中国の高速鉄道事故をもう一度考えたい。国家のありようだが。先頭車輌をさっさと埋めた。インターネットでさんざん叩かれると、慌てて掘り出した。そして事故調査と称してどこへやら姿を消した。世界中見ている前で赤っ恥もいいとこだが、これを見ていると、一貫して通っているプリンシプルがないという印象だ。先ず、さっさと穴掘って埋めたのは鉄道グループだと思う。いま中国で隠然たる勢力らしい。このグループは外の評判は知ったこっちゃない。さすがにまずいと思って掘り出す指示をしたのが政府だろう。対外的配慮でのことだ。この後、事故調査なんかする訳がない。新しい墓場に埋め直すだけだろう。あとのことは誰も知らない。
事故調査、客観的な原因究明は何をおいても最優先という価値観が全くない。この国では法治ではなく人治だと昔から言われているが、まさにそのとうりだ。法治とは人間の思惑を超越した要はプリンシプルに無条件で従うこと。この場合は科学的判断。人治とはその時その時の人間の判断が何よりも優先する。この場合の「原因究明」は全く性格を異にする。言うなればはじめに結果ありき。これが人治ということだ。事故に遭遇して担当者の頭に浮かぶのは自分の立場、とにかく事故結果の収束。三、四がなくて原因究明ということか。三倍の補償金で遺族を黙らせる。とにかく世界に冠たる高速鉄道だ、まえを見て進め。一体どこへ?
チェルノブイリの事故の二ヶ月後、たまたまアエロフロート機でドイツへ出張したが、機中でパンフレットをごっそり渡された。「軽いささいな事故でした。騒ぎはすぐ収まります。」なんだこれと思ったね。ソ連が崩壊して実態が明らかにされた。なんか共通していないか。社会主義体制のプリンシプルの無さだ。変なこちこちのプリンシプルはあるのだが。恐るべきご都合主義。
しかしあの頃との最大の違いはインターネットの普及。中央政府はコントロールに必死だが、あふれ出る情報はどうしようもない。まともな人間が黙っていられるか。争乱の予感がする。
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