2014年1月8日水曜日

映画『ハンナ・アーレント』    ・・・褌子

  沖縄の未来は沖縄のひとが決めるのである。わたしは沖縄に新しい軍事基地をつくるのは反対で1月19日投票の名護市長選挙には稲嶺市長に再選してほしいと願っている。周りのひとから選挙募金を集めておととい22000円送った。わたしにできることはそんなことしかない。 
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 マルガレイテ・フォン・トロッタ監督の映画『ハンナ・アーレント』

 ハンナ・アーレントはユダヤ人女性。ナチのユダヤ人収容所から命がけで夫とアメリカに逃げてきたニューヨークの大学教授。著名な哲学者として学生たちには絶大な人気があり、夫からも友人からも敬愛されている。相思相愛の夫とのあいだに子供はいないが家庭では料理もしてお客をもてなす。年中、たばこを吸って思索にふけって文章を書き、学生に講義する。戦前、ドイツの大学の哲学科の学生であったハンナは哲学者ハイデッカーの愛弟子として、ハイデッカーの個人的な愛をうけた秘められた過去ももつ。ハイデッカーはナチス党員であったと戦後、追及された。
 1960年アイヒマンがイスラエル諜報機関に南米で逮捕され、裁判になるというニュースをきいてハンナは裁判を傍聴しに1961年にエルサレムにでかける。
 数百万人ものユダヤ人をヨーロッパ各地の強制収容所のガス室に貨車で送り込む輸送責任者だったアイヒマン。ナチの迫害でこの世の地獄を経験したユダヤ人にとって憎んでも憎みきれないアイヒマン。エルサレムの法廷で、傍聴者の憎しみを一身にうけながら防弾ガラスに護られて被告席に座っているアイヒマン。家族を皆殺しにされたユダヤ人証言者は憎しみのあまり、証言席で卒倒する場面もある。(これは白黒の記録映画で私も昔みた記憶がある)
 しかし傍聴席のハンナが、防弾ガラスごしにじっと凝視したアイヒマンは、悪魔でも悪人でもなかったのだ!
 「わたしは上司の命令通りに仕事しただけです」と繰り返すことしか能がない凡庸な役人だったのだ。(ナチス高官ではなく最終階級は中佐にすぎない)
 人類に対する犯罪を犯していたアイヒマン自身が、自分がいったいなにをやっているのか考えてなかったことに衝撃をうけるハンナ。ホロコーストという人類史上でも類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではない、思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結だったのだ。 
 自分の命だけは助かりたいとナチと裏取り引きし、貧しい下層のユダヤ人大衆たちの収容所送りにすすんで協力したユダヤ人指導者たちのほうがアイヒマンよりも悪人かもしれないとハンナは考えるのである。(ユダヤ人狩りにユダヤ人指導者を利用し尽くすと、ナチは最後に指導者たちも全部ガス室に送り込んだのだが…)
 ユダヤ人検事の追及と被告の反論がさっぱりかみあわないままの死刑判決で終わったアイヒマン裁判。その傍聴記録の真実と人間にとって絶対悪とは何かという思索をユダヤ人哲学者のハンナが発表すると、ファシズムを憎む世界中の人々から、特に収容所で生き延びた同僚のユダヤ人教授からも「裏切り者!」とごうごうたる非難をうける。大学の教授会も辞職勧告を出すが、ハンナは不屈の精神で、「考えることをやめた人間の悪とは何か」、「ファシズムを未然にふせぐには個人はどうすればいいのか」と、夫とごく限られた友人だけに支えられて不屈に闘い続けるのである。

  ―――――以上は映画のあらすじだが、ハンナ・アーレント(1906~1975)は写真に見る実在の思想家で主著は『全体主義の起源』 

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