2011年2月28日月曜日

仁ちゃん句鑑賞・・・・逸徳

函館駅で、仁ちゃんと再会し元気な顔を見て、うれしかったが、その後のニュースが「慢性硬膜下血腫」とはおどろいた。大事にしてほしい。やばいと思ったらさっさと手術したほうがいいかもしれない。おいらなんか、大腸ポリープで、カメラを10回もいれた。つまり同じ医者に10回も肛門を見せたわけで、最後にはなんとなく親愛の情を感じてきたな。で、スーパーだって10回もくりゃあ割引になるんだから、料金はまからんかと聞いたら、怒られた。とにかく身体の自然の老化はかぜひきみたいなものでやむをえん、さっさと車のオーバーホールとおんなじで直せばいいんだと思って、自分をなぐさめているが、脳の老化ばかりは困ってしまう。うまくおりあいがつかないのだ。どういう風にしてゆっくりとぼけていくか、その方途を考えているのだが・・・・。 しかしだ、今回の句はいいな。仁ちゃんの世界が出ていると思うし、どの句も素直にイメージがつたわり、それが暖かい。 まあ、慢性硬膜下血腫があきらかに中身に何の影響もしていないことがよくわかり、安心である。 
 
 ・ 風呂敷の鹿の子絞りや水の春・・・・・・・水面に石を投げると波紋が広がる。鹿の子絞りの模様から、その光景を連想したのは面白いし楽しい。うちにその風呂敷があったのでひろげてながめていたら、なんだか小さい波紋がいっぱいあるので、水面ににわか雨がふってきたようなイメージがわいた。で、「風呂敷の鹿の子絞りや春の雨」なんて考えたがどうかな。
 ・ 薄氷の向こうに地球歪みけり・・・・・ わかるわかる、ニュージーランド地震のことだな。薄氷のあぶなさが、地震の持つ緊張感のあるイメージによくつながる。はかないものに対して不動の大地。だがそれだってゆがむことがある。ただその事実にわれらたちすくむのみ。
 ・ 一分前発車ベル鳴る蕗の薹・・・・・ 汽車のイメージは前にもうまくつかっていたなあ。たしかタンポポを詠んだ句。 この蕗の薹は、作者はどこでみたのだろう。まさかプラットホームに蕗の薹が生えているわけもあるまい。田舎の小さな駅かな?? 発車のベルと蕗の薹をイメージの世界でなんとかつなげようとすると、いろんな想像がひろがってくる。
だが、おいらとしてはこれは心象風景の蕗の薹かなとも感じた。 だって発車1分前のベルは、これからおこる出発という大事件の予告なのだし、蕗の薹も来る春の予告だ。なんとなく心弾むエネルギーがあるところに共通性を感じた。
 ・ 鰊群来一粒ごとの宇宙かな・・・・・群来ると書いてくきると読ませるのは、北海道にわたって最初に覚えた言葉のひとつだった。北海道らしいと感動したのを覚えている。鰊が戻ってきたというニュースを聞いた記憶があるが、最近はどうなのかな。下の句で金子みすずの詩を思い出した。もっともあれはイワシだったか。
 ・バス停に今置いてきた春の夜・・・・・ いいなあ、この「春の夜」はどんな夜だったのだろう。したしい仲間との語らい? 家族の歓談? それとも恋人との一夜のデート?? その楽しさや優しさを全部バス停において、暖かい思いだけ懐いて作者はただ一人夜のバスに乗るのだ。このバスはどこにいくのか。 人の生は孤独だが、孤立ではない。そこまで考えされる。
 ・ 春の土五感の地図を塗り替えて・・・・・・北国の暮らしで一番いい季節がこれから来る。 薄汚れた雪の下から、黒い土がちらほらと顔をだし、青空と一年ぶりの再会のあいさつをしている。吹いてくる風にふくまれる針は、心なしか少なくなって、何かオーケストラの開幕直前のときめきがあるな。
 ・ 囀りや右から左アラビア語・・・・・ あっというまに右から左に飛びすぎた名も知らぬ小鳥のさえずりが、なんとないているのかよくわからないまま、それを右から左に筆記する、意味のわからんアラビア語につなげたのは面白いなあ。こういうイメージの遊びは楽しいね。
 ・ 道糸を二号に決めて春の雪・・・・・・釣りをしないので、この光景はよくわからん。で、コメントは控えます。 そもそも釣りという行為がよくわからんのだ。なんだか魚をだましてつかまえるなんて罪深いと思ってしまう。すみません。
 ・ 冴返る永字八法なぞりけり・・・・・・ この句に出会い、永字八法なる言葉を初めて知った。なーるほどとひざをたたいて勉強になった。深夜ひとり筆を持つ仁ちゃんを想像したよ。悪筆のおいらにはうらやましい世界。
 ・ 蜆船頁をめくる閲覧者・・・・・・これわからん。イメージが浮かばん。図書館で「蜆船」という語を調べているのだろうか。 解説希望。

というわけで、今回はまこと素直な世界がならんでいて甲乙つけがたく、独断と好みで、鰊群来とバス停の句を特選とさせていただきまする。 おそまつ。


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