2012年7月2日月曜日

内村と新渡戸・・・猫跨ぎ

きのうのNHKの「内村鑑三と新渡戸稲造」は見たよ。
札幌農学校入学はクラークとは入れ違いだったが、キリスト教の洗礼を受けている。後年、内村は無教会主義を創始し、新渡戸はクエーカー派の敬虔な信徒となった。共通して言えるのは、安易に状況に追随しない信念と(キリスト教(プロテスタント)のバックボーンか)、同時に印象的だったのは、捕らわれない精神の闊達さではないか。
  内村は日清戦争は日本の勝利を祈願するが、すぐその間違いに気付き、日露戦争では絶対非戦論の論陣を張る。前後するが一高不敬事件がある。信念には躊躇しない。何だろう、倫理観の深いところでは当時の他の日本人から突出している。
  新渡戸は進学した東大の学力レベルの低さに幻滅し(!)、アメリカへ飛び出したという。全部英語の授業をこなした札幌農学校の卒業生の学力は随分高かったという気がする。後年、学者としてまた国連の事務次長をこなしたりする。捕らわれない闊達な国際人だ。昭和7年所謂、松山事件がある。オフレコで「日本を滅ぼすのは軍閥と共産党、就中軍閥だ」と言ったのが報道されてしまった。憤激した右翼から命を狙われる始末。まもなく渡米しカナダで客死。ところで共産党が名指しされたのは何故か。その数年前の大弾圧で壊滅していたはずだ。褌子氏は余り愉快な話ではないかも知れないが、新渡戸の視点は世界を俯瞰していたはずだ。あの頃の国際派の知識人が何を考えていたのか、共産党を不快に思っていた理由は奈辺にあったのか。ソ連の動向、中国情勢が絡んでいることは間違いなかろうが。

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