2012年11月2日金曜日

2012年ホロホロの旅(猊鼻渓編)…国兼

 岩手の震災の爪痕を見た後、その日は猊鼻渓の「らまっころ山猫」なる不思議な名前の旅館に宿泊した。小林さんの事前調査から200年前創業の由緒ある旅館で、宮沢賢治も宿泊したらしいとか、「らまっころ」はアイヌ語だということを聞いていた。どうしてこんなアイヌ語を旅館の名前にと不思議に感じていた。夕食時にみんなで楽しくお酒を飲みかわしていたら、ここの女将さん(菅原行奈さん)が挨拶に来た。
老舗の女将というと相場はお年寄りだろうと思っていたら、未だ若さを維持した奥さんである。旅館の名前の由来からアイヌの話になり、この女将さんは父親から酪農の勉強ということで旭川に長く住んでいたという。そこでアイヌに関心を持ちアイヌ語を勉強したという。息子も同じくアイヌ語に関心を持ちアイヌ語弁論大会で優秀な成績だったとか。「らまっ」と「ころ」という2つのアイヌ語の合成と話していたが、残念ながら酒を飲んでいたためにどういう意味だったか覚えていない。私が滝川だというと懐かしそうな顔をし、アイヌの熊祭りのお話や東北や北海道に残るアイヌ地名研究の山田秀三氏の話、更に宮沢賢治に由来する「山猫」という名から賢治に関する話題で、また話が盛り上がってしまった。楽しい夜のひと時を過ごした次第(写真左は女将さんを囲んでの記念写真)。

 翌日朝に女将さんと別れを告げて、日本百景の一つだという猊鼻渓の砂鉄川という名の川の船下りを楽しんだ。100m近い絶壁の渓谷(日本3渓の一つと書かれている)の間を「今年は紅葉が遅くてと、でも私の責任ではありません」という船頭さんのユーモラスなお話を聞きながら渓流の舟下りを満喫した。福島原発事故のおかげで、観光客も未だ戻らず、タケノコや山菜も売れず、私は暇で鉄砲撃っていますと言いながら猊鼻追分を歌ってくれた(写真下が船頭さん)。
             
 思えば心に深く残るメモリアルなる今年のホロホロの旅であった。
河野君の死を旅行から帰ってきて知ったが、人生かくのごときかと。また、来年も元気に再会したいものだと。

「追」私の書いた旅物語につけた写真の縦横の比がという猫跨ぎさんのコメント有り難うございます。私が今年6月に買い替えたノートパソコンで初めて画像を貼り付けたところ、通常の横、縦、3:2だと私のプレビュー画面では正方形になってしまい、不思議だなと思いながら私のプレビュウ画面にフィットするように縦を短くしてしまいました。どうして私のパソコンの画面でそうなるのか、また宿題が増えてしまった。

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