2012年7月10日火曜日

わたしも雑感    九州の熊

きょうの朝日新聞「人生の贈りもの」というコラム欄に金子兜太へのインタビュー記事があった。以下抜粋で。

私流の「他界説」。死ぬということは命を格納している器、自分の外形が死ぬということで、命そのものは永久に死なない。この世で格納しているものがだめになったら次の別のところに行って格納してもらう。・・そこでゆっくりと生活する。野っぱらか山かは知らんけどそこには女房もおやじもおふくろもいるこったろう。・・死ぬということは他界することであって消滅することじゃないと考えています。・・死ぬということに暗い思いがないんです。私の親しくしていた友人で「死んだら樫の木になるんだ」というのがいた。「もう人間はめんどうくさいから木になる。そして命は続く」と。そこには消滅するという暗さがない。自分は特になりたいものはない。別の場所に行ってのんびりしたいという気持ちだね。そこでまた俳句を作っているかもしれない。

人生達観のことばに共感するところ大。若者にこんな言い草は似合わないし、そんな心境になってもらったら困るが、非凡な才能で文学界に偉大な足跡をのこしている長老の言は味わい深い。最近同じような心境になることがあり、わたしも長老の域に近づいたのかなぁ?と複雑な気持ちになった。ねぇ、国兼さん。

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