2011年7月10日日曜日

映画をみてきた・・・・・逸徳

「100000年後の安全」を見てきた。 確かに一見に値する。地層処分が必要な全世界の高濃度放射性廃棄物は25万トンをこえるそうだ。正確な数字はだれもよくわからないらしい。ドキュメンタリー映画かと思ったが、まず映像と音楽が非常にきれいだ。監督が未来の人間に語りかける形で映画は進行する。多くの関係者へのインタビューと、施設へのロケーションが主である。興味深かったのは、この施設が完成したあと、その存在をどのように未来世代に伝えるかということについて、専門家たちがまじめに議論していることである。その姿はある意味こっけいですらある。ひとつはこの施設の存在が忘れさられることである。「忘れ去らなくてはいけないことを忘れるな」という奇妙な矛盾した問題がおこる。もうひとつは、何らかの警告標識をつくることである。もちろん何重ものガードがつくられるのだが。 言葉は今後どう変化するかわからない。国連の6種の公用語による警告とか、言葉ではなく絵のようなものを使うというアイデアもある。ここで出てきたのがムンクの有名な「叫び」である。これは笑ってしまった。施設の建設は続き、最終的閉鎖は22世紀になるそうだ。10万年の耐久性が考えられているが、6万年後には氷河期が推定されているそうな。10万年前というと人類がアフリカを出て、ネアンデルタール人が出てきた時代である。今我々はこの時代の人間の意志を推定できない。つまり10万年を超えてあるメッセージを伝えるということは我々にできることなのか。専門家たちの議論が続いている。しかし議論しても結論の出ないことを議論しているように見えた。そこである関係者のいった言葉が印象的だった。・・・・「我々は不確実性の上での意志決定というかってない問題に直面している」と。
 それにしても驚いたのはフィンランドには何億年も変化していないことがわかっている地層があるんだなあ。もちろん日本にはそんな地層はないだろう。
反原発にかかわるようなことばは一切でてこないが、これは強烈な反原発映画になるなあとおもった。ほんとに日本はこのまま原発うごかしてどうするんだろう。原発とめて日本が貧乏になってもしょうがない。

未来世代のいのちにかかわる強烈な危険性をつくりだして、それを未来に送る。たしかに原子力はお師匠のいうように倫理的に存在が許されない技術であることがよくわかる。みなさんぜひ見てください。

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