昨夜も遅くまでピーター・フォークさんの死去による追悼番組、「刑事コロンボ」を見てしまった。「まター見るの・・何回見れば気が済むのよ」とカミサンから笑われたが、又も新鮮な気持ちで紫煙のタバコをふかしながら見てしまった。思えば、私が女房のことを「カミサンが・・」というようになったのもこのコロンボのせいであり、レインコートがよれよれに近くなるまで着ていたのもコロンボの影響である。残念だったのはコロンボのカミサンが一度もドラマに出てこなかったことである。どんなカミサンだったのだろうかと想像する。
昭和50年ごろだっただろうか?「刑事コロンボ」を始めて見て虜になってしまった。そのストーリの組立の斬新さは勿論ながら、やっぱりコロンボ役のピーター・フォークの何ともいえないその醸し出す雰囲気にある。その後の再放送、再々放送とテレビ欄にコロンボがある度に厭きもせずに、いつも新鮮な気持ちで見ていた。日本でもその後「○○のコロンボ」的ドラマがテレビに出現し、和製コロンボに期待をしたが、やはり役者の格が違うと痛感した。政治家でもそうだが、やはり格(風格とか品格とか人格とか)という漂う雰囲気が重要なのだ。
所で何とか復興相が辞任したようだが、サングラスかけ、愚かなる発言をし、北海道言葉で言うと「はんか臭い」という表現がぴったりお似合いの人物だ。テレビで「粗にして野だが卑ではない」なんて、城山三郎の小説タイトルを引用して自分の心情を云っていたが、城山さんもこんな格下の男に使われて涙ぐんでいることだろう。城山流に言えば、この男は「 粗にして野にして卑でもある」にふさわしい。
オー、コロンボが始まる、では、また!!!
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