2012年11月20日火曜日

子規・・・猫跨ぎ

  正岡子規の生没年は1867~1902。1867年と言えば明治維新前年だから、彼の年齢はその時が明治何年かで判る。没年は明治35年だから、彼は弱冠35歳で亡くなった。
近代俳句の確立、写生文の提唱、短歌革新運動主導とアララギ派の設立。今の35歳の頼りなさを思うと、こんな事跡は全く奇跡に近い。しかも闘病生活を送りながら。
勿論時代がそれぞれの分野の革新を要求していた。この天才がたまたま縦横にその任を果たしたというべきだろう。いま、俳句も短歌も彼の敷いた路線の上を走っているのはいうまでもない。そういう時代だったんだね。
日暮里駅から歩いてすぐのところ、今は連れ込み旅館の並ぶ一角に子規庵がある。狭い庭があって、色んな草花がびっしり植えられている。糸瓜棚もあり、鶏頭もあった。

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