測定器を撮影させてもらおうとカメラをもって訪問したところ、室長さんが30分いじょうにわたって丁寧に説明してくれたのには感激。千葉市には国立放射能医学研究所があり、さらに財団法人の日本分析センターもあるので、放射能研究では千葉県が日本でも大きな位置をしめているそうだ。
3月12~15日ごろ、つまり福島第一原発の水素爆発のあとの放射性物質が猛烈に拡散していているデータをみせてもらった。福島からどんなふうに関東全域そして日本列島に拡散していっているか日時をおっての動画の画像もみせてもらい、衝撃をうけた。この四日間で関東甲信越も東北全体の日本人のすべてが大なり小なり被曝していたのだ。
―――――7月13日の赤旗によると、二本松に避難している浪江町の馬場町議のレポートだが、浪江町の町民8000人以上が高線量の浪江町津島地区に丸4日間も(3月12日~15日)避難していた。このときに全員がとりかえしのつかない高レベルの被爆をしてしまった。SPEEDIシステムによる拡散予測図は東電も県も国も3月13日未明には確認していながら公表しなかった。東電は3月14日に水素爆発した3号機が、その前日から高放射線量を確認したデータをもちながら公表しなかった。政府は「混乱するから」とそれも公表しなかった。3月12日、爆発した1号機の放射能は風にのり北西方向に避難者が万といる津島地区や飯舘村など広範囲の住民に襲いかかっていたのだ。しかし、枝野官房長官は「ただちに避難や屋内退避をしなければならない状況ではない」を繰り返していた。あのとき遠くに逃げろ!早く遠くに逃げろ!と県が国が絶叫してくれて、ずっと遠くに逃げていれば、せめて妊婦と子供たちだけでも逃がしていれば…今、避難民はだれもがやり場のない不安と怒りの渦のなかにいるという―――――
以上のレポートを正確にうらづける高放射線量の拡散動画を私は千葉県環境センターのコンピュータでみたのだ。この画像は日本分析センターのホームページからもアクセス出来るという。そのご放射線量は低くなっているが事故前にはもどってないので、いまも大気放出は続いているのは確実。
この建屋の屋上に大気中の測定器が設置されている。地上から7㍍あるが、86年のチェルノブイリ事故のあと、成層圏にのって地球上に拡散する放射性物質測定に設置されたもので、まさか300キロすぐ北東の福島第一原発の放射能測定に“活躍”することになるとは夢にも思わなかったといっていた。
左の機器はセシウム、ストロンチウムなどの核種をそれぞれ測定できる高価な機器。
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