白洲正子『隠れ里』によれば日本でもこの地方だけらしい。花脊や広河原村の火祭りは「松上げ」といって、20数㍍の松の木の太い柱の上の漏斗状に開いた松明に、火のついた松明を投げあげて点火を競うというものである。
京都市内でレンタカーを借りて女房と貴船や鞍馬山に登ったあと、山中をえんえん二時間も走って、広河原部落に到着した。昼なお暗いこんな山里が町村合併で京都市左京区に編入されているときいて驚く。始まりは午後8時くらいというので、大悲山峰定寺の懸崖作りをみようと杖をついて蝉時雨のなかを登った。懸崖の四方に張りだした回廊の板敷きからみおろすと目と鼻のさきに数十㍍も真っすぐに伸びた北山杉のてっぺんがある。奥丹後の峰峰を眺めながら火祭りに備えてしばし山の上の重要文化財の回廊でうたたねをした。
六時頃から場所取りをする。山峡の川原の三角州の火祭り会場のまわりは数百人がすでに集まっている。
だんだん暗くなってきた。ふきんにぽつんぽつんと点在する茅葺き農家の玄関には献灯が灯され親戚が集まって年一度のお祭りのごちそうをたべている様子がみえる。夕闇せまる村の集会場では老婆たちが御詠歌をうたいながら鈴をならしている。7時過ぎまで西の山々にはわずかに残照が残っていたが8時となればとっぷりと暮れて星がまたたく。月もでている。
突然、松明をもった法被姿の村人たちがあらわれた。一面の野原にたててある松明に火をつけてまわっている。闇の中全体が火の海になってやがて下火になるころ、ついに松上げ行事が始まった。
火のついた松明を縄でくるくる回して投げあげるがなかなか漏斗に入らない。入りかけるとどっと歓声が闇の中からおきる。小一時間もして遂に松の柱のてっぺんに火がついた。とたんに狂ったように太鼓と鉦がうちならされた。たちまち柱全体が燃えだした。一本の巨大な紅蓮の炎と化して燃えさかった巨木が終にどうっと倒れて天まで火の粉をまきあげた。一瞬だけ観客の顔まで赤々と照らした。火祭りが終わった。山里の奇祭というしかない。また辺り一面が闇につつまれた。
火祭の果てて激しき火の粉かな
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