原発の話。 どうもよくわからん。 誰かがウソをついているのか。 目をつぶっているのか。 ・・・・ 原発機器の耐震性の問題も、まあ何とかクリアできるとしよう。
もれた放射性物質も、低線量については学者の意見がわかれているらしく、これもまあ目をつぶろう。というよりは、現在の安全論争は一種の神学論争になってしまっている側面がある。 「神はいる!」と叫ぶ宗教者と「原発は絶対安全だ」と断言する電力会社のえらいひとと。・・・・・なんとまあよくにていることか。だがである。原発肯定派もどうしても、にげられない問題がある。 高レベル放射性廃棄物の問題である。 今や、使用済み燃料の格納プールはどこもいっぱいになりはじめ、六ヶ所村もまもなくいっぱいになる。 再処理工場は依然として動かない。 そこで一応地層処分という方針であるが、こいつが問題である。この地震列島において、10万年の桁で変化しない安全な地層が存在するのか、 おそらくないだろう。 地層処分推進派の学者の論文をみてみた。 要するにさまざまな仮定条件の組み合わせで、安全といっているにすぎない。こういうのが「牽強付会の説」というのだろう。そもそも、10万年の桁で確定的な予想が可能なほど、人類の科学は進歩していないのだし、それは自明のことだろう。そういう予想をするというのは傲慢である。 だから、どう考えても日本では「安全な地層処分」など不可能なのだ。 原発を「トイレのないマンション」といった言葉があったなあ。この「トイレがない」ということが、ますます明確になってきた。この問題は逃げようもないし、否定のしようがないだろう。 さあどうする、原発推進派の諸君。・・・ うーん はやくしてくれえ、もうもれそう。
環境倫理学という分野がある。この世界でしばしば指摘されているのが、「未来世代への責任」ということばである。 高レベル廃棄物という負債を未来世代に残していくことは、まさに未来への犯罪だろう。 要するに、原発は道徳的に許されないのである。 だから原発が動かないと、経済がなりたたないなんて、強盗やってもうけた金でどんちゃんさわぎしているのと変わらんようにみえる。
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