2011年7月29日金曜日

昭和俳句弾圧事件・・・猫跨ぎ

  古本市に出かけたまたま買った「密告―昭和俳句弾圧事件」小堺昭三著。読み始めると止まらず一晩で読んでしまった。戦前の京大事件、それに続いての全国的な新興俳句弾圧事件である。昭和6年ころホトトギスに飽きたらぬ俳人達がはじめたのが新興俳句運動である。モダニズム、リベラリズム、プロレタリア運動など幾多の潮流が流れ込んで多彩な発展をみせつつあった。ところがこの最盛期に日中戦争が勃発した。俳人達の出征も多く、前線の生々しい表現とか、内地での銃後俳句などあったが、次第に厭戦的な傾向も反映するのも自然な流れ。
  これが国家総動員法を背景に一段と締め付けを企図していた治安当局の目にとまった。次々と捕縛され、作品の意図、背景を尋問され、最終的に「共産主義者」であることを自白させられ、罪人に仕立てられる。特高のシナリオ通り。俳句詠みなど文弱の徒の最たるもの、馬鹿馬鹿しいほどの理不尽さだが、あっという間に壊滅させられた。職業を追われ、家族ともども世間の白い目の中、生活は困窮する。それよりも、精神の或る部分が壊される。戦後も跡をひき、結局人生を狂わされた人が大半だ。まだ生存する当事者から取材しており迫真的。
  興味深いのはこの極めて陰惨な事件に、野心に満ちたある密告者の演出があったということである。小学校準教諭からはじまり、ジャーナリズムに転じて出世を重ねて、所謂文化人として体制側に食い込んでいった人物。俳句もよくした。小野蕪子という人物である。終戦前に病没しているから今は知る人も余りいない。この人物から多くの情報が治安当局に流れた。個人的には清く正しい日本主義者。新興俳句など理解しようもなく薄汚い存在だった。
  さて虚子以下ホトトギスはどうしていたか。見て見ぬふりだ。もともと取り締まりの対象ではなかったが、仮にも影響がこちらに来ないように賢く振る舞っていた。

  いま俳壇を見ていて、いわゆる伝統俳句(ホトトギス)と新興俳句の流れをくむ人々の間に、単なる文芸上の路線とは異なる違和感がある。確かにある。どうも戦前の弾圧事件の記憶がそうさせているという気がする。

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