2011年7月30日土曜日

天皇 ・・・ 猫跨ぎ

  いわゆる旧天皇制をもっとも厭わしく思っているのは当今その人ではないかと思う。そういう印象だね。「国民の統合の象徴」はいろんな解釈ができるが、平たく言って心の支え、寄り添い、その役に立てばと思っているのではないか。いうなれば祭儀の長。もともと天皇はそういう存在だったのだから。そういう天皇制は意味あることだと思うね。

小野蕪子補足 ・・・猫跨ぎ

  新興俳句事件で小野蕪子はスパイという位置づけではなくて体制側にいて文化全般に睨みを利かせた人物。それは周知だった。一時睨まれた中村草田男もホトトギス幹部の口利きで挨拶に出向いて頭を下げたとか。スパイはいたらしい。結社に入って同人の顔で句会に参加していた。
 まあしかし、くくられた俳人自身が何で?と眉に唾だったのでないか。この話、前にもあったと思うが、山本健吉は、昭和初期に日本共産党を壊滅させてから、特高も手持ち無沙汰になった。組織維持のための一仕事だったのでは、と言っている。そんなところが正直なところかもしれない。それにしても自分の気に入らぬ人物をこれを好機に陥れたり、無批判に当局に迎合して被疑者を苦しめるとか、いろんな陰惨な付録が必ずあるなあ。

小野某・・・褌子

小野蕪子(おのぶし)はじめてきく名前だ。
スパイでは松村昇[本名・飯塚盈延(みつのぶ)]が有名。特高は松村をつかって戦前の日本共産党を壊滅させて反戦勢力掃討に全力をあげていた。新興俳句事件、信州教員赤化事件など。信州の教員はこの弾圧事件の反動で、満蒙開拓青少年義勇軍派遣にいちばん熱心な県になったといわれている。
いまは石原都知事が東京都教育委員会をつかってかつての戦争賛美の中学校教科書導入に全力をあげている。先日採択されたこの公民教科書は原発を賛美しているそうだ。この先頭にたっているのが将棋の米長九段で園遊会で平成天皇に「強制はいけません」とたしなめられた人物。
現天皇は即位のときに「日本国憲法の厳守」を宣言し、韓国訪問では「うちの先祖の桓武天皇の母親は新羅の王女でした」と天皇家のルーツは朝鮮ですと告白したり、夫婦で沖縄戦やサイパンの慰霊にいったり、満蒙開拓団がひきあげて栃木の山村での再開拓している子弟たちを訪ねたりしている。戦後、アメリカ人のバイニング未亡人を家庭教師にむかえて平和教育をうけたといわれている。中学時代のお習字で『平和日本の建設』と楷書で書いているのをジョン・ダワー『敗北に抱かれて』でみた。
…なんだか話がそれてしまったなあ。

小松左京・・・褌子

小松左京の『日本沈没』は昭和48年だという。日本人はこの本でプレートテクニクス理論による巨大地震発生のメカニズムを学んだのだそうだ。わたしは読んだ記憶はないが、某年3月11日に日本を沈没させる超巨大地震が起きると書いてあるそうだ。
国兼さんの発言は人類の未来を予見しているようで興味深い。サル目ヒト科の現存種ホモ‐サピエンスただ1種がこんなに地球の隅々まではびこって化石燃料をほじくりかえし核分裂放射能で汚染し、遺伝子操作まではじめたのだから、こんなことがいつまでも続けられるわけがない。いずれは絶滅の運命をたどるのだろう。仮に進化して生き延びたとしても太陽の最期の爆発で地球はのみこまれる運命にある。そのまえに地球外天体への移住が可能だろうか。手塚治虫はくりかえし人類の運命を描いた。黒澤明も「夢」「生き者の記録」「八月のラプソデー」などで放射汚染問題を描いて人類に警告した。いままた千年の一度の巨大地震発生のとしに小松左京が逝ったのである。

2011年7月29日金曜日

小松左京的SF・・・国兼

昨日の新聞によると、日本の女性の平均寿命が世界一の86歳を越え、男性も80歳近くになったという。先週、85歳の従兄弟の葬式で札幌に行ってきた。ホテルで何気なく新聞を見ていたら、前日かそこらで北海道全体で亡くなった人の名前が出ている。北海道では毎日110人前後の人は亡くなっているようだが、100歳を越える人は5名位で、総て女性である。90歳台で亡くなった人は13,4名いたが男女半々位である。100歳という年齢が男にとっての壁なのかもしれない。それにしても長寿になったものだ。

 いずれ数十年後には、iPS細胞による再生医術の進歩により、へたった肝臓や腎臓、更には縮小した脳の一部を置き換え、また長寿の遺伝子を改良して寿命は更に延びるに違いない。正に、始皇帝の望んだ「不死の世界」に近づく。150歳、160歳は珍しくなくなる。そうすると、バイアグラを遥かに越える性能の薬剤も開発されることだろう。只でさえ多いこの地球の人口増加に、これらの若爺さんと若婆さんの連中も参加し止め処もなくなることだろう。食物連鎖の最強上位にいるこのホモ属の増加により、海の幸も森の幸も枯渇してしまう。やがて、摂取すべきタンパク質等の栄養不足により脳も身体も縮小していくだろう。そのうちに氷河期が近づき、食料は更に乏しく、寒さを凌ぐにも獣がいない。更に縮小して、穴倉生活を余儀なくされ、やがてモグラのように体毛が生えてくる。餌を求め、穴を掘りまくって突き進んでいくうちに、仄かに暖かなところに遭遇し歓喜する。これが、かって祖先のホモ属が埋めた恐るべき原発の廃棄物とも知らず・・・。
 小松左京さんの死を悼んで。


昭和俳句弾圧事件・・・猫跨ぎ

  古本市に出かけたまたま買った「密告―昭和俳句弾圧事件」小堺昭三著。読み始めると止まらず一晩で読んでしまった。戦前の京大事件、それに続いての全国的な新興俳句弾圧事件である。昭和6年ころホトトギスに飽きたらぬ俳人達がはじめたのが新興俳句運動である。モダニズム、リベラリズム、プロレタリア運動など幾多の潮流が流れ込んで多彩な発展をみせつつあった。ところがこの最盛期に日中戦争が勃発した。俳人達の出征も多く、前線の生々しい表現とか、内地での銃後俳句などあったが、次第に厭戦的な傾向も反映するのも自然な流れ。
  これが国家総動員法を背景に一段と締め付けを企図していた治安当局の目にとまった。次々と捕縛され、作品の意図、背景を尋問され、最終的に「共産主義者」であることを自白させられ、罪人に仕立てられる。特高のシナリオ通り。俳句詠みなど文弱の徒の最たるもの、馬鹿馬鹿しいほどの理不尽さだが、あっという間に壊滅させられた。職業を追われ、家族ともども世間の白い目の中、生活は困窮する。それよりも、精神の或る部分が壊される。戦後も跡をひき、結局人生を狂わされた人が大半だ。まだ生存する当事者から取材しており迫真的。
  興味深いのはこの極めて陰惨な事件に、野心に満ちたある密告者の演出があったということである。小学校準教諭からはじまり、ジャーナリズムに転じて出世を重ねて、所謂文化人として体制側に食い込んでいった人物。俳句もよくした。小野蕪子という人物である。終戦前に病没しているから今は知る人も余りいない。この人物から多くの情報が治安当局に流れた。個人的には清く正しい日本主義者。新興俳句など理解しようもなく薄汚い存在だった。
  さて虚子以下ホトトギスはどうしていたか。見て見ぬふりだ。もともと取り締まりの対象ではなかったが、仮にも影響がこちらに来ないように賢く振る舞っていた。

  いま俳壇を見ていて、いわゆる伝統俳句(ホトトギス)と新興俳句の流れをくむ人々の間に、単なる文芸上の路線とは異なる違和感がある。確かにある。どうも戦前の弾圧事件の記憶がそうさせているという気がする。

2011年7月28日木曜日

補足・・・猫跨ぎ

  中国高速鉄道の事故の件で国兼さんの投稿を見て思い出したことがある。毛沢東の発言だ。冷戦真っ只中の頃、モスクワに東側の首脳が集まった。核戦争の議題になり、東欧の首脳が口々に不安を述べたところ、毛沢東が一喝した。「君達は何を恐れているのか。我が国は一億人の犠牲を出そうともまだ六億人いる」と言ったという。中国の人口が七億だった頃の話。
  胡錦涛政権が終幕を迎えようとしている。後継は習近平副主席が有力とされるが、胡錦涛に近いグループの推す人物が対抗馬にいるらしい。実は今回の事故の後始末、責任を巡って両派が複雑な綱引きをしているとか。人治ここに極まれりというしかない。

2011年7月27日水曜日

雑感(1)・・・国兼

その1:中国の新幹線衝突事故のこと
 事故後の2,3日後には普通どおり列車が通過する。何とも云えぬ、迅速なる対応かなと驚く次第。掘って、埋めて、又掘って、という炭坑節の感じである。以前なら埋めてで終わっていたことだろう。インターネットの世界では・・さすがの中国も掘り返さざるを得なかった。中国にとって死傷者300人にも満たない事故なんていうのは、大騒ぎに価しない些細な事故なのだろう。それよりも、十日も二十日もかけて事故調査しているうちに北京等大都市の駅で電車を待っている大勢の人民の怒りのはけ口とその飛び火の方が恐ろしいことだろう。早急に人民を各地に輸送・分散することが最重要項目なのだ。下手すると、天安門事件の再来である。
 いずれまた、事故が再発し、死傷者が出るだろう。かって、毛沢東は朝鮮戦争に参加したときに「たとえ、アメリカの原爆で中国人が1千万人、1億人死のうとも、まだ4,5億人が健在である」と。この国にとって「人命は鴻毛よりも軽い」存在なのである(かっての日本も産めよ増やせよと、そして赤紙一枚で戦場に送られた過去を持つだけにえらそうなことはいえないが)。

 その2:原発について
高木仁三郎氏の「人間の顔をした科学」を読み、以前この欄で燃料棒「君」と敬称をつけていったが、早とちりの感がする。十数年前の東海村で起こったウランの臨界事故で、10km範囲の人が屋外避難をし、死亡者を含めて五百人を越える人が被爆したが、作業員がバケツで酸化ウランを入れていたというニュースを読み、愚かなる人為ミスだと一笑した。本によると、臨界濃度以上に達したウランの連鎖的に反応したウランの量はたった1mgという。こんな」量で、こんな被害がと・・・。技術的な中味も知らずに、高速増殖炉とかプルサーマルという、響きの良い次世代の原発こそが資源の無いこの国には必須と思っていた。この本を読んでその実体を知ると、ウランによる原発よりも遥かに恐るべき原発であり、地震列島といわれるこの国の後世の人には残すべき遺産では決してない。
 今日、東急ストアで買い物をしてきたが、福島産のほうれん草が片隅でひっそりと売られていた。メインの野菜コーナーには秋田産のほうれん草が倍の値段で売られている。このようなことをこの国で二度と起こすべきでないという後世への教訓とすべきであろう。

法治と人治・・・猫跨ぎ

  中国の高速鉄道事故をもう一度考えたい。国家のありようだが。先頭車輌をさっさと埋めた。インターネットでさんざん叩かれると、慌てて掘り出した。そして事故調査と称してどこへやら姿を消した。世界中見ている前で赤っ恥もいいとこだが、これを見ていると、一貫して通っているプリンシプルがないという印象だ。先ず、さっさと穴掘って埋めたのは鉄道グループだと思う。いま中国で隠然たる勢力らしい。このグループは外の評判は知ったこっちゃない。さすがにまずいと思って掘り出す指示をしたのが政府だろう。対外的配慮でのことだ。この後、事故調査なんかする訳がない。新しい墓場に埋め直すだけだろう。あとのことは誰も知らない。
  事故調査、客観的な原因究明は何をおいても最優先という価値観が全くない。この国では法治ではなく人治だと昔から言われているが、まさにそのとうりだ。法治とは人間の思惑を超越した要はプリンシプルに無条件で従うこと。この場合は科学的判断。人治とはその時その時の人間の判断が何よりも優先する。この場合の「原因究明」は全く性格を異にする。言うなればはじめに結果ありき。これが人治ということだ。事故に遭遇して担当者の頭に浮かぶのは自分の立場、とにかく事故結果の収束。三、四がなくて原因究明ということか。三倍の補償金で遺族を黙らせる。とにかく世界に冠たる高速鉄道だ、まえを見て進め。一体どこへ?
  チェルノブイリの事故の二ヶ月後、たまたまアエロフロート機でドイツへ出張したが、機中でパンフレットをごっそり渡された。「軽いささいな事故でした。騒ぎはすぐ収まります。」なんだこれと思ったね。ソ連が崩壊して実態が明らかにされた。なんか共通していないか。社会主義体制のプリンシプルの無さだ。変なこちこちのプリンシプルはあるのだが。恐るべきご都合主義。
  しかしあの頃との最大の違いはインターネットの普及。中央政府はコントロールに必死だが、あふれ出る情報はどうしようもない。まともな人間が黙っていられるか。争乱の予感がする。

ごろ?

ごろは烏賊のはらわただと猫跨ぎさんの句評で知りました。
俳句たしなむ御仁には難しい言葉が好きなひとがおおいんだね… 褌子

仁ちゃん句鑑賞・・・・褌子

   中国の高速鉄道事故処理はいくらなんでもひどい。国威発揚で絶対安全と宣伝したが事故が起きたとたん、テレビカメラの前で事故車両を白昼堂々の土中埋設隠蔽。また事故がおきるにちがいない。日本の原発も似たようなもの。莫大な国費投入で絶対安全だとお経唱えているうちに安全神話で自縛自縄。絶対安全だから事故なんか想定したら恐れ多いわけだ
・・・
 いったんテレビから離れて、まずはいつもの夏の風情をとりもどしたい。
・空席の噎せ返へる夏市営バス
   こういう淡々とした日常句に接すると、大勢な人間が大津波にのまれ放射能に逃げ惑い、鉄道事故やテロでいとも簡単に殺される日々のニュースにだんだん鈍磨していく感情を平常にたてなおすのに役立つ。夏とはこういうものなのだ。
・一湾を慌てて下りて夏の霧
   函館湾の朝の景か。じりじりと陽に灼かれていると、うらやましい。
・捩花や異次元覗き如何です
   ねじばなはなんであんなにねじれているのかな。異次元は大げさだが。
・内露地に打水あれば仏かな
   線香くさいね
・浜豌豆いわきの浜の瓦礫かな
   いわきの人びとにふってわいた苦難の日々。いつまで続くかわからない。
・塩辛のゴロの深さや夏の朝
   ゴロ? 塩からの語呂が深いのか。
・血圧を測り直して四葩かな
また未知のことばにであった。
   四葩=よひら 八仙花の別称。花弁が四枚であることから。
   雰囲気がたいへんよろしい字だ。読みもきれい。それだけで何となく味わい深い   句になった。
・夏休み画紙食み出して新幹線
   よくわからない
・炎昼やカリヨンさっと撫でて行く
カリヨン=carillonフランス語なんだね。組鐘とも
いい雰囲気の句だ
・はまなすに竿先緩む潮境
   津波も地震もなかったかのよう。

2011年7月25日月曜日

大事件・・・猫跨ぎ

  中国の高速鉄道が大事故を起こした。拙速のあまり技術が未熟だった、特に制御技術がという。その通りなのだろうが、その他の印象をいうと、事故車輌を撤去して近くに穴を掘ってさっさと埋めたという。臭い物にはフタ。また新しい車輌でやればいいやという思想なんだと思う。日本なら場所を移して事故の色んな原因の可能性を探る、間違いなく。そして幹部三人を早々と更迭したらしい。これで一件の終わり。
  このつんのめった姿勢は何なのだろう。前の鉄道相がとてつもない収賄で逮捕されている。官僚の汚職は半端じゃないが、私腹を肥やすというより上部への上納金、つまり出世のための賄賂に使うらしい。高速鉄道網の巨大プロジェクトは利権の巣窟とか。わが尊敬する中国はどこへ行ったのか。

ノールウェイのテロは胆を潰したね。たった一人の犯行とか。やろうと思えばこんなことも出来ると言うことを証明した。秋葉原どころではない。
  ネオナチの信奉者だったらしい。好かした肖像写真とか「我が闘争」を意識して長大な文書を政治家に送りつけたとか、ヒトラーを念頭に置いている。基本的には精神が壊れた者だろうが、あえて深読みすれば、いまヨーロッパの底に流れている大きな不安感を感じる。それが異民族への憎悪という特異な顔で現れるのではないか。

2011年7月23日土曜日

仁句鑑賞 ・・・猫跨ぎ

  セシウム汚染牛が福島県から東北各県に拡がった。稲藁を通じてと言う。静岡茶の汚染を考えるともはや東日本全域に拡がっているらしい。基準が厳しすぎるという声がある。実際そうなのだろうが、あれこれ議論の時間はない。杓子定規にこの基準を適応し、超えた物は撥ねるという操作を歯を食い縛ってやるというしかない。除染が当面最優先の課題だろう。しかし、どんな食品汚染がこれから明らかになるのかな。行政もこの際下手に隠し立てしないことだ。

仁句鑑賞
 例によって日常の身辺句に徹している。
・空席の噎せ返へる夏市営バス
そうか函館も炎暑の夏到来ということか。
・一湾を慌てて下りて夏の霧
函館山から湾に向かって霧が慌ただしく降りてくる。そういう気象があるのか。
・捩花や異次元覗き如何です
これは前回の句の続きかな。
・内露地に打水あれば仏かな
内露地とは茶室の前の中庭を指す。打ち水があって、ほっと救われる風情かな。
・浜豌豆いわきの浜の瓦礫かな
浜豌豆をみていわきの浜を思いやる。
・塩辛のゴロの深さや夏の朝
 ゴロというのは烏賊の内臓のこと。内臓入りの塩辛ってあるね。ここらで売っているの とは違って味わいが深い。
・血圧を測り直して四葩かな
結構血圧が変動するのかな。気をつけよう。
・夏休み画紙食み出して新幹線
元気な孫のお絵かき。子供のお絵かきは面白いね。
・炎昼やカリヨンさっと撫でて行く
 カリヨンは演奏用の複数の鐘のことね。屋外に吊されてあるんだろう。函館らしい。
・はまなすに竿先緩む潮境
のどかな浜釣り風景。潮目、潮境、同じかな。はっきりと色目が違うね。

2011年7月22日金曜日

函館通信148・・・はまなす・・・仁兵衛

 放射能の話題は俳句を外に追いやってしまっていたな。それに俳句がスランプでどうも満足に出来ない。こんな事ではと思い直し取り急ぎ十句作りました。

・空席の噎せ返へる夏市営バス
・一湾を慌てて下りて夏の霧
・捩花や異次元覗き如何です
・内露地に打水あれば仏かな
・浜豌豆いわきの浜の瓦礫かな
・塩辛のゴロの深さや夏の朝
・血圧を測り直して四葩かな
・夏休み画紙食み出して新幹線
・炎昼やカリヨンさっと撫でて行く
・はまなすに竿先緩む潮境

 さて猫跨ぎさんのすばらしい句毎度鑑賞するほどに味わいがありますね。先ず気になったのは
 ・「枇杷熟るる夜や赤子のむし笑ひ」・・・赤子のむし笑いは初めて聞きました。生後三ヶ月以内の赤子を見ていると確かに一人でにやりとしていた事があったなと思い出させられます。
 次に「黒南風や破船かすかになまぐさし」・・・下五のなまぐさしが上五を際立たせている点は高度なテクニックだ。
 更に「ビアジョッキに罅の一筋青江三奈」・・・ひびの入ったジョッキなんてとそこに焦点が当たった所から青江三奈に飛んでゆく痛快さは特選句に相応しい。

 いわきの友人達に暑中見舞いを兼ねて震災見舞いの葉書を出した。行方不明者を抱えたままの人や瓦屋根の修理順番が未だ来てない人等がいる一方ゴルフを再開したよと自嘲的に言う方などの返事が着始めている。



2011年7月21日木曜日

赤子のむし笑ひ・・・褌子

罅=ひび、黒南風=くろはえ(梅雨時のみなみかぜ)など辞典にでているが、「むし笑ひ」はでてない。が何となく意味がわかった。たしかにインターネットだとたくさんでてくる。インターネットはすごいなあ。
青江三奈は横浜ブルースではなく伊勢崎町ブルースだったかも。ちょっとかすれたような声がよかった。まだ生きているかなあ。先日、八千草薫が80才だときいてある感慨が襲った。ホッピーもまだビンで売っているらしい。

むし笑ひ ・・・猫跨ぎ

鑑賞ありがとう。一つだけ補足すると、
・枇杷熟るる夜や赤子のむし笑ひ
の「むし笑ひ」。生後間もない赤ん坊が、ときどき見せる、にっと笑う様をいう言葉。子供の頃、大人たちがよく使っていたので記憶していた。こちらの句会で出したところ、誰も知らない。インターネットで検索すると出て来るから、さほどマイナーは言葉ではないようだが。むしの知らせとかむしの居所とかに通じる表現らしい。
貴兄等の意見はいかがであろうか。

暑いが夏はいい・・・褌子

七月や鉄塔まはりの空き時間
  今じつは仮の世を生きているのではないか…と思うことがある。
  そんなとき、こういう句に出会うと救われる。
  入道雲に向けてそびえ立つ鉄塔。「登るな!危険」の看板。ずっと向こうの次の鉄塔までたるんだ電線。揺れている。目にはみえないが確かに高圧電流が流れているの  だ。遠くから間断なく聞こえてくるアブラゼミの騒音。
周辺の夏草のにおいのなかに汗をふきつつ立ちつくすと確かに生きている実感がわいてくるのだ。
鉄塔の先端付近、羽田に向かう飛行機がキラリと光った。
黒南風や破船かすかになまぐさし
  浜にうち捨てられた破船から風にのってくるにおい
  東北の寒村の景かも。
大南風鉄塔の影河に落ち
川面を涼風がかすかに
折られたる頁を元に半夏生
  夏の屈託
枇杷熟るる夜や赤子のむし笑ひ
どういうわけか左幸子とか殿山泰治とか笠智衆とか乙羽信子をおもいだした
赤子にも思案顔あり凌霄花
めちゃくちゃ可愛い赤子のほうが大人を観察しているのかも。のうぜんかずらとの二物衝撃
背を向けて水飲む父よ遠花火
  ときは昭和20年から30年頃。「飢餓海峡」だったか「砂の器」だったかしらん。
  いや伊映画「自転車泥棒」
ビアジョッキに罅の一筋青江三奈
  横浜ブルースだったか。懐かしいなあ…あの日あの頃
  ホッピーというのがあったな。タコぶつも
疲れ鵜に分厚い空の降りてくる
  空のほうから降りてくるのか。津波から復興ままならぬ東北の港
はまなすや遠く沖ゆく船ばかり
  既視感がある。こういう景にあこがれているせいか。

2011年7月20日水曜日

夏真盛り・・猫跨ぎ

風蘭か。閑雅な趣味を持ってるねえ。いい匂いがするらしいね。羨ましい・・・奥方の趣味であることは、勿論、言うまでもなかろうが・・・・

ひさびさに最近の十句。仁ちゃんもやって頂戴。

七月や鉄塔まはりの空き時間
大南風鉄塔の影河に落ち
折られたる頁を元に半夏生
黒南風や破船かすかになまぐさし
枇杷熟るる夜や赤子のむし笑ひ
赤子にも思案顔あり凌霄花
背を向けて水飲む父よ遠花火
ビアジョッキに罅の一筋青江三奈
疲れ鵜に分厚い空の降りてくる
はまなすや遠く沖ゆく船ばかり

風ラン咲く・・・褌子










枯れ木に根をはって空気中から水分補給している風ランが何年もかけてやっと咲いた。
針のように細い真っ白な花びら

2011年7月19日火曜日

明治維新みたいな・・・猫跨ぎ

うん、だからさ、プレートテクトニクスで地殻を移動させているエネルギーが、放射性物質の崩壊熱というのがここの眼目。ちょっと補足。まああのころ地球物理は激変したよね。明治維新みたいなものだった。

2011年7月18日月曜日

プレートテクニクス理論・・・褌子

そうです。プレートテクニクス理論がでてきたのは昭和40年代の初めのほうだったとおもう。
伊豆半島も太平洋プレートに乗って日本列島にぶつかったとか、フォッサマグナの話とか日本列島がなぜ折れ曲がったのかとか、インド大陸がヒマラヤをつくったとか、アフリカ大地溝帯とか、ジブラルタル海峡から海水がなだれ込んで地中海ができたとか、あのころは非常に新鮮で面白かった。ちょうどアポロが月に着陸した頃だったと思う。古地磁気が化石になって残っていることがわかってゴンドワナ大陸からの大陸移動説が完全に立証されたのはもっと以前だったか。人工衛星からの地球表面常時観測ができるようになって、中南米やシベリヤに残る超巨大クレーターのあとがみつかり、巨大隕石の衝突で恐竜が絶滅したことがほぼ立証された。北大理学部の地質学科もいまや地球惑星学科と看板をかけかえたのも隔世の感がある。

いつ頃かというと・・・猫跨ぎ

  気分を害したらしいが、まああまり物事ごっちゃにしないで冷静に。われわれ高校のころに地学にはこんな話はないよ。そうだね、そのプレートテクトニクスの話が出て来た頃、そもそも大陸を移動させているエネルギーは何処から来ているのかという議論から、一般的になった話だ。昭和40年代なかばか。アメリカ、自民党、中曽根とくるとカッと頭に来て、ワーツと話が前のめりになる癖があるなあ。また怒らせたかな。

RE:あのなあ・・・褌子

高校地学はまったく勉強したことない。ただひたすら有機化学だけに全精神を集中して暗記していたのだ。
地球内部の熱は地球生成時に重力によってできたとばかり思い込んでいたが、ウランの崩壊熱が半分だったことを実証できたことはうれしい。(ついでにいうと巨大地震がマントルにのって動くプレートのぶつかりあいで周縁部で起きることも我々の学生時代にはまだほとんどわかっていなかった。ウェゲナーの大陸移動説の話ではない。上田誠也博士の節などを北大地質学科の湊正雄先生などが珍説だとして批判していたことを思い出す)
原潜用に軍事開発された軽水炉を最初に日本に輸入することに熱心だったのは中曽根通産大臣と読売の正力松太郎だったという。
その中曽根康弘氏がテレビで「原発事故が危険だから原発から撤退せよというのは、飛行機が事故を起こすことがあるから飛行機を全廃せよということと同じナンセンスな主張だ」とのべていた。
百万キロワットの原発を一年運転すると広島型原爆1000発分の死の灰をつくり出す。今回の事故で大気や海に放出した放射能は福島第一原発3基のわずかに1~2%、チェルノブイリでさえ拡散したのは10%に満たないという。
「リスク=事故の確率×被害の大きさ」であるが中曽根氏は、原発事故の放射能被害の制御不能の巨大さと飛行機事故の被害とをごっちゃにしていて罪深い。高校地学程度の地熱原因の無知など可愛いものだ。

あのなあ ・・・猫跨ぎ

地熱の源が放射性物質の崩壊熱とは高校の地学の教科書にとっくに載っているから、今更のようにへーっと驚かないで欲しい。当欄のレベルを疑われる。ただ東北大のチームが定量的に実証できたのは快挙だね。

女子サッカーがアメリカをやつけたのは欣快にたえない。むこうの報道をみると何故負けたのか解せぬと生意気なこといっている。それはそうと、団体競技でいつも思うのは「勢い」だ。おそらく津波のように押し寄せる恐怖感を味わったのではないか。PK戦ではアメリカは完全に呑まれていた感じだった。

地球ニュートリノ・・・・褌子

  けふの新聞から。東北大チームによると地球の内部の熱の半分は、地球形成時の原始の熱の名残であることがわかった。地球内部から飛来する素粒子ニュートリノの観測を通じてつきとめた。地熱の残り半分は、地中の放射性物質の崩壊熱である。
  地熱は地震や火山活動をひきおこす原動力であるが、地球全体の地熱は44兆ワットだとされている。
  チームは岐阜神岡鉱山の地下1000㍍のカムランドで、ウランやトリウムが崩壊するときに、熱と一緒に放出する「地球ニュートリノ」を観測。2002~09年の7年8ヶ月のあいだに106個の地球ニュートリノをつかまえた。
  これだけの数の地球ニュートリノが観測されるために必要な、放射性物質の崩壊に伴う発熱は計21兆ワットとなり、地熱全体44兆ワットのほぼ半分となった。そうすると44-21=23兆キロワットが、宇宙のチリが集まって40億年前に地球が形成される際、重力で押しつぶされた中心部が高温になって生じた原始の熱が残っているということになる。
―――――私は地球地熱はすべて重力で発生した原始の熱だと誤解していた。いつぞや仁ちゃん夫妻との上野公園での食事会で国兼さんが地球内部の熱はウランの崩壊熱が大きいとおっしゃったので内心、へーッと思っていた。すかさず猫跨ぎ氏もそうでないと地球内部はだんだん冷えるはずではないかと付け加えた。なるほど…と思った。国兼博士の御見解がこのたび東北大チームによって立証されたのは慶賀にたえない。
  カムランドを建設した高エネルギー加速器研究機構の鈴木室長は「隕石の分析などから推定されていた仮説をようやく実証できた。小柴昌俊先生が超新星爆発からのニュートリノの観測を通じて星の進化理論を証明したように、地球内部から飛来する素粒子ニュートリノの観測で地球の形成を論じられるまでになった」
―――――我々がたっている大地のずっと下の地球内部の状況がこんなふうにだんだんわかってくるのか

2011年7月14日木曜日

これはすごい ・・・ 猫跨ぎ

  フランスIRSN公開データをみましたよ。シミュレーションとはいえ、まあこんな感じで福島を中心にぐるりと舐めたわけだ。原発から半径30キロ、80キロとかいう古典的区域設定とは全然ちがうね。金町浄水場の高レベル検出とか静岡茶の汚染とか頷ける。外人がさっさと東京から脱出したり、米艦隊があの時期日本から離れたり、etc.みな繋がってくるね。西風で太平洋に大半流れたことも判る。中国で100基の単位でどんどん造る予定とか。一朝あらば、偏西風で直撃だ。黄砂とともに来る。だから、日本国内だけの話ではないことも判る。

2011年7月13日水曜日

フランスIRSN公開データをごらんあれ・・・褌子

  フランスIRSNが公開。セシウム137が3月12日~27日までいかに東北、関東・中部地方、道東を汚染したかの経時変化がわかります。千葉も東京も第一原発1号機の水素爆発のあとの3月15日に汚染されている。静岡のお茶が汚染されたのもこれでわかる。
  ■財団法人日本分析センターのホームページをだす ⇒左側の、「福島第一原子力発電所事故関連」をクリック ⇒「参考:大気関連被曝評価について」をクリック ⇒「フランスIRSN(放射能防護原子力安全研究所)が公開」をクリック ⇒黒い不気味な画面がでてくるがあわてず騒がず、左下の△の矢印をクリックすると。汚染状況がでてくる。

2011年7月12日火曜日

千葉県放射能測定センター・・・褌子

  市原市の臨海部に千葉県環境センターがある。ここの放射線測定値が文部科学省で認定されてテレビで毎日発表される千葉県の公式放射線量である。
  測定器を撮影させてもらおうとカメラをもって訪問したところ、室長さんが30分いじょうにわたって丁寧に説明してくれたのには感激。千葉市には国立放射能医学研究所があり、さらに財団法人の日本分析センターもあるので、放射能研究では千葉県が日本でも大きな位置をしめているそうだ。
  







3月12~15日ごろ、つまり福島第一原発の水素爆発のあとの放射性物質が猛烈に拡散していているデータをみせてもらった。福島からどんなふうに関東全域そして日本列島に拡散していっているか日時をおっての動画の画像もみせてもらい、衝撃をうけた。この四日間で関東甲信越も東北全体の日本人のすべてが大なり小なり被曝していたのだ。
―――――7月13日の赤旗によると、二本松に避難している浪江町の馬場町議のレポートだが、浪江町の町民8000人以上が高線量の浪江町津島地区に丸4日間も(3月12日~15日)避難していた。このときに全員がとりかえしのつかない高レベルの被爆をしてしまった。SPEEDIシステムによる拡散予測図は東電も県も国も3月13日未明には確認していながら公表しなかった。東電は3月14日に水素爆発した3号機が、その前日から高放射線量を確認したデータをもちながら公表しなかった。政府は「混乱するから」とそれも公表しなかった。3月12日、爆発した1号機の放射能は風にのり北西方向に避難者が万といる津島地区や飯舘村など広範囲の住民に襲いかかっていたのだ。しかし、枝野官房長官は「ただちに避難や屋内退避をしなければならない状況ではない」を繰り返していた。あのとき遠くに逃げろ!早く遠くに逃げろ!と県が国が絶叫してくれて、ずっと遠くに逃げていれば、せめて妊婦と子供たちだけでも逃がしていれば…今、避難民はだれもがやり場のない不安と怒りの渦のなかにいるという―――――
以上のレポートを正確にうらづける高放射線量の拡散動画を私は千葉県環境センターのコンピュータでみたのだ。この画像は日本分析センターのホームページからもアクセス出来るという。そのご放射線量は低くなっているが事故前にはもどってないので、いまも大気放出は続いているのは確実。
  この建屋の屋上に大気中の測定器が設置されている。地上から7㍍あるが、86年のチェルノブイリ事故のあと、成層圏にのって地球上に拡散する放射性物質測定に設置されたもので、まさか300キロすぐ北東の福島第一原発の放射能測定に“活躍”することになるとは夢にも思わなかったといっていた。
 左の機器はセシウム、ストロンチウムなどの核種をそれぞれ測定できる高価な機器。

原発でいちばん危険でたかい!   褌子

  仮に、今度の事故がなかったとしても核燃料棒をつくるための費用、原発建設費用、使用済み核燃料棒保管費用、いずれ廃炉に至るまでの膨大な費用を考えれば原発の電気がいちばん高いのではないか。
  まして福島の破滅的事故で天文学的補償費用がかかるのだから一番割の合わない危険な発電方式だったということになる



 ちかくの親しい診療所が60万円と8万円と2種類の線量計を注文した。やさしくさわやかな女性事務長さんが、8万円のほうは入荷したらいつでも無料で貸し出しますので大いに活用してくださいとうれしいことをおっしゃるのです。
  猛暑がつづくが夕方散歩をすると、榎木の巨木に国蝶のオオムラサキがいた。

だまされていないかね・・・・逸徳

原子力の発電原価が安いという言い方はどうもまゆつばではないか。 何万本にもなる使用済み燃料の再処理(めどがないが)やその対策、これからおこる廃炉の処理(何も生産しない。いっぽう的に金をくう。)などなどを加算すれば一番安いというのは疑わしい。しかも、かかった原価を全部足して、そこに適正な利益をのせて、それに見合うように電気料を決めていいのだから、電気事業法によれば絶対赤字にはならない。損をしない会社であるのだ。原価の電気代への配分についても家庭用と、工業用はどうでも荷重のかけかたを変えることができる。大企業に甘くなる つまりは市場原理なんかどこにもない、独占的非民主的エネルギーだ。エネルギーにおける一種の独裁中央集権型権力ではないか。それに対して、小規模分散型の自然エネルギーは、簡単に資本の支配ができなくなる。これを民主的エネルギーといったひとがいたなあ。だから今回のさわぎで発電と送電が切り離されて、発電にどんな会社も参入できるようになると、これは今までの経済構造をこわすことにつながる。菅さん、せめてこれだけはやっておいてやめろ。
 節電というけれど、東電が揚水発電所をかくし電力として最初は公表しなかったことなどや、九電のやらせメールなどをみていると、ほんとに信用できなくなる。だいたいさあ、一生懸命うちの商品買わないでください、という商人なんてどっか変だろう。やっぱり「ほらみろだから原発だ」という世論誘導がねらいかなあ。「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」という言葉を思い出す。とにかくばかばかしくなったのでおいらは節電はやめた。八時なのにクーラーかけたぞ。ザマーミロ。節電は陰謀である・・・・ような気がする。

びっくりしたことに、おいらの周辺のひとたちが何人もガイガーカウンターを買っている。なんちゅうことだ。

2011年7月11日月曜日

ますますわかった・・・褌子

原子炉内のたった2%の放射能漏れでこういうことになった。
原発の現状がかなりわかりました。以後も各種報道をよみといて正確なレポートを期待したい。
佐賀県知事も九電から金ずっともらっていたんだね。
東電千葉支社に補償問題で要請にいった農業関係のひとのはなし。
蛍光灯半分消して、応接室もエアコン停めて蒸し風呂状態だったそうです。ご迷惑かけてます。当社もこんなに我慢しているんだから国民のみなさんも節電よろしく。でも原発ぜんぶやめちゃうと国民のみなさん本当にがまんできますかね、そうとう熱中症で死人でますよ~てな感じだったそうです。

現状認識は ・・・ 猫跨ぎ

  燃料棒が融けて下に落ちて、顆粒状やウンコ状になっているらしい。大半は圧力容器内で一部格納容器底じゃないの。これはもう誰にも判らないのじゃないかな。いずれカメラを挿入して見るのだろうが、何時になるのかね。2800℃といっても、溶融状態での話で水に触れると状態はすぐ変わるからね。ただこれに触れた冷却水がじゃじゃ漏れで外に出て高濃度汚染水をどんどん生産していたわけだが、こんどの汚染除去装置の稼働で冷却後、除去した水をまた冷却に使うという閉回路が一応出来たので、それが止まったということだ。しかしマスコミの報道も腹立たしい。きのう設備の配管から一部洩れたということを、ほら又だという言い方だ。炎熱下で必死でやっている現場の人間のことを思ったらどうか。
  いま心配なのはまき散らされた放射能の行方だね。南相馬の肉牛からセシウムかかなり検出された。放牧ではない。畜舎で飼い,飼料も飲み水も管理されていたというのに。どんなルートで内部被爆したのか。これは嫌なニュースだね。
  今、新たに原発から放出されているかというと、窒素を入れているから所謂ベントと称してわずかにパージしている。だから微量ながら放出しているね。まわりにモニタリングポストがあって監視しているが、大きな変化はないらしい。
  いま国が必死でやらねばならないのは、国中の除染だと思うね。なお、セシウムはKに似ているから筋肉に、ストロンチウムはCaに似ているから骨に溜まるということになる。因みにプルトニウムは生体には馴染みのない元素だからすぐ排出されるという説がある。

2011年7月10日日曜日

すこし安心しました・・・褌子

   猫跨ぎさん
  安心しました。チャイナシンドロームの心配はないということなので今晩から少し枕をたかくして寝られそう。
  核燃料は顆粒状かウンコ状で固化して底に溜まっているらしい、とのこと。これは1、2、3号機によって違いがあると思いますが、圧力容器の底にまだとどまっていますか。格納容器の底ですか。2800度の高温で格納容器の底もぬけているのではと大変心配しておりました。それにしても底にたまっているものを効率よく冷却するのは非常に難しいね。
  もうひとつ不思議なのは千葉県にも野田、柏、流山(柳生さんが住まいしている)などにホットスポットがあってずっと線量レベルが高止まりしたまま。
  たぶん利根川水系沿いに下ってくる風の流れがあるせいだとおもうが、これは福島第一原発からいまもつぎつぎと新鮮な(?)放射能物質が供給されているということではないか。つまり破壊された建屋からいまも放出が続いているとみたほうがよいのではないかと思うが。
 わたしは100万キロワットの原発一基で毎日毎日、広島型原爆3発分の死の灰が蓄積されているという事実に驚愕している。メルトダウンで圧力容器も格納容器もコンクリート建屋もやぶれてすべての死の灰が放出したり地下水に浸透したら…と心配していたわけだ。いまのところ放出されたヨウ素131は原子炉内存在量のたった2%だというのが納得出来る。98%はなんとしても閉じ込めねば日本には住めない。
  しかしこんな恐ろしいものを地震国に54基もつくったものだね。
  質量に直すとヨウ素131が 28.3g、セシウム137が1900gとは驚き。


映画をみてきた・・・・・逸徳

「100000年後の安全」を見てきた。 確かに一見に値する。地層処分が必要な全世界の高濃度放射性廃棄物は25万トンをこえるそうだ。正確な数字はだれもよくわからないらしい。ドキュメンタリー映画かと思ったが、まず映像と音楽が非常にきれいだ。監督が未来の人間に語りかける形で映画は進行する。多くの関係者へのインタビューと、施設へのロケーションが主である。興味深かったのは、この施設が完成したあと、その存在をどのように未来世代に伝えるかということについて、専門家たちがまじめに議論していることである。その姿はある意味こっけいですらある。ひとつはこの施設の存在が忘れさられることである。「忘れ去らなくてはいけないことを忘れるな」という奇妙な矛盾した問題がおこる。もうひとつは、何らかの警告標識をつくることである。もちろん何重ものガードがつくられるのだが。 言葉は今後どう変化するかわからない。国連の6種の公用語による警告とか、言葉ではなく絵のようなものを使うというアイデアもある。ここで出てきたのがムンクの有名な「叫び」である。これは笑ってしまった。施設の建設は続き、最終的閉鎖は22世紀になるそうだ。10万年の耐久性が考えられているが、6万年後には氷河期が推定されているそうな。10万年前というと人類がアフリカを出て、ネアンデルタール人が出てきた時代である。今我々はこの時代の人間の意志を推定できない。つまり10万年を超えてあるメッセージを伝えるということは我々にできることなのか。専門家たちの議論が続いている。しかし議論しても結論の出ないことを議論しているように見えた。そこである関係者のいった言葉が印象的だった。・・・・「我々は不確実性の上での意志決定というかってない問題に直面している」と。
 それにしても驚いたのはフィンランドには何億年も変化していないことがわかっている地層があるんだなあ。もちろん日本にはそんな地層はないだろう。
反原発にかかわるようなことばは一切でてこないが、これは強烈な反原発映画になるなあとおもった。ほんとに日本はこのまま原発うごかしてどうするんだろう。原発とめて日本が貧乏になってもしょうがない。

未来世代のいのちにかかわる強烈な危険性をつくりだして、それを未来に送る。たしかに原子力はお師匠のいうように倫理的に存在が許されない技術であることがよくわかる。みなさんぜひ見てください。

2011年7月9日土曜日

テラベクレル ・・・ 猫跨ぎ

  福島第一原発では、汚染処理システムで7/5までに14,000t処理したといっている。汚染水のレベルは明らかに減少に転じたらしい。このペースで進んでいけば、取りあえず出血は止まったとしていいのだろう。
メルトダウンで今地中深く潜行中と言うことではないらしい。多くは顆粒状かウンコ状で固化して底に溜まっているらしい。ただとにかく冷却は続けなければならない。発熱量は減少傾向ではあろうが。
  中部大学の武田教授によれば、原子炉の危険性は3月に比べると千分の一程度に下がっているという。問題は水素爆発でまき散らした放射能。雨や風に乗って日本中に拡散中である。明らかにゆゆしき問題だ。

ところで、 東大の安井至教授によれば、
福島第一から放出された全放射性元素の総量だが、4月14日の公表値によれば、「放出されたヨウ素131は原子炉内存在量の2%の13万テラベクレル、
        セシウム137は同じく0.9%の6100テラベクレル」。
この天文学的数字は質量に直すと
 ヨウ素131が 28.3g
 セシウム137が1900g
えっ、たったこれだけだ。
いかにこの問題が厄介か、また恐ろしいか判るというものだ。

溶けた燃料棒はいまどこに??・・・褌子

  避難所は暑くハエや蚊もひどい。仮設住宅にいくと食糧配給がないので避難所で死ぬしかないという高齢者が何万人もいる。もともと月6万くらいの年金でやっと暮らしている高齢者が日本には多いのだ。菅やめろ!いややめない!とか大騒ぎしているが菅がやめて事態は変わるのか? 
  もともと自民党が財界・アメリカとくんで金ばらまいてすすめてきた原発ではないか。
四面楚歌の菅が原発のストレステストをとつぜん言い出したのは非常にいいことだ。財界が猛烈に圧力かけてあわや玄界原発再開かの寸前でやらせメールが発覚し(共産党に内部告発があって発覚した)さらに突然のストレステストいいだしで頓挫したがこれはよかった。
  さて福島第一原発の現状にかんするニュースが激減している。危うい。(戦争にも原発事故にも人間はなれるものなのか)
  1~3号機全部で冷却水循環システムが確立したのか? 1~4号機全部の使用済み核燃料プールの冷却水循環システムが確立したのか? 七つ全部で確立してもすでにドラム缶60万本もある膨大な高濃度汚染水からでてくる超高濃度の2000トンの汚泥は半永久に始末のしようがないではないか?
■メルトダウンをおこした時点ですでに人間の処理能力をこえているのではなかったか?■
1~3号機で溶けた三カ所の燃料棒はいま一体どこにあるのか? 重力で2800度の燃料棒が下へ下へと落ちていまどこらへんにあるのか?  地球の芯にむけて永久に落ちていくのではないかとチャイナシンドロームを心配するのは杞憂であれば幸いだ。100万キロワットの原発は毎日、広島型原爆三発分と同じくらいの死の灰をつくりだすときいたが、五重の防護壁がやぶれたのだから恐ろしいことだ。
テレビにでていた原子力村の東大教授らもぜんぜん出てこなくなった…ふとんのなかで頭をかかえているのかも
 

2011年7月8日金曜日

倫理の問題だ・・・猫跨ぎ

  一般の人の知識レベルはそう過小評価したものでもない。放射能除去装置を通すと、あ~ら不思議、掻き消すように無くなりましたとは殆どの人は思っていないだろう。
廃棄物の最終処分場の問題は原発のアキレス腱なんだろうな。大分前に言ったけれど、実は日本も青森はもう満杯状態で、各原発は敷地内に冷温停止した燃料棒を千本単位で保管しているというのが実状らしい。この前、モンゴルに埋設を依頼するとか小さな記事があったけど水面下で交渉中でないか。
  この問題はこの技術の本質を顕しているね。連鎖反応でエネルギーを取り出すという神も恐れぬ技術を手にした報いだ。オッペンハイマーは広島の惨状を知って慚愧の念に苛まれたという。ジェノサイドの悲惨さの向こうに、この技術の本質を直感したのではないか。神への冒涜だった、と。原発問題は本質的に倫理の問題だと言うのが私の考えだ。

  玄海原発問題でまた国会は大揺れだ。まとまり掛けたのに菅がストレステストを言い出した。また菅だ、延命策だと新聞は大叩き。しかし、菅が言い出したのは正しいと思う。
いち玄海原発のことは些細なことだ。いま日本は原発促進と反原発が大きな対立構図のなかにいる。仮に玄海原発の再稼働の道を進んでも、いずれ反原発派からストレステストの話は出て来る。これは欧州で始まったばかりで世界的なガイドラインとなりつつあるらしい。それを海江田が知らないはずはないので、こちらが短慮だった。このテストにテロ対策条項があるという。出て来たね。福島の事故はテロリスト達にたっぷり美味しい情報をもたらした。福島の事故のあと今後のことをじっくり考えるべきと言った矢先ではないか。ストレステストは時間をかけてやらねば。

2011年7月7日木曜日

気になること・・・・・・逸徳

福島に関して。 放射能辞去装置ということば、どうも気になる。あれは放射能濃縮装置だろう。フィルターに蓄積する放射性物質は、限界をこえるとフィルターを交換するという。そのフィルターはものすごい高濃度の放射性廃棄物だ。その処理は決まっていないという。 結局放射能は煮ても焼いても消せない。原理的に消す方法はない。このことを一般に十分理解させるべきではないか。それなのに「除去装置」というと、消しゴムで消すように放射能が消えるというイメージを一般人はもってしまう。これは放射能に関する誤解につながる。
 そのことでひとつおすすめの映画がある。静岡では7/9に上映を開始するので見にいくつもりであるが、タイトルは「100000年後の安全」という。ご存じの方もおられるかもしれない。東京でも何か所かで上映しているらしい。これは原発からでる大量の高レベル放射性廃棄物の最終処分として深地層処分ということが考えられているのだが、フィンランドのオルキルオトという島につくられる世界初の高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の話である。固い岩石を掘削してつくられる巨大な地下都市のようなシステムはそこに放射性廃棄物が満杯になると施設は封鎖され、二度とあけることはできなくなるという。そしてそのシステムは10万年保持されるように設計されるという。 でもそんなことは可能なのか。10万年をだれが保障するのか。科学にそのようなちからはあるのか。そもそもその場所の危険性を10万年間確実に警告し続けることができるのか。 ・・・もうこれはSFの世界だ。想像力をはるかにこえる問題である。

放射能の危険とか原発の安全性という前に、文明論としてこのような技術の存在は許されないだろう。

どうもこうも・・・猫跨ぎ

  永田町の雰囲気が異様だ。新聞、テレビもそんなに熱心に見るわけでもないが、出て来る面々の顔が疲れ切って引きつっている。自民党が菅を責め立てるのは判るが、与党民主党のしかも役職の人間が公然と菅を攻撃する。亀井が見かねて、アナーキーじゃないか、少しは口をつつしめという。参議院議長の西岡までもが公然と菅は一刻も早く辞めろという。菅は絶対辞めないといい放つ。こういう構図は一般社会の何に例えたらよいのか、思いつかない。「政治は最高の道徳だ」という言葉は皮肉を通り越して漫画だ。菅は多分、信ずるのは我が身一人、百万人敵に回しても我いかんの心境らしい。菅は一分一秒でも早く辞めなきゃいけないほどのどもならん最低の人間とも思えないのだが。永田町だけの変な常識世界があるらしい。結局、こんなことをしていても国が基本的に安全に廻っているという安心感があるからだろう。今の制度では、こういう事態の解決にはもう総選挙しかない。となると皆腰が引けるんだ。我が身が可愛い連中ばかりだから。

2011年7月6日水曜日

ウチのカミさんも ・・・ 猫跨ぎ

  刑事コロンボは、ウチのカミさんも大好きで、再々々放送を承知で熱心に見ていたね。風采の上がらない刑事がジワジワと犯人を追いつめる。この犯人が、共通して皆アメリカンドリームの体現者。アメリカでエリートとはどういう人達かが何となく判る。彼等が結局敗北していくのを見ている大衆は溜飲を下げるという構図。コロンボという名前は多分イタリア系。白人社会ではやや格下なんだろう。
  ピーター・フォークはアルツハイマーで、最後は自分が誰かも分からなかったとか。まあ、極東でこれだけフアンが多いのだからもって瞑すべきだろうな。

刑事コロンボ・・・褌子

   刑事コロンボ氏が亡くなったのですね。インテリ犯罪者をじりじりとおいつめてゆくあのとぼけた風貌・ボロコートがなつかしい。うちの女房がいつもみていた。
   やはり人間は死ぬものなのですね。そういちばん思ったのはオードリーヘップバーンの死亡ニュース。「ローマの休日」のあの輝くばかりに若く美しいヘップバーンも棺桶のなかで骨になっているのだ。
  なつかしいと言えば井上ひさし『吉里吉里人』をいま読んでいるが昔なつかしい愉快な話がでてきて笑わせる。こんど大津波に襲われた三陸の大槌町あたりが吉里吉里国のモデルだと言われているが、井上ひさしがもうすこし長生きして大津波と原発事故に発言してほしかった。
  中国に一週間いって帰ってきたら、原発関連のニュースが激減していると思った。事態は改善したとは思えないが…
  吉村昭『三陸大津波』を読んだ。田老地区は明治、昭和、チリ津波と何度も襲われて多数の犠牲者をだした。
  その教訓から万里の長城といわれる高さ10メートルの巨大防潮堤が築かれた。これからも津波は何度も襲ってくるだろうが、この田老地区はこれからは大丈夫かもしれないと吉村も書いてから30年もたたない3月11日、津波は10メートルの巨大防潮堤を軽々と乗り越えて、「大丈夫だ。逃げる必要なんかあるもんか」とタカをくくっていた人々を次々と飲み込んだ。やはり人間はいつどこで死ぬかわからんのだ。井上ひさし・城山三郎・新田次郎・吉村昭など好きな作家がみんな死んでしまったなあ。

2011年7月5日火曜日

コロンボが・・・国兼

昨夜も遅くまでピーター・フォークさんの死去による追悼番組、「刑事コロンボ」を見てしまった。「まター見るの・・何回見れば気が済むのよ」とカミサンから笑われたが、又も新鮮な気持ちで紫煙のタバコをふかしながら見てしまった。思えば、私が女房のことを「カミサンが・・」というようになったのもこのコロンボのせいであり、レインコートがよれよれに近くなるまで着ていたのもコロンボの影響である。残念だったのはコロンボのカミサンが一度もドラマに出てこなかったことである。どんなカミサンだったのだろうかと想像する。
 昭和50年ごろだっただろうか?「刑事コロンボ」を始めて見て虜になってしまった。そのストーリの組立の斬新さは勿論ながら、やっぱりコロンボ役のピーター・フォークの何ともいえないその醸し出す雰囲気にある。その後の再放送、再々放送とテレビ欄にコロンボがある度に厭きもせずに、いつも新鮮な気持ちで見ていた。日本でもその後「○○のコロンボ」的ドラマがテレビに出現し、和製コロンボに期待をしたが、やはり役者の格が違うと痛感した。政治家でもそうだが、やはり格(風格とか品格とか人格とか)という漂う雰囲気が重要なのだ。

 所で何とか復興相が辞任したようだが、サングラスかけ、愚かなる発言をし、北海道言葉で言うと「はんか臭い」という表現がぴったりお似合いの人物だ。テレビで「粗にして野だが卑ではない」なんて、城山三郎の小説タイトルを引用して自分の心情を云っていたが、城山さんもこんな格下の男に使われて涙ぐんでいることだろう。城山流に言えば、この男は「 粗にして野にして卑でもある」にふさわしい。
 オー、コロンボが始まる、では、また!!!

2011年7月3日日曜日

原発の今後・・・猫跨ぎ

  福島第一原発の汚染水の浄化処理システムがようやく本格稼働し、それを冷却水に再利用する「循環注水冷却」が実現した。3.11から4ヵ月になんなんとする。大きなメルクマールだと思うが、マスコミの扱いは地味だね。漏水した、すぐ止まった、どうする、どうする、と一面トップで大騒ぎしていたのに、うまく回り出すと何と言うことはない。
いわば出血は止まったわけで、あとは溜まった汚染水の処理を中心に、原子炉内の処理を進めていくということか。最初の水素爆発でまき散らした放射能物質への対応策が当面の大きな課題。いずれにせよ、峠にさしかかったという感じだ。
  
  今日の朝刊に「ドイツの不安」というコラム記事が興味深い。ドイツは脱原発を決めた。11年後に原発全廃となる。福島第一原発事故を、ドイツは何故ここまでに強い危機感をもって受けとめたのか。1986年のチェルノブイリ事故で当時の西ドイツが被った放射能汚染の経験か。しかし、事故の汚染はドイツに限らなかったのに、最も過敏に反応した。
歴史を遡ると、「ドイツの不安」論に行き着くという。「ドイツ人の心の底には何か途方もないことが起こるのでは、という不安が常にくすぶっている」と。19世紀まで多くの小国家に分裂、戦争つづきで頻繁に生命が脅かされてきたドイツの固有の歴史。今は戦争の脅威は去ったが、その代わり「生存の不安の理由が原発に向けられている」という。「ドイツの不安」の背景にナチス時代の経験がある。「帝国でも技術でも巨大でなければならなかったナチスの破局から、原子力など巨大技術への不信が生まれた。大きな自然災害がないドイツにとって自然は脅威ではなくあくまで牧歌的なもの。原子力は自然の調和を破壊するものと受け止められている」という。これは一つの見方だが、いま、多くのドイツ人が急速な方針転換の理由を自らに問うている、と結んでいる。

同じ朝刊の一面に、日本では原発の見通しが立たないなかで、電力供給の不安から、生産の海外移転の動き、と警鐘を鳴らし始めている。韓国、中国が日本に取って代わるまたとないチャンスと捉えていると。 こういう論調がこれから急速に強まるだろう。

2011年7月1日金曜日

線量計・・・  褌子

   線量計は、もとはといえば東電の元下請け会社の引退した社長さんから、孫請けの従業員がいまも使っているんだと現物を見せられて同じものがあったら買ってきてほしいと頼まれたもの。ただし、一万円以内でと安請け合いで金も預かって上海に行ったのだが。
  いま北京経由で日本に帰ってきたところで、社長に手に入らなかったと電話して、あれは本当はいくらだったのときいたら数年前に7万だったといっていた。そうか、それを中国にいって一万円以内というのは虫がよすぎたねえ、私と逸徳氏は五千円位ならと内心おもっていたし。
  その社長は70歳だがもとは零細電気工事会社の社長で、第一原発にもぐりこんで工事をしたときに着ていた例の白い防護服ももっている。じつに薄いもので素っ裸でこれをきて、あとは捨てるんだ、放射線浴びながらのあんな危険な仕事で下請け労務者を使い捨てにしておいて、電気を使いほうだいなんて俺は反対だといつも言っていた。
   成田に着いたら暑い、中国のほうがずっと涼しかった。
   仁ちゃんのおっしゃるように、河北省はたしかに小麦の大生産地です。水が少ないので山地は一面のトウモロコシ。
   阜平、保定から高速道路を北上すると岩山ばかりになって草木がわずかしか生えていない山地がえんえんと続く。
   この先に巨大都市北京があるのかなあ・・と思っていると次第次第に緑がふえてきて、ぽつぽつ集落が見えてきて、どんどん人家がふえてやがて人と車でごったがえす大都市に入っていく。古代からの歴史を秘めた中原の中枢、三国志の舞台にも多々なったところだが、中国全体から見れがほんの一部。中国は広いなあと今回も思った。
   中国ではいろんな人にあったが日本の津波と原発のことを心配していた。
   家に帰るとノウゼンカズラとギボウシが咲いている。こんばんは日本酒にお茶漬け、味噌汁にしたい。