2012年7月3日火曜日

混戦脱線乱戦とっ組みあい結構結構・・混子

  逸徳さんが「●●についての希望というのではない。希望のうちにいきるという人のありようを捜したい。時間がないのだ。」と書いているが、逸徳さんはまだ30年くらい時間があると思う。この●●は何ですか。
   吉永小百合の『かあべえ』で冷たくおいかえした哲学者は田辺元でしたか。あの映画でいちばん印象にのこった場面。
   あのころ(小生ご生誕のころ)の時代の妖気というのはすごかったようだ。「君死にたもうことなかれ」の与謝野晶子が晩年、狂信的な天皇崇拝主義者として1942年に死んだという文章を読んだことがある。そういえば中川先生も塗炭の苦しみにあえぐ中国民衆を忘れて「悠久の大義」に流されている青島駐留のころの自分を語っていた。
   新渡戸が日本共産党をさしていっているというのは事実か調べてみたい。ソ連の指示でしか動かないようなあんな日本共産党なら国を滅ぼすぞといっているのなら全くそのとおりだ。
   ごく少数ではあったが、獄死した戸坂潤、三木清などの哲学者、日本共産党員、クリスチャンやいわゆる自由主義者の一部などは時代の妖気に流されなかったのは歴史的事実だ。息子や夫を戦地にとられたもの言わぬ圧倒的な民衆は戦争を内心、憎んでいたが天災みたいに思っていたのではないか。おふくろがそんな言い方をしていた。むろん広島長崎はじめ空襲や沖縄戦や引き揚げで生きのびた人びとは辛すぎて何も語らない。竹内浩三みたいに自詩どおり殺されたひともむろん何も語れない。
   生き残った日本人のこどもである我々は70年も生きてきたのだ。あとの時間はなんに使うべきなのか…
   

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