2011年2月17日木曜日

八百長のはなし(つづき)    九州の熊

八百長はあってほしくないという思いがいつのまにかあるはずがない、そう思いたい、という論調になっていると自分ながら思う。でも・・、なにかひっかかるものがある。
「昔の相撲を思い出して確実にあれは八百長だと感じたのが・・大鵬vs柏戸の一番。ああ大鵬が譲ったなと直感した。・・優勝をかけた貴乃花vs若乃花の兄弟対決。明らかに貴乃花は兄に勝ちを譲ったと思った。・・」 直観した、思ったという感覚は氏の感性なのか、大部分のひとがそう感じるような場面だったのか。多分後者なのだろう。ではなぜそのことがなんの波風もたたずに通り過ぎてしまったのか。相撲に関する大部分の日本人の認識がそういう見方を容認するようになっていたと考えざるをえない。相撲とはそういうものという仁ちゃんやひでを氏の主張に通じる。やはり相撲は見世物だったのだ。プロレスと同質のものだったのだ。
肉弾戦は迫力がある、八百長っぽい取り組みとそうでない真剣勝負はみるものが適宜判断すればいい、それを含めて相撲文化だ、あまりかたく考えなくても・・。こんなところが最後のおとしどころか?
それを認めたとして・・。いまのマスコミや当事者である相撲協会のうごきはなんだろう。¨過去には一切なかった初めてのできごと。徹底して事実を究明し再発防止をはかる・・。関係したものは厳罰に処する・・¨ なんとしらじらしい。今回はゲンナマが絡んでいるから?ゲンナマの授受とわたしのような馬鹿正直なファンを欺いた罪と、どちらが不条理だろうか。いっそのこと協会は、¨いや相撲というものはそういう阿吽の呼吸の世界で成り立っている日本古来の伝統文化なんです。金銭の授受はけしからん話だから防止策を講じるにしても阿吽の呼吸は今後もつづくと思うのでその辺をファンのみなさまの胸の内に納めていただきひきつづきよろしくご声援をお願いいたします¨と正直にコメントしたらわたしは拍手喝さいするだろう。少なくとも¨相撲は柔道とおなじ格闘技、そして勝ち負けを競う純粋なスポーツ¨という青臭い認識はとりさげることにしよう。
蛇足だけど・・。「八百長を続ければ大相撲は自然淘汰されてなくなるでしょう」というのは多分ないとわたしは思う。日本人の相撲文化に関する認識がそう簡単に変化するとは思えないから。協会が今回の大騒ぎに対して正面から根本解決に取り組む決意をするならはなしは別だけど。¨いままでなかったこと¨とコメントしているうちはだめだね。

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