2012年7月2日月曜日

赤嫌い・・・猫跨ぎ

  混み合ってきたなあ。では、その赤への恐怖が日本で生まれ、育っていった経緯は何なのか。一種の社会心理学の対象ではないのか。キリシタンをすり潰すように弾圧した江戸時代を連想する。、大衆も一緒になって憚るように疫病神のように嫌った。赤も同じだ。「あそこの兄ちゃんは赤らしい」袖引き目引きして大衆は忌み嫌い避ける。キリシタンも主義者も実力の何千倍にも膨らませて恐怖心をあおる。これはセットで考える必要がある。
永井荷風のような軟弱な小説家はともかく、吉永小百合の「かあべえ」だったか。哲学者の田辺元に相談に行って冷たくあしらわれる。ここにいるのは社会の雰囲気に巻き込まれている虚ろなプラトン学者だ。
だから新渡戸稲造はどうだとまた戻る。かれは日本のそんな習俗から随分遠かったと思うのだが。

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