2011年2月10日木曜日

旅してきました その2・・・褌子

   男の独り旅を二人でやった。
   旅程はすべて逸徳さんがきめて、わたしはひたすら氏の思索の邪魔をせぬように静かにお供させていただき、そのうえ夜寝ていると乾燥肌がむしょうに痒くなり、氏に背中をかいてもらったりかゆみ止めクリームをぬってもらったりお世話になりっぱなしでした。【写真 ⇒雪の中、深浦の駅長さんに撮ってもらった】
   車中でも高級ウィスキーをごちそうになりながらの滋味深く実り多い対談の数々・・・・。
   感嘆したのは、五能線の中間地点での宿泊先を青森県深浦ときめた氏の感性の豊かさである。じつは深浦は佐渡出身の小生が研究テーマとしている北前船の重要な寄港地であったのだ。





   「風待ち館」は逸徳さんが交渉して九時前から開館してもらい、短時間であるが北前船に関する重要な知見を得ることができたのは感謝に堪えない。






   まことにうかつだったが、深浦には日本最大の大銀杏があることを忘れていた。ホテルにその写真があってはじめて気がついたが、大雪の中タクシーでいくのは大変で大金がかかりそうなので断念。いつか、女房と訪ねたい。
  吹雪の日本海の怒濤をききながらの露天風呂のあとの酒と海鮮料理。ふと逸徳さんが猫跨ぎ氏に電話をしたら常夏のグアムにつながったのは一驚であった。
  秋田で食べた比内鶏のスープに浮かぶキリタンポ、ハタハタの焼き魚も絶品。だが寒空のなかで入った「斜陽館」ちかくの400円ラーメンが実は一番うまかった。

  五能線で乗客がまばらになり逸徳さんと親しく話をしたふたりの女子高生の受験生も印象ぶかい。そのあと二両の客車はおれたちだけになった。
  五所川原で乗った津軽鉄道でのストーブ列車で小生とごくごくしぜんに堅く握手をした↑の津軽美人の客室乗務員は、軍手でスルメを焼いてくれ逸徳さんに裂いて食べさせてくれた。彼女の素朴な津軽弁、あの日本酒の味がいつまでも忘れられない。
   「斜陽館」での太宰治の津島家の詳細な系図をよーくみたが正妻の娘の作家津島佑子氏がでているが、愛人との間の娘である作家太田治子氏の名前はどこにもなかった。太田治子さんは先年、はじめて父が生まれた「斜陽館」をたずねることができたという。貧しい寒村のなかにそびえたつ成金趣味の大地主の豪邸。太宰はどんなにこの家にうまれたことを嫌悪したことだろう。
   うちきな小生とちがって逸徳さんは青森の一杯飲み屋の色白細身のママさんにしきりに話しかけて、ごちそうしてくれた焼きホタテ貝、とりたてのメカブ、そして田酒の利き酒・・・翌日は連日の酒でどっと疲れがでて特急白鳥で居眠りしていたら、あっというまに海底トンネルをとおりこして木古内だった。青函トンネルへ入る瞬間を期待していたのに…。
   函館駅での仁ちゃんご夫妻との劇的再会。
   タクシーで空港へ向かう。函館は思ったよりも暖かく道路に古い雪が山積みになっている。こういう景色がみたかったんだ。そのご函館空港で仁ちゃんの近況、俳話などに三人の話がはずんだのはいうまでもない。
   いやあ旅ってほんとにいいもんだねえ!!
   仁ちゃん暖かい千葉へも来て下さいよー
【写真 ⇒風待ち館の北前船・石炭ストーブでスルメ焼いてくれた北山麗理さん有り難う、また会おうね!・下が22メートルの五所川原のネプタ=“らっせーらっせー“”は侵略者大和朝廷軍を殺せー殺せーという意味なんだときいたことがある】

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