その1:中国の新幹線衝突事故のこと
事故後の2,3日後には普通どおり列車が通過する。何とも云えぬ、迅速なる対応かなと驚く次第。掘って、埋めて、又掘って、という炭坑節の感じである。以前なら埋めてで終わっていたことだろう。インターネットの世界では・・さすがの中国も掘り返さざるを得なかった。中国にとって死傷者300人にも満たない事故なんていうのは、大騒ぎに価しない些細な事故なのだろう。それよりも、十日も二十日もかけて事故調査しているうちに北京等大都市の駅で電車を待っている大勢の人民の怒りのはけ口とその飛び火の方が恐ろしいことだろう。早急に人民を各地に輸送・分散することが最重要項目なのだ。下手すると、天安門事件の再来である。
いずれまた、事故が再発し、死傷者が出るだろう。かって、毛沢東は朝鮮戦争に参加したときに「たとえ、アメリカの原爆で中国人が1千万人、1億人死のうとも、まだ4,5億人が健在である」と。この国にとって「人命は鴻毛よりも軽い」存在なのである(かっての日本も産めよ増やせよと、そして赤紙一枚で戦場に送られた過去を持つだけにえらそうなことはいえないが)。
その2:原発について
高木仁三郎氏の「人間の顔をした科学」を読み、以前この欄で燃料棒「君」と敬称をつけていったが、早とちりの感がする。十数年前の東海村で起こったウランの臨界事故で、10km範囲の人が屋外避難をし、死亡者を含めて五百人を越える人が被爆したが、作業員がバケツで酸化ウランを入れていたというニュースを読み、愚かなる人為ミスだと一笑した。本によると、臨界濃度以上に達したウランの連鎖的に反応したウランの量はたった1mgという。こんな」量で、こんな被害がと・・・。技術的な中味も知らずに、高速増殖炉とかプルサーマルという、響きの良い次世代の原発こそが資源の無いこの国には必須と思っていた。この本を読んでその実体を知ると、ウランによる原発よりも遥かに恐るべき原発であり、地震列島といわれるこの国の後世の人には残すべき遺産では決してない。
今日、東急ストアで買い物をしてきたが、福島産のほうれん草が片隅でひっそりと売られていた。メインの野菜コーナーには秋田産のほうれん草が倍の値段で売られている。このようなことをこの国で二度と起こすべきでないという後世への教訓とすべきであろう。
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