2012年11月30日金曜日

イラン映画 『友達の家はどこ?』・・・ 褌子

   高倉健はあまりみてないが「単騎、千里を走る」とか期待はずれ。「幸福の黄色いハンケチ」は良かった。健さんの魅力で感動物語に仕上げようとすると中途半端なできになるのかも。
  イラン映画『友達の家はどこ?』は深い印象が残った。学校に明日の宿題を忘れた友達に小学一年くらいの坊やが届けに行く話。
  母親は一日中、家事に追われ休むひまも子供の相手をするゆとりもない。道ばたで日がなタバコ飲んで閑つぶししているおじさんたちに、道に迷った坊やが何度も『友達の家はどこ?』ときくのだが、無駄話に夢中の男たちは誰も相手してくれない。     あの国はイラン革命後もあまりかわってないのではないか…。(アフガンのタリバンも恐るべき女性蔑視の組織らしい)。
  と、いっても私がイスラム教徒をきらっているわけではない。映画の名前を思い出せないが、パリで雑貨店をいとなむ敬虔なイスラム教徒のトルコ人のおじさんが、万引きを何度もみのがしてやった孤児の少年と仲良しになって、一緒にトルコへポンコツ自動車で帰郷するはなし。やっとたどりついた故郷を目前にして嬉しさのあまりハンドルを切り損ね、ふたりとも自動車事故死してしまう。なにか、無性にイスラム教徒がすきになってしまう映画だった。
  思春期の頃みた映画というのは影響力大。いぜん、グランド・キャニオンにいったとき、浅草出身だという60才くらいのおばちゃんガイドが娘時代に映画『帰らざる河』をみて、英語猛勉強、家族の猛反対をおしきってアメリカに来てしまったとつぶやいていた。あのおばちゃんまだガイドやっているかなあ
 わたしもエリザベステーラーの『愛情の花咲く木』みてアメリカにあこがれ、『シベリア物語』をみてロシアの大地にあこがれたことがあった。世間知らずで単純、愛惜すべき思春期のあの日あのころ。

まだまだ映画談議・・・猫跨ぎ

  いや「太陽はひとりぼっち」ではないなあ。ネットで粗筋を見たが違う。思い出せない。しかし褌子氏の映画通にはかなわないね。いまもせっせと話題作には足を運んでいるようだし。
  このまえ高倉健の「あなたへ」を見た。随分入っていた。中高年の男性が一人で見に来ているのが多いのにびっくり。なに、自分がそうだが。ちょっとこの映画、筋を追えないところが数箇所ある。あとで原作を読んだが。それに健さんにすっかり凭りかかった映画作りで余り感心しなかった。時代背景がよく沁みてこないんだな。それが奥行を無くしている。亡妻の遺書を読んで何かを納得して、さあこれから生きて行くぞと歩くところでラスト。こころに沁みるものがあまりない。ストイックな老齢の主人公―張り切って行く先があるのかねと心配になる。

『海の牙』・・・ 褌子

    「太陽がいっぱい」(1960)でなく「太陽はひとりぼっち」(1962)ですね。いっぱい、とひとりぽっちでは反対だ。戦後フランス中産階級の倦怠とか頽廃を感じる映画だった。モニカのはまり役。
  モニカ・ヴェッティなんて突然、猫跨ぎさんがいいだすので、つい五〇年前に想いがとんで、↓のようなはしたないことを書いてモニカ全盛期の写真までのせてしまった。 恥ずかしい。逸徳さんにつづいて古稀を迎えんとして岩上の清水のような心境にやっと到達したばっかりなんだ。せっかくの明鏡止水をかきみださないでほしい。
・・・・
  敗戦後のフランス映画といえば『禁じられた遊び』だが、私が記憶から離れないのはルノワール監督『海の牙』
  ドイツ崩壊でナチス党員たちが南米に多数逃げた。(アイヒマンも生体実験のメンゲレも南米でイスラエル特殊部隊に捕まっている)
  『海の牙』は潜水艦でナチス高官らが逃げる物語。大西洋上で燃料切れになり、通りかかった貨物船と交渉して燃料をわけてもらう。満タンになって別れるやいなや、容赦なく貨物船を撃沈する。狭く息苦しいUボート内部の葛藤、ナチスの非人間性をあぶり出した傑作だった。
  いま思いついたイタリア映画の傑作は『ドベレ将軍』
  北イタリアのレジスタンスの希望の星だったドベレ将軍がアフリカからイタリアに上陸したとたんにドイツ軍に射殺される。ドイツ軍側が反ナチの逮捕者たちの口を割らせるためにチンピラみたいな男に刑務所内でドベレ将軍を演じさせるのだ。ところが平凡な男が次第にドベレ将軍になりきって堂々と処刑台にたつ… 「人生で迷ったら困難な方を選べ」という偽将軍のセリフが今も耳に残る。

 追伸=中川先生はフランス映画なら『大いなる幻影』(1937)だといっていた。スペイン内乱を描いていたが、あまり記憶に残ってはいない。

2012年11月29日木曜日

違ってた・・・猫跨ぎ

あれあれ違ってた。モニカ・ヴェッティでなく、マリー・ラフォレだったとか。ずっとそう思いこんでいた。すると、モニカ・ヴェッティは何で見たのかな。なに?アルツハイマー?佳人薄命と行きたいものだ。

そうそうモニカモニカモニカ・・褌子

    そうそうモニカです。すこし退廃的、気怠そうな顔だったが理知的な頭のよさそうな細身の女優。
  アランドロンと無人島にヨット乗り付けて砂浜でいちゃいちゃしてさ。モニカの野郎、横になって抱き合うと片手がじゃまね、なんていいやがってさ。ちくしょう。だから勇気化学に集中できなかったんだ。
モニカちゃん、もうどんなおばあちゃんになっているんだろうなあ。
 BBことブリジットバルドーはいまもパリのアフリカ系移民の子供の就学援助をしているそうだ。BBおばあちゃん偉い!
 謹厳な僕は一度もみたことないけど、逸徳さんあたりがたぶんあこがれていた「エマヌエル夫人」も最近亡くなったそうです。
 やっぱりさみしいね。瞑目合掌






追伸=インターネットでみたらモニカ・ヴェッティが80才になってアルツハイマーだと報じてある。生老病死は世の常だが…

いろいろ思い出す・・・猫跨ぎ

そうそう「シベールの日曜日」だ。この映画と「赤い風船」がどうもごっちゃになる。どんどん出てくるなあ。「太陽がいっぱい」か。実にいい名前をつけるもんだ。ちみちみ、ブリジット・バルドーじゃないよ。モニカ・ヴェッティというグラマー女優。アンニュイを漂わせるぴったりのはまり役だった。野心たっぷりの青年が一世一代の大勝負で親友を殺し、彼の財産と恋人を手に入れる・・・が。このテーマ音楽もよかった。実にフランス的な、シャープな、格好のいい映画だった。

シベールの日曜日です!!

    五本さんと乾君がふたりっきりでみにいったのは「シベールの日曜日」です。
   じつにけしからん。ぼくは五本さんと映画みにいった記憶がない。あんな暗い映画館に二人っきりで入る勇気ないもん。生まれつき内気だもんで。
   仁ちゃんの自転車を無断借用して、大通り公園で日曜日の真っ昼間に逢い引き、自転車の後ろにのせてすーいす~いと女子寮まで送っていきました。太陽がいっぱいのきわめて健康なふたりでしたね。
   アランドロン・ブリジットバルドーの「太陽がいっぱい」もありましたなあ。BBいまどんなおばあさんになったかなあ。
   しかし最高傑作といえば、やっぱり敗戦直後のウイーンを舞台にした『第三の男』だ。これも札幌のどこかの映画館でみた。『カサブランカ』のイングリッドバーグマンよかったねえ。スペイン内乱を舞台にした『誰がために鐘が鳴る』のバーグマンも捨てがたいが。バーグマンは乳がんで先年亡くなったそうだ。瞑目合掌
   

おどろいたなあ・・・逸徳

そりゃ「シベールの日曜日」じゃないかねえ。 しかし、みなさん古い話をよくおぼえているなあ。 老化は直近の記憶からだめになり、古い記憶が鮮明化してくるというが、それだな。 みんな、立派なじいさんになってきたということだ。 五元さんの結婚式に出席した記憶を思い出した。あの時、ほかに誰がいたのか記憶にないだが、変なはなし披露宴の料理や、余興のバイオリンをやった少女の記憶がある。

戦争と映画・・・猫跨ぎ

  「ひまわり」も忘れられないなあ。悄然と佇むソフィア・ローレンの背後に広がる果てしもないひまわり畑。ヨーロッパ中が戦場だったから、第二次大戦をテーマにした多くの名画があった。「禁じられた遊び」はフランス映画か。ドイツ映画に「橋」があった。ソ連映画も数多い。「僕の村は戦場だった」は印象深い。
  ベトナム戦争自体をテーマにしたコッポラの「地獄の黙示録」も忘れられないが、乾君が五本さんと二人で見に行ったというけしからん話があるが、その映画(タイトルは忘れた)もいい。或る男と少女の秘められた交流。彼はアメリカの来る前に敗退したフランス軍にいた兵士。戦闘機で降下して銃撃した先に恐怖に充ちたベトナムの母子がいた。爾来精神に異常をきたし、廃人のように日々を送ることになった男。あのタイトル何だったかな。

2012年11月28日水曜日

いいねえイタリア映画は・・・褌子

    白黒のイタリア映画といえば「無防備都市」もよかった。バチカンはナチスのユダヤ人虐殺をわざと見て見ぬふりをしていたが、ローマを占領したドイツ軍とたたかって従容と銃殺されるローマの神父さんが印象に残る。レジスタンスの一員になってナチスとたたかったカトリック左派が、戦後になってカトリックの祖国の名誉を救った。
    カラー映画になってからは、やっぱり『ひまわり』  ソフィアローレンとマストロヤンニ
    庶民を戦後も引き裂く戦争の悲劇…出征した長男が戦死したと思って、長男の嫁を次男と結婚させて子供もできてまもなく、長男が命からがら帰ってきたという話は日本でもたくさんあったらしいが、「ひまわり」は最愛の妻とひきさかれて出征したイタリア兵士が凍死寸前にロシア娘に救われて夫婦にまでなってしまう。がソフィヤローレンがあきらめきれなくて、ロシアにまで夫を探しにゆくのだ。えんえんとつづくひまわり畑・・・
    『ニューシネマパラダイス』
    シチリア島の映画技師と少年の物語。鉄道員の坊やみたいに可愛い少年だった。
    イタリアは日本と同じ敗戦国だから戦後まもなくは庶民もおなじく限りなく貧しい。そのころの映画が日本人の琴線にふれるのはそういうところもあるかもしれない。ヨーロッパからのアメリカへの移民のなかでもイタリア系がアメリカ社会の下層を形成しているらしい。アメリカ映画だが『ゴッドファーザー』はシチリア出身のマフィア親分一家の物語。
  以上はみんなイタリア庶民を描いているのだが『山猫』はがらりとかわって、滅び行くイタリア貴族を大河小説風に描いている。監督のビスコンティも貴族の末裔。話の筋はなにも覚えていないが独特の茶系統の天然色だけが滅び行く貴族の頽廃にマッチして脳裏にのこっている。

2012年11月27日火曜日

イタリア映画・・・猫跨ぎ

「鉄道員」の主演、監督はピエトロ・ジェルミ。よく流れるテーマ音楽の音源はラストシーンのサウンドトラックからのもの。朝の登校時に同級生が男の子を呼びかける声が入っている。
「自転車泥棒」は名匠ビットリオ・デシーカ監督か。筋書きは何ともみじめな親子の話。「鉄道員」もそうだが、敗戦後のイタリアの庶民の貧しい生活、哀歓がしみじみと描かれる。日本人の琴線に触れるね。それにしても娯楽主体になった今とは大違いの、くそまじめな映画がくそまじめに作られていたんだなあ。
「道」か。アンソニー・クインと女優はジュリエッタ・マシーナ。印象深かった。
いずれも背景には戦後の匂いがただよう―日本で言えば昭和の映画だった。

「鉄道員」・・・・褌子

 鉄道員・・・いい映画だったね。
   もう五〇年も前か二十歳のころに札幌でみた。
   頑固親父がストやぶりをしてしまい、坊やが友達からいじめられるシーンありましたよね。優しいお姉さんに恋人ができて、おやじさんがおれは許さんぞと怒る。お母さんはいつも子供をかばっておろおろ泣いている。
   庶民の家庭というものは、どこも似たりよったりだなあと、わびしく美しい音楽とともに可愛い坊やの語りがかすかに記憶に残っている。
   敗戦直後の貧しいイタリアを描いた映画といえば北大桑園寮のテレビでみた「自転車泥棒」。全財産が自転車だけの貧乏な父子が自転車を盗まれてしまい、逆に他人の自転車を盗んで捕まるはなしでおやじさんと息子が泣き出す場面でこっちも涙ぐんだ。薄野の映画館でみたフェデリコ・フェリーニ監督「道」も記憶に残る。精神薄弱の女の子と粗野でわびしい旅芸人のはなし。つきはなしてもつきはなしてもついてくる女の子…

鉄道員・・・・猫跨ぎ

  きのう何げなくBSを入れたら、イタリア映画「鉄道員」をやっており、途中から最後まで懐かしく見た。何ということもないイタリアの庶民の家庭を描く。頑固一徹の父親。末っ子の男の子が何とも可愛い。そして随所に流れる哀調をおびたテーマソングが実にいい。この映画の最大の主役かもね。壊れかけた家庭が最後は纏まってハッピーエンドだが、それを見届けて父親が眠るように息を引き取る。小津安二郎をふと連想。この頃、洋の東西で古い家庭の形が崩壊していくのが共通のテーマだったのだろう。最近涙もろくなったが、この映画も随所で涙を禁じ得なかった。

2012年11月24日土曜日

『俳句いきなり入門』・・・褌子

  私は選挙で忙しくなってきたが、あいまをみて仁ちゃんが紹介している『俳句いきなり入門』を読んだ。面白かったので詳しい感想はゆっくり書きたい。とにかく、日本語というものの面白さ深さ。隠喩・比喩・換喩なども、違いがなんとなくわかった。一発芸の俳句と詩歌の違いを力説していて納得する。「だめな句は全部似ているが、いい句は一句一句違っている」などは「幸福な家庭はどこも似ているが、不幸な家庭はどの家もみな違っている」というアンナカレーニナを想起したりして楽しい。
  近所の若者に貴志祐介『黒い家』をすすめられた。ホラー小説というものをはじめて読んだが文章がうまくて違和感がない。中身はそんなに怖くもなかったが、こういう類の人間がいる現代社会はやっぱり怖い。最近の尼崎の連続殺人を想起してしまった。清張『霧の旗』のほうが理不尽な過剰すぎる報復に怖さを感じたが。わたしもいぜん、不登校の子供をかかえている母親の悩みをきいてやったところ、突然責任をとれ貴方を呪って死んでやると三年くらいつきまとわれたことがあった。
  筆力といえば津島祐子『火の山――山猿記』。太宰の娘が描く、甲州の母親の一家の五代にわたる長い長い物語。一家のいろんな人間が次々としゃべり出すのだが、時間と空間の配置がしっかりしていてちっとも混乱しない。大勢の人びとの生老病死のむこうに火の山、富士山がいつもそびえている。父太宰の情死事件も淡々と語っている。青森の太宰の実家のはなしもいろいろ出て来て、先年、逸徳さんと五能線旅行で訪問した斜陽館を思い出した。
  一家の物語といえば西武の提家をえがいた辻井喬『父の肖像』がいちおし。小説好きの女性にすすめたら絶賛していたが、いまは『火の山――山猿記』にはまっていて、曰く親戚身内に作家がいたら私は嫌だねえ…と電話してきた。

2012年11月20日火曜日

総選挙・・・猫跨ぎ

  総選挙だが何かぐじゃぐじゃになってきたな。統治機構の溶解状態だ。さっき鳩山元首相が出馬を取りやめたという。消費税反対ならさっさと離党すればよかったのに、ぐずぐずしてる間に念書を書かされるハメになり、選挙区の情勢も怪しくなって投げ出したのだろう。まったくぶざまな最後だった。こんな格好の悪い政治家の最後も珍しい。
安倍は誰から知恵をつけられたのか、建設国債を日銀に買わせると言い出した。国債に印が付いているわけもない。財政の無制限の緩和だ。成蹊大学出身か。こんなレベルだ。(おっと差別発言かな)
石原―橋下新党もバタバタ節操がない。石原の年来の核武装論が表に出て来た。これが最後の機会だ、このままだと日本は亡びると血相変えているのも嗤うしかない。野田がまともに見えてきたぞ。

吟行句・・・猫跨ぎ

  吟行句が当事者以外の人に判って貰えるかはいつも問題になるね。私も逆の立場はしょっちゅうあるけれど、矢張り隔靴掻痒感は否めない。俳句の限界だろうね。
特別の環境であるなら尚のこと。今度の被災地での句はまさにその典型だった。これも俳句の限界かな。そもそも俳句表現の対象になるのか。震災句はそれこそごまんと発表されたけれど、後になっても残るのは如何ほどか。

函館通信192・・・猫跨ぎ氏句評・・・仁兵衛

 相変わらず深い鑑賞性のある句にまた脱帽です。東北旅行の作はそこにいかぬ人にちょっと解り難い所もあったけど(行けなかったやっかみも入ったが)11月の句は心棒の入った句があり楽しませて呉れているね。

・鉄路にも程よき起伏吊し柿 ・・・中七の程よき起伏が鉄路と吊るし柿との間を見えぬ糸で結んでいるような感じに打たれた。
・耳掻を栞にしたる獺祭忌 ・・・ユーモアを感じて入る内に獺祭忌で締める上手さが何とも云えぬ。
・梅擬ポー詩集あつたので読む ・・・取合せの妙の極意か。梅もどきも地味な花だけどここでは輝いているようだ。特選。
・謎の螺子一本残る夜寒かな ・・・謎のとしたところが良し悪しの解釈に迷うところだが・・・。
 
・よもつひらさか蜩の鳴く時間です ・・・よもつひらさかが難しくて。
・雑炊に塩を振る夜や鳥渡る ・・・塩の摂取は控えめに。
・熊吊られ猟師(さつを)と同じ谷を見る ・・・落選した候補者と応援者と考えたら面白くなった。
・狭庭にも大いなる闇菊月夜 ・・・狭庭のないマンションは闇ばかり。
・評判の金木犀は路地の奥 ・・・北海道に居ると金木犀の香りが殆ど無い。
・木の実落ち座敷すみずみまで深夜 ・・・選挙で落ちた人は本当に寂しさを感じるのかな。

子規・・・猫跨ぎ

  正岡子規の生没年は1867~1902。1867年と言えば明治維新前年だから、彼の年齢はその時が明治何年かで判る。没年は明治35年だから、彼は弱冠35歳で亡くなった。
近代俳句の確立、写生文の提唱、短歌革新運動主導とアララギ派の設立。今の35歳の頼りなさを思うと、こんな事跡は全く奇跡に近い。しかも闘病生活を送りながら。
勿論時代がそれぞれの分野の革新を要求していた。この天才がたまたま縦横にその任を果たしたというべきだろう。いま、俳句も短歌も彼の敷いた路線の上を走っているのはいうまでもない。そういう時代だったんだね。
日暮里駅から歩いてすぐのところ、今は連れ込み旅館の並ぶ一角に子規庵がある。狭い庭があって、色んな草花がびっしり植えられている。糸瓜棚もあり、鶏頭もあった。

獺祭忌だっさいき・・・・褌子

    三陸旅行のドライバー菊池さんから手紙がきました。不況で苦労しているだけに、ほろほろ会の案内が本当に楽しくうれしかったそうです。
―――――
・よもつひらさか蜩の鳴く時間です
    よもつ‐ひらさか【黄泉平坂】=現世と黄泉との境にあるという坂なのだそうだ。三途の川みたいなものか。ヒグラシは夕暮れにわびしく鳴くが、蜩の鳴く時間ですといいきったところが潔し。
・木の実落ち座敷すみずみまで深夜
    南部曲屋にも凩がふいていることだろう
・梅擬ポー詩集あつたので読む
    紅葉したウメモドキと幻想的なポー詩集のとりあわせが面白い
・謎の螺子一本残る夜寒かな
    分解して組み立てたら一本のネジが残ってしまった。ハテ
・雑炊に塩を振る夜や鳥渡る
    独り暮らしの景かも
・熊吊られ猟師(さつを)と同じ谷を見る
    特選。猟師を「さつを」というのか初めて知った。語感に縄文のかおりがする。猟師の物語というと「喜作新道」
・狭庭にも大いなる闇菊月夜
    陰翳礼讃あるいは雨月物語
・評判の金木犀は路地の奥
    いい薫りがしてきた。この先だ。
・鉄路にも程よき起伏吊し柿
    たしかにレールには起伏がある。つるし柿との配合秀逸
    やっと回復なった三陸鉄道を思い出した。
・耳掻を栞にしたる獺祭忌
    子規忌は9月19日だそうだ。明治35年に亡くなっているから生きていれば110才。われわれも70年生きたのだからそんなに古いひとではない。先人がみじかに感ずるのは加齢の効用。獺=カワウソは何となく愛嬌があって耳かきの栞と相性がいい。糸瓜忌だと子規の病苦を連想してしまう。芥川の河童忌とか、太宰の桜桃忌とか近くは司馬遼太郎の菜の花忌とか誰が決めて人口に膾炙し季語として定着するんだろうね。正岡子規は最もすぐれた日本人のひとりだと思う。



2012年11月18日日曜日

11月10句・・・猫跨ぎ

いつの間にか石油ストーブをつけている。今年も過ぎ去ろうとしている。いろいろあったが、諸兄と行ったみちのくの旅が何と言っても印象深い。
元気で記憶を積み重ねたいものだ。11月10句。

・よもつひらさか蜩の鳴く時間です
・木の実落ち座敷すみずみまで深夜
・梅擬ポー詩集あつたので読む
・謎の螺子一本残る夜寒かな
・雑炊に塩を振る夜や鳥渡る
・熊吊られ猟師(さつを)と同じ谷を見る
・狭庭にも大いなる闇菊月夜
・評判の金木犀は路地の奥
・鉄路にも程よき起伏吊し柿
・耳掻を栞にしたる獺祭忌

2012年11月16日金曜日

昭和のあの頃・・・猫跨ぎ

衆議院が解散とか。涙目になって親父に正直者は偉いと頭を撫でられたとか。いい人物だとは判るが、一国のリーダーとしてはなあ。一年後、誰も覚えていないエピソードだろう。
500人の御身大事の右往左往を、しばらくは見させて貰おうか。

・訃報メールアムステルダムの秋運河
河野君の追悼句。アムステルダムの運河沿いに「アンネの家」があったなあ。欧州駐在の青年社員も老い、逝った。なんと人の世は短くあっけないものか。
・初雪や真空管の語りだす
真空管か。子供の頃、真空管をしげしげ眺めたことがある。なんと複雑で精妙で想像力を掻き立てたことか。3,4本の端子をロケットの噴射口に見立てたり。それに対しトランジスターの何と単純で味も素っ気もなかったことか。ちょっと拝借して〈木枯や真空管の光り出す〉
・落葉踏むうしろに夢声の語る声   特選
徳川夢声がいいね。「宮本武蔵」を思い出す。そう、戦前の匂いをたっぷり残した昭和の声だった。これも拝借した。〈河豚鍋の煮えたと夢声呟けり〉
��むせいを漢字変換すると、夢精が出てくる。褌子氏が気付かぬ訳はないのだが。)
・月冴ゆる鉄腕アトム充電中
昭和懐旧シリーズですな。妹はウランちゃんか。お茶の水博士、ヒゲ親父。鉄腕アトムは面白かった。手塚治虫は100年に一人の天才だ。あの漫画から実に多くのことを学んだ。独特の手塚ワールドは馥郁として、懐かしい。  
・鳥渡る歌声喫茶の手風琴
昭和シリーズの掉尾。歌声喫茶か。ユートピア的な何かをまだ信じていたんだな、あの頃。

函館に初雪せまる・・・褌子

函館通信ももう191号。はやいものだね
「俳句いきなり入門」は書名からして面白そうだ。
・訃報メールアムステルダムの秋運河
 秋運河。河野君が走り回っていたアムステルダムの運河も秋色が濃い。愁いという字は秋の心だが、何か胸苦しい青春よりも夕闇迫る黄昏のほうが心安らぐ。デンデラノへの棄老はいやだが黄落も静かに受け入れたい…なんていっちゃって。
・木枯しやよく見えているスカイツリー
  今日の風は冷たかった。千葉は秋と冬のせめぎ合いも今日あたりがピークか。
  木枯らし、凩・・日本語はいいねえ。スカイツリーの余波で東京タワーが繁盛しているとか。あっしには関係ござんせんが
・湯豆腐の八つ当たりして崩れけり
  わかります。犬猫にも八つ当たりしたくなる昨今の世相。女房は老人性短気症というけれど
・初雪や真空管の語りだす
  トランジスターラジオがでたのは中学生ころか。あの真空管の質感が懐かしい
・色変へぬ松に鞍掛け葦毛馬
  何となく南部の曲屋を思い出した。幕末だね。芝居じみた光景ではある
��描線で北窓塞ぐ古径かな
  描線というと近代だが古径というと中世。何となく一茶めいた寒々しい景
・落葉踏むうしろに夢声の語る声
  そうか作者は真空管ラジオをもって徳川無声の「話の泉」だったか「二重の扉」だったか聴きながら散歩している?…
・脇役の主役になりて菊の前
  先日、脱原発集会にいったとき日比谷公園で菊花展をやっていた。丹精込めた見事な菊の大輪よりもテント脇に無造作に寄せ植えされていた野菊の深い黄色、深い紫に感動した。
・月冴ゆる鉄腕アトム充電中
  鉄腕アトムは100万馬力の超小型原発でしたか。あのころ原子力の平和利用という幻想があった。煌々たる寒月のもとでアトムもウランちゃんのことをおもいつつ充電中?
・鳥渡る歌声喫茶の手風琴
  特選。アコーディオンも手風琴というといい味がでてくる。鳥渡るという季節になったんだ


2012年11月15日木曜日

函館通信191・・・初雪・・・仁兵衛

 本当に今年の北海道は秋が短かった。といっても初雪が遅れているのだからいったい気候の変化はどうなっているのやら。
 俳句界でも季語の見直しをやろうという動きがあるとか。この気候変動で実際の皮膚感覚が季語と合わなくなっているのだろうか。
 そんな中「俳句いきなり入門」(千野帽子著・NHK出版新書)を読んだ。面白かったので褌子さんに是非読んでもらって感想を聞かせて欲しい。要は俳句は作るよりも評を加える事の方が大切なのだと言う著者の主張をどう感じるかだと思う。私は読んでいったら俳句が作りづらくなってしまう錯覚に嵌ってしまいそうになっている。

   訃報メールアムステルダムの秋運河
   木枯しやよく見えているスカイツリー
   湯豆腐の八つ当たりして崩れけり
   初雪や真空管の語りだす
   色変へぬ松に鞍掛け葦毛馬
   描線で北窓塞ぐ古径かな
   落葉踏むうしろに夢声の語る声
   脇役の主役になりて菊の前
   月冴ゆる鉄腕アトム充電中
   鳥渡る歌声喫茶の手風琴


2012年11月10日土曜日

リーマン予想・・・褌子

   NHK BSの「ポアンカレ予想」も面白かったが、
『素数の魔力に囚われた人々~リーマン予想・天才たちの150年の闘い』も非常に面白かった。
   「リーマン予想」数学史上最難関と恐れられ、今年問題発表からちょうど150年を迎えた。数学の素数が、2,3,5,7,11,13,17,19,23・・・と一見無秩序でバラバラな数列にしか見えない素数が、どのような規則で現れるかは、素数の並びの背後に「何か特別な意味や宇宙の調和が有るはずだ」と数学者たちは考えて来たというのである。素数の規則が明らかにされれば、宇宙を司る全ての物理法則が自ずと明らかになるかもしれないとプロジェクトXなみのNHK式感動の押し売り方法で大げさにいうのである。たしかに素数が並ぶ規則を数式化すると原子核の振動を表す数式と同じになるというのだから感動症の小生はたちまち感動の涙を流してしまった。
  さらにこの「リーマン予想」が解かれれば私たちの社会がとんでもない影響を受ける危険があることはあまり知られていないともいって脅かすのである。クレジットカード番号や口座番号をRSA暗号化する通信の安全性は、「素数の規則が完全には明らかにならない事」を前提に構築されてきたからだという。
  へー、そんなこと算術が苦手だったので知らなかった。
  「リーマン予想」と「素数の全性質」が解決すればRSA暗号が効率的に破られるのだと、NHKは現代文明の基礎が崩壊するみたいに脅かすのだが、早速、ある数学者がおいおいNHKがそんなこと放送していいのかよとインターネット上で以下のような反論をしている。
   RSA暗号の小ネタは「素数の音楽」から取ったネタなのだろうが、リーマン予想とはあまり関係がないネタなので、これは詐欺的ともいえる印象操作である。しかも、RSA暗号が破られる条件として「リーマン予想の解決」と「素数の全性質の解明」を同時に比べているところが小ずるい。リーマン予想が解決されたとしてもRSA暗号にはほとんど影響はないだろう。ただ、リーマンζをL関数に置き換えた予想である、拡張リーマン予想を仮定すれば、ある程度素数の判定が効率的になるアルゴリズムが存在する可能性が指摘されているのだが、RSA暗号が一気に破られるということにはなりそうにない。それに対して「素数の全性質」が解決されれば、そりゃRSA暗号なんてものがダメになるのは当然だろう。RSA暗号の安全性は巨大素数の合成数を因数分解することが困難であるということに基礎を置いているのだから。それにしても「素数の全性質」なんていったいなんのことだかわけがわからない。
   ・・・・??読んでいるボクもいったいなんのことだかよくわかりません   (*^_^*)
【写真は11月11日の原発ゼロ100万人集会で.
恥ずかしいので小さくしました】
 

2012年11月7日水曜日

人智は貧困だ・・・猫跨ぎ

いやね、E=mc(2)を持ち出すまでもなく、物質とエネルギーは等価なのだから、星間物質だろうが空間エネルギーだろうが同じ事だ。ただエネルギーという方が、想像力が羽ばたいて、想念が自由に飛翔できるのではないかという話。物質は重力を内在しているからね。死んでから捕らわれることもあるまい。しかしダークマターってあったなあ。かように人智はまだまだ貧困だ。

ふむふむふむふ~ん・・・褌子

    法華経までとびだして、またまた話が難しくなってきました・・・

ふむ・・・・・・・逸徳

賢治の世界であることはよくわかる。 しかし、凡人が現世に執着し、存在に拘泥するのはしょうがない。そこをつきぬけたら、悟りをひらいたえらいひとになるのだろうが、簡単にはできない。これは、死後の世界がわからないからであって、それによる必然的な心理的現象なのだろう。わからないことはこわい。客観的には「宇宙に雲散霧消」するのだろうが、それもやっぱりこわい。そこで人は、そのこわさを克服しようとして、いろんな装置、あるいは「ものがたり」を考えたという気がする。宗教や、あの世のイメージなどそういう営みから生まれた傑作品だ。 つまりそういう「ものがたり」にすがって、死という物理現象を乗り越えようとしているのではないか。 死後のイメージは、ひとによってさまざまなものがたりがある。その中で「ひとは死んだら星になる」というイメージは文学的で、みたこともない「あの世」とか「天国」なんかより、おいらたち凡人にはすがりつきやすいという気がしたわけ。 まあお遊びかもしれないがね。 ちなみに100億年とか50億年というのは我々の認識能力をこえた長さなのか、ちっとも長いという感じがしないのである。

空間エネルギー・・・猫跨ぎ

我々が星間物質に還元されて、次の星の材料になることは、全然面白くない。それは物質を介して存在に拘泥しているだけに過ぎない。それは現世への執着心だ。まずは、空間エネルギーになって宇宙に雲散霧消する。永劫の後、また物資に形を変えることはあろうが、それはその時だ。これ、法華経のイメージ。宮澤賢治の世界。賢治は宇宙と或る官能を抱いていたな、間違いなく・・・

2012年11月6日火曜日

大河の一滴・・・猫跨ぎ

  1億5千万年周期説か。そのとき数百万年の寒冷期を経験するという仮説。どうなんだろうね、周期というのは同じ事の繰り返し、つまりほぼ元に戻るということ意味しよう。しかし肝心の宇宙構造自身が進化するわけで、進化しつつの周期性。その生々流転する超大河のなかで、太陽系の中の一惑星の寒冷化など、誤差のなかの誤差の100兆乗ではあるまいか。

したがってだ。・・・・逸徳

太陽の超新星爆発で、地球も再び星間ガスになると宇宙に飛び散って、またどこかで新しい星が生まれたら、その一部になる。だから人は「死んだら星になる」のだ。 この話ものすごく面白くて、最近いろんなところでふりまいている。 だれか書かんかなあ。

銀河構造と気候変動・・・・褌子

  もう7年前の話なんだね。猫跨ぎさんによって、佐渡のひとなら誰でも知っている日野資朝卿が徒然草にも登場するきわめて高位のお公家さんであることを知ったのは。
 はなしはとぶが、BSコズミックフロントの銀河系の構造は面白かった。
ちかくのマゼラン星雲とかアンドロメダ星雲の構造よりもわれわれの住んでいる銀河系のほうが、内部の地球から観測するのでかえって、わからないことが多いらしい。が、だんだん構造がわかってきて、地球の超長期的な気候変動が銀河系の構造と深い関係があるというのである。
  カナダの地質学者が、一億五千万年前の化石を発見して当時がきわめて寒冷だったことをつきとめた。さらに三億年前の化石も地球が寒冷だったことを示しているというのである。大体、地球は一億五千万年ごとに周期的に数百万年間の寒冷期を迎えていて生物の絶滅や進化に影響してきたというのである。
  いっぽう、天文学者が銀河系は単純な渦巻きではなく、巴構造になっていて巴のところにはたくさんの星が渋滞状態で溜まっていることを近年、発見。そして我々の太陽系もこの巴構造に一億五千万年ごとに突入していてこの星々の渋滞をぬけるのに数百万年かかっているというのである。
  この星の渋滞にはいると超新星爆発などに遭遇する機会が断然増えて、地球にたくさんの宇宙線がふりそそぐ。このシャワーのように地球に降りそそぐ宇宙線によって水蒸気が発生し地球全体を巨大な雲が数百万年もとりまくことになり、太陽光をさえぎってきたという仮説で、カナダの地質学者がとなえる超長期的な地球寒冷化の周期とぴたり一致するというのである。
 巨大な銀河の構造と太陽系の運行が、地球の周期的気候変動を引き起こしているとは。ずっと地球に住んでいるがちっとも知らなんだ。
  このつぎ太陽系が渋滞に巻き込まれるのはいつのことかはっきりしないらしいが、誕生して数百万年の人類がそのころまで生き延びている可能性があるのかどうか。いずれ太陽自身が超新星爆発を起こすときには地球上の生命は絶滅することになることだけは確か。
 

2012年11月5日月曜日

日野資朝・・・猫跨ぎ

日野資朝。佐渡旅行で話題になった。あの後、当欄に投稿していたので再掲してみる。印象深い人物だった。2005年のこと。やれやれ。

日野資朝(1290~1332)という鎌倉末期の公家が佐渡に流され、最後に刑死した事跡が妙宣寺の掲示に記されておりましたな。後醍醐天皇をかつぎ倒幕運動の謀議をこらしたという罪状。才学に秀でたなかなかの人物だったらしい。ところで徒然草に彼の変なエピソードが記されている。
第152段:ある内大臣が、西大寺のよぼよぼの長老を見て、「何とも尊い様子だなあ」と感に入っている。資朝は「あれはただ歳をとっているだけだ」といい放ち、後日やせ衰えた老犬をつれてきて「なんと尊くみえることよ」と、かの内大臣殿のもとへ届けさせたという。
第153段:京極為兼が逮捕されて庁舎へ連行されるのを見て、資朝は「羨ましい。この世の思い出として、あのようになりたいものだ」といった。為兼は歌人で、これは公家同士の係争に負けて土佐に流される時の事。後年の本人の佐渡配流を予期していたとでもいうのか、変な話だ。
第154段:資朝が東寺の門で雨宿りをしていた。そこに集まっていた大勢の不具者たちが、手も足もねじ曲がり反り返って異常な姿であるのを見て、「類のない変わり者だ。愛賞するだけのことはある」とじっと見守っていたが、たちまち興が失せ、不快になった。邸に帰って、集めていた植木を前に、普通と違って曲がりくねっているのを賞玩していたのは、あの不具者を面白がるのと同じだったと興ざめになり、みな捨ててしまったという。

吉田兼好は資朝と同時代の人であり、資朝は端倪すべからざる人との評判だったのではないか。またこの挿話から資朝のきまりに捕らわれない近代人の目線が感じられると思うが如何か。
資朝に関してもう一つ。今回の本間能舞台の「俊寛」はなかなか感銘深かったが、佐渡の真野町を舞台にした彼にまつわる能の曲目があるという。「壇風」(世阿弥作)というのがそれ。佐渡に配流の資朝を誅せよとの鎌倉の下知。梅若(資朝の子)は今一度資朝に対面したいと佐渡に渡るが、父の前に名乗り出るより早く資朝は誅せられてしまう。その夜、本間三郎の館に逗留の梅若は本間を討ち、船着場へ逃げるが、追手が迫る。そこへ熊野権現が海上に勧請され、舟はたちまち若狭の浦へ。無事、都へ向かうという話。太平記の話を翻案したもの。もっとも、この演目を本間家の能舞台で演ずるのは差し障りがあるかな。
日野資朝は当時の人々にとって忘れがたい不思議な印象を与えた人物だったのだろう。話が妙に現実味を帯びて来るのも佐渡の空気を吸ったお陰というしかない。

佐渡は中世文化が残っているところらしい・・・・褌子

   佐渡は越佐海峡のせいで、生き物も朱鷺とか何とか佐渡ネズミとか残ったらしい。かくもうす小生も粛慎の末裔か、はたまた順徳院の御落胤のなれの果てか…
  流刑地だったので貴種流離譚も多いところ。怪しげな安寿塚とか厨子王塚とかもある。高校の古文の日野先生は目元涼しい独身教師で、日野資朝卿の末裔だといわれ女学生のあこがれの的だった。十年くらい前に日野先生の自宅そばの大膳神社の能舞台を掃除している美しい白髪の奥さんにであって、確かめたところ「いえ、手前どもは資朝卿の血のつながった子孫ではございません。都からこんな僻島までお下りになった日野資朝卿のお世話をしましたところ、日野姓を名のれと卿に賜った家系でございます」とのことであった。七百年前のはなしを何のてらいもなく話す奥様の気品に圧倒されました。はい。
   日野資朝は醍醐天皇に抜擢され、北条氏討滅の企てに加わったが、発覚、佐渡に配流、殺された。謡曲の阿新丸(くまわかまる)はその子で、毎年、この大膳神社の能舞台で演ぜられる。
   ほろほろ会の佐渡旅行でもみた日野資朝卿の墓は近くの妙宣寺にあるが墓の掃除は日野先生の一家だけに許されているらしい。(むかし、こんなことを書いた記憶がある。年取ると同じ話を何度も・・・)
   佐渡は近世の佐渡金山の圧倒的な影響もあって、遠野のような縄文弥生の匂いが消えているように思う。佐渡は中世文化が色濃く残っているところらしい。
   佐渡に流刑された世阿弥ではなく実は初代金山奉行の大久保長安が奨励したらしいが、全国の能舞台の半分の三十いくつも能舞台が佐渡の山村集落にあって今も演じられている。
  柳田国男も佐渡にきているが佐々木喜善のような人に会えなかったのだろう。ダンノハナ、デンデラノのような薄気味悪いところもあったんだろうな。無数の水子の地蔵がある海岸端の真っ暗なおっかない洞窟に入ったことがあるが…
  子どものころ昔話をいくらでもしてくれるおばあさんが近所にいたし、終戦まもなくのころか琵琶法師がわが家に泊まったこともかすかに記憶している。佐渡八十八カ所をまわる白装束の遍路さんから炒り菓子をもらうのも楽しみだった。
   
  注:粛慎(みしはせ)=中国の古書にみえる中国東北地方の民族。隋・唐の勿吉・靺鞨はその後身というが確かでない。日本書紀には、欽明天皇の時に佐渡に来り、斉明天皇の時に阿倍比羅夫が征したと記す。

2012年11月4日日曜日

ダンノハナ・・・猫跨ぎ

ちょっと修正。ダンノハラではなくダンノハナだった。今は墓地で、遠野物語の話者の佐々木喜善の墓もあるとか。ここを「死の空間」とすれば、集落は「生の空間」。そしてデンデラノは、その中間という位置づけになるという。なにか深いな。掘り起こせば、まだ何かがありそうだ。そうそう、この近くに現役の水車小屋があった。
  そういえば、何処の町にも、こういう不吉な場所、何となく近寄るのを憚られる場所はあった。北海道は歴史が浅いが、それでも必ずあった。ダンノハナ、デンデラノと繰り返し言うと何となく一種の薄気味悪さに突き当たる。我々の文化の古層に隠れている何かがある様な気がする。佐渡なんか沢山あるんじゃないか。

自分はどこから来たのか?・・・・褌子

   Horohorokaiきってのイケメン国兼さんと行奈さんの美顔がどうも寸足らずだとおもっていたが見事に整形処理されてよかった。修正されたご尊顔を拝するとお二人ともアイヌ系日本人ではなく日本本土系日本人だと思われる。
   日本本土系日本人はDNAで調べると沖縄系日本人よりも朝鮮半島人によりちかく、その次にいわゆる漢民族・中国人に近く、その次に沖縄系日本人に近くて、アイヌ系日本人とは非常に遠く離れているそうです。
   逆にいうとアイヌは色白、琉球人は色が黒い人が多いがDNAでみると非常に近いというもの。
   以下は11月1日の各紙からの引用。
   日本列島の先住民である縄文人と韓半島から渡ってきた弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったという「混血説」を後押しするDNA分析結果が出たと日本経済新聞など日本のメディアが1日、報道した。
  東京大学や総合研究大学院大学などで構成された研究チームが先月31日、このような研究結果を総合して発表した。日本経済新聞は「今までも似たような研究結果があったが、今回の研究は1人当り最大90万カ所のDNA変移を解釈して信頼性を大きく高めた」と評価した。研究チームは今まで公開された日本本土出身者とアジア人・西欧人約460人分のDNAデータにアイヌ族と沖縄出身者71人分のデータを追加して分析した。アイヌ族は紀元前5世紀ごろから北海道をはじめとする東北部地域に住んできた日本の原住民だ。
分析結果、アイヌ族は遺伝的に沖縄出身者と最も近かった。その次が日本本土出身者、韓国人、中国人の順だった。また、日本本土出身者などはアイヌ族や沖縄出身者などより韓国人、中国人と遺伝的にさらに近いと分析された。アイヌ族は顔の輪郭がはっきりしていて白人に似ていて、沖縄原住民は肌が黒く東南アジアなど南方系に似て容貌上は互いに明確な違いが生じるがDNAの分析ではきわめて近い。


らまっころ・・・猫跨ぎ

また余計な仕儀かも知らないが、国兼さんの写真が縦に縮んでいる。横/縦比は300/200となっているが、300/225のはず。勝手に修正させて貰ったが、どう?自然でしょう。

「らまっころ」は、行奈さんの説明では、「らま」がゆったりした、北海道弁でいえばあずましい感じか。「ころ」は処という意味で、アイヌ語による造語だったと記憶するが。

2012年11月3日土曜日

デンデラノ・・・・褌子

    国兼さんの写真付き旅行記は楽しく見事だ。とくに行奈さんの笑顔がかわゆいね。行奈さんの生き生きした話もよかった。行を「あん」と唐音で読ませるのがいい。行宮とか行在所とか。
   行奈さんとアイヌの話をゆっくりしたいです。おとといドキュメンタリー映画「カムイと生きる」というのをみたばかり。浦川治造さんというすばらしいアイヌのおじさんが主人公。
    菊池さんの名刺もらったのでみなさんの旅行記を郵送することにします。国兼さん小林さん行奈さんにくれぐれもよろしくお伝えください。
―――――

・カッパ消え皀莢の莢捩れたる
    遠野の旅に参加した人ならよくわかる句だ。
    河童は愛すべきグロテスクな顔をしている。菊池さんが案内してくれた河童のでる川も楽しかった。サイカチのサヤは強くねじれていて堅い。黒ずんだ茶褐色でいまわがやの玄関にかざっている。

・穭田に忘れ鍬ありデンデラノ
  デンデラノの語感が恐ろしい。なんの変哲もない原野みたいなところだが、六〇すぎた年寄りは…とあの話をきいてしまった以上、寒風吹きすさぶ深夜に独りでデンデラノに立つ勇気はない。「楢山節考」のような棄老伝説は信州北部の姨捨山だけかと思っていたら、貧しい山村にはあっちこっちに残っているんだね。
年寄りたちだけで筵がけした小屋に住み、山菜をとり共同生活をしながら死ぬときをまつ…現在の老人ホームも本質的には同じか

・柘榴熟れ坂を上がればダンノハラ
  ダンノハラは罪人の首切り場だときいた。ダンは断首のダンか。江戸でいえば鈴ヶ森か小塚ッ原。水車小屋をみたあと、あそこらへんがダンノハラと菊池さんが説明してくれたが、ダンノハラの近所にも農家が点在していた。子供のころ提灯もって墓場の前を通って近所にお使いに行くのが怖かったことを思い出した。

2012年11月2日金曜日

2012年ホロホロの旅(猊鼻渓編)…国兼

 岩手の震災の爪痕を見た後、その日は猊鼻渓の「らまっころ山猫」なる不思議な名前の旅館に宿泊した。小林さんの事前調査から200年前創業の由緒ある旅館で、宮沢賢治も宿泊したらしいとか、「らまっころ」はアイヌ語だということを聞いていた。どうしてこんなアイヌ語を旅館の名前にと不思議に感じていた。夕食時にみんなで楽しくお酒を飲みかわしていたら、ここの女将さん(菅原行奈さん)が挨拶に来た。
老舗の女将というと相場はお年寄りだろうと思っていたら、未だ若さを維持した奥さんである。旅館の名前の由来からアイヌの話になり、この女将さんは父親から酪農の勉強ということで旭川に長く住んでいたという。そこでアイヌに関心を持ちアイヌ語を勉強したという。息子も同じくアイヌ語に関心を持ちアイヌ語弁論大会で優秀な成績だったとか。「らまっ」と「ころ」という2つのアイヌ語の合成と話していたが、残念ながら酒を飲んでいたためにどういう意味だったか覚えていない。私が滝川だというと懐かしそうな顔をし、アイヌの熊祭りのお話や東北や北海道に残るアイヌ地名研究の山田秀三氏の話、更に宮沢賢治に由来する「山猫」という名から賢治に関する話題で、また話が盛り上がってしまった。楽しい夜のひと時を過ごした次第(写真左は女将さんを囲んでの記念写真)。

 翌日朝に女将さんと別れを告げて、日本百景の一つだという猊鼻渓の砂鉄川という名の川の船下りを楽しんだ。100m近い絶壁の渓谷(日本3渓の一つと書かれている)の間を「今年は紅葉が遅くてと、でも私の責任ではありません」という船頭さんのユーモラスなお話を聞きながら渓流の舟下りを満喫した。福島原発事故のおかげで、観光客も未だ戻らず、タケノコや山菜も売れず、私は暇で鉄砲撃っていますと言いながら猊鼻追分を歌ってくれた(写真下が船頭さん)。
             
 思えば心に深く残るメモリアルなる今年のホロホロの旅であった。
河野君の死を旅行から帰ってきて知ったが、人生かくのごときかと。また、来年も元気に再会したいものだと。

「追」私の書いた旅物語につけた写真の縦横の比がという猫跨ぎさんのコメント有り難うございます。私が今年6月に買い替えたノートパソコンで初めて画像を貼り付けたところ、通常の横、縦、3:2だと私のプレビュー画面では正方形になってしまい、不思議だなと思いながら私のプレビュウ画面にフィットするように縦を短くしてしまいました。どうして私のパソコンの画面でそうなるのか、また宿題が増えてしまった。

2012年11月1日木曜日

一言・・・猫跨ぎ

国兼さんのレポートですが、折角の写真が縦に寸詰まりになっている。横/縦の比は、200/150のはず。そのように両方とも修正しておきました。

ついでに、遠野ミステリーゾーンの三句
・カッパ消え皀莢の莢捩れたる
・穭田に忘れ鍬ありデンデラノ
・柘榴熟れ坂を上がればダンノハラ

2012年ホロホロ会の旅(鎮魂の旅)…国兼

 私の目の黒いうちにこんなミレニアム的大地震が、そして絶対安全と宣伝された原発がメルトダウンするような大事故をおこすとは…。この目と脳裏にしかと焼き付けておこうと思っていた。私にとってはこの津波で命を奪われた5万人を超える人、そして今も家を失い子供を、夫を、妻を失った人への鎮魂の旅でもあった。

 既に、猫跨さんの句や、褌子さん、逸徳さんの記事に書かれているので多言はしないが、この目でじかに見たあの3.11の津波の巨大さを痛切に思い知らされた。 こんな頑丈な防潮堤を一気に砕き、更にこんな高さまで津波が、(写真左:田老海岸の防潮堤を破って襲ってきた津波で被災したホテル?)こんな頑丈なコンクリートの建屋を打ち破ってと、私でもこの建屋に逃げ込んだらまず安心して一服したであろうにと・・・。 (写真右:陸前高田市の市役所、3階まで津波が押し寄せてきた)ただただ津波の巨大なエネルギーに圧倒される思いがした。

 この三陸海岸線には不気味な瓦礫除去の起重機の音が響き、工事現場の人以外の生活の音は何も聞こえてこない。周囲にはかって民家やお店が建ち並び、人でにぎわっていたであろうという証拠を残すコンクリートの土台の跡のみが見られ、更地になったその後には至る所雑草のみが生い茂っている。
 百聞は一見にしかずという古来の人の言葉をかみしめている。  合掌

下の写真はかっては風光明媚な海岸線の陸前高田の松原で一本だけ残ったという「奇跡の一本松」の跡で(小林さん提供の写真。我々の訪れる数週間前に枯れて伐採されたが、いずれ人為的施工を施して新たに立つらしい)。