相撲の八百長の件、私は昔から多かれ少なかれあったと思っています。昔から「相撲はタニマチの芸」と聞いていたし江戸時代に遡れば一部に八百長があっても当然だったと思いますよ。力士だけで八百長をやるのではなくご贔屓さん、スポンサーと色々な人が絡んで仕組まれたことが有ったのではないでしょうか。
勿論私も相撲は大好きです。殆どの取り組みは真面目に、真剣にやっているけど中にはぼやけた取り組みもあるように私には見えます。そのトータルが相撲だと思って観ています。大変生温い観賞の仕方でしょう。
相撲の立合いを見ていると、鼻差、首差で決着した競馬のゴールを見ている時と同じ瞬間的な美さえ感じています。それだけ相撲は瞬間的、刹那的なプロスポーツなのと違いますか。同じ格闘技でもボクシングはどうも好きになれません。
八百長を続ければ大相撲は自然淘汰されてなくなるでしょう。しかし、真面目に取り組んできた者が残って再出発すればいいんじゃないでしょうか。今回の自浄作用がどこまで進んで行くのか予想はまだつきません。相撲世界という社会の中の一つの小世界がどういう風に変わって行くのかを自分で見極めるのも暇な老人の一つの楽しみにさせて下さい。
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