実に売りさばいてこそ骨董屋は成り立つのだとわかりました。
2014年1月26日日曜日
ミステリアスな・・・猫跨ぎ
骨董商と古美術商が違うか。なるほどね。素人には価格決定の過程がよく判らない。ゴッホの絵は彼の生前一枚も売れなかったというが、今は一枚数十億円する(ものによっては百億を超えるかな)。桃山時代の作者不詳の歪んだ信楽焼の茶碗が何百万円もする。客観的な尺度がないから、眼前の作品が将来如何なる値段がつくのか誰にも分からない。ここに思惑とか、投機心理とかが錯綜して悲喜劇が生まれるのだろう。誰かが陰で操作しているとも言えないから素人にはミステリアスなところだ。
現代美術でも法外な値段が付く。佐倉市に川村記念美術館がある。自宅から自転車で行ける距離なので散歩代わりに時たま出掛ける。そこの二階に、高さ2.8m幅6mの「アンナの光」という赤一色の絵(絵の概念は通
用しない。赤一色で右端に僅かの余白がある。)が掛かっていたが、諸般の事情で売却したらしい。価格が何と103億円。作者はB.ニューマン。1968年作のアメリカ現代抽象表現美術の記念碑的作品らしい。
親会社の大日本インキ製造㈱は今期の業績予想を改訂した。103億の臨時収入だから当然だが。赤一色だ・・・・芸術だといえばそうなんだろうが、そう評価が定まればこの価格で取引されるわけだ。
その他に、同じくアメリカ現代美術で有名なロスコの部屋というのがあって、黒褐色基調の抽象画が四枚掛かっている。ニューマンの絵のようにまるで塗っただけと言えぬ事もない。これも多分そんな価格なのだろう。尤もこの絵は、何か惹かれる所があって、或る時期、胸騒ぎを覚えたことがあったが。
海外で知名度の高い村上隆という現代美術作家がいる。彼のフィギュアが数億の値段が付くという。つまり現代美術ですら、もう確たる市場を形成している。その辺の機序が判らない。ともかくも、美術品の価格は摩訶不思議だ。或る評価が定まれば価格は天文学的数字になり、大まじめで取引される。
今、ネットを見ていたら、大阪が文楽協会への補助金700万円をカットという。去年の有料入場者が或る数字に達しなかったからとか。何ということだ。公的補助がないとこういうものは亡びる。橋下流の補助金カットだ。この馬鹿野郎を何とかしなければいかんな。こんなのを首長にしてはいけない。
現代美術でも法外な値段が付く。佐倉市に川村記念美術館がある。自宅から自転車で行ける距離なので散歩代わりに時たま出掛ける。そこの二階に、高さ2.8m幅6mの「アンナの光」という赤一色の絵(絵の概念は通
親会社の大日本インキ製造㈱は今期の業績予想を改訂した。103億の臨時収入だから当然だが。赤一色だ・・・・芸術だといえばそうなんだろうが、そう評価が定まればこの価格で取引されるわけだ。
その他に、同じくアメリカ現代美術で有名なロスコの部屋というのがあって、黒褐色基調の抽象画が四枚掛かっている。ニューマンの絵のようにまるで塗っただけと言えぬ事もない。これも多分そんな価格なのだろう。尤もこの絵は、何か惹かれる所があって、或る時期、胸騒ぎを覚えたことがあったが。
海外で知名度の高い村上隆という現代美術作家がいる。彼のフィギュアが数億の値段が付くという。つまり現代美術ですら、もう確たる市場を形成している。その辺の機序が判らない。ともかくも、美術品の価格は摩訶不思議だ。或る評価が定まれば価格は天文学的数字になり、大まじめで取引される。
今、ネットを見ていたら、大阪が文楽協会への補助金700万円をカットという。去年の有料入場者が或る数字に達しなかったからとか。何ということだ。公的補助がないとこういうものは亡びる。橋下流の補助金カットだ。この馬鹿野郎を何とかしなければいかんな。こんなのを首長にしてはいけない。
2014年1月23日木曜日
真贋の森 番外編 ・・・ 褌子
近所の豪邸に住む保本おじいさんとはミツバチを通じて親しくなった、じつに好々爺。
ところが、おじいさんが病気になってしまった。病院から戻ってきたが、庭のミツバチの世話もできなくなり、秋には天敵のスズメバチに襲われ、冬には凍死するはでミツバチは全滅してしまった。そうそう、奥さんが逸徳さんに蜜蝋くれたね。
そのおじいさんから、もう老い先短いと骨董品の処分を頼まれている。三人の子供は骨董には興味がないし、都会のマンション住まいだと置く場所もないというのである。(ついでにいうと私も骨董品は興味がない。というのはウソで輪島塗りの逸品があったらなあとさもしい欲心がつい…)
そこでインターネットで調べたら銀座の古美術商が無料で出張鑑定、査定いたしますと書いてあるので「渡辺崋山とか下村観山とか、おじいさん自慢の清朝皇弟の書とかいろいろあります」とメールしたら車でお伺いしますとのこと。
きょうの午後、保本邸のあっちこっちの棚をあけて大広間いっぱいに骨董品を並べる手伝いをした。掛け軸が五〇本くらい、桐の箱に入った皿とか鉢、壺が大小七〇個くらい、彫刻、風鎮、絵画類、常滑、越前などの大壺、火鉢まで出てきた。が、漆ワンはすでに自宅でつかっているもの以外には幸か不幸か出てこなかった・・・・。
80才近いおじいさんにはどれも思い出のあるものらしく、おじいさんの親からの相続財産が半分、半分は自分が必死で働いて買い集めたものだとベッドの上でいちいち講釈してくれるのでやたらと時間がたつ。白髪のおばあさんは、「主人がギャンブルや女遊びに走るよりは、骨董品に稼いだ金つぎこむのならと我慢してきましたよ」と御主人の前でにこにこしている。いい夫婦だなあ。
やがて銀座の古美術商の山田社長がワゴン車で保本邸に入ってきた。
山田社長の黒革のかばんには相当の現金が入っている様子だが、このブログは誰でも読めるので鑑定や査定の結果はここには書かないし、すべて仮名であることもご容赦ねがいたい。
さて鑑定とは真贋、査定とは時価相場を提示することである。山田社長は某新聞社のカルチュア講座で古美術鑑賞の講演を午前中にしてきたばかりだといっていた。古美術商も不況なのでアルバイトでカルチュア講座にもってくる骨董品の鑑定をしてやると、生徒のおじさん、おばさんが喜んでくれるとのこと。
仕事を終えてお茶になり山田社長の話が面白かったので、いくつか書いてみよう。
・地方の旧家とか豪農の土蔵にはいまも骨董品がいっぱい詰まっているが、古美術といえるものがまずない。古美術商からみると、骨董はがらくたなので骨董市に流してたたき売るしかない。古美術は芸術品なので高く売れれば非常に儲かるが、いいものは博物館、美術館にすでに集まっている。
・奥能登の南惣美術館の話をわたしがしたら、山田社長が行ったことないと笑って地方には怪しげな面白い私設美術館がありますねえ…というので、でも「何でも鑑定団」の中島先生が絶賛している古伊万里がありましたよ、といったら、中島先生も好人物だが時々「故障」するんです。(故障? たしかにコショウと聞こえた)古美術の研究家とか学者は、ああいうテレビに出ませんよ、とのこと。ハンケチを口にあてて掛け軸の鑑定するおばさんもテレビにでているけど、といったら、彼女は「故障」しないひとですよ、でも何でテレビにでるのか、よっぽどギャラがいいのか… おっと余計なことはいわないようにしましょう。
・地方よりも、東京の旧財閥系の縁戚筋の地下室とか旧華族の蔵などからは逸品がでてくるので、根気よく訪ね歩いているが商売敵が多くてねえ。(ここらへんは松本清張『真贋の森』にもでてくる話。応仁の乱で京都に集まっていたものがいったん壊滅し、江戸期のいいものは大名家が買い占めるので、地方の地主など旧家にはいまはもう一級の美術品はまずないようだというのだ)
・掛け軸は和室や床の間がある家がなくなっているので売れない。在庫が千本もあって処分に困っている。大観など有名作家の真物がでてきても話題になるだけで、すぐには売れない。税金の関係もあるので美術館に損して寄付することが多い。
家新築したひとは玄関用に名前の知られた平山郁夫などを喜んでかけている。
・中国から来た絵、書、陶器がいいものだと非常に儲かる。中国の金持ちが戦前祖国から日本に流出したものを高価で買いとってくれる。蒋介石の書は台湾だからダメ。魯迅や孫文がでてこないかと探している。むかし市川にいた郭沫若も中国では人気があるので探している。
・清朝皇帝の弟は書をたくさん残しているので、案外価値がない。(山田社長もこの有名な皇弟を生前、北京に訪ねてさらさらと陶淵明の詩を書いてもらい額装しているが売れないとこぼしていた。この話で保本老人かわいそうに、しょげてしまったが贋物でないことははっきりしたし何でも鑑定団に応募したが採用されなかったとぽろり。下村観山と渡辺崋山のことはここには書かない。有名でも多作の作家は安いし、寡作ならばいい値がつく)
・自分はこの世界に入って40年たったがいまだに贋物つかまされることがあります、と一生懸命にベッドのうえで元気なくしている保本老人を励ましている。山田社長は根はとてもいい人なのである。門まで送っていったら銀座に来たら寄ってください、この世界の面白い話いっぱいありますよとのこと。
・車に乗る社長に、小生が含羞のおももちで女房の高知の実家でもらってきた大町桂月の掛け軸のことをきいたら、桂月は能筆だから日本中歩いて、あっちこっちで酒席で頼まれて書いている。下手に表装などしてない原物なら三千円でひきとりますけど…とのこと。先年、佐倉までいって表装しなおして三万お礼したのにチキショー。
―――――結局、権力者や大金持ちだけが死蔵している古美術品よりも、民衆が日々つかう民俗家具や実用の食器などにこそ真実の美があると柳宗悦や朝鮮にいた浅川巧などがいいだして民芸運動をおこすのであるが、そんな話までは山田社長から伺う時間がなかったのは残念。
ところが、おじいさんが病気になってしまった。病院から戻ってきたが、庭のミツバチの世話もできなくなり、秋には天敵のスズメバチに襲われ、冬には凍死するはでミツバチは全滅してしまった。そうそう、奥さんが逸徳さんに蜜蝋くれたね。
そのおじいさんから、もう老い先短いと骨董品の処分を頼まれている。三人の子供は骨董には興味がないし、都会のマンション住まいだと置く場所もないというのである。(ついでにいうと私も骨董品は興味がない。というのはウソで輪島塗りの逸品があったらなあとさもしい欲心がつい…)
そこでインターネットで調べたら銀座の古美術商が無料で出張鑑定、査定いたしますと書いてあるので「渡辺崋山とか下村観山とか、おじいさん自慢の清朝皇弟の書とかいろいろあります」とメールしたら車でお伺いしますとのこと。
きょうの午後、保本邸のあっちこっちの棚をあけて大広間いっぱいに骨董品を並べる手伝いをした。掛け軸が五〇本くらい、桐の箱に入った皿とか鉢、壺が大小七〇個くらい、彫刻、風鎮、絵画類、常滑、越前などの大壺、火鉢まで出てきた。が、漆ワンはすでに自宅でつかっているもの以外には幸か不幸か出てこなかった・・・・。
80才近いおじいさんにはどれも思い出のあるものらしく、おじいさんの親からの相続財産が半分、半分は自分が必死で働いて買い集めたものだとベッドの上でいちいち講釈してくれるのでやたらと時間がたつ。白髪のおばあさんは、「主人がギャンブルや女遊びに走るよりは、骨董品に稼いだ金つぎこむのならと我慢してきましたよ」と御主人の前でにこにこしている。いい夫婦だなあ。
やがて銀座の古美術商の山田社長がワゴン車で保本邸に入ってきた。
山田社長の黒革のかばんには相当の現金が入っている様子だが、このブログは誰でも読めるので鑑定や査定の結果はここには書かないし、すべて仮名であることもご容赦ねがいたい。
さて鑑定とは真贋、査定とは時価相場を提示することである。山田社長は某新聞社のカルチュア講座で古美術鑑賞の講演を午前中にしてきたばかりだといっていた。古美術商も不況なのでアルバイトでカルチュア講座にもってくる骨董品の鑑定をしてやると、生徒のおじさん、おばさんが喜んでくれるとのこと。
仕事を終えてお茶になり山田社長の話が面白かったので、いくつか書いてみよう。
・地方の旧家とか豪農の土蔵にはいまも骨董品がいっぱい詰まっているが、古美術といえるものがまずない。古美術商からみると、骨董はがらくたなので骨董市に流してたたき売るしかない。古美術は芸術品なので高く売れれば非常に儲かるが、いいものは博物館、美術館にすでに集まっている。
・奥能登の南惣美術館の話をわたしがしたら、山田社長が行ったことないと笑って地方には怪しげな面白い私設美術館がありますねえ…というので、でも「何でも鑑定団」の中島先生が絶賛している古伊万里がありましたよ、といったら、中島先生も好人物だが時々「故障」するんです。(故障? たしかにコショウと聞こえた)古美術の研究家とか学者は、ああいうテレビに出ませんよ、とのこと。ハンケチを口にあてて掛け軸の鑑定するおばさんもテレビにでているけど、といったら、彼女は「故障」しないひとですよ、でも何でテレビにでるのか、よっぽどギャラがいいのか… おっと余計なことはいわないようにしましょう。
・地方よりも、東京の旧財閥系の縁戚筋の地下室とか旧華族の蔵などからは逸品がでてくるので、根気よく訪ね歩いているが商売敵が多くてねえ。(ここらへんは松本清張『真贋の森』にもでてくる話。応仁の乱で京都に集まっていたものがいったん壊滅し、江戸期のいいものは大名家が買い占めるので、地方の地主など旧家にはいまはもう一級の美術品はまずないようだというのだ)
・掛け軸は和室や床の間がある家がなくなっているので売れない。在庫が千本もあって処分に困っている。大観など有名作家の真物がでてきても話題になるだけで、すぐには売れない。税金の関係もあるので美術館に損して寄付することが多い。
家新築したひとは玄関用に名前の知られた平山郁夫などを喜んでかけている。
・中国から来た絵、書、陶器がいいものだと非常に儲かる。中国の金持ちが戦前祖国から日本に流出したものを高価で買いとってくれる。蒋介石の書は台湾だからダメ。魯迅や孫文がでてこないかと探している。むかし市川にいた郭沫若も中国では人気があるので探している。
・清朝皇帝の弟は書をたくさん残しているので、案外価値がない。(山田社長もこの有名な皇弟を生前、北京に訪ねてさらさらと陶淵明の詩を書いてもらい額装しているが売れないとこぼしていた。この話で保本老人かわいそうに、しょげてしまったが贋物でないことははっきりしたし何でも鑑定団に応募したが採用されなかったとぽろり。下村観山と渡辺崋山のことはここには書かない。有名でも多作の作家は安いし、寡作ならばいい値がつく)
・自分はこの世界に入って40年たったがいまだに贋物つかまされることがあります、と一生懸命にベッドのうえで元気なくしている保本老人を励ましている。山田社長は根はとてもいい人なのである。門まで送っていったら銀座に来たら寄ってください、この世界の面白い話いっぱいありますよとのこと。
・車に乗る社長に、小生が含羞のおももちで女房の高知の実家でもらってきた大町桂月の掛け軸のことをきいたら、桂月は能筆だから日本中歩いて、あっちこっちで酒席で頼まれて書いている。下手に表装などしてない原物なら三千円でひきとりますけど…とのこと。先年、佐倉までいって表装しなおして三万お礼したのにチキショー。
―――――結局、権力者や大金持ちだけが死蔵している古美術品よりも、民衆が日々つかう民俗家具や実用の食器などにこそ真実の美があると柳宗悦や朝鮮にいた浅川巧などがいいだして民芸運動をおこすのであるが、そんな話までは山田社長から伺う時間がなかったのは残念。
振り返ると・・・猫跨ぎ
この事件はいろんな教訓と問題を残した。
日米交渉の内幕報道に各社は敏腕記者を送り込んだのだろう。塀の上を歩くような取材を敢えてした。「事務官を酔わせ、行為に及んで・・・」 本当かどうか知らんが昔の記者の猛者ぶりにはむしろ感心する。結局ばれて、塀の内側に落ちたわけだが。言う通り、報道はこのドロドロに集中し日米密約の関心はどこかへ行ってしまった。
先ず、プライバシーを忖度する常識が確立していなかった。女性は名前も出たし、写真も記憶がある。それほどバッシングは激しかった。その後離婚した筈だ。彼女と西山は裁判で争ったりしている。なんという悲喜劇だ。
それにしても西山や毎日に情報源を秘匿する配慮は不十分だった。役所は徹底的に調べるだろうから、通信文の公開の仕方を含め最大限の配慮をすべきだったろう。脇が甘かった。
爾来、こんな取材はないらしい。そんな強者はいないのだろう。なれ合いになったと言って良いのかもしれない。そっちの方が問題ではないか。
いま特定秘密法案が問題になっているが、何となく冷ややかな気分がある。今のマスコミは、西山的気迫で対象に食い入っているのか。報道の自由を言うほど、肉迫しているのかと思う。
日米交渉の内幕報道に各社は敏腕記者を送り込んだのだろう。塀の上を歩くような取材を敢えてした。「事務官を酔わせ、行為に及んで・・・」 本当かどうか知らんが昔の記者の猛者ぶりにはむしろ感心する。結局ばれて、塀の内側に落ちたわけだが。言う通り、報道はこのドロドロに集中し日米密約の関心はどこかへ行ってしまった。
先ず、プライバシーを忖度する常識が確立していなかった。女性は名前も出たし、写真も記憶がある。それほどバッシングは激しかった。その後離婚した筈だ。彼女と西山は裁判で争ったりしている。なんという悲喜劇だ。
それにしても西山や毎日に情報源を秘匿する配慮は不十分だった。役所は徹底的に調べるだろうから、通信文の公開の仕方を含め最大限の配慮をすべきだったろう。脇が甘かった。
爾来、こんな取材はないらしい。そんな強者はいないのだろう。なれ合いになったと言って良いのかもしれない。そっちの方が問題ではないか。
いま特定秘密法案が問題になっているが、何となく冷ややかな気分がある。今のマスコミは、西山的気迫で対象に食い入っているのか。報道の自由を言うほど、肉迫しているのかと思う。
2014年1月22日水曜日
どんな責任だ・・・猫跨ぎ
逸徳論は論理矛盾を犯している。某女性事務官は責任をとらねばならないという。どんな責任だ?権力犯罪を白日の下に晒したのなら、彼女は英雄なんだろう。彼女を守り、クビにした奴らを糾弾せねばならない。そういう動きをしたのかな。放逐しただけだろう、「権力」と一緒になって。
一個の人間としての尊厳を踏みにじられて社会から抹消されてしまった。大の犯罪を暴くためなら個人の痛みは小さいなんて何時の時代の話だ。情報源の秘匿はマスコミは命を懸けるべきではないか。ちがうかな。
一個の人間としての尊厳を踏みにじられて社会から抹消されてしまった。大の犯罪を暴くためなら個人の痛みは小さいなんて何時の時代の話だ。情報源の秘匿はマスコミは命を懸けるべきではないか。ちがうかな。
そうだろうか・・・・逸徳
西山事件をめぐって。 おいらの評価は師匠とはちょいと違う。 「情を通じ」という表現が有名になった女性事務官の事件、前から感じていたが、この人ほんとに100%被害者なんだろうかねえ。 そういう見方をするのは、逆に失礼な気がする。状況はどうであれ、責任はとらなくてはならないし、そういうことへの責任をとることを承認することは、究極のところでその人の人間としての尊厳を認めることでもある。このことに関連して、思いだすことがある。全然関係ないように見えるが、こういうことである。よく精神障碍者の刑事責任の免責ということが行われるが、それに準じるものとして「心神喪失状態」(これはだれでもなってしまう)の免責ということがあるのはご存じのとおりだ。ところがこのやり方、長いことひとつの強力な批判があるのである。しかもそれは当事者たる精神障碍者たちの中から出されてきたのである。批判の要点はこういうことだ。免責される、つまりお前は責任をとる必要がないということは、容易に責任を取る能力がないということにすりかわり、結局は障害者に対する人間的差別につながるというのである。自分たちは責任すらとらせてもらえないのか。それは社会の一員としての存在をおとしめていることではないのか、というのである。 この話は突っ込むといろんな問題に発展するのでここまでにしておくが、自己の行為に責任をとることを通じて、その痛みを一生かかえながら生きていくことを通じて、はじめて人としての尊厳が担保されるという論理は、おいらにとっては目からうろこだった。やっぱり彼女は責任はとらなくてはならない。あなた大人でしょ。そこのところは、おいらは冷たいのである。
で、西山事件の本質はそこにあるのではない。「情を通じ」ということで、マスコミが二人の関係をスキャンダラスにとりあげたとき、ひざをたたいてよろこんだのは、実は密約の当事者である政府権力側だった。これで、国民の目を横にそらすことができると。そして、マスゴミは競ってその片棒を担いだ。重要なことは、密約という権力犯罪と、道徳的に避難されるような二人の行為はすりかえてはいけないということだろう。次元が違う。主役は権力犯罪である。そこのところは石にしがみついても忘れてはいけないだろうし、二人の事件だけ論じるのは、正直いって気分が悪い。目くそ鼻くそを笑うという雰囲気だ。
で、西山事件の本質はそこにあるのではない。「情を通じ」ということで、マスコミが二人の関係をスキャンダラスにとりあげたとき、ひざをたたいてよろこんだのは、実は密約の当事者である政府権力側だった。これで、国民の目を横にそらすことができると。そして、マスゴミは競ってその片棒を担いだ。重要なことは、密約という権力犯罪と、道徳的に避難されるような二人の行為はすりかえてはいけないということだろう。次元が違う。主役は権力犯罪である。そこのところは石にしがみついても忘れてはいけないだろうし、二人の事件だけ論じるのは、正直いって気分が悪い。目くそ鼻くそを笑うという雰囲気だ。
2014年1月21日火曜日
西山記者・・・猫跨ぎ
色々行っているね。ちょっと後段の部分にひと言。
西山太吉記者は警鐘を乱打しているというが、彼に昔、日米の秘密通信文を渡した外務省の女性事務官はその後どうしたのか。その情報源を守りえず、社会的な死に追いやった責任をどの程度感じているのか知りたいものだ。これも重大な秘密だったはず。余り大きな顔で出て来て貰いたくないということだ。
西山太吉記者は警鐘を乱打しているというが、彼に昔、日米の秘密通信文を渡した外務省の女性事務官はその後どうしたのか。その情報源を守りえず、社会的な死に追いやった責任をどの程度感じているのか知りたいものだ。これも重大な秘密だったはず。余り大きな顔で出て来て貰いたくないということだ。
新春の読書・・・ 褌子
ソウルの安重根記念館は私も行きました。伊藤博文が安重根に暗殺されたハルピン駅のホームには、タイルが特別に埋め込んであっただけだった。処刑された旅順の刑務所も行ったことがあるが、日本人看守が死刑囚安重根の高潔な人柄に惚れ込んで深い交流があったらしく、この看守の郷里の岩手県栗駒町には日韓親善をうたった安重根記念碑があるという。実は三月にソウルに行って李朝の明成皇后暗殺記念碑や西大門刑務所博物館、安重根記念館とか再訪してくることになっている。
二月なかばにはボルネオに行く。数年前に北ベトナムの棚田を見に行ったら中国系マレーシア人夫婦と親しくなった。この夫婦が昨年日本にやってきて日光戦場ヶ原など案内したら、こんどはボルネオに連れて行ってくれるという。クアラルンプールからコタキナバルまで飛行機で一時間弱。ボルネオ最高峰のキナバル山に登る元気はもう全くない(二泊三日の山中泊が必要)。山崎朋子『サンダカン八番娼館』で有名なサンダカンにも行く時間がないのが残念。
サンダカンには日本人からゆきさんの墓が祖国日本に背を向けてたくさん建っているが行ってきたある女性にきいたら朽ち果てつつあるという。
マレーシアを舞台にした小説を読もうと思い、女房が図書館から松本清張『熱い絹』を借りてきた。マレー半島の中部にキャメロンハイランドという高原があって静岡みたいなきれいな茶畑がサカイ族に栽培されているのだそうだ。マレーの虎といわれた山下奉文将軍がマレー半島を一挙に南下してシンガポールを攻略したさいに静岡連隊から逃亡兵がでて…という設定でなかなか面白かった。
児島襄『戦艦大和』を読んでみた。戦艦大和の建艦から最期までを主砲の村田射撃手(奇跡的に生還した)に語らせながら丁寧に描いているが、吉村昭『戦艦武蔵』の戦争のむなしさが迫ってくる圧倒的な感動には比ぶべきもない。児島襄は日本海軍の艦隊がサンダカンなどの港に寄港すると、水兵たちがわれ先にと娼館へ走って順番を待つ場面を戦艦大和の射撃手に淡々と何事もなかったかのように語らせているが、『サンダカン八番娼館』を読んだことがあるだけに、何とも複雑ないやな気持ちになった。
吉田満『戦艦大和』には沖縄への海上特攻に片道燃料で出撃する戦艦大和の水兵たちの戦闘前夜の心理と論争が描かれているというので、いま読み始めたところ。
私は山崎豊子と山崎朋子を数年前まで同一作家だと思い込んでいた。山崎朋子は若いときに元恋人にナイフで顔を深く切られるという不幸にあった女性であるが、からゆきさんの過去をもつ天草の底辺に生きる女性たちのなかに飛び込んで『サンダカン八番娼館』を書き上げたことを著者の後書きで知った。若い女性に読んでほしい本だ。
いっぽう山崎豊子は昨年亡くなったが、『大地の子』『二つの祖国』『沈まぬ太陽』『白い巨塔』『不毛地帯』などがあまりにも有名。新作では沖縄密約を暴いて有罪になった西山太吉記者を描いた『運命のひと』がある。西山さんは秘密保護法の危険性に警鐘乱打している。『不毛地帯』は山本薩夫監督の映画でみただけだが、仲代達矢演ずるモデルとされた瀬島龍三をやや美化しているように思った。『白い巨塔』は田宮二郎主演の映画でみた記憶がある。山崎豊子ほどスケールの大きな日本人女性作家は今後出てくるのかどうか。
二月なかばにはボルネオに行く。数年前に北ベトナムの棚田を見に行ったら中国系マレーシア人夫婦と親しくなった。この夫婦が昨年日本にやってきて日光戦場ヶ原など案内したら、こんどはボルネオに連れて行ってくれるという。クアラルンプールからコタキナバルまで飛行機で一時間弱。ボルネオ最高峰のキナバル山に登る元気はもう全くない(二泊三日の山中泊が必要)。山崎朋子『サンダカン八番娼館』で有名なサンダカンにも行く時間がないのが残念。
サンダカンには日本人からゆきさんの墓が祖国日本に背を向けてたくさん建っているが行ってきたある女性にきいたら朽ち果てつつあるという。
マレーシアを舞台にした小説を読もうと思い、女房が図書館から松本清張『熱い絹』を借りてきた。マレー半島の中部にキャメロンハイランドという高原があって静岡みたいなきれいな茶畑がサカイ族に栽培されているのだそうだ。マレーの虎といわれた山下奉文将軍がマレー半島を一挙に南下してシンガポールを攻略したさいに静岡連隊から逃亡兵がでて…という設定でなかなか面白かった。
児島襄『戦艦大和』を読んでみた。戦艦大和の建艦から最期までを主砲の村田射撃手(奇跡的に生還した)に語らせながら丁寧に描いているが、吉村昭『戦艦武蔵』の戦争のむなしさが迫ってくる圧倒的な感動には比ぶべきもない。児島襄は日本海軍の艦隊がサンダカンなどの港に寄港すると、水兵たちがわれ先にと娼館へ走って順番を待つ場面を戦艦大和の射撃手に淡々と何事もなかったかのように語らせているが、『サンダカン八番娼館』を読んだことがあるだけに、何とも複雑ないやな気持ちになった。
吉田満『戦艦大和』には沖縄への海上特攻に片道燃料で出撃する戦艦大和の水兵たちの戦闘前夜の心理と論争が描かれているというので、いま読み始めたところ。
私は山崎豊子と山崎朋子を数年前まで同一作家だと思い込んでいた。山崎朋子は若いときに元恋人にナイフで顔を深く切られるという不幸にあった女性であるが、からゆきさんの過去をもつ天草の底辺に生きる女性たちのなかに飛び込んで『サンダカン八番娼館』を書き上げたことを著者の後書きで知った。若い女性に読んでほしい本だ。
いっぽう山崎豊子は昨年亡くなったが、『大地の子』『二つの祖国』『沈まぬ太陽』『白い巨塔』『不毛地帯』などがあまりにも有名。新作では沖縄密約を暴いて有罪になった西山太吉記者を描いた『運命のひと』がある。西山さんは秘密保護法の危険性に警鐘乱打している。『不毛地帯』は山本薩夫監督の映画でみただけだが、仲代達矢演ずるモデルとされた瀬島龍三をやや美化しているように思った。『白い巨塔』は田宮二郎主演の映画でみた記憶がある。山崎豊子ほどスケールの大きな日本人女性作家は今後出てくるのかどうか。
2014年1月19日日曜日
安重根記念館・・・猫跨ぎ
最近、褌子氏の句評がさっぱり聞こえなくなったけれど。すっかり足を洗ったのかな。淋しいね。
新聞では、伊藤博文暗殺の現場ハルピン駅に安重根記念館が出来たという。昨年、韓国の朴大統領が訪中して中国に記念の石塔建立を要請していたのに対し、希望を上回る対応をとったということだ。ますます反日はエスカレートして、新しい段階に進みつつあるように思う。
二十年ほど前、ソウルへ行った。南山公園という公園があるが、そこは戦前、朝鮮神宮があったところ。戦後これは撤去されたのは言うまでもないが、社務所のあとに安重根記念館が建てられていた。見学したが、実にこじんまりした地味なもので、文人らしさを示す資料や揮毫などが陳列してあった。入口の看板が朴正熙元大統領の筆になるというのが目立つ程度。こんな程度が当時の向こうの人々の常識というか感覚だったのだろう。燃えさかる反日に、ふと二十年前を思い出した。
新聞では、伊藤博文暗殺の現場ハルピン駅に安重根記念館が出来たという。昨年、韓国の朴大統領が訪中して中国に記念の石塔建立を要請していたのに対し、希望を上回る対応をとったということだ。ますます反日はエスカレートして、新しい段階に進みつつあるように思う。
二十年ほど前、ソウルへ行った。南山公園という公園があるが、そこは戦前、朝鮮神宮があったところ。戦後これは撤去されたのは言うまでもないが、社務所のあとに安重根記念館が建てられていた。見学したが、実にこじんまりした地味なもので、文人らしさを示す資料や揮毫などが陳列してあった。入口の看板が朴正熙元大統領の筆になるというのが目立つ程度。こんな程度が当時の向こうの人々の常識というか感覚だったのだろう。燃えさかる反日に、ふと二十年前を思い出した。
2014年1月17日金曜日
函館通信227・・・鑑賞御礼・・・仁兵衛
逸徳さん、鑑賞評価有難う御座います。二句だけちょっと解釈を入れておきます。
「十九歳」の句、実はスキー人口が急激に減ってどこのスキー場も採算が苦しいらしい。そこで2年ぐらい前に十九歳の人はリフト代をただにする事を仕組んだ奴がいる。全国で200近いスキー場が賛同し実施しているそうだ。効果は未だ少しだが出てきているそうだ。逸徳さんが優しく19歳を詠んでくれた裏は実はこうでした。
「測定誤差」の句、これはJR北海道の保線業務のずさんさを嘆いた句なんだ。全国新聞でもは余り報道されていないかもしれないが昨年レール幅が規格よりはみ出ているのを知っていながら貨物列車の脱線事故につなげてしまった。現場の野帳のデータを改ざんしレール保線を後回しにしてもいた。その他列車火災、破廉恥な乗務員等モラルが最低な状態を会社ぐるみでやっていたのだから聞いて呆れる。前会長が3日前に自殺したし現社長も入院のようだ。函館本線もおっかなくて乗れないよ。こんな事を大真面目に俳句にしたんです。宜しく。
「十九歳」の句、実はスキー人口が急激に減ってどこのスキー場も採算が苦しいらしい。そこで2年ぐらい前に十九歳の人はリフト代をただにする事を仕組んだ奴がいる。全国で200近いスキー場が賛同し実施しているそうだ。効果は未だ少しだが出てきているそうだ。逸徳さんが優しく19歳を詠んでくれた裏は実はこうでした。
「測定誤差」の句、これはJR北海道の保線業務のずさんさを嘆いた句なんだ。全国新聞でもは余り報道されていないかもしれないが昨年レール幅が規格よりはみ出ているのを知っていながら貨物列車の脱線事故につなげてしまった。現場の野帳のデータを改ざんしレール保線を後回しにしてもいた。その他列車火災、破廉恥な乗務員等モラルが最低な状態を会社ぐるみでやっていたのだから聞いて呆れる。前会長が3日前に自殺したし現社長も入院のようだ。函館本線もおっかなくて乗れないよ。こんな事を大真面目に俳句にしたんです。宜しく。
稀勢の里・・・猫跨ぎ
帯広の菓子屋の六花亭のイメージが強くて、ろっかと読んでしまう。むつのはなか。知らなかった。言葉の響きから京の雅な風景で使われる言葉じゃないかね。この場合はどうかな。冬柏は意味深な季語で、最近実験をいろいろやっているんだけれど。
相撲はたまさか見るだけだけど、今場所は稀勢の里の綱取りとか。昨日の二敗目でほぼ終わった感じ。控えに入ったときに稀勢の里の顔が映ったが、アレと思った。目をやたらぱちくりさせて口を開けたり閉じたり。明らかに正常じゃない。土俵に上がってからの仕切でもやたら逡巡して立てない。案の定一気に押し出されてしまった。心技体と言うが、これほど心の乱れが表面に出る力士も珍しい。しょせん、力と力のぶつかり合いなのだからがむしゃらにいけばいいんじゃないか―なんて、本人が一番良く知っているんだろうが難しいものだ。
相撲はたまさか見るだけだけど、今場所は稀勢の里の綱取りとか。昨日の二敗目でほぼ終わった感じ。控えに入ったときに稀勢の里の顔が映ったが、アレと思った。目をやたらぱちくりさせて口を開けたり閉じたり。明らかに正常じゃない。土俵に上がってからの仕切でもやたら逡巡して立てない。案の定一気に押し出されてしまった。心技体と言うが、これほど心の乱れが表面に出る力士も珍しい。しょせん、力と力のぶつかり合いなのだからがむしゃらにいけばいいんじゃないか―なんて、本人が一番良く知っているんだろうが難しいものだ。
2014年1月16日木曜日
函館通信226・・・猫跨ぎ句鑑賞・・・仁兵衛
・数へ日や母の急須のすぐ詰まり・・・母の急須とは大分古そうだな。土色の急須は確かにお茶の葉が詰まるね。
・聞き捨てに捨て方はあり冬柏・・・冬柏のイメージが湧いて来ない。
・幾たびも短き夢や笹子鳴く・・・何か凄く淋しい気持ちが隠されているように思えるのだが。
・天平五年憶良夜通し咳けり・・・歴史ものは相変わらず上手だね。なかなかここまで到達は出来そうにない。
・氷柱落ちラフマニノフの第二番・・・クラシックへの造詣もしかり。
・飲みさしの捨てるしかない缶冷たし・・・けちけちしなさんな。
・硝子戸の奥の硝子戸ちやんちやんこ・・・こういう構造の家は殆ど見なくなったな。
・笹鳴や桃色岩塩粒粗く・・・上五と下の部分との取合せ妙。ところで桃色岩塩て貴重なものではないの。
・高層に風邪移し合ふ老夫婦・・・うちは4階だけど同じだ。
・鶲(ひたき)鳴く花屋の夫婦老いたれば・・・ひたきは秋に鳴いていると思ったが。
六花・・・角川の歳時記では「むつのはな」と詠ませている。
「生きながら俳句に葬られ」はやはりそうか気長に待つことにしよう。
・聞き捨てに捨て方はあり冬柏・・・冬柏のイメージが湧いて来ない。
・幾たびも短き夢や笹子鳴く・・・何か凄く淋しい気持ちが隠されているように思えるのだが。
・天平五年憶良夜通し咳けり・・・歴史ものは相変わらず上手だね。なかなかここまで到達は出来そうにない。
・氷柱落ちラフマニノフの第二番・・・クラシックへの造詣もしかり。
・飲みさしの捨てるしかない缶冷たし・・・けちけちしなさんな。
・硝子戸の奥の硝子戸ちやんちやんこ・・・こういう構造の家は殆ど見なくなったな。
・笹鳴や桃色岩塩粒粗く・・・上五と下の部分との取合せ妙。ところで桃色岩塩て貴重なものではないの。
・高層に風邪移し合ふ老夫婦・・・うちは4階だけど同じだ。
・鶲(ひたき)鳴く花屋の夫婦老いたれば・・・ひたきは秋に鳴いていると思ったが。
六花・・・角川の歳時記では「むつのはな」と詠ませている。
「生きながら俳句に葬られ」はやはりそうか気長に待つことにしよう。
一月投句・・・猫跨ぎ
いつも出し忘れているので、この際一月の投句。
抜けるような青空、しかし寒い。
・数へ日や母の急須のすぐ詰まり
・聞き捨てに捨て方はあり冬柏
・幾たびも短き夢や笹子鳴く
・天平五年憶良夜通し咳けり
・氷柱落ちラフマニノフの第二番
・飲みさしの捨てるしかない缶冷たし
・硝子戸の奥の硝子戸ちやんちやんこ
・笹鳴や桃色岩塩粒粗く
・高層に風邪移し合ふ老夫婦
・鶲(ひたき)鳴く花屋の夫婦老いたれば
抜けるような青空、しかし寒い。
・数へ日や母の急須のすぐ詰まり
・聞き捨てに捨て方はあり冬柏
・幾たびも短き夢や笹子鳴く
・天平五年憶良夜通し咳けり
・氷柱落ちラフマニノフの第二番
・飲みさしの捨てるしかない缶冷たし
・硝子戸の奥の硝子戸ちやんちやんこ
・笹鳴や桃色岩塩粒粗く
・高層に風邪移し合ふ老夫婦
・鶲(ひたき)鳴く花屋の夫婦老いたれば
仁ちゃん句鑑賞・・・・逸徳
よくわからんので、心にひっかかったものだけ。
風花や十九歳は無料です
・・・・北海道にも風花はふるのかな? もっと荒々しい雪のイメージだが。こちらでは、地面はまったく雪がないのに風にのってはるか遠くから運ばれてくるものをいう。で、そのイメージと十九歳はよくあう。十九歳。はるかここではないところに向かうイメージ。
百態の馬押し寄せて淑気かな
・・・・・最初にイメージしたのがたくさんの年賀状。どの年賀状もみんな馬がおどっているが、その様子がみんな違う。次にうかんだのが、雪の牧場をはしる馬の群れ。朝日に馬からたちのぽる汗がもうもうとした湯気になって。命の躍動。しかし淑気というのは知らなかったな。検索して初めて知った。業界用語かな。
古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
・・・・・題簽というのがわからん。これまた検索してはじめて知った。
寒の朝測定誤差に止まらず
・・・・・確かに寒い。この寒さは普通ではない。測定誤差とはいえん。 すごくよくわかる純粋理系的光景。なんかユーモアを感じた。
雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
・・・・あのレジ袋に詰め込む音と、雪道を雪を踏みしめながら歩くとキュッキュッとなるおと。ああそうだそうだと、雪国の暮らしを思い出した。静岡じゃ絶対生まれない句だ。
冬銀河力道山の腰ベルト
・・・・・こりゃあチャンピオンベルトだな。力道山は強かった。ああ冬銀河昭和は遠くなりにけり。
楪や万年筆の太き文字
・・・・・楪が読めなかった。どんどん漢字をわすれる。うん、万年筆がいい。おやじのイメージ。それと楪のイメージがうまくつながる。しかし万年筆も絶滅危惧種になってきたなあ。パソコンにとって代わられそう。なんとなく定年退職後のおじさんを連想。それと楪で河合酔名の楪の詩を思い出した。
小枝まで造化の巧み六花
・・・・そうそうおいらも六花が気になった。なんかつくのでは? しかし、北国ではあの雪印のマークがふってくるんだといくらいっても、静岡人には信用されん。
風花や十九歳は無料です
・・・・北海道にも風花はふるのかな? もっと荒々しい雪のイメージだが。こちらでは、地面はまったく雪がないのに風にのってはるか遠くから運ばれてくるものをいう。で、そのイメージと十九歳はよくあう。十九歳。はるかここではないところに向かうイメージ。
百態の馬押し寄せて淑気かな
・・・・・最初にイメージしたのがたくさんの年賀状。どの年賀状もみんな馬がおどっているが、その様子がみんな違う。次にうかんだのが、雪の牧場をはしる馬の群れ。朝日に馬からたちのぽる汗がもうもうとした湯気になって。命の躍動。しかし淑気というのは知らなかったな。検索して初めて知った。業界用語かな。
古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
・・・・・題簽というのがわからん。これまた検索してはじめて知った。
寒の朝測定誤差に止まらず
・・・・・確かに寒い。この寒さは普通ではない。測定誤差とはいえん。 すごくよくわかる純粋理系的光景。なんかユーモアを感じた。
雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
・・・・あのレジ袋に詰め込む音と、雪道を雪を踏みしめながら歩くとキュッキュッとなるおと。ああそうだそうだと、雪国の暮らしを思い出した。静岡じゃ絶対生まれない句だ。
冬銀河力道山の腰ベルト
・・・・・こりゃあチャンピオンベルトだな。力道山は強かった。ああ冬銀河昭和は遠くなりにけり。
楪や万年筆の太き文字
・・・・・楪が読めなかった。どんどん漢字をわすれる。うん、万年筆がいい。おやじのイメージ。それと楪のイメージがうまくつながる。しかし万年筆も絶滅危惧種になってきたなあ。パソコンにとって代わられそう。なんとなく定年退職後のおじさんを連想。それと楪で河合酔名の楪の詩を思い出した。
小枝まで造化の巧み六花
・・・・そうそうおいらも六花が気になった。なんかつくのでは? しかし、北国ではあの雪印のマークがふってくるんだといくらいっても、静岡人には信用されん。
2014年1月15日水曜日
一月度仁句鑑賞・・・猫跨ぎ
・百態の馬押し寄せて淑気かな
新春の競馬場もしくは馬牧場か。干支に因んだ挨拶句。
・古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
題簽(だいせん)なんて珍しい。これ古文書と一般名よりもっと具体的な方が面白いのでは。例えば、「黄表紙」とか、「犯科帳」とか、「猿蓑」とか。
・雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
北海道の雪道を歩く音はぎゅうぎゅうという。ぎゅうぎゅう詰めの買い物を持ちながら。
・冬銀河力道山の腰ベルト
力道山の黒タイツの謂われは何かなあ。後にも先にもないね。腰ベルトしていたっけ。知らなかった。
・真冬日やラーメン店主の湯切り技
三十台の若き元気な店主かな。
・楪や万年筆の太き文字
楪(ゆずりは)は新葉にあとを譲ることから代々繋いでゆく、繋げるという句意で良く作られるね。新年を寿ぐ意味も含めて。万年筆の太き文字もいいね。父親の思い出かな。
・小枝まで造化の巧み六花
寒風吹きすさぶなかでの雪の造花だね。こちらの生暖かい湿雪ではない。これ下五は字足らずでは。
江里昭彦著「生きながら俳句に葬られ」(深夜叢書社)はネットでも手に入らないようだね。品切れらしい。入荷したら連絡を貰うことになっているのだけれど。
深夜叢書社は齋藤慎爾氏の会社で、彼自身のエッセイで時々この本を引用するけれど、市中には無いという不思議。見掛けたら連絡しましょう。
新春の競馬場もしくは馬牧場か。干支に因んだ挨拶句。
・古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
題簽(だいせん)なんて珍しい。これ古文書と一般名よりもっと具体的な方が面白いのでは。例えば、「黄表紙」とか、「犯科帳」とか、「猿蓑」とか。
・雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
北海道の雪道を歩く音はぎゅうぎゅうという。ぎゅうぎゅう詰めの買い物を持ちながら。
・冬銀河力道山の腰ベルト
力道山の黒タイツの謂われは何かなあ。後にも先にもないね。腰ベルトしていたっけ。知らなかった。
・真冬日やラーメン店主の湯切り技
三十台の若き元気な店主かな。
・楪や万年筆の太き文字
楪(ゆずりは)は新葉にあとを譲ることから代々繋いでゆく、繋げるという句意で良く作られるね。新年を寿ぐ意味も含めて。万年筆の太き文字もいいね。父親の思い出かな。
・小枝まで造化の巧み六花
寒風吹きすさぶなかでの雪の造花だね。こちらの生暖かい湿雪ではない。これ下五は字足らずでは。
江里昭彦著「生きながら俳句に葬られ」(深夜叢書社)はネットでも手に入らないようだね。品切れらしい。入荷したら連絡を貰うことになっているのだけれど。
深夜叢書社は齋藤慎爾氏の会社で、彼自身のエッセイで時々この本を引用するけれど、市中には無いという不思議。見掛けたら連絡しましょう。
函館通信225・・・ご機嫌様・・・仁兵衛
おとっとと今年初めてのご挨拶かな。正月から第二講座のお茶飲み談義に聞き入っている内に寒に入り函館は真冬日が4日続いており更に一週間くらい続きそうだ。
逸徳さんも猫跨ぎさんも飲み過ぎてその辺で凍え死ぬような事はくれぐれも気をつけてくださいね。未だ香典を幾ら包むか決めていないからね。まあ都知事選も私から見れば原発を都内に造る事を主張する様な候補者でも出てこないのかねと言いたい程度に無関心だ。それでも従兄の公明党の市会議員(三鷹)からは自由投票になったせいか友人紹介の懇請は無くなって静かでいい。
今年もゆっくり俳句でも楽しもうではないか。
��.寒の内ポトスの腕の曲りどこ
��.風花や十九歳は無料です
��.百態の馬押し寄せて淑気かな
��.古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
��.寒の朝測定誤差に止まらず
��.雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
��.冬銀河力道山の腰ベルト
��.真冬日やラーメン店主の湯切り技
��.楪や万年筆の太き文字
10.小枝まで造化の巧み六花
猫跨ぎさん、江里昭彦著「生きながら俳句に葬られ」(深夜叢書社)という本を知りませんか。本屋のネットで調べてもらったが見つけられなかった。ご存知ならばいやお持ちならば貸しては頂けないだろうか。
逸徳さんも猫跨ぎさんも飲み過ぎてその辺で凍え死ぬような事はくれぐれも気をつけてくださいね。未だ香典を幾ら包むか決めていないからね。まあ都知事選も私から見れば原発を都内に造る事を主張する様な候補者でも出てこないのかねと言いたい程度に無関心だ。それでも従兄の公明党の市会議員(三鷹)からは自由投票になったせいか友人紹介の懇請は無くなって静かでいい。
今年もゆっくり俳句でも楽しもうではないか。
��.寒の内ポトスの腕の曲りどこ
��.風花や十九歳は無料です
��.百態の馬押し寄せて淑気かな
��.古文書の題簽めくれ日脚伸ぶ
��.寒の朝測定誤差に止まらず
��.雪の音ぎゅうぎゅう詰めのレジ袋
��.冬銀河力道山の腰ベルト
��.真冬日やラーメン店主の湯切り技
��.楪や万年筆の太き文字
10.小枝まで造化の巧み六花
猫跨ぎさん、江里昭彦著「生きながら俳句に葬られ」(深夜叢書社)という本を知りませんか。本屋のネットで調べてもらったが見つけられなかった。ご存知ならばいやお持ちならば貸しては頂けないだろうか。
へとへと・・・猫跨ぎ
昨日、昭和43年入社の7名の同期会をやった。同じ会社とはいえ、入社以来、殆ど交流がなかった面々が多いが、40年ぶりなのにこの同族意識っていうか懐かしさは不思議だ。人生たそがれの一コマといえば言い過ぎか。7名の人生模様はさまざま。小舟にのり大海に揺られた末の辿り着いた先は・・・・という感じだ。実に多様、多彩、禍福はあざなえる縄、塞翁が馬、云々。終電近くに家にたどり着き、居間のソファで眠り込んでしまった。深夜に目覚めて我に帰った。
逸徳氏の近間の飲み屋はいいね。唯一つ異議あり。「旦那が死んで60過ぎたばあさんがやっている」たぁ何だ。60過ぎは脂粉の香りふんぷんとは言わぬが、まだまだ色香ほのかではないか。自分の年齢相応に身を低くして謙虚に世を渡ってもらいたい。
東京都知事選挙か。細川、小泉のツーショットはどうかね。思わず目を背けたよ。六日の菖蒲、十日の菊じゃないか。対する舛添か。ねずみ男に似てるね、ほんと。
逸徳氏の近間の飲み屋はいいね。唯一つ異議あり。「旦那が死んで60過ぎたばあさんがやっている」たぁ何だ。60過ぎは脂粉の香りふんぷんとは言わぬが、まだまだ色香ほのかではないか。自分の年齢相応に身を低くして謙虚に世を渡ってもらいたい。
東京都知事選挙か。細川、小泉のツーショットはどうかね。思わず目を背けたよ。六日の菖蒲、十日の菊じゃないか。対する舛添か。ねずみ男に似てるね、ほんと。
ぐちゅぐちゅと・・・・逸徳
いいさけをもらった。 時々昼間から飲みたくなる。 依存症のはじまりかも・・・・ 前にも書いたかもしれんが、4時からやっている飲み屋がある。旦那が死んで60過ぎたばあさんがやっている。 で、7時には閉めてしまう。 500円でつまみが三品という激安で、熱燗2本のんで1200円。地元のおじさんたちが来る。毎週水曜日に晩酌にくる電気屋のおやじの話を聞いていると面白い。アベノミクスなんてどこの話だ。 しかし、こう寒いとやっぱり行きたくなる。で、この店、女房にはないしょである。男の隠れ家である。
で、先日原子力市民委員会という組織が静岡公聴会ということで、浜岡原発にちかいわがまちで集会を開いた。専門家が来て、議論が行われたが、防災の専門の先生、会場からの質問にこたえて「いいにくいですが、事故が起きたら、安全に避難する方法は、いくらお金をかけても結局は不可能です。」と言い切った。福島では、20分でいける道が避難民の車の渋滞で7時間かかっているという。
だろうなあと思っていたら、先日の毎日の記事で、環境経済研究所という組織が、交通工学の渋滞についての予測手法などをつかって事故後の30キロ圏の避難予測を出した。浜岡では最悪6日間かかるそうな。 しかも前提が甘い。車両登録されているバスの3割、マイカーの5割が避難に使われるという前提だそうだが、福島の場合双葉町では、200台ちかくのバスに対して、来たのはほんの数台であり、その結果として双葉病院の患者が避難中に約30人死んでいる。こりゃもうあかん。もう飲むしかないじゃん。
そういうわけで、東京方面の衆、都知事選挙はがんばってくれい。宇都宮さんおりて細川さんを応援しないかなあ。だけどそういう、大胆不敵な戦略はとれんだろうなあ。とにかくまじめだから。
で、先日原子力市民委員会という組織が静岡公聴会ということで、浜岡原発にちかいわがまちで集会を開いた。専門家が来て、議論が行われたが、防災の専門の先生、会場からの質問にこたえて「いいにくいですが、事故が起きたら、安全に避難する方法は、いくらお金をかけても結局は不可能です。」と言い切った。福島では、20分でいける道が避難民の車の渋滞で7時間かかっているという。
だろうなあと思っていたら、先日の毎日の記事で、環境経済研究所という組織が、交通工学の渋滞についての予測手法などをつかって事故後の30キロ圏の避難予測を出した。浜岡では最悪6日間かかるそうな。 しかも前提が甘い。車両登録されているバスの3割、マイカーの5割が避難に使われるという前提だそうだが、福島の場合双葉町では、200台ちかくのバスに対して、来たのはほんの数台であり、その結果として双葉病院の患者が避難中に約30人死んでいる。こりゃもうあかん。もう飲むしかないじゃん。
そういうわけで、東京方面の衆、都知事選挙はがんばってくれい。宇都宮さんおりて細川さんを応援しないかなあ。だけどそういう、大胆不敵な戦略はとれんだろうなあ。とにかくまじめだから。
2014年1月13日月曜日
微妙な・・・猫跨ぎ
日本とはなにか日本人とは、逸徳氏は格別意識して来なかったし、これからも囚われるつもりもないという。この辺はかなり微妙な問題だね。たしかに日本という括りは自然発生ではなく、かなり人工的な匂いがする。私はそれこそ国民国家だからという説だが。これに関連して、戦前の昭和の匂いとか、戦争の、極めつきは特攻にまつわることとか、などが気持の底流にあってうまく処理できないところがある。極東裁判、戦争犯罪とか靖国なんかも加えたい。まあ、そのうちにということで。
2014年1月10日金曜日
日本とは・・・猫跨ぎ
日本とは何か。日本語を主として話し、日本列島に主たる居を構えている人々が自国と意識している空間だね。日本は典型的な「国民国家」だ。日本国民だと大体すんなり自認している。大いなる共同幻想なのだが。これほどはっきりしている国はあまりない。島国だからがその大きな理由。
大陸の大国はその縁辺に曖昧な部分を持つ。典型的なのは中国。チベット、ウイグル、蒙古。これらは明らかに漢民族とことなる人種、歴史、文化をもつ。清の頃はゆるい連合だったのに、国民国家を幻想した中国政府が全部一元的に統一しようとしている。結果は漢民族の理不尽な他民族支配となった。現代はソ連が瓦解したように、不自然な国民国家は壊れる過程にあると思う。ロシアのカフカス地方紛争も更に分離分解する過程にあるのだろう。
国民国家ってフランス革命以降に始まった概念で世界中に広まった。果てしない殺戮を経験したヨーロッパが、ECを目指すのは、この超国家を通して国民国家を乗り越えようとする動きじゃないかと思うが。
さて日本はどうか改めて考えると、前に言った沖縄の独立もこの文脈から考えられぬこともないと思っている。
大陸の大国はその縁辺に曖昧な部分を持つ。典型的なのは中国。チベット、ウイグル、蒙古。これらは明らかに漢民族とことなる人種、歴史、文化をもつ。清の頃はゆるい連合だったのに、国民国家を幻想した中国政府が全部一元的に統一しようとしている。結果は漢民族の理不尽な他民族支配となった。現代はソ連が瓦解したように、不自然な国民国家は壊れる過程にあると思う。ロシアのカフカス地方紛争も更に分離分解する過程にあるのだろう。
国民国家ってフランス革命以降に始まった概念で世界中に広まった。果てしない殺戮を経験したヨーロッパが、ECを目指すのは、この超国家を通して国民国家を乗り越えようとする動きじゃないかと思うが。
さて日本はどうか改めて考えると、前に言った沖縄の独立もこの文脈から考えられぬこともないと思っている。
いやいや・・・・逸徳
どうなんだろう。革命ということばがよくないかな。手垢にまみれてしまった。もうすこし広く単純に解釈したい。民衆が(すくなくともその大多数が) みずからのぞんで、現在の方向をはっきりと変えた経験というぐらいかな。 中國革命や、フランス革命を単純にモデルにしているのではない。あんなのいやだ。しかし、そのあと世界各地ではいろんな(自分からそう呼んだのだが)「革命」があったなあ。ほとんどつぶれたが。 つまり革命はみはてぬ夢、ロマンであってそれを追い続けることが、ひとつの原動力になってくれればいい。 このへんまことに融通無碍のあいまいな考え方である。
それよりもだ。「日本の美点と欠点」とおっしゃるが、その日本はたまたま現時点でここにあつまっている1億をこえる群衆(集団には見えん)につけたラベルに過ぎないのか。つまり日本とは便宜的記号にすぎないのか。それとも「日本」というわれわれのアイデンティテイにかかわるある何かを指すのか。自分の頭の中をさがしてみると、どうもおいらには「日本」という概念、または自覚が希薄なのだ。「日本」っていったって、そんなのどこにあるのか。 よくわからん。 どうもそういう発想が少ない時代にわれわれは生きてきたような気もする。 いつでも「日本」をさっさとすてられる人間でいたい。愛国心なんてことばはあんまり縁がないのである。
先日の朝日で、池澤夏樹が書いていたエッセイで、安倍さんを評して、最後にこう書いていた。「尾が犬を振ってはいけない。決めるのは我々なのだ」と。思わず笑ってしまった。しかし、「革命」や「日本」の向こう側で、このように言い切る主権者意識が一番の重要な点だと思う。
それよりもだ。「日本の美点と欠点」とおっしゃるが、その日本はたまたま現時点でここにあつまっている1億をこえる群衆(集団には見えん)につけたラベルに過ぎないのか。つまり日本とは便宜的記号にすぎないのか。それとも「日本」というわれわれのアイデンティテイにかかわるある何かを指すのか。自分の頭の中をさがしてみると、どうもおいらには「日本」という概念、または自覚が希薄なのだ。「日本」っていったって、そんなのどこにあるのか。 よくわからん。 どうもそういう発想が少ない時代にわれわれは生きてきたような気もする。 いつでも「日本」をさっさとすてられる人間でいたい。愛国心なんてことばはあんまり縁がないのである。
先日の朝日で、池澤夏樹が書いていたエッセイで、安倍さんを評して、最後にこう書いていた。「尾が犬を振ってはいけない。決めるのは我々なのだ」と。思わず笑ってしまった。しかし、「革命」や「日本」の向こう側で、このように言い切る主権者意識が一番の重要な点だと思う。
2014年1月9日木曜日
革命いやはや・・・猫跨ぎ
革命がない、民主主義は与えられたものだ―さんざん言われてきたが、革命がなかったのがそんな悔しい事とも思わない。(フランスであの革命に対する深甚な反省がいま出て来ている。)アメリカ型の民主主義はそれなりに欠点も出て来ている。大正デモクラシーを思い出すまでもなく、日本的なそれの萌芽はあったのだ。
中央包囲網か。毛沢東の人民戦線理論にいつまでもかぶれることもあるまい。本国でもう破産しているのだから。
いまの日本がそんなに悪いとは思わんね。庶民の幸福度の簡単な尺度として平均寿命を使うことにしている。東京新聞をとっているが、日本の美点をこれほど小さく、欠点をこれほど針小棒大にいう、まさに日本マスコミの典型だ。そろそろおつきあいを止めようと思っている。
閑話休題。中国や北朝鮮を思うと、真底あんな所に生まれなくて良かったと思う。この二国は共産主義の亡霊を引きずっている。二十世紀の悲劇だと思うが、それに繋がる「革命」がなかったことは良しとしなければいけないのではないか。
100mの民主主義か。末尾で1mの平和を希っているというとはちょっと自虐的な述懐だが、いっそ負号をつけてはどうだろうか。つまりマイナス1m、いやマイナスは無限に広がりをもつ。自己の内部に沈潜することも時にはいい。老境にはふさわしい。
中央包囲網か。毛沢東の人民戦線理論にいつまでもかぶれることもあるまい。本国でもう破産しているのだから。
いまの日本がそんなに悪いとは思わんね。庶民の幸福度の簡単な尺度として平均寿命を使うことにしている。東京新聞をとっているが、日本の美点をこれほど小さく、欠点をこれほど針小棒大にいう、まさに日本マスコミの典型だ。そろそろおつきあいを止めようと思っている。
閑話休題。中国や北朝鮮を思うと、真底あんな所に生まれなくて良かったと思う。この二国は共産主義の亡霊を引きずっている。二十世紀の悲劇だと思うが、それに繋がる「革命」がなかったことは良しとしなければいけないのではないか。
100mの民主主義か。末尾で1mの平和を希っているというとはちょっと自虐的な述懐だが、いっそ負号をつけてはどうだろうか。つまりマイナス1m、いやマイナスは無限に広がりをもつ。自己の内部に沈潜することも時にはいい。老境にはふさわしい。
続100メートルの民主主義・・・・逸徳
前から感じていたのだが、今の状況の中で、なんでもっと国民はおこって、具体的な変革の方向を選択しないのかと、単純に疑問であった。これは結局、日本人が政治的に自立していない、いい意味での民主主義、個人主義が育っていないのかと。 だが最近どうも違うのではないかという気がしている。政治的な自立とか、民主主義的な政治能力というものは当然のことだが、実際的体験によって学ばれ、身についていくものだろう。だが、日本の歴史には民衆レベルでのそういう体験が非常に少ないのだ。まず革命の歴史がない。唯一例外的なのが敗戦だったのかなあという気がするが、これは別のファクターもあるのでここでは論じない。(ただ敗戦はいい経験だった。あれが勝っていたらえらいことになったかもしれない)
民主主義は実際的行動を通して学習される。しかし、現代のように社会が複雑化、巨大化すると、個々人の思想とそれによる政治選択、政治的行動がどのような過程を経て、大状況の変化につながるのかがよく見えにくくなってしまう。結果として、民主主義は空洞化し、政治は劇場になり、個々の人間の思いは分散霧消してしまう。こういうのをアトム化というらしい。だからイメージとしてたとえると、おいらの体をつくる50兆をこえる細胞の中のひとつが革命家になり、こんなおいらはいやだと、おいらを改革しようと考えても、なんの変化もおこせない。そこで、絶望した革命家細胞は劇的変化を起こすためにガン細胞化する。つまりこれがテロリズムだろう・・・ という笑い話はやめて、もうすこし続けよう。 政治や社会を動かすプロセスが見えない。そうすると、行動してもなかなか目に見える変化につながることが実感できない。この実感のできなさを乗り越えるのが思想なんだろうが、それだけではそうそう乗り越えられるものではない。それが今のおいら自身の状況かもしれない。
そこで、気が付いた。自分の行動が確実に何かの変化につながる体験をすれば、それによって人は民主主義的感覚を身につけられやすくなる。(という言い方が甘いことはわかっている) そこでだ、もっと小さい単位、たとえば地方自治体レベル、生活圏を含む地域社会の中で、いろんな行動を行いその成功体験をつみかさねていけば、それは自信と自立につながらないか。社会全体が見えやすいし、システムを動かしやすいので、行動の目標も設定しやすく、展望も持ちやすくなる。何よりもまず、やっていて面白い。というわけで、まず半径100メートルからはじめて民主主義を実践し積み上げ、それを拡大し、さらに横の半径100メートルの民主主義の実践行動している人と手をつなぎ、連帯して、ゆっくりと中央を包囲できないか。(むかーし、農村が都市を包囲するといったやつがいたなあ。毛沢東か・うーんふるい) そんなイメージでいろんなことにとりくんだら、数を集めて規模を競うという発想に魅力を感じなくなってしまった。まず身の回りなのだ・・・・ と、ここまで書いたら、下で「ゴミだしてきてーつ」と山の神がさけんでいる。 うーん半径100メートルの民主主義の中心は独裁政権かもしれん。まあ、また地域実践については面白い話があるので順次報告する。
民主主義は実際的行動を通して学習される。しかし、現代のように社会が複雑化、巨大化すると、個々人の思想とそれによる政治選択、政治的行動がどのような過程を経て、大状況の変化につながるのかがよく見えにくくなってしまう。結果として、民主主義は空洞化し、政治は劇場になり、個々の人間の思いは分散霧消してしまう。こういうのをアトム化というらしい。だからイメージとしてたとえると、おいらの体をつくる50兆をこえる細胞の中のひとつが革命家になり、こんなおいらはいやだと、おいらを改革しようと考えても、なんの変化もおこせない。そこで、絶望した革命家細胞は劇的変化を起こすためにガン細胞化する。つまりこれがテロリズムだろう・・・ という笑い話はやめて、もうすこし続けよう。 政治や社会を動かすプロセスが見えない。そうすると、行動してもなかなか目に見える変化につながることが実感できない。この実感のできなさを乗り越えるのが思想なんだろうが、それだけではそうそう乗り越えられるものではない。それが今のおいら自身の状況かもしれない。
そこで、気が付いた。自分の行動が確実に何かの変化につながる体験をすれば、それによって人は民主主義的感覚を身につけられやすくなる。(という言い方が甘いことはわかっている) そこでだ、もっと小さい単位、たとえば地方自治体レベル、生活圏を含む地域社会の中で、いろんな行動を行いその成功体験をつみかさねていけば、それは自信と自立につながらないか。社会全体が見えやすいし、システムを動かしやすいので、行動の目標も設定しやすく、展望も持ちやすくなる。何よりもまず、やっていて面白い。というわけで、まず半径100メートルからはじめて民主主義を実践し積み上げ、それを拡大し、さらに横の半径100メートルの民主主義の実践行動している人と手をつなぎ、連帯して、ゆっくりと中央を包囲できないか。(むかーし、農村が都市を包囲するといったやつがいたなあ。毛沢東か・うーんふるい) そんなイメージでいろんなことにとりくんだら、数を集めて規模を競うという発想に魅力を感じなくなってしまった。まず身の回りなのだ・・・・ と、ここまで書いたら、下で「ゴミだしてきてーつ」と山の神がさけんでいる。 うーん半径100メートルの民主主義の中心は独裁政権かもしれん。まあ、また地域実践については面白い話があるので順次報告する。
100メートルの民主主義・・・・逸徳
大状況と小状況ということばがある。かって北京の政治と社会の悪と腐敗に怒り嘆いた北京女子師範学生許広平に魯迅が「大きいどぶがにごっている時にちいさいどぶがすむわけがないよ」といって、励ましたというエピソードを思い出す。小状況と大状況をめぐる有名なエピソードである。そしてこの国の大状況は、さまざまな問題を抱えて進行している。ぼくらは、考えてみればその大状況に対してずっと議論をし、運動をし、署名をし、デモをし、そしてまた議論をするということを50年やってきた。くたびれた。(昔、70年代のそう遠くない時期に民主連合政府を、なんていった人がいたなあ。遠い思いでだ)
はたして大状況は好転しているのだろうか。それは見る人にとって違うのかもしれないが、すくなくとも劇的によくなったなんてとてもいえない。達観してしまえばそれが歴史というものの姿なのかもしれないが。
で、大状況に対する対位(体位ではない。褌子さん)の仕方が問題になる。残された時間の少ない我々にとって、どのようなあり方がよいのだろうか。今までのように積極的関与だけでは、目に見える変化が達成できないと、運動する人はくたびれてしまうのだ。実感的にいえば、人はイデオロギーや思想だけでは、日々のあくせくした現実をのりこえられないのかもしれない。そうして転向という問題がおこる。ちがうか。
そこで、自分自身の問題として思っているのは、せめて自分は背筋をのばして、キチンと生きていきたいと思うのである。。この世界が悪くなり灰色になり、まわりからドンドンぼろほろと腐って行っても、まいったと音を上げる最後の人間になりたい。そう思う。この灰色の世界の中で、もっともまともな最後の部分が、わたしの内面世界であると言い切れるようになりたいのだ。
具体的にいえば、今日もよく晴れて富士山がきれいで、平和で温暖なするがの国に生きて、今日は昨日とおんなじで、おそらく明日は今日とおなじだという状況の中にぼーっと生きていても、福島や、辺野古の現実と同一平面の世界で、それをずっと手元にひきつける想像力を枯渇させないで生きていきたい。日常性を通しての緩慢な堕落というのは、自己責任で食い止めることが出来るであろう最後の課題ではないだろうか。人間的想像力。これが自分を自分たらしめる最後の砦であろう。そして、この宇宙の底を吹きすぎる風のなかに、「わたしはわたし」という旗をしっかりと打ち立てていくのだ。具体的実践はすべてそのあとの事である。その点でいえば褌子さんは見事であり、なぜ見事であるかということは誠に心理学的研究対象になりえる。
100メートルの民主主義について論じようと思ったが、時間が来てしまった。また続ける。
はたして大状況は好転しているのだろうか。それは見る人にとって違うのかもしれないが、すくなくとも劇的によくなったなんてとてもいえない。達観してしまえばそれが歴史というものの姿なのかもしれないが。
で、大状況に対する対位(体位ではない。褌子さん)の仕方が問題になる。残された時間の少ない我々にとって、どのようなあり方がよいのだろうか。今までのように積極的関与だけでは、目に見える変化が達成できないと、運動する人はくたびれてしまうのだ。実感的にいえば、人はイデオロギーや思想だけでは、日々のあくせくした現実をのりこえられないのかもしれない。そうして転向という問題がおこる。ちがうか。
そこで、自分自身の問題として思っているのは、せめて自分は背筋をのばして、キチンと生きていきたいと思うのである。。この世界が悪くなり灰色になり、まわりからドンドンぼろほろと腐って行っても、まいったと音を上げる最後の人間になりたい。そう思う。この灰色の世界の中で、もっともまともな最後の部分が、わたしの内面世界であると言い切れるようになりたいのだ。
具体的にいえば、今日もよく晴れて富士山がきれいで、平和で温暖なするがの国に生きて、今日は昨日とおんなじで、おそらく明日は今日とおなじだという状況の中にぼーっと生きていても、福島や、辺野古の現実と同一平面の世界で、それをずっと手元にひきつける想像力を枯渇させないで生きていきたい。日常性を通しての緩慢な堕落というのは、自己責任で食い止めることが出来るであろう最後の課題ではないだろうか。人間的想像力。これが自分を自分たらしめる最後の砦であろう。そして、この宇宙の底を吹きすぎる風のなかに、「わたしはわたし」という旗をしっかりと打ち立てていくのだ。具体的実践はすべてそのあとの事である。その点でいえば褌子さんは見事であり、なぜ見事であるかということは誠に心理学的研究対象になりえる。
100メートルの民主主義について論じようと思ったが、時間が来てしまった。また続ける。
2014年1月8日水曜日
映画『ハンナ・アーレント』 ・・・褌子
沖縄の未来は沖縄のひとが決めるのである。わたしは沖縄に新しい軍事基地をつくるのは反対で1月19日投票の名護市長選挙には稲嶺市長に再選してほしいと願っている。周りのひとから選挙募金を集めておととい22000円送った。わたしにできることはそんなことしかない。
■■■
マルガレイテ・フォン・トロッタ監督の映画『ハンナ・アーレント』
ハンナ・アーレントはユダヤ人女性。ナチのユダヤ人収容所から命がけで夫とアメリカに逃げてきたニューヨークの大学教授。著名な哲学者として学生たちには絶大な人気があり、夫からも友人からも敬愛されている。相思相愛の夫とのあいだに子供はいないが家庭では料理もしてお客をもてなす。年中、たばこを吸って思索にふけって文章を書き、学生に講義する。戦前、ドイツの大学の哲学科の学生であったハンナは哲学者ハイデッカーの愛弟子として、ハイデッカーの個人的な愛をうけた秘められた過去ももつ。ハイデッカーはナチス党員であったと戦後、追及された。
1960年アイヒマンがイスラエル諜報機関に南米で逮捕され、裁判になるというニュースをきいてハンナは裁判を傍聴しに1961年にエルサレムにでかける。
数百万人ものユダヤ人をヨーロッパ各地の強制収容所のガス室に貨車で送り込む輸送責任者だったアイヒマン。ナチの迫害でこの世の地獄を経験したユダヤ人にとって憎んでも憎みきれないアイヒマン。エルサレムの法廷で、傍聴者の憎しみを一身にうけながら防弾ガラスに護られて被告席に座っているアイヒマン。家族を皆殺しにされたユダヤ人証言者は憎しみのあまり、証言席で卒倒する場面もある。(これは白黒の記録映画で私も昔みた記憶がある)
しかし傍聴席のハンナが、防弾ガラスごしにじっと凝視したアイヒマンは、悪魔でも悪人でもなかったのだ!
「わたしは上司の命令通りに仕事しただけです」と繰り返すことしか能がない凡庸な役人だったのだ。(ナチス高官ではなく最終階級は中佐にすぎない)
人類に対する犯罪を犯していたアイヒマン自身が、自分がいったいなにをやっているのか考えてなかったことに衝撃をうけるハンナ。ホロコーストという人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではない、思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結だったのだ。
自分の命だけは助かりたいとナチと裏取り引きし、貧しい下層のユダヤ人大衆たちの収容所送りにすすんで協力したユダヤ人指導者たちのほうがアイヒマンよりも悪人かもしれないとハンナは考えるのである。(ユダヤ人狩りにユダヤ人指導者を利用し尽くすと、ナチは最後に指導者たちも全部ガス室に送り込んだのだが…)
ユダヤ人検事の追及と被告の反論がさっぱりかみあわないままの死刑判決で終わったアイヒマン裁判。その傍聴記録の真実と人間にとって絶対悪とは何かという思索をユダヤ人哲学者のハンナが発表すると、ファシズムを憎む世界中の人々から、特に収容所で生き延びた同僚のユダヤ人教授からも「裏切り者!」とごうごうたる非難をうける。大学の教授会も辞職勧告を出すが、ハンナは不屈の精神で、「考えることをやめた人間の悪とは何か」、「ファシズムを未然にふせぐには個人はどうすればいいのか」と、夫とごく限られた友人だけに支えられて不屈に闘い続けるのである。
―――――以上は映画のあらすじだが、ハンナ・アーレント(1906~1975)は写真に見る実在の思想家で主著は『全体主義の起源』
■■■
マルガレイテ・フォン・トロッタ監督の映画『ハンナ・アーレント』
ハンナ・アーレントはユダヤ人女性。ナチのユダヤ人収容所から命がけで夫とアメリカに逃げてきたニューヨークの大学教授。著名な哲学者として学生たちには絶大な人気があり、夫からも友人からも敬愛されている。相思相愛の夫とのあいだに子供はいないが家庭では料理もしてお客をもてなす。年中、たばこを吸って思索にふけって文章を書き、学生に講義する。戦前、ドイツの大学の哲学科の学生であったハンナは哲学者ハイデッカーの愛弟子として、ハイデッカーの個人的な愛をうけた秘められた過去ももつ。ハイデッカーはナチス党員であったと戦後、追及された。
1960年アイヒマンがイスラエル諜報機関に南米で逮捕され、裁判になるというニュースをきいてハンナは裁判を傍聴しに1961年にエルサレムにでかける。
数百万人ものユダヤ人をヨーロッパ各地の強制収容所のガス室に貨車で送り込む輸送責任者だったアイヒマン。ナチの迫害でこの世の地獄を経験したユダヤ人にとって憎んでも憎みきれないアイヒマン。エルサレムの法廷で、傍聴者の憎しみを一身にうけながら防弾ガラスに護られて被告席に座っているアイヒマン。家族を皆殺しにされたユダヤ人証言者は憎しみのあまり、証言席で卒倒する場面もある。(これは白黒の記録映画で私も昔みた記憶がある)
しかし傍聴席のハンナが、防弾ガラスごしにじっと凝視したアイヒマンは、悪魔でも悪人でもなかったのだ!
「わたしは上司の命令通りに仕事しただけです」と繰り返すことしか能がない凡庸な役人だったのだ。(ナチス高官ではなく最終階級は中佐にすぎない)
人類に対する犯罪を犯していたアイヒマン自身が、自分がいったいなにをやっているのか考えてなかったことに衝撃をうけるハンナ。ホロコーストという人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではない、思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結だったのだ。
自分の命だけは助かりたいとナチと裏取り引きし、貧しい下層のユダヤ人大衆たちの収容所送りにすすんで協力したユダヤ人指導者たちのほうがアイヒマンよりも悪人かもしれないとハンナは考えるのである。(ユダヤ人狩りにユダヤ人指導者を利用し尽くすと、ナチは最後に指導者たちも全部ガス室に送り込んだのだが…)
ユダヤ人検事の追及と被告の反論がさっぱりかみあわないままの死刑判決で終わったアイヒマン裁判。その傍聴記録の真実と人間にとって絶対悪とは何かという思索をユダヤ人哲学者のハンナが発表すると、ファシズムを憎む世界中の人々から、特に収容所で生き延びた同僚のユダヤ人教授からも「裏切り者!」とごうごうたる非難をうける。大学の教授会も辞職勧告を出すが、ハンナは不屈の精神で、「考えることをやめた人間の悪とは何か」、「ファシズムを未然にふせぐには個人はどうすればいいのか」と、夫とごく限られた友人だけに支えられて不屈に闘い続けるのである。
―――――以上は映画のあらすじだが、ハンナ・アーレント(1906~1975)は写真に見る実在の思想家で主著は『全体主義の起源』
2014年1月5日日曜日
所詮人類は亡びるが・・・猫跨ぎ
沖縄独立論はそんなに突拍子なことではない。ペリーが来訪して、日米和親条約を結んだ帰り、南下して当時の琉球を訪れ、琉米和親条約を結んでいる。アメリカから見ても琉球は独立国家だった。その後の極東の環境の変遷のなかで、琉球処分という形で日本に組み込まれた。色んな意味で独立論は風穴を開けるかもしれんな。日本の既成政党は目をぱちくりするのだろう。決して賛成しないことは目に見えているが。
それにしても、転載はまだ続くのかい。後で、くすくす笑っているのかね。気味が悪いね。
さて俳句論に移ろうか。
俳句に於ける自己につては誤解がある。俳句を作っているのは自分だし季語を選んでいるのは勿論自分。それは言うも無駄なほど当たり前じゃないか。そういうことではなくて、 もの(自然)を表に立てて、作者(人間)の思いを後に引っ込める。これは生き方にも繋がるのではないか。諸般傲慢になりがちな人間にとってすぐれて真っ当な文学になりうる。
所詮は人類は亡びるが、その寿命は少しは先に延ばせるのではないか。
それにしても、転載はまだ続くのかい。後で、くすくす笑っているのかね。気味が悪いね。
さて俳句論に移ろうか。
俳句に於ける自己につては誤解がある。俳句を作っているのは自分だし季語を選んでいるのは勿論自分。それは言うも無駄なほど当たり前じゃないか。そういうことではなくて、 もの(自然)を表に立てて、作者(人間)の思いを後に引っ込める。これは生き方にも繋がるのではないか。諸般傲慢になりがちな人間にとってすぐれて真っ当な文学になりうる。
所詮は人類は亡びるが、その寿命は少しは先に延ばせるのではないか。
おいらもそんな気がしてきた・・・・逸徳
いやいや沖縄独立論は聞いたことがある。 いいと思うなあ。 そうなったらすぐ移住したい。
そしてだ、褌子さん。おいらも聴きたくなった。 で、どうすればいいのかね。 個人的意見を。 あなた個人は何をするの。
そしてだ、褌子さん。おいらも聴きたくなった。 で、どうすればいいのかね。 個人的意見を。 あなた個人は何をするの。
『琉球新報』の元旦社説も・・・褌子
『沖縄タイムス』とならぶ沖縄の二大紙、『琉球新報』の元旦社説も転載してみる。
■■■年の初めに平和と環境を次代へ 人間の安全こそ最優先に■■■
2014年1月1日
新年を迎えた。年の瀬に「知事、辺野古埋め立て承認」の衝撃的な決断に直面し、心を痛めて正月を迎えた県民も多かろう。
だが、県民世論調査で米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県外・国外移設を望む民意が強いことも明確になった。
わたしたちは「命どぅ宝」の心、豊かな自然など先達が残した有形無形の遺産に支えられ「生かされている」との謙虚さを大切にしたい。来年の戦後70年も見据え、あらためて持続可能な平和と環境、経済を次世代に引き継ぐ覚悟、責任をかみしめよう。
普天間飛行場返還問題をめぐる自民党県連と国会議員、仲井真弘多知事の「県外移設」公約の事実上の撤回で混乱が続くだろう。だが県民は悲観も楽観もすることはない。「危険なオスプレイを飛ばすな」「民意は辺野古移設ノー」との主張には民主的手続きを踏んだ正当性がある。「沖縄に民主主義を適用せよ」との訴えも正論だ。
沖縄とこの国の未来のために、三つの「原点」を見詰め直したい。
一つは、1972年の日本復帰だ。米軍統治下で人権を蹂躙(じゅうりん)されてきた沖縄住民は「平和憲法」に救いを求めた。しかし、今なお過密な米軍基地が事件・事故、爆音、米兵犯罪の温床になっている。法の下の不平等が構造化している。もはや我慢の限界だ。米識者から駐留の軍事的合理性に疑義が出ている在沖米海兵隊の全面撤退を真剣に検討し、不平等と日米関係そのものを劇的に改善するときだ。
二つ目は、昨年始動した「沖縄21世紀ビジョン基本計画」だ。知事は年末に首相が示した基地負担軽減策を評価し「沖縄の基地問題は日本全体の安全保障に寄与している」と述べた。首相を激励し、自らを政権の「応援団」とも言い放った。普天間飛行場の5年以内運用停止が口約束であり、オスプレイの配備中止要請に全く言及がないなど、核心部分で実質「ゼロ回答」だったにもかかわらずだ。
21世紀ビジョンの基軸的な考えは、「潤いと活力をもたらす沖縄らしい優しい社会の構築」「日本と世界の架け橋となる強くしなやかな自立的経済の構築」の二つだ。会談での知事の「安保に寄与」発言には、沖縄の文化力や経済力、市民交流などソフトパワーで日本と世界の懸け橋になるとの発想がすっぽり抜け落ちている。沖縄の夢が詰め込まれた21世紀ビジョンを後退させてはならない。
三つ目は、戦後日本の原点だ。「戦争放棄」をうたった日本国憲法の下で平和国家、民主国家として歩み、戦後一度も戦争をしなかったことは世界に誇れることだ。
ところが、安倍政権は「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権の行使容認や武器輸出三原則緩和、自衛隊増強など、軍事拡大路線をひた走っている。軍事力を過信せず、非軍事的な国力を駆使し、戦略的互恵関係の構築により安全を実現するのが、平和国家のあるべき姿だ。国民は戦争をする軍事国家への回帰など望んでいない。
「人間の安全保障」の提唱者の一人で、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン氏は「テロや大量虐殺と戦うことは大切だが、私たちは人間の安全を脅かすものが、暴力だけでなく、さまざまなかたちで現れることにも気づかなければならない」と指摘する。これは、人々や社会の安全を脅かす貧困、抑圧、差別などの社会的不正義を「構造的暴力」と定義し、その解消を「積極的平和」と位置づける平和学の概念とも通底する。
首相は軍事偏重の「積極的平和主義」ではなく「積極的平和」こそ追求し、沖縄で普天間撤去などを通じ構造的暴力を解消すべきだ。 わたしたちは、琉球王国時代の万国津梁の精神に倣い多国間の懸け橋となりたい。沖縄は東アジアの緊張を沈静化し、「軍事の要石」から「平和の要石」へ転換する構想を描くべきだろう。沖縄の尊厳と安全を守るために、ソフトパワーに磨きをかけていこう。
■■■年の初めに平和と環境を次代へ 人間の安全こそ最優先に■■■
2014年1月1日
新年を迎えた。年の瀬に「知事、辺野古埋め立て承認」の衝撃的な決断に直面し、心を痛めて正月を迎えた県民も多かろう。
だが、県民世論調査で米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県外・国外移設を望む民意が強いことも明確になった。
わたしたちは「命どぅ宝」の心、豊かな自然など先達が残した有形無形の遺産に支えられ「生かされている」との謙虚さを大切にしたい。来年の戦後70年も見据え、あらためて持続可能な平和と環境、経済を次世代に引き継ぐ覚悟、責任をかみしめよう。
普天間飛行場返還問題をめぐる自民党県連と国会議員、仲井真弘多知事の「県外移設」公約の事実上の撤回で混乱が続くだろう。だが県民は悲観も楽観もすることはない。「危険なオスプレイを飛ばすな」「民意は辺野古移設ノー」との主張には民主的手続きを踏んだ正当性がある。「沖縄に民主主義を適用せよ」との訴えも正論だ。
沖縄とこの国の未来のために、三つの「原点」を見詰め直したい。
一つは、1972年の日本復帰だ。米軍統治下で人権を蹂躙(じゅうりん)されてきた沖縄住民は「平和憲法」に救いを求めた。しかし、今なお過密な米軍基地が事件・事故、爆音、米兵犯罪の温床になっている。法の下の不平等が構造化している。もはや我慢の限界だ。米識者から駐留の軍事的合理性に疑義が出ている在沖米海兵隊の全面撤退を真剣に検討し、不平等と日米関係そのものを劇的に改善するときだ。
二つ目は、昨年始動した「沖縄21世紀ビジョン基本計画」だ。知事は年末に首相が示した基地負担軽減策を評価し「沖縄の基地問題は日本全体の安全保障に寄与している」と述べた。首相を激励し、自らを政権の「応援団」とも言い放った。普天間飛行場の5年以内運用停止が口約束であり、オスプレイの配備中止要請に全く言及がないなど、核心部分で実質「ゼロ回答」だったにもかかわらずだ。
21世紀ビジョンの基軸的な考えは、「潤いと活力をもたらす沖縄らしい優しい社会の構築」「日本と世界の架け橋となる強くしなやかな自立的経済の構築」の二つだ。会談での知事の「安保に寄与」発言には、沖縄の文化力や経済力、市民交流などソフトパワーで日本と世界の懸け橋になるとの発想がすっぽり抜け落ちている。沖縄の夢が詰め込まれた21世紀ビジョンを後退させてはならない。
三つ目は、戦後日本の原点だ。「戦争放棄」をうたった日本国憲法の下で平和国家、民主国家として歩み、戦後一度も戦争をしなかったことは世界に誇れることだ。
ところが、安倍政権は「積極的平和主義」を掲げ、集団的自衛権の行使容認や武器輸出三原則緩和、自衛隊増強など、軍事拡大路線をひた走っている。軍事力を過信せず、非軍事的な国力を駆使し、戦略的互恵関係の構築により安全を実現するのが、平和国家のあるべき姿だ。国民は戦争をする軍事国家への回帰など望んでいない。
「人間の安全保障」の提唱者の一人で、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・セン氏は「テロや大量虐殺と戦うことは大切だが、私たちは人間の安全を脅かすものが、暴力だけでなく、さまざまなかたちで現れることにも気づかなければならない」と指摘する。これは、人々や社会の安全を脅かす貧困、抑圧、差別などの社会的不正義を「構造的暴力」と定義し、その解消を「積極的平和」と位置づける平和学の概念とも通底する。
首相は軍事偏重の「積極的平和主義」ではなく「積極的平和」こそ追求し、沖縄で普天間撤去などを通じ構造的暴力を解消すべきだ。 わたしたちは、琉球王国時代の万国津梁の精神に倣い多国間の懸け橋となりたい。沖縄は東アジアの緊張を沈静化し、「軍事の要石」から「平和の要石」へ転換する構想を描くべきだろう。沖縄の尊厳と安全を守るために、ソフトパワーに磨きをかけていこう。
オキナワ・・・猫跨ぎ
沖縄については、その大局的な話を続けてしまうが、沖縄タイムスの論調の背後に、もうこんな事いくら言っても仕方がないという醒めた眼差しが見え隠れする。17年もつづいた普天間移設問題に、リアリストの仲井真知事が或る決定をした事について、この辺しか落とし所はないと皆感じているに違いない。
しかし、日本に組み込まれて何もいいことがなかったというのは本音だろう。太平洋戦争の激戦地になってしまったことは言うまでもないが、サイパンのバンザイクリフに立ったときの事を思い出す。日本統治時代サイパンは砂糖黍栽培が有力な産業で、入植したのは殆ど沖縄の人達だった。バンザイクリフはサイパンの北端。日本と言うより沖縄を思い描いて飛び込んだに違いないと思った。
実は沖縄に分離独立の構想がある。東アジアの中継商業国家としてやっていけるという。ならば、外国基地は勿論全部出て行って貰うのは当然だ。70歳を過ぎてこんな大局的話をしてもいいではないか。
しかし、日本に組み込まれて何もいいことがなかったというのは本音だろう。太平洋戦争の激戦地になってしまったことは言うまでもないが、サイパンのバンザイクリフに立ったときの事を思い出す。日本統治時代サイパンは砂糖黍栽培が有力な産業で、入植したのは殆ど沖縄の人達だった。バンザイクリフはサイパンの北端。日本と言うより沖縄を思い描いて飛び込んだに違いないと思った。
実は沖縄に分離独立の構想がある。東アジアの中継商業国家としてやっていけるという。ならば、外国基地は勿論全部出て行って貰うのは当然だ。70歳を過ぎてこんな大局的話をしてもいいではないか。
ウーム・・・・逸徳
俳句について。いや、よくわかんないのはね。俳句を詠むということ自体もう自己表現だろ。しかもそれをひとりでつぶやくのではなく、他者に公表することが前提だ。つまり「自分を出したい」のではないか。 季語に語らせその影に退くったって、もうその季語を選び、ある世界を語っても、そのこと自体、自分を出しているということでしょ。だからたとえばお師匠の作品は、お師匠をそのまま鏡に映しているなあということを感じるのです。 なんだかよくわからんが、俳句ブームそのものが「やたら自分を出したがる」現象ではないかね。
友人にプロのカメラマンがいる。世界中をとびまわり作品を送りだしているのだが、おもに「世界のこどもの顔」をとり歩いている。その作品を見ていて思ったんだが、子供たちのまなざしがとてもやさしいのである。そこで、はっと気がついた。 こどもたちはカメラをみているのではない。カメラをかまえている友人をみている、いや友人のまなざしのやさしさにこたえており、そこに一種の交感現象がおこっているのだと。 カラニシコフを構えている兵士に対しては、ああいうやさしいまなざしではこどもたちは見ないだろう。つまりとられた作品は明らかにカメラマンとしての、その場にたった友人のありようを鏡のようにうつしだしていたのだと。 作品が自己を語るとは、おそらくそういうことだという気がしている。
沖縄について。こういう事実を切り取ってドンと出してきて、さあどうする(とはいっていないか)と突きつけるのは、まさに西澤氏らしくていい。おいらはいやではない。だが、大局的、あるいは鳥瞰図的な議論は重要だが、それはもういい。 その議論を考えたら50年ずっとやってきたような気がする。でちっとも変らなかったんだ。くたびれた。 問題は残り少ないわれわれの人生の中で、そのような問題について、70歳を超えた「自分はどこにいるか」ということだと思う。 たとえば、海を奪われるひとりの辺野古の漁師にとって、彼とどんな向かい合い方をするのか。彼にとって自分とはいったいだれか。(もちろん抽象的な意味でだ。) その余の事はすべて雑事といったら言い過ぎか。 そっちのほうが気になる。
友人にプロのカメラマンがいる。世界中をとびまわり作品を送りだしているのだが、おもに「世界のこどもの顔」をとり歩いている。その作品を見ていて思ったんだが、子供たちのまなざしがとてもやさしいのである。そこで、はっと気がついた。 こどもたちはカメラをみているのではない。カメラをかまえている友人をみている、いや友人のまなざしのやさしさにこたえており、そこに一種の交感現象がおこっているのだと。 カラニシコフを構えている兵士に対しては、ああいうやさしいまなざしではこどもたちは見ないだろう。つまりとられた作品は明らかにカメラマンとしての、その場にたった友人のありようを鏡のようにうつしだしていたのだと。 作品が自己を語るとは、おそらくそういうことだという気がしている。
沖縄について。こういう事実を切り取ってドンと出してきて、さあどうする(とはいっていないか)と突きつけるのは、まさに西澤氏らしくていい。おいらはいやではない。だが、大局的、あるいは鳥瞰図的な議論は重要だが、それはもういい。 その議論を考えたら50年ずっとやってきたような気がする。でちっとも変らなかったんだ。くたびれた。 問題は残り少ないわれわれの人生の中で、そのような問題について、70歳を超えた「自分はどこにいるか」ということだと思う。 たとえば、海を奪われるひとりの辺野古の漁師にとって、彼とどんな向かい合い方をするのか。彼にとって自分とはいったいだれか。(もちろん抽象的な意味でだ。) その余の事はすべて雑事といったら言い過ぎか。 そっちのほうが気になる。
2014年1月4日土曜日
どうすればいいのか・・・猫跨ぎ
今、帰宅。沖縄タイムスの社説の転載がある。複雑な問題だ。辺野古埋め立てを拒否すれば、普天間基地の現状は半永久的に続くのだろう。どうすればいいのか。沖縄が日中和解の架け橋になればいいというのが最後に書かれているが、中国の帝国主義化は外国との関係性のなかで発生したのではなく、中国の内発的な欲望から起こっている。日本の首相が靖国参拝をやめて揉み手をしたって、どうなるものでもないのだ。
褌子氏はどうしたらいいという意見なのか。転載だけではしょうがない。意見を述べるべきだろう。
褌子氏はどうしたらいいという意見なのか。転載だけではしょうがない。意見を述べるべきだろう。
『沖縄タイムス』の元旦社説 ・・・褌子
仲井間沖縄県知事の辺野古埋め立て承認から5日後の『沖縄タイムス』の元旦号の社説を電子版で読んだので、以下転載してみる。
■■■
沖縄人は、どんな政治の下で生活したときに幸福になれるのだろうか。
「沖縄学の父」、伊波普猷は、絶筆となった「沖縄歴史物語」の最後で自問自答し、次のような印象的な言葉を残している。
「地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から解放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る」
沖縄戦が終わってからことしで69年、施政権が返還されてから42年がたつというのに、沖縄人はいまだに「にが世」から解放されていない。伊波が希求した「あま世」の夢は宙に浮いたままだ。
国策の犠牲を強いられ、その代償としてカネがばらまかれる。この構図は少しも変わっていない。
1995年以来の沖縄からの異議申し立ては安保のコストを沖縄に押し付け、安保の利益だけを享受する本土に向けられたものだった。
だが、仲井真弘多知事が辺野古の埋め立て申請を承認したことによって、本土の人々はこれから、沖縄の異議申し立てを正面から受け止めなくなるかもしれない。
「どうせまたカネでしょう」「結局、最後はお金だったね」。知事の埋め立て承認以来、そんな声が本土側から噴出している。
「物くいーしどぅ、我御主(わーうしゅー)」。耳にするのも嫌だが、沖縄にはそういうことわざがある。「物をくれる人が自分の主人である」という意味だ。
昨年暮れ、安倍晋三首相と会談したときの仲井真知事の振る舞いは沖縄の古いことわざを思い起こさせた。歴史の歯車が二回転も三回転も逆戻りしたような光景だった。
復帰後、そこまで卑屈な態度を示した知事がいただろうか。これからの沖縄を背負う若い世代ばかりか、本土の人たちにカネと基地を取引した、とみられるマイナスの影響は計り知れない。
95年以降の県民の取り組みは、一進一退を重ねながらもさまざまな成果を生み出した。抑止力や地理的優位性が根拠の薄い政治的プロパガンダにすぎないことを沖縄の人々は運動の中で学んだ。これは認識の大転換であり、後戻りすることはないだろう。
41市町村長と議会議長らが署名した「建白書」の提出によって、保守系首長や経済人の中にも県内移設を疑問視する声が出始めた。このような新しい動きも50年代の島ぐるみ闘争を除いてはかつてなかったことだ。
沖縄の戦後史は抵抗と妥協の歴史だった。
憲法が適用されず、基本的人権や自治権が無視された圧倒的な米軍統治下の中にあって、人間としての尊厳をかけて軍事権力と対峙(たいじ)し自ら権利を獲得してきた歴史体験が私たちにはある。これこそが未来に引き継ぐべき沖縄の無形の資産である。
私たちの先達の行動には現在につながる多くの励ましとヒントが隠されている。
沖縄のガンジーと称された伊江島の故阿波根昌鴻さん。
50年代に米軍による土地の強制接収に対し、県内をくまなく回り伊江島で行われている米軍の圧政を行動で示す「乞食(こじき)行進」を主導した。
非暴力の抵抗を貫き、「(米軍の)武力によって乞食を強いられている」ことを訴えた。土地問題は沖縄全体に広がり、乞食行進は復帰運動の原動力につながっていった。
70年代、金武湾で石油備蓄基地の建設に反対した「金武湾を守る会」代表世話人を務めた故安里清信さん。その思想は「海はひとの母である」という言葉に凝縮されている。
戦後の貧しい生活を支えたのは海からの恵みだった。安里さんは海と大地と地域住民が一緒になって生活基盤である環境を守る「生存権」の運動を牽引(けんいん)した。その精神は確実に引き継がれている。
沖縄を取り巻く東アジア情勢は、伊波の67年前の予言を裏切り、全く逆の方向に進みつつある。
沖縄が日中衝突の場に立たされる懸念は単なる懸念ではない。日中関係が戦後最悪の時期だからこそ、沖縄の地から「日中不戦」の取り組みを双方に促す役割を担いたい。「意地ぬ出じらぁ手引き、手ぬ出じらぁ意地引き」
【写真はわが家からみた元旦の夕焼け富士】
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沖縄人は、どんな政治の下で生活したときに幸福になれるのだろうか。
「沖縄学の父」、伊波普猷は、絶筆となった「沖縄歴史物語」の最後で自問自答し、次のような印象的な言葉を残している。
沖縄戦が終わってからことしで69年、施政権が返還されてから42年がたつというのに、沖縄人はいまだに「にが世」から解放されていない。伊波が希求した「あま世」の夢は宙に浮いたままだ。
国策の犠牲を強いられ、その代償としてカネがばらまかれる。この構図は少しも変わっていない。
1995年以来の沖縄からの異議申し立ては安保のコストを沖縄に押し付け、安保の利益だけを享受する本土に向けられたものだった。
だが、仲井真弘多知事が辺野古の埋め立て申請を承認したことによって、本土の人々はこれから、沖縄の異議申し立てを正面から受け止めなくなるかもしれない。
「どうせまたカネでしょう」「結局、最後はお金だったね」。知事の埋め立て承認以来、そんな声が本土側から噴出している。
「物くいーしどぅ、我御主(わーうしゅー)」。耳にするのも嫌だが、沖縄にはそういうことわざがある。「物をくれる人が自分の主人である」という意味だ。
昨年暮れ、安倍晋三首相と会談したときの仲井真知事の振る舞いは沖縄の古いことわざを思い起こさせた。歴史の歯車が二回転も三回転も逆戻りしたような光景だった。
復帰後、そこまで卑屈な態度を示した知事がいただろうか。これからの沖縄を背負う若い世代ばかりか、本土の人たちにカネと基地を取引した、とみられるマイナスの影響は計り知れない。
95年以降の県民の取り組みは、一進一退を重ねながらもさまざまな成果を生み出した。抑止力や地理的優位性が根拠の薄い政治的プロパガンダにすぎないことを沖縄の人々は運動の中で学んだ。これは認識の大転換であり、後戻りすることはないだろう。
41市町村長と議会議長らが署名した「建白書」の提出によって、保守系首長や経済人の中にも県内移設を疑問視する声が出始めた。このような新しい動きも50年代の島ぐるみ闘争を除いてはかつてなかったことだ。
沖縄の戦後史は抵抗と妥協の歴史だった。
憲法が適用されず、基本的人権や自治権が無視された圧倒的な米軍統治下の中にあって、人間としての尊厳をかけて軍事権力と対峙(たいじ)し自ら権利を獲得してきた歴史体験が私たちにはある。これこそが未来に引き継ぐべき沖縄の無形の資産である。
私たちの先達の行動には現在につながる多くの励ましとヒントが隠されている。
沖縄のガンジーと称された伊江島の故阿波根昌鴻さん。
50年代に米軍による土地の強制接収に対し、県内をくまなく回り伊江島で行われている米軍の圧政を行動で示す「乞食(こじき)行進」を主導した。
非暴力の抵抗を貫き、「(米軍の)武力によって乞食を強いられている」ことを訴えた。土地問題は沖縄全体に広がり、乞食行進は復帰運動の原動力につながっていった。
70年代、金武湾で石油備蓄基地の建設に反対した「金武湾を守る会」代表世話人を務めた故安里清信さん。その思想は「海はひとの母である」という言葉に凝縮されている。
戦後の貧しい生活を支えたのは海からの恵みだった。安里さんは海と大地と地域住民が一緒になって生活基盤である環境を守る「生存権」の運動を牽引(けんいん)した。その精神は確実に引き継がれている。
沖縄を取り巻く東アジア情勢は、伊波の67年前の予言を裏切り、全く逆の方向に進みつつある。
沖縄が日中衝突の場に立たされる懸念は単なる懸念ではない。日中関係が戦後最悪の時期だからこそ、沖縄の地から「日中不戦」の取り組みを双方に促す役割を担いたい。「意地ぬ出じらぁ手引き、手ぬ出じらぁ意地引き」
【写真はわが家からみた元旦の夕焼け富士】
俳句の効用・・・猫跨ぎ
己と俳句の関係で言えば、季語の意味とも重なるが、こんなことをいう人がいる。「現代人は特に、やたら自分を出したがる。俺が、俺が、とどうしてもなってしまう。季語の存在意義は、季語を前面に出し季語みなに語らせるところにある。己はその影に退くべきなんだ。」俳句は奥が深いと最近思うね。こんな文学形式を考えたのは一体誰なんだ。
これから、初句会に出掛ける。やれやれ。つづきはあとで。
これから、初句会に出掛ける。やれやれ。つづきはあとで。
今年の冬・・・・逸徳
お師匠にならい、最近の感想を。
俳句について。 興味を失ったわけではない。 駄作にも挑戦してみた。だが、どうも気にいらない。 おいらのポリシーとしては、季語辞典や、自分も読めないような漢字を使うことには抵抗がある。 で、なんですっきりと納得する作品をつくれないか、句作しようとジタバタしているときの自己心理を分析してみた。結局、なにかひとこと自分の思いを述べたくなってしまうのだ。ところが575では、これがきわめて困難。で、そんなことを考えていたら、ある作家(だれだか名を思い出せない)のことばにめぐりあった。 彼はいう。そういうやつは俳句はあきらめろと。 どうしても自分の思いをいれたいのなら、もう77とつなげて、和歌のほうがいいという。そうか、思いが77か。とハタと納得。つまりおいらは和歌党かもしれん。 そう思ったのが昨年の暮れ。だが、だからといって、すぐにどうとかなるわけでもない。まあ、今に期待していてくれい。
対人関係の変化について。このごろとみにそれを感じる。どういうことかというと、どうも周囲の世界のとらえ方が自分の中で変化してきているのである。図式的にいうと、現役までの対人関係は旭日旗型(なんとふるい表現!)だった。 自分を中心に放射線状にいろんな分野の世界がひろがっている。それぞれの世界は、案外独立していて、横に交流はすくない。そしてそれぞれの世界において、一番の外縁から、自己の中心に向かい、その関係性の深さにおいて異なる、他者がならんでいるのである。 これは別のことばでいえば、役割演技の世界かもしれない。つまりおいらは、いくつかの舞台をかけもちで渡り歩いていた役者だったのだ。いや、けっこう名優だったと思うのだが。
ところがだ、今はまったくちがう。世界は自分をとりまいで何層もの同心円状の世界の重なりになった。外縁のどこにおいても「おいらはおいら」であり、役割演技はしていない。そして、他者との関係において違うのは、その深さにおいて、相手がその同心円のどの程度の深さにいるかという問題だけである。
同心円を中心に向かって深まっていくと、中心にちかい層ほど、そこにおける登場人物は減っていく。そして中心は自分ひとりである。それは、孤独とか孤立とか寂しいというのとは全然違う。何かひとの存在の本質といった感じである。シェークスピアの名セリフに「ひとは泣きながらこの世に生まれてきて、たった一人で死んでいく」というのがあるが、最初このセリフを聞いたときシェークスピアというやろうはなんとさびしいことをいういやなやろうだ、と思ったが、どうもそうではないのではないかと思うようになった。
そうなると、対人関係の重要性の選別尺度は、「今、およびこれからの自分にとっての重要度」で選ぶということになる。義理やつきあいはもうどうでもよくなるのである。現役を引退するということは、そういうものがなくなるということなのだろう。 過去の人とのつきあいも「今の自分にとって意味のある過去」の登場人物との付き合いが優先される。こんなことを感じたのは中学の同窓会に出るという事を考えたときである。 正直なはなし、自分の世界観や人格形成の中心は高校から大学のころであって、中学の同窓生とは、卒業後の生活も体験もほとんど重ならない。だから顔をあわせても共通の話題がない。いや、もっとはっきりいえば、その場では相手にあわせて「懐かしい幼馴染」の役を演じているに過ぎない。そしてそれはくたびれるのである。いや、おいらの中学時代が悲惨であったというのではない。それなりに楽しかった。だが「今の自分にとって意味のある過去」だったかといえば、それほどではない。考えてみれは数十年ぶりにあった同級生というのは、実は赤の他人とかわらなくなっているのである。そんなことを考えているおいらは冷たいのであろうか。でもまあいいや。イイヒトを演じるのはもうしんどい。 残された時間は本音で生きたいのである。
そうかんがえていると、どんどん自分のまわりの人間関係が変化してきているのに気が付く。 半径100メートル以内のひとが大切になってきた。 そしてホントに大切なものは、実はそんなにないのではないかという気がしてきたこのごろなのだ。 17日 いけたら行きたいなあ。
俳句について。 興味を失ったわけではない。 駄作にも挑戦してみた。だが、どうも気にいらない。 おいらのポリシーとしては、季語辞典や、自分も読めないような漢字を使うことには抵抗がある。 で、なんですっきりと納得する作品をつくれないか、句作しようとジタバタしているときの自己心理を分析してみた。結局、なにかひとこと自分の思いを述べたくなってしまうのだ。ところが575では、これがきわめて困難。で、そんなことを考えていたら、ある作家(だれだか名を思い出せない)のことばにめぐりあった。 彼はいう。そういうやつは俳句はあきらめろと。 どうしても自分の思いをいれたいのなら、もう77とつなげて、和歌のほうがいいという。そうか、思いが77か。とハタと納得。つまりおいらは和歌党かもしれん。 そう思ったのが昨年の暮れ。だが、だからといって、すぐにどうとかなるわけでもない。まあ、今に期待していてくれい。
対人関係の変化について。このごろとみにそれを感じる。どういうことかというと、どうも周囲の世界のとらえ方が自分の中で変化してきているのである。図式的にいうと、現役までの対人関係は旭日旗型(なんとふるい表現!)だった。 自分を中心に放射線状にいろんな分野の世界がひろがっている。それぞれの世界は、案外独立していて、横に交流はすくない。そしてそれぞれの世界において、一番の外縁から、自己の中心に向かい、その関係性の深さにおいて異なる、他者がならんでいるのである。 これは別のことばでいえば、役割演技の世界かもしれない。つまりおいらは、いくつかの舞台をかけもちで渡り歩いていた役者だったのだ。いや、けっこう名優だったと思うのだが。
ところがだ、今はまったくちがう。世界は自分をとりまいで何層もの同心円状の世界の重なりになった。外縁のどこにおいても「おいらはおいら」であり、役割演技はしていない。そして、他者との関係において違うのは、その深さにおいて、相手がその同心円のどの程度の深さにいるかという問題だけである。
同心円を中心に向かって深まっていくと、中心にちかい層ほど、そこにおける登場人物は減っていく。そして中心は自分ひとりである。それは、孤独とか孤立とか寂しいというのとは全然違う。何かひとの存在の本質といった感じである。シェークスピアの名セリフに「ひとは泣きながらこの世に生まれてきて、たった一人で死んでいく」というのがあるが、最初このセリフを聞いたときシェークスピアというやろうはなんとさびしいことをいういやなやろうだ、と思ったが、どうもそうではないのではないかと思うようになった。
そうなると、対人関係の重要性の選別尺度は、「今、およびこれからの自分にとっての重要度」で選ぶということになる。義理やつきあいはもうどうでもよくなるのである。現役を引退するということは、そういうものがなくなるということなのだろう。 過去の人とのつきあいも「今の自分にとって意味のある過去」の登場人物との付き合いが優先される。こんなことを感じたのは中学の同窓会に出るという事を考えたときである。 正直なはなし、自分の世界観や人格形成の中心は高校から大学のころであって、中学の同窓生とは、卒業後の生活も体験もほとんど重ならない。だから顔をあわせても共通の話題がない。いや、もっとはっきりいえば、その場では相手にあわせて「懐かしい幼馴染」の役を演じているに過ぎない。そしてそれはくたびれるのである。いや、おいらの中学時代が悲惨であったというのではない。それなりに楽しかった。だが「今の自分にとって意味のある過去」だったかといえば、それほどではない。考えてみれは数十年ぶりにあった同級生というのは、実は赤の他人とかわらなくなっているのである。そんなことを考えているおいらは冷たいのであろうか。でもまあいいや。イイヒトを演じるのはもうしんどい。 残された時間は本音で生きたいのである。
そうかんがえていると、どんどん自分のまわりの人間関係が変化してきているのに気が付く。 半径100メートル以内のひとが大切になってきた。 そしてホントに大切なものは、実はそんなにないのではないかという気がしてきたこのごろなのだ。 17日 いけたら行きたいなあ。
2014年1月3日金曜日
今年の正月・・・猫跨ぎ
明けましておめでとう。
孫たちも帰って行った。幼いと思いながらも久し振りに見るとそれなりに成長し、時に生意気なことを言って笑わせたりする。そう、それだけこちらが老けたわけだ。ビール、日本酒、ワイン、久々に飲んだが、とっくに酒量は息子に追いこされている。
昨年暮れ大瀧詠一というミュージシャンが急逝した。ポップス界の大御所と言うが、勿論全く知らない人だ。ラジオ深夜便をぼんやり聞いていたら、偲んで彼の曲が流れている。
なにかしみじみと心に沁みてきた。曲紹介を聞くと薬師丸ひろ子の「探偵物語」。歌詞がいい。十代の女の子の恋の予感、おののきが繊細に、せつなく歌われる。そうか、作詞は松本隆。彼はいい。実に洒落ている、何というか切れ味があざやか。そして大瀧詠一の曲が実にいい。この引き込まれる魅力はどうだ。演歌とは違う旋律に揺すぶられる感覚が自分にもいつの間にかビルドインしていたことに驚く。そして薬師丸ひろ子の歌声―ストレートな簡素な響きがいい。岩崎ひろみ、松田聖子、みなこの哀しみは出ない。
アマゾンで早速ダウンロードして、繰り返し聞いている。あまりいいので、この歌手の「歌物語」CDをまるごとダウンロード。しかし、探偵物語に匹敵するものはない。いいね。正月早々、爺さんは癒されている。
孫たちも帰って行った。幼いと思いながらも久し振りに見るとそれなりに成長し、時に生意気なことを言って笑わせたりする。そう、それだけこちらが老けたわけだ。ビール、日本酒、ワイン、久々に飲んだが、とっくに酒量は息子に追いこされている。
昨年暮れ大瀧詠一というミュージシャンが急逝した。ポップス界の大御所と言うが、勿論全く知らない人だ。ラジオ深夜便をぼんやり聞いていたら、偲んで彼の曲が流れている。
なにかしみじみと心に沁みてきた。曲紹介を聞くと薬師丸ひろ子の「探偵物語」。歌詞がいい。十代の女の子の恋の予感、おののきが繊細に、せつなく歌われる。そうか、作詞は松本隆。彼はいい。実に洒落ている、何というか切れ味があざやか。そして大瀧詠一の曲が実にいい。この引き込まれる魅力はどうだ。演歌とは違う旋律に揺すぶられる感覚が自分にもいつの間にかビルドインしていたことに驚く。そして薬師丸ひろ子の歌声―ストレートな簡素な響きがいい。岩崎ひろみ、松田聖子、みなこの哀しみは出ない。
アマゾンで早速ダウンロードして、繰り返し聞いている。あまりいいので、この歌手の「歌物語」CDをまるごとダウンロード。しかし、探偵物語に匹敵するものはない。いいね。正月早々、爺さんは癒されている。
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