2012年7月8日日曜日

神長官守矢家・・・褌子

      世を捨つることなく生きて冷や奴  伊藤桂一
  最近、国兼さんが登場しないので、電話してみた。
  原発再稼働など腹のたつことばかりで生きるに値しない世の中を嘆いて何にもする気が起きないとのことであった。   まさに世捨てびとのてい。しかし冷や奴に酒なら上野まで呑みにいってもよいとのこと。早速、小蔵ひでをさんに国兼さんを励ます集いを提案した。
   こちらも長雨の気晴らしに、土偶「縄文のビーナス」がみたくなり、茅野市の尖石縄文考古館にいってきた。【写真は縄文のビーナス・古代カラムシと麻・瑪瑙首飾りの女房】
  そのあと、縄文人の末裔の薫りをもとめて茅野市の神長官守矢史料館をたずねた。
  諏訪盆地には『古事記』の出雲のくにの国譲り神話とは別の神話が語り伝えられてきた。【写真守矢史料館外観】
  大和朝廷の日本統一よりいぜんのことだが、出雲系の稲作民族をひきいた建御名方命(タケミナカタノミコト)が諏訪盆地に侵入してきたときに縄文、弥生以来の洩矢神(モリヤノカミ)を長とする先住民族が天竜川の対岸に迎え撃ったが敗北。勝者建御名方命が諏訪大社の祖神、諏方大明神となり、子孫の大祝諏方氏が歴代諏訪盆地を政治的に支配してきたと伝承されてきた。
  いっぽう洩矢神は滅ぼされることなく諏訪大社の神長つまり筆頭神官の地位に就き、洩矢神は守矢となのって何と七十八代もつづいてきた日本史上の奇跡ともいえる家柄である。もっとも天皇家が神武から最初の五代までは全く神話上の人物であるように、七十八代といっても最初の洩矢神から十代くらいは●●神となっていて一子相伝の口伝で語り伝えてきたというものだから、室町初期の『諏方大明神画詞』に記述があるというもののアヤシイぞと思った。織田氏や武田氏、武田氏に滅ぼされた戦国武将の諏訪氏、村上氏などの守矢氏への書状や江戸期の民俗学者菅江真澄などの訪問記録が長野県史的文化財に指定されているのに『守矢氏系譜』は指定されてないようだ。神長官としては当主守矢早苗氏の祖父のときに明治維新後の神仏分離令で職を解かれ、当主自身も元教員で東京に住んでいるという。
  
  土壁、鉄平石の屋根からなる神長官守矢史料館にはいると諏訪大社御頭祭の神事を摸した77頭の鹿や猪、熊の生首、兎の串刺しなどにおどろく。自然とともに生きた狩猟漁労時代の縄文的面影が色濃く残る神事に興味がつきない。
  大陸系の大和朝廷とは別の縄文系の日本人の残滓みたいなものシャーマニズムなどに興味があるひとは神長官守矢家史料館を訪ねると面白かろう。洩矢神は卑弥呼のような呪術師でありシャーマンだったのだろうか。
【写真は守矢史料館そばの大祝諏方氏歴代墓石群】

  

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