もう店仕舞いの話かい。
知り合いが癌で仆れる―、本当にこの話は多い。老年の死因の1/2は癌だと言うから、平均寿命をそろそろ使いはたしつつあることを考えれば、この話はむしろ当然か。一緒に句会をやっていた前の会社の同僚が、ぽっくり逝った。抗癌剤治療で闘病中とはいえ6月に元気に話していたのに。まるで予め敷かれたレールの上を行くように、その通りに舞台から去って行く。何だ、このシナリオは。しかし、ここ半年の彼の句境の深まりは刮目するものがあったなあ。潜在的ではあろうが、死期は判ってくるのかもしれない。
まあ、要約すれば、人間なるようにしかならない。気張ろうが、それなりに準備しようが、ぐうたらでいようが、去るときが来れば、否も応もない。こちらの選択の余地は意外にない。言い古された言葉ではあるが、今は生かされているというのがだんだん実感となってくる。
吉本隆明という人が昔から好きで折に触れ読んできたが、先日亡くなった。最後は足腰も弱り、家中を膝行っていたらしいが、来る人には何もかもさらけ出し、老いを一切隠そうとしなかった。年取って妙に気取る老人がいるが、まあ好きずきだが、かえって見苦しい。老いはこんなものだよ、という自然な心が見えていいなと思う。頭は最後まで明晰だった。
とここまで書いてブログを見ると、品格論争に話題が移っている。微妙に話が食い違っているなあ。熊さんは、ブログ相手に対するいわばエチケットのようなことを言っているだけだと思うが(いやあ、びっくり。繊細な一面ありだね)、褌子氏は我が品格を指摘されたが如く大きく構えてしまった。まあ、あまり上品とも思われぬが、決して下品ではない。どころか常日頃リスペクト止まない。しかし、若いねえ、店仕舞いの話なんか10年早いか。
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