2012年7月5日木曜日

お師匠句拝見・・・・逸徳

どうもいかんなあと直感的に思うのは、おいらにはどうも深読みしすぎる傾向がある。読むこと自体が一種の創作といえばカッコウいいが、とんでもない変なことをやっている可能性もあるかな。 こういう笑い話がある。 ある著名な画廊で新進の現代画家たちのコンクールがひらかれた。抽象画が主流である。その中で特選となった画家の作品をめぐって、その前で観客や有名な批評家、さらには美術商、美術ジャーナリストなど関係者がたくさんあつまって、その絵についてのけんけんがくがくの議論になった。いったいこの絵は何をあらわしているのか。テーマは何か。色調はどうかなどなど、ありとあらゆるうんちくがよせあつまり、その絵を見ながらそれこそ、つかみあいにならんばかりの議論がおこった。その最中に、突然その絵を書いた画家があらわれ、ひとごみをかきわけるようにして作品の前までいくと、「あっ、すまんすまん。ついまちがえた。もうしわけない」とつぶやいて、かけてあった絵をさかさにひっくりかえしてかけなおし、さっと会場から消えた。・・・・・ この話おもしろいなあ。

・遠雷や手帳に覚えなき略記
  ・・・・いやあ、とうとうおたくもはじまりましたか。でもまだいい。おいらなんか、その手帳をどっかにおきわすれる。
・桃色の心臓模型夏兆す
  ・・・・心臓模型というのは心臓という概念を見ているのである。夏がくる。生命力の高まり。だが頭の中では心臓がうごいていても、目前のそれは永遠に静止している。 死というものとはちがう。なんだろうこの感覚は。
・六月や踊り場にある世界地図
 ・・・・ 天地は命を祝福し、新緑が世界を染めているというのに、世界地図はまだ「踊り場」なんだ。上にいくのか、下にいくのか。
・夕暮のピーマンの種桶に浮き
 ・・・・ ごめん。ピーマンあんまりすきでない。あんなに緑なのに中はからっぽじゃん。だまされたような気になる。
・むつかしき貌してゴーヤぶら下がり
 ・・・・ 相貌ということばがにあうなあ。ゴーヤは。 天然痘がはやった江戸時代の日本人みたい。いいたいこともあるだろうに。
・地べたから捩れてをりぬサルスベリ
 ・・・・ 捩じれてということばをえらんだ瞬間の作者の心理に興味深々
・手に残る氷の匂ひ炎天下
 ・・・・ 氷の匂いという表現に感心した。日本人的な言語感覚か。静けさを「しーん」と書くのににているような。
・日本海昏し大粒のさくらんぼ
 ・・・・ 一粒のいのちの確かさ。なんか、大きなまっくらい舞台の上で、一ケ所だけずっとしぼったスポットライトがあたったような。
・撫で牛を平手で叩き盛夏かな
 ・・・・ 牛よがんばれ。おれももうすこしいくから。
・ありふれた夏の夜なりグラス割れ
 ・・・・ いい瞬間だと思う。・・・・きっぱりと割りたいグラス、二つ三つ・・・・なかなか思い切れない

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