2012年8月27日月曜日

麿は苦しうない?・・・褌子

     朝の散歩は京都は嵐山の渡月橋を渡って法輪寺にゆく。境内に電電宮という小さな神社があった。電気や電波の神様だという。松下電器を先頭にテレビ各社や電力各社の奉賛碑がたっている。東電やシャープも応分の寄付をして名前を連ねているがあまり御利益がなかったことになる。保津川べりを歩いて5時33分に比叡山から昇ってくる朝日を渡月橋のうえでみて思わず合掌。
   暑い一日がはじまった。
   清張『溺れ谷』の舞台にもなった竹の寺こと地蔵院を訪ねる。
   おじいさんの門番以外誰もいない。奥まった座敷にあがったが障子を開け放してあり畳に寝転んで庭を眺めた。美しい竹林を背景に株立ちの侘助の古木が枝をくねらせている。ふと右をみると壁に「竹 幹は直し陰は清し」と色紙がはってある。左をみると、「ここで横にならないで下さい」と張り紙がしてあり、あわてて起き上がった。
  鈴虫寺はとばして松尾大社に向かう途中で月読神社という小さな社が目にとまった。
  月読神はもと壱岐の国の海神なりと鳥居わきにある。出は朝鮮系の神だが渡来族の泰氏によってこの地に遷宮されたとある。東北アジア古代文化研究会の会長として迂闊にも月読神のことを知らずに古稀を迎えてしまったことを恥じた。先日、諏訪の神長官守矢史料館を訪ねたときにも諏訪族もまた安曇族とおなじく海の民であることを知って己の無知を羞じたものだ。今でこそ、竹島だの尖閣だのと喧しいが元来、古代の人びとは大らかに行ったり来たりしていたのだ。
  酒の神、松尾大社の本殿脇に数百も並んでいる全国の銘酒の四斗樽を眺めていると、しだいに髪薄き脳天を直撃する古都の残暑にぼーっとしてきた。
  タクシーで保津川脇の時雨会館という小倉百人一首の記念館に飛び込む。冷房がよくきいていて命びろい。藤原定家はこの小倉にて百人一首を選句した。写真は、平安貴族の狩衣姿に身をつつんだ堂々たる公達ぶりの愚生である。時雨会館の京美人のおばちゃんがかいがいしく着付けてくれたもの。

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