2012年11月7日水曜日

ふむ・・・・・・・逸徳

賢治の世界であることはよくわかる。 しかし、凡人が現世に執着し、存在に拘泥するのはしょうがない。そこをつきぬけたら、悟りをひらいたえらいひとになるのだろうが、簡単にはできない。これは、死後の世界がわからないからであって、それによる必然的な心理的現象なのだろう。わからないことはこわい。客観的には「宇宙に雲散霧消」するのだろうが、それもやっぱりこわい。そこで人は、そのこわさを克服しようとして、いろんな装置、あるいは「ものがたり」を考えたという気がする。宗教や、あの世のイメージなどそういう営みから生まれた傑作品だ。 つまりそういう「ものがたり」にすがって、死という物理現象を乗り越えようとしているのではないか。 死後のイメージは、ひとによってさまざまなものがたりがある。その中で「ひとは死んだら星になる」というイメージは文学的で、みたこともない「あの世」とか「天国」なんかより、おいらたち凡人にはすがりつきやすいという気がしたわけ。 まあお遊びかもしれないがね。 ちなみに100億年とか50億年というのは我々の認識能力をこえた長さなのか、ちっとも長いという感じがしないのである。

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