2011年10月31日月曜日

計算してみよう・・・猫跨ぎ

先日、松戸で高濃度の汚染箇所が見つかった。27万6000Bq/Kg
という。ところでこれは土壌1Kg当たり放射性セシウム137が何gに相当するか。ちょっと計算してみよう。

��N/dt=λN が基本式。N=(dN/dt)/λを計算する。
Nはセシウム原子数、tは時間、λ=0.693/T、Tは半減期で30年。
��λ=0.693/Tは基本式から導かれる:省略)
��N/dt=276、000
λ=0.693/30x365x24x60x60 =7.32x10(-10)
これらを上の式に入れて、
N=276,000/7.32x10(-10)=3.77x10(14)個となる。

答)
原子量とアボガドロ数を入れて、
W(重量)=Nx137/6x10(23) g=8.61x10(-5)mg 

因みに食品衛生法の暫定基準500Bq/Kgは、同じように
1.56x10(-7)mg である。
また、
福島原発からは現在でも毎時1億Bq放出しているという。
3.11x10(-2)mg ということになる。(セシウム137換算)

最近、欧米の研究チームが東京電力福島第一原発の事故で3月11日から4月20日迄に大気中に放出された放射性セシウムは、約3万5800テラベクレルと発表した。内閣府の原子力安全委員会が公表した推定値の3倍になり、チェルノブイリ原発事故の放出量の4割にあたるという。降下物は大部分が海に落ちたが、19%は日本列島に、2%は日本以外の土地に落ちた。
��万5800テラベクレルは、11.1Kg となる。

いわゆるトレーサー量のレベルで通常の化学工業が扱える量の遥かに遠い世界。一端まき散らされると、お手上げだということが改めて実感できる。
  高木仁三郎の岩波新書に述べられている「原子力産業」を「石油化学産業」に置き換えてもそのまま通用する。化学産業では、爆発、漏洩、汚染が繰り返し起こっている。重大な勘違いが事故に結びついたのは山ほどある。改竄もあった。同じだ。
公害の元凶として厳しく指弾されたが、それなりに学習し乗り越えてきたと思う。ひとえにコントロール出来る次元の量だったからだ。つまりなんというか、クソリアリズムのなかで導入技術を血肉化できる余裕があったということだ。
原子力ではこの学習がありえない。トレーサー量は人間の五感を超えておりクソリアリズムが全く通用しない。神の世界。神の世界に手をいれることは、だから倫理の問題として考えるしかない。そのことを改めて実感する。







新装版『土門拳自選作品集』・・・褌子

  そうです。新装版『土門拳自選作品集』(世界文化社2009年初版)13000円プラス消費税です。
  しかも会食の酒量をへらしてまで2011年10月23日山形県酒田市財団法人土門拳記念館でバーンと大枚はたいたところが誠に男らしくいさぎよいね。(じつは売店であれこれの土門写真集をうじうじと迷いながらみていたんだ。そしたら品のよい売店のおばさんがお客さんみたいな方には絶対これをおすすめしますといわれたもんでつい…)
  もっとも、この新装版は復刻版である。原本の土門拳自選作品集は1977年9月に全三巻で世界文化社から発行された。翌78年に、雪の室生寺を撮影したのが最後の仕事となり、その翌年79年に70才で脳血栓で倒れて11年も意識不明の状態が続いて、1990年に心不全で亡くなった。一ヶ月も奈良の病院で待機をかさねてやっと撮影できた『雪の室生寺五重塔』という入魂の作品はだからこの自選集には載っていない。

旅情・・・猫跨ぎ

  ひょっとしてそれは「土門拳 自選作品集」だね。大型豪華本のあの重そうなやつ。担いで帰ったわけだ、頭が下がるね。何を隠そう、実は私も別な所へ注文してある。気になって注文してしまった。明日届く予定。
  いつも思うのだが、もっと時間があればなあと。旅情とは、もう二度と此処へは来ないという感傷だ、とは誰かが言っていたが、全くそうだ。山寺の麓の蒟蒻売りのおばさんは今日もあそこで売っているはずだ。

2011年10月30日日曜日

秋の読書・・・・褌子

  山形旅行に持っていったが酒に酔って読めなかった山田風太郎『警視庁草紙』だが、帰ってきていっきに読んだ。
  めっぽう面白い。なんか面白え本ねえかなあというヒマ人に一押し。山田風太郎はむかし『八犬伝』『戦中派不戦日記』を読んでいらいだが、いま勢いにのって『魔界転生』にはまっている。このひとは司馬遼太郎の“英雄史観”がきらいだったんだね。池波正太郎は好きだったらしい。
  本屋にいって帚木逢生『三たびの海峡』も買ってきた。帚木逢生は『国銅』『ヒットラーの防具』『逃亡』などを読んだだけだがいい作家だ。辻邦生もいいが私にはすこしむつかしい。『安土往還記』『嵯峨野名月記』などめんどくさかった。『背教者ユリアヌス』『西行花伝』はいっきに読んだが。難しいといえば井上靖『本覚坊遺文』はむつかしかった。同じ利休ものでも野上弥生子『秀吉と利休』は両者の緊張関係がよくわかった。なぜ秀吉は自刃を迫ったのか? 先日テレビでやっていたが原作にはかなわない。
  酒田の藤沢周平記念館はよかった。『白き瓶』『一茶』などの小説も印象深いが、山田洋次監督の『たそがれ清兵衛』が、それも宮沢りえがよかった!これは原作よりも映画のほうがはるかによかった。りえちゃんのお手柄。
ところで藤沢周平も「あんなことを書いて大丈夫かな」と司馬史観に批判的だったそうだ。
  それから土門拳のいちばん豪華な写真集も13674円くらいで買ってしまったので夜半秘かにながめている。井上靖が土門拳の仕事への熱烈な讃辞をよせている。土門が過褒だと照れているのが面白い。

2011年10月26日水曜日

まだ心は彼方に・・・猫跨ぎ

  
皆さんお世話になりました。そして準備してもらった国兼さん、小林さんに改めてお礼を申し上げます。しかし二泊三日の旅程で色んなところへ行ったものだなあ。
帰ってきて雑事が溜まっていたのでずっと机にむかいっぱなし。まだ途中。
それでも断片的に思い出されてくる。
山寺の蟬塚、湯殿山の奇怪な御神体、注連寺の即身仏の赤い衣、藤沢周平記念館で買った周平の句集、土門拳記念館の池の鴨、本間家の本宅の佇まい、酒田の何とも言えない通りの淋しさ、海より南へ下っていった白鳥群の渡来、などなど。 これからぼちぼち俳句にしたい。
土門拳記念館では丁度、「筑豊のこどもたち」が展示されていたね。初版は昭和34年で、意図的にざら紙に印刷されて出版された。実物がケースに陳列されていて懐かしかった。実はこれ、ざらざらした紙質とともに記憶している。苫小牧駅前の君島書店でたまたま手に取り立ち読み。子供ながらもショックを受けた記憶がある。

蟬句だけれど、英訳を見ると矢張り限界を感じるね。
utterとかveryとか、最上の強調の形容詞を使わねばならないのは苦しい。
それに比べて原句の簡素さはどうだ。HAIKUは似て非なるものというしかないね。

2011年10月25日火曜日

In the utter silence A cicada's sound penetrates the very rocks

  褌子です。こんないい旅をともに楽しめた皆々さまに感謝したい。
    風狂をいう友もあり紅葉燃え
 上の逸徳句はなかなかいいね。(スペースは入れない方がいいね。本当はいっきに読み下す縦書きなんだが)
 風狂には「風雅に徹していること」と「常軌を逸していること」の両意があるのも一興。小生はむろん風雅のほう。
 藤沢周平は色紙にいつも
    軒を出て犬寒月に照らされる 周平
と書いていたというし、土門拳愛用の扇子には
    骨壺の妻も耳すませ蚯蚓なく  
とあった。
 さて
   閑かさや岩にしみ入る蝉の声  
 を山寺駅にあったんだがHAIKUにすると 
    In the utter silence A cicada's sound penetrates the very rocks
��たった一匹のセミ?。たくさんのアブラゼミの大合唱だという節もあるが…)
  俳句は17文字なのにスペースまでいれるとHAIKUでは63文字になってしまう。
  諸公が湯殿山で裸足でこうべをたれてカシコミカシコミなんてやられている最中にも、小生は俳句とHAIKUの間に横たわる越えがたい深淵について考えつづけていた。

2011年10月24日月曜日

みなさま お世話になりました・・・・逸徳

すでに東北は秋深く、静岡からいえば秋を出迎えにいった旅でした。大変楽しい旅で、考えてみたら行く先々で芋煮汁を食べていた記憶と、いつも褌子氏を待っていた記憶がつよくのこり、なかなかな旅でしたよ。で一句・・・・
   風狂を いう友もあり 紅葉燃え
で、この「紅葉燃え」は考えたら、何につけても句になりそうな気がしてきました。・・・・山伏の 青年の顔 紅葉燃え・・・・ この池に 鏡投げるか 紅葉燃え・・・・もうどんどんいっちゃう・・・・ 今宵また 芋煮汁食う 紅葉燃え・・・・ 君が頬 紅さすごとく 紅葉萌え・・・・ 思いきる 思いもありて 紅葉燃え・・・・・ この色を 届けたき人 紅葉燃え・・・・・ やや粗製乱造の言葉遊びでした。

で、今回の旅で感じたこと少々。 その一 いや確かに、この日本の風土では「一神教」が生まれるわけがないなあという気がしました。キリスト教を「父性宗教」「砂漠の宗教」といった人がいますが、あの出羽三山の山の中にたってみると、霧の流れる山の上から確かに誰かがこっちを見ているというイメージが生まれてもおかしくありません。こんな詩を紹介します
  むかし むかし
  おじいさんは 山へしばかりに

  むかし むかし
  おばあさんは 川へせんたくに

  むかし むかし
  川上からももがひとつながれてきた

  むかし むかし
  いろりの火だけがあかくもえ

  むかし むかし
  山にも川にも 神様が ひとりごとを言ってあるいておられた

  むかし むかし
  どの家からもうすをつく音が聞こえ

  むかし むかし
  ひとつ星が さむそうに山の上にまたたいていた

  むかし むかし
  そんな川べりで 桃太郎は大きくなった

  
  むかし むかし
  そんなくらい明けがたのみちで
  桃太郎は 山からくるきじにであった
                                       百田宗次

なんともさびしく しみじみとした光景がうかんできます。あの注連寺のある部落で雪がふったら こんな世界になるのでしょうか。 そして そこでは 山にも川にも 神様が ひとりごとを言ってあるいておられたのです・・・・ やっぱり どう考えても日本ではキリスト教がひろがるのは 限界がありそうな気がします。

もう一つの成果が土門拳記念館でした。 ひさしぶりに再会した「筑豊のこどもたち」。 自分が年をとったからでしょうか。 若いときに感じたのとはまったく違う、もっと強い衝撃を感じました。特に感じたのは「こどもの目」です。一般にポートレイトでは、対象となる人はカメラをみています。しかし、すぐ気が付くのですが、モデルとなった人が見ているのは、カメラではなく、カメラを構えているカメラマンなのです。あるいはそのカメラを通して感じている、カメラマンのまなざしといってもいいのかもしれない。人は、どんなまなざしで人を見るのか。そして、見られたひとは、そのまなざしからなにものかを感じとって、さまざまなメッセージをこめ、あるいはそこにいま「いる」という事の重みのすべてをこめて、そのようなまなざしでこちらを見返しています。見るという行為は必然的にかかわる行為なのです。そして、そこにひとつの対話が成立するのです。そしてそれは、まるで強靭なくもの巣のように、こちらをからめとります。あの極貧の中で、人としての矜持をしっかりといだきながらも、がんばっていた少女、るみえちゃんという名前でしたか。あの子のなんともいえない悲しみをこめたまなざしは、まさにそういうものでした。40年の時をこえ、土門拳のカメラをつきぬけて、今ここにいるわたしに、ひとつの問がつきつけられます。・・・・「わたしは ここにいる。あなたはどこにいるのか・・・・あなたはいったいだれか」 すみません・・・ああ、ぶざまに年をとったなあと思いました。

ちなみに彼女も妹さんものちに幸せな結婚をしたと、ネットにはかかれていました。



2011年10月20日木曜日

扇太郎先生との邂逅せまる・・・褌子

   けふ、山形の山寺駅までのジェーアールの切符を無事入手し、やれやれと安堵し、扇太郎作詞作曲・大石美枝子が歌うシーディ『夕焼けだんだん』『葦立ち 足立』をききながら山田風太郎『警視庁草紙』を読んでいる。歌もまことに結構、出だしのメロディが胸をかきむしる。小説もめっぽう痛快。幸田露伴、夏目漱石、尾崎紅葉、正岡子規が同じ慶応3年生まれだということもこの小説で知った。扇太郎氏、山田風太郎氏両者に共通するのは滅びゆくものへの郷愁が通奏低音となっていることであろうか。
  明日、作詞作曲者である扇太郎先生にお会いし直接ひざをまじえてお話をおききできるとおもうと夢のようである。ああ明日の栄えある日を幾とせ待ったことか夢というものは実現するものなのだ

仁ちゃん はなむけのお言葉ありがとう・・・褌子

  仁ちゃんの「はなむけ」を「たむけ」と一瞬よみまちがえた。
 羽黒山や山寺など線香くさいとこに逝くんだから「たむけ」でもよい。
 儀俄壮一郎という経済学者の話をおととし聞いたが去年95歳で亡くなった。
 儀俄という名前は珍しいですねと言われるが、ギガのつぎはテラだから来年あたりお寺にいくと言っていたがそのとおりになった。
 千葉県あたりは出羽三山信仰が盛んで鎮守の森などに小山になって石碑がたっている。ハタチになると消防団入って月山、羽黒山、湯殿山まわって白装束に六文銭のハンコついてもらって棺桶にいれ三途の川わたるときの舟賃にする。昔はついでに銀山温泉あたりで童貞の筆おろしもしてくるのが慣例だったそうだ。大山講をくんで大山阿不利神社にいって伊勢原あたりで遊んでくる若衆組もあったと近所の古老がいっていた。江戸期にはやった庶民の伊勢詣もそんな面もあったのかもしれない。
―――――
 とまれ、明朝御出立の羽前国詣はめっぽう品行方正の塊みたいなめんめんで震災慰霊の献杯を重ねつつ東北復興願って逸徳師の御講話と猫跨ぎ師匠の秀句の数々に心癒されつつ紅葉と歴史を賞でる旅である。また小林信機氏の御朱印帖の満願成就の悲願達成を祈念する尊い旅でもある。私はといえば今回はじめて、山寺立石寺の先導師を拝命したので、もし貴賓な方々に粗相があったら…と今晩あたりは緊張で眠られそうもない。
 万事少食ひかえめに生きている小生は羽黒山奥の院の五重塔で静かに一句ではなく一献かたむけたい。さらに酒田で北前船の往事をしのんではるか日本海の佐渡方向にむかって独りさびしくスルメをかじりながら一句ならぬ一献かたむけたい。
  さて――つらつら思料するに我々はサイエンスの学徒でなかったか
  やっぱり、線香くさいはなしは一切やめて、国兼博士に光速をこえるニュートリノは真実ありやなしや?とか
小蔵ひでを社長の宇宙加速膨張&冷間鍛造深淵的因果考察などの炉辺談話に静かに耳をかたむけながら精進料理をあじわひたい

2011年10月19日水曜日

秋深む・・・猫跨ぎ

ひょんの実なんかの季語を使っているとこの国の文化の重層性を感じる。奥が深い。もっと味わい愉しまねばと切に思うね。
仁兵衛さん、はなむけの句どうも有難う。含蓄を込めて見てきましょう。紅葉にはまだ早いと思うけど。賢治、啄木の岩手もそうだったけれど日本海側も歴史の襞が幾重にも折りたたまれているね。まさに、みちのく。そこの太平洋側が惨憺たる被災をした。そのことを片時も忘れまい。逸徳氏の話を聞きつつ酒を噛みしめたいと思う。


函館通信160・・・はなむけ2・・・仁兵衛

 大歳時記を面倒がらずに調べればいいのにサボってしまい失礼致しました。ひょんの実良く判りました。北海道ではなかなかお目に掛かれそうにはないでしょう。
 
 ホロホロ会の旅行が先週だと思っていました。今秋末ならきっと良い天気に恵まれ楽しいものになるでしょう。
 俳句を作りながらの旅も又おつな物ですよ。6年ぐらい前に女房と山形付近を旅したのを思い出し作句をしてみました。
 ・ 秋の空ホロホロの旅煌きて
 ・ 山寺や鳴いてる秋に鳴かぬ秋
  ・ もういいよもういいよと奥の秋
  ・ 杉木立羽黒の社闇の秋
・ 修験者の車走らす秋月山
  ・ 裸足湯を踏む秋の湯殿山
  ・ 初紅葉形代流す湯殿山
  ・ 霊岩に口づけをして蛇の秋
  ・ ホロホロ人秋の木乃伊に迎へられ
  ・ 最上川漂う秋や二日酔い
 楽しく行ってらっしゃい!!
 
 話変わって九州の熊さんお元気ですか。昨日のNHKニューアップ現代見ましたよ。延岡の駅前活性化での市民の方々の立ち上がりよく伝わってきました。いわきもそうでしたが企業城下町はいまゴーストタウン化している所だらけですね。地方都市はそれなりの特色を出さないと将来がないと函館でも言われて久しくなります。言われているだけでなかなか前に進まず人口が減るのを止められません。首都圏などに住んでいる方々にはおそらく実感が湧いては来ないでしょう。
 熊さん、合唱という得意技を活用して是非ひと脱いでください。おのずと長生きに繋がりますよ。

 

瓢の実・・・・褌子

   ひよんの実や古墳の柩がらんどう
猫跨ぎさんの今回の10句中で断然一番いいねえ。
  宇宙の悠久の時間の流れのなかに真っ暗で黴臭い柩の時間が停止している。盗掘で空っぽの柩の空虚感。子供たちがヒョウヒョウと吹く音色。いつのころからか遊び場になっている古墳。
  ひょんの実ってどんなものだろうと思っていたので写真掲載を感謝しています。
  むかし、次の発言をhorohorokaiに投稿したことを思い出したので採録してみる。
■□■□■□
 上総一ノ宮は千葉の九十九里浜にちかい一宮町にある玉崎神社である。
 ここは巨大なマキノキが群生しているというので巨樹探訪をしてきた。
 そんなに広くない玉崎神社の森に経1㍍ものマキノキが何十本もある。
 千葉の県木はマキノキだがこんなに大きいのはめずらしい。
 さて玉崎神社のご神木がマキノキではなくイスノキだと知った。柞とか蚊母樹と書く。
 葉に虫こぶ(虫=ちゅうえい)ができやすく、これを笛にして吹くときの音から瓢の木(ヒョンノキ)と子供たちはこの木をむかし呼んだらしい。実はヒョンノミ。心材は暗紫紅色で櫛や床柱にしたそうだが、幹をたたくといかにも堅く重そう。九州・四国・沖縄に分布すると事典に書いてあるから、太平洋の黒潮に向かってつきでている房総半島の暖地性がうかがわれる。
 
 

2011年10月18日火曜日

ひょんの実・・・猫跨ぎ

 
 句評どうも有難う。ひょんの実って変な季語でかくいう私も昨年実物を見た。これは本物の実ではなく、いすのきの葉にできた虫の巣がこぶ状になったもの。幼虫が出た後カラカラに乾いて、吹いたり、付いている枝を持ってふりまわすとヒョロ、ヒョロと鳴るのでこの音からこんな名がついたらしい。この妙なもの、淋しげな音から柩のがらんどうをイメージしたのだけれど。如何でしょうか。

2011年10月17日月曜日

函館通信169・・・句評・・・仁兵衛

 函館は寒暖の差が大きくなって体を合わせるのが大変になっています。秋がすごく短いのでしょうね。俳句季語を探していても意外と実感として冬に近づいてしまいます。四季の拡がりが狭いと感じる訳です。その点今週末の東北旅行は丁度いい季節になり句の題も探しやすいでしょう。秀作を期待しています。
 さて、その前に猫跨ぎさんの句評と行きましょう。
 ・くず珊瑚袋ごと捨て夏終る・・・暑過ぎた夏に耐えかねて思い出のある珊瑚を捨てたのか・・・。捨てると終わるの二つの動詞をどう読むか。
 ・秋茄子のそれぞれに電球(たま)映りをり・・・茄子の表面にたまが映っている光景に絞られた点に良さが感じられた。
 ・木の洞は深夜の月に開けてある・・・木の洞と深夜の月、共に幻想的であり二つがうまく合致して月光が洞の内側に差し込んでいるかのような更に幻想的な気分を盛り立ててくれている。特選。
 ・ひよんの実や古墳の柩がらんどう・・・上五のひよんの実やがどうしても分からない。乞う解説を。
 ・ジャスミンティこれ程澄めば小鳥来る・・・ジャスミンティと小鳥来るとの取り合わせ妙。

2011年10月16日日曜日

最近の十句・・・猫跨ぎ

旅行前で慌ただしいが最近の十句。しかし今日の当地は馬鹿陽気で30度
近くあった。

秋の十句

・紺碧の空や空蝉俯きて
・電波時計掛けある部屋の盆用意
・地震の日の宇治金時を掘り進む
・くず珊瑚袋ごと捨て夏終る
・秋茄子のそれぞれに電球(たま)映りをり
・逆光に猫の毛浮かぶ秋日和
・木の洞は深夜の月に開けてある
・枕辺に雑書散らばる残暑かな
・ひよんの実や古墳の柩がらんどう
・ジャスミンティこれ程澄めば小鳥来る

山寺など・・・猫跨ぎ

  山寺の奥の院まで千段の階段があるんだねえ。数年で古希の一行には大丈夫かな。天気予報を見ると雨模様・・・てな後ろ向きなことを言っていると、いつも溌溂の褌子氏にどやされそうだな。まあ元気に生きましょう、でなかった、行きましょう。
芭蕉は胡散臭いとか幕府の密使とか不穏な言葉が飛び交っているが、最初からあまり跳ねないで素直に向き合ってはどうかと思うね。どうも年寄りは短気でいかん。

  今、ヨーロッパの主要都市で若者の騒乱が起こっているらしい。明らかにアメリカから飛び火したもの。このルーツはチュニジアに端を発したアラブの春だね。中国でも起こりかけてたちまち鎮圧されたが。インターネットにより情報があっという間に世界で共有されてそれぞれの社会の矛盾に向けて火の手が上がる。既成政党が表に出てこないのも特徴だ。
  それと日本で起こる気配がないのも不思議だ。非正規雇用の問題とか、先日年金の支給開始年齢が70歳へという案が(計画的に)リークされたのに騒ぎにもならない。しらけ、諦め、というが、何というか動物的なリアクションがもっとあってもいいのではと思うがね。若者のアメリカへの留学がめっきり減った。向こうの国務長官が心配しているくらいだ。「羊群声なく牧舎に帰り~」は寮歌だけにして欲しい。

2011年10月15日土曜日

一週間後にせまる・・・・褌子

   芭蕉は幕府のスパイだったとかいろんなうわさがあるね。
 楚の屈原から400年で柿本人麻呂がでて、人麻呂から400年で西行がでて、西行から400年で芭蕉がでて、芭蕉から400年でお師匠がでたことに不思議な運命をかんじている今日この頃。
 酒田も羽黒山もはじめてだ。北前船の資料館など酒田にはあるのかな。倉庫群はみたいがジャンボタクシーはまわってくれるのかな。コースとプログラムはすべて北大自動車部出身の小林さんに一任しよう。
 宴会での酒のきびしい選定などは小生が四苦八苦したい。国兼さん小倉さんは山寺の頂上でお師匠さんのご指導宜しく俳句で四句八句してください。
 逸徳さん、貴殿の話はじつに気宇壮大、宇宙の森羅万象におよび、人間心理の深淵については何日かけても語り尽くせない学識の深さなのに、誠に申し訳ないが、東北の震災地訪問調査の印象を中心に酒席での乾杯のあいさつもかねて大体まるまる分くらいでシンプルによろしくお願い申しあげます。芭蕉忍者説や密教と顕教などの質疑応答はたっぷり時間をおとりします。

まてまて・・・・逸徳

それよりも、沙飛とシンポジウムの話をしてくれ。興味深々・・・・
国兼先生に命じられ、うんちく係りとして、資料を見始めたがあまり面白いものがない。というより、資料をみればみるほどあの山寺の階段が怖くなってきた。 うーん、自信がない。結局、今顕教と密教、修験道の資料をネットからおとして読んでいます。 芭蕉の「おくのほそみち」関係もみたけど、なんか芭蕉ってすこし鼻につく。若い人にきらわれているらしい。その若い人たち(国文科の学生)の「芭蕉のきらいなところ」というアンケートをみたら、笑ってしまった。おもしろい。「王様ははだかだ」といってみると、いろんなものがちがってみえるのかもしれん。 さてどんな旅になりますか。・・・・・

2011年10月14日金曜日

上海魯迅130年シンポ・・・・褌子

  9月の末に上海での魯迅生誕130年シンポに参加した。その感想文を転載する【写真は日本からの参加者】

■□■□■□ 魯迅生誕130周年記念シンポに参加して ■□■□■□
 ことしは辛亥革命から100年のとしである。
 上海魯迅紀年館で開かれた魯迅生誕130周年のシンポジウムに参加した。
 「沙飛研究・日本の会」の一員として招待されての参加である。
 外国のシンポにしかも招待されての出席ははじめてだが、お国柄がでていて面白い。  紀年館がある魯迅公園そばの天鵞賓館ホテルの滞在費が紀年館もちであるばかりか、りっぱな装本の魯迅『中国小説史略』までいただいたのにはびっくり。
 シンポでの発言者は中国人研究者がむろん大部分だが、日本語通訳がついていないので私には内容がさっぱりわからない。が、おおむねの発言は「現代中国の若者たちは偉大な魯迅を忘れている。いまこそ中国は魯迅精神にたちかえれ」というような内容のものがいちばん多かったらしい。
 私は、魯迅が指導した木刻運動が旧中国の民衆の覚醒に貢献しただけでなく、山形の無着成恭の生活綴り方運動など戦後日本の版画教育運動にも大きな影響をあたえたという日本人研究者の発言に感銘をうけた。
 新装なった紀年館をまわってみる。
 魯迅を敬愛してやまなかった内山完造を記念する内山書店コーナーが一角をしめており、魯迅が留学した仙台の藤野先生や当時の東京などの写真もたくさん展示してある。魯迅の棺を鹿地亘らがはこぶ記録映画もはじめてみることができた。
 反面、魯迅をかこんで談笑する中国の青年たちの群像が蝋人形にまでなって大きなスペースをとっているのに、この魯迅最晩年の貴重な写真の撮影者が沙飛であることを示すものが何もない。魯迅の遺影を撮ったのも沙飛なのにそのことにも全くふれられていない。
 「沙飛研究・日本の会」の来住新平代表が、「魯迅と沙飛」と題して沙飛が撮影した写真の数々を紹介しながらていねいにレポートしたときには、壇上で司会をする紀年館の王館長がしきりにうなずいていたから、いずれ立派な沙飛コーナーが新設されることを期待したい。
 二日間のシンポをおえて、紀年館をでて魯迅公園を散歩する。たくさんのお年寄りが歌ったり踊ったり太極拳や麻雀に興じている。公園入り口では、ひよこや子猫を大声で売っている。そばの北四川路の大通りを歩行者の間をぬって金持ちの高級外車が走りぬけてゆく。はるか遠くをのぞむと、けばけばしい広告看板で飾られた豪華なビル群もみえる。
 もし魯迅や孫文がタイムスリップして今この場所に立ったら、何を語ることになるだろうか。
 朝、ホテルの窓からみると、昔ながらの古ぼけた煉瓦の民家が高層マンションのビルのすきまに残っていて戸口から孫の手をひいてでてきたお婆さんが野菜や魚の行商のおばさんとにぎやかにやりとりをしている。こんど上海を訪ねるときにも、またこんな光景に出会えるといいのだが。

2011年10月12日水曜日

ツリバナ&ヨウシュヤマゴボウ・・褌子

    庭の雑木のツリバナがいつのまにやら小さな赤い実をつけてそれもはじけ飛んでいる【右の写真】
  下の写真は洋種山牛蒡の果序。春に植えてみたら2㍍をこえるほど大きくなった。根は商陸という漢方薬であるが、山牛蒡の名前にだまされて食べるとひどい中毒を起こし毎年新聞種になる。
   猫跨ぎさん。後藤夜半の
  滝の上に水現れて落ちにけり  
でしたね。先日も妙高山から信州小谷温泉にぬける笹ヶ峰の深山のなかに大きな滝があり、次から次から滝の上にぬっと水が現れる景におもわずこの句をおもいだした。
   仁ちゃん 国際シンポ「縄文文化とユーラシアの様相」面白そうだね。
   いぜん、北海道・サハリン・東シベリアなどの小数民族に関心をもって、常呂・網走・札幌・函館の北方民族資料館をみて歩いた。カムチャッカのイテルメン人に会いに行ったこともある。仁ちゃんには函館で五稜郭か空港のちかくで中空土偶をみせてもらったこともある。道南と北東北は同じ縄文文化圏だと実感したものだ。
  そんなこともあって、ほろほろ会で定山渓に泊まったときに「蝦夷錦と北のシルクロード」を話しした。参加者全員に東北アジアの逆さ地図をプレゼントした。
  ところが、旅行で酒を飲む前に誰かが順番で何かを講演するという美風はいつのまにやら忘れ去られてしまった。
  と思っていたら、逸徳氏から「福島視察記録――特に放射能関係についてのメモ」なる10ページの立派なレポートが送られてきた。
  これを山形や酒田のホテルに宿泊したときに酔っぱらう前に短時間で講演してもらうことにしようとおもうが旅行参加者の意見はいかが?
   

函館通信158・・・皿石・・・仁兵衛

 猫跨ぎさん、褌子さん句評有難う御座いました。
 十月一日に「函館市縄文文化交流センター」なるものが店開きしました。国宝の中空土偶が何時でも見られる様にしましたのでお好きな方は是非おいで下さい。実はここに近くで出土した皿石が展示されています。大きいものでも50センチ四方以下位でどの石にも(出土数は3千個ぐらいとか)真ん中辺りに凹みがあり料理をはじめとする何かの道具に使った形跡があります。このへこみの曲線の美しさに打たれ句につなげた次第です。

 更に現在「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の世界文化遺産の登録を目指して活発な動きがあります。その一環として今月29・30日に函館で「縄文文化とユーラシアの様相」という国際シンポジウムがあり覗いてみようと思っています。特に気候変動と文化変動との接点に興味があります。

2011年10月11日火曜日

もう冬だね・・・猫跨ぎ

高校生のは皆良い句ばかりだけれど、完成度が高いのは
・ジャスミンの骸を抱く下り坂      松本沙織
だね。適度に抽象化されていて、青年期の憂愁が表現されている。
褌子氏の言った
・滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
から連想するのは
滝の上に水現れて落ちにけり  後藤夜半
だろうが、滝壺にながき一瞬経て、がいまいち判りにくいな。夜半句とは別な趣向をと
意図したのだろうけれど。

仁句鑑賞
今回もあえてprivateな部分には遠慮させていただく。
もう冬なんだね。
 ・するすると子冬将軍降りてきて
北海道の冬は早い。最初の寒波ですっかりあたりは冬模様に包まれてしまう。
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
北時雨って北国の言葉だなあ。リアリティがある。突如のジャン・ギャバには驚かされる。そんな外人旅行客がいたのだろうか。多分皮ジャンなんか着て。
・皿石の千古のへこみ櫨紅葉 
火口付近で採取される中央の凹んだ溶岩の皿状の石が皿石。庭石なんかにするのかな。
千古のへこみが面白い。
・六道の辻まで溢れ草の花
こういう感覚がもう他人事ではなくなってきたね。(特選)
「六道のどの道をいま春の泥(上田五千石)」というのがあったなあ。

仁句鑑賞・・・・褌子

   佐渡から帰ってきて四日分の日記をつけていたら4年前の10月13日の項に「北海道で例年より10日はやい初雪、函館に引っ越したばかりの仁ちゃん寒かろう」とあった。そのすぐあとに、ほろほろ会の旅行は近江路とある。三年前の10月18日は函館をへて里塚霊園で五本さんの墓参り。二年前は高野山へ。きょねんは石見銀山だった。五年前は飛鳥路だ。楽しかったね。いままでの旅行ぜんぶ正確に順番にいえる人には山形で背中をふりちんで懇切に流してあげよう。
 仁ちゃん紹介の句では
・ 滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
が一番いいと思った。が、どこか既視感ある句だ。
 林だったか長谷川なんとかとかいう俳人だったかが、滝のあたまにぬっと水がでて落下する刹那をよんだ句がある。あれはいい句だな。猫跨ぎさん、えーとえーと誰のどんな句だったっけ。
―――――
 ・虫の音やカチリと自動販売機
カチリに秋冷いたる感あり見事。夏の炎天はカチリではない。準特選
 ・菊供養海を見つめる友のゐて
そうだね。秋愁だね。
 ・長十郎読経の鈴は収まらず
収まらず…時間が動いている。瞬間トリミングだとどうなるか
 ・六道の辻まで溢れ草の花
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天が六道。いくら新鮮みずみずしくとも年食わんと読めない句だ。
 ・やはらかく小骨をとりて秋の暮れ
どこにでもありそうな句だが、なにもかまえず何も工夫してないのがよい。これが生きるということなのだ。特選
 ・初紅葉レジ待つ列の大男
コンビニで目に浮かぶ光景だね。この大男、革ジャン着ている。バイクのキイ振り回している。買うのは肉まんビザまん。
 ・追分を唄う木箱や林檎売り
哀愁がある。晩秋のいい光景だ。
 ・するすると子冬将軍降りてきて
そうか。もう函館はそんな季節なのか。するするとが面白い
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
北時雨とジャン・ギャバン絶妙ではないか。こんな映画があったんだ。この遠い日の記憶が作者の脳裏にふと湧き出たんだ。
 ・皿石の千古のへこみ櫨紅葉  
櫨=はぜ、は妙高山でも真っ赤に紅葉していた。せわしく移ろいゆくものと千古動かぬ石との組み合わせ。   


函館通信157・・・はなむけ・・・仁兵衛

 山形旅行ホロホロ会御一行様ゆっくりと愉しんできてください。紅葉には一寸早いかもしれないが山形路には俳句や短歌のねたには事欠かないと思います。

 俳句と言えば八月に松山であった俳句甲子園の優秀句があったのでご紹介する。噛み締めて読むと旅行中にふっと俳句が浮かんで来るかもしれません。
 兼題「滝」
 ・ 轟音に包まれ我は滝になる    橋本将愛
 ・ 滝壺にながき一瞬経て落ちる   佐藤雄志
 兼題「雲」
 ・自画像に雲を描き足す我鬼忌かな 山本萌人
 ・悩んだら笑ってしまへ鰯雲      高橋里波
 ・夏雲や生き残るとは生きること    佐々木達也
 兼題「坂」
 ・クロックスの偽物履いて夏の坂   西橋朋子
 ・ジャスミンの骸を抱く下り坂      松本沙織
 兼題「昼寝」
 ・一畳を千畳として昼寝せり      神田莉穂
 ・水槽に日矢揺らぎたる昼寝覚    東影喜子
 最優秀賞
 ・未来もう来ているのかも蝸牛     菅千華子 

 どれもこれもみずみずしさを湛えているではないか。この若さが欲しいと思い句を作るのだがさっぱり若さは戻ってこない。成長しない肥やしでしかなさそうだ。その恥を忍んで又今月の十句をそっと出す。

 ・虫の音やカチリと自動販売機
 ・菊供養海を見つめる友のゐて
 ・長十郎読経の鈴は収まらず
 ・六道の辻まで溢れ草の花
 ・やはらかく小骨をとりて秋の暮れ
 ・初紅葉レジ待つ列の大男
 ・追分を唄う木箱や林檎売り
 ・するすると子冬将軍降りてきて
 ・北時雨うしろ振り向くジャン・ギャバン
 ・皿石の千古のへこみ櫨紅葉     

極楽と地獄・・・・褌子

  小生のつたない英文に、よってたかって諸兄の御添削をいただき、おかげですっきりとした名文になった。小生独特の繊細微妙な情感こもったいいまわしを英語でもけっこう表現できることがわかり感謝にたえない。いま岩波新書のリービ英雄『英語でよむ万葉集』を読んでいる。山形の山寺で英語で句会を催しHAIKUを楽しむのも一興だね。Full in care frog to be come water botyann! とかやってれば観光客のおじちゃんおばちゃんが何て教養のある老紳士ご一行だろうと目をまるくして避けてゆくことだろう。
  ネパール人のシュレスタさんはゆっくり考えながら英語をしゃべるので大体わかった。いぜんわが家に何度か泊まったインド人の英語はさっぱりわからんかった。
  しかしやっぱり旅行するなら日本語が通じる日本にかぎる。
  四泊五日で佐渡と妙高山にいってきた。そのかんもずっとhorohorokaiは携帯電話でみていた。
  女房と車で郡山まで北上、阿賀野川沿いに新潟にでて佐渡へ。86歳の長兄の運転で山にはいり、登山靴にはきかえて近年評判になった杉の巨木群をフウフウと二時間かけてみてまわった。翌朝、小木港から直江津へ。妙高山で一泊。イモリ池というところで青空をバックに朝日にかがやく妙高山にみとれた。錦秋というよりも全体の色調は少し紫とダイダイが混じった深い黄色。あの世を黄泉というが極楽の色はこんな黄色なのか。そういえば人生の黄昏=tasogareもなぜか黄色だ。妙高山がイモリ池にくっきりと映っていて純白の蓮の花も(本当は睡蓮)咲き出した。
  あんがい極楽は近くにあるんだね。国兼さんのように骨壺、辞世の句を急いでつくって無理に三途の川を強行渡河せんでもよいとおもった。
  熊谷カメラクラブと腕章をした10人くらいのおじさんたちがマイクロバスでのりつけ高級カメラの三脚を林立させてしきりにカメラアングルの調整などをわいわいやっていて早朝からうるさい。その奥に五六人の上品な美しいおばさん達が無心に妙高山をスケッチしているのをみて好感。それとなく講評したらよろこばれた。殺し文句は「どんな高級カメラでもしょせん自然のコピーに過ぎないなあ。はかない。絵はこの世にたった一枚しかない。まさにゲージツ品」などと楽しそうにスケッチしているご婦人の後ろでそっとつぶやくだけ。
   「自分もシルクロードで写真ばっかり撮っていて女先生に怒られたくせに」と盛んにシャッターを切っていた女房にたしなめられた。
   「西沢さん!貴方はレンズを通してしか世界をみていません。心の目でみてください。もっと真剣に生きて下さい。帰国したら真面目に生きて下さい」とおれより年下の芸大のT女史にタクラマカン砂漠でしかられつづけた地獄の日々を思い出した。極楽と地獄も案外ちかいところにあるんだな。あの口吻五月蠅(英語でkuchiurusai)な女先生ももうイスタンブールまで到達したかな。さいきん手紙がこなくなってせいせいしている。なんとなく少しさみしい。
   【写真:小谷温泉ちかくの雨飾山のふもとの釜池でひとり苦吟する筆者。結局haikuはできなかった…】

2011年10月10日月曜日

悪のりかな・・・猫跨ぎ

英語の話に戻ったので気になったことを書いておこう。
We could happy time with Nepalese anyway
これだが、「とにもかくにもいい時間を過ごせた」ということね。haveを入れるとして
こういう意味ならcouldはいらない。
We had happy time with the Nepalese. で充分だろう。
ところで原文を生かして、
We could have happy time with the Nepalese. とやってしまうと、仮定法で、曖昧、遠慮な意味となってしまう。しかも時制は現在だ。「いい時間を過ごせるかもしれんなあ」とか。するとanywayが生きてきて、ますます自信なさげになってしまう。
We could know happy time with the Nepalese.となるとますます怪しい関係になるな。
以上、蛇足ながら。
今日、山形行きの切符買ってきた。図書館で旅行書借り出し。秋の旅行モードに入るとしよう。本気で俳句やる人、手を挙げて欲しいが。

深読み???国兼

  Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods.
 通訳の人は意図してwithという単語を除き、正に文字通り満足されなければならないと(暗に粗末な食事とよそよそしい友情にもかかわらず、という皮肉を言外に秘めているのだ)。そうすると後半の文の動詞が無いのも通訳の方の意図と見るべきで、褌子さんに「サー、どのような動詞を入れますか?」と問いかけている。
 He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese anyway???
 私はknowという動詞を通訳の方はいいたかったのだろうと。このweの表現で曖昧にしているが、当然youはネパールにこいと、本当のオモテナシが何であるかをあなたは知るはずであると・・・???。

 話代わるが、早いもので来週は山形だ。テレビで缶コーヒーのBossのコマーシャルで山寺で俳句を詠んでいる場面がある。逸徳さんの薀蓄に耳を傾けながら、山堂での猫跨ぎさんの
句会、私も辞世の句を作るにはもってこいの場所だと(私よりも若いサイエンス翻訳の仲間がすい臓癌で余命を宣告されてしまった・・・何時私も余命を・・・と)。


2011年10月7日金曜日

ネオテニー的奇形・・・猫跨ぎ

  人間はネオテニーという一種の奇形であるという仮説は人間の特質をうまく説明できるといたく感心している。こんな精神活動は生物にとって必要の無い事柄だからね。原子力なんて余計なことを考えつくなんて百害あって一利なしだ。そして人間が何時も感じている本来的な居心地の悪さもそこに起因しているのだろう。
  こんなことを考えていると、いつも思い出すのは子供の頃読んだ手塚治虫の漫画。人間の原罪を智恵だと思いついた或る男が、世界中の有名学者、知識人を襲って痴呆にするガス銃を撃ち込むというくだり。いやあ思うに彼はすごい漫画家だったなあ。

余計な事ながら・・・猫跨ぎ

Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods.
これは、「満足したに違いない」、と言いたいんだろうね。過去形にしたいね。satisfied for はsatisfied with だろうな。friendshipもour を付けたい。foodsか。まあ、dinnerくらい洒落たらどうか。
Mr. Shrestha must have been satisfied with our friendship and dinner.
come Napal はcome to Nepalだろう。これは来ネパールを求めた、ということで、聞きました、じゃないよ。最後のは逸徳氏の通りとして、Nepaleseはthe Nepaleseとしたいね。Anywayはどうかな。使いたいのであれば文頭につけたらどうか。頑張って頂戴。

そうそう、それから・・・・逸徳

お師匠の「子供っぽさ、それはヒトのヒトたる根源に繋がる。」は名言である。 ホントにこどもはすごいと思う。人はヒトとして生まれてきて、悪人または善人になるんだなあと思う。その分かれ目はどこかなあ。お師匠の言葉をみて、本棚から引っ張り出して読み直した本がある。岩波新書「幼児期・・・子どもは世界をどうつかむか」・・・ 岡本夏木。 名著である。著者は数年前に死んだ発達心理学者だが、心理学の領域をはるかにこえて人間の本質理解の基礎をあたえる、戦後民主主義の良質なものを土台にすえた名著である。 おいらは、この本を読んで子どもに対する見方が相当影響された。何しろ最後は魯迅で終わっている。幼稚園の先生を集めてこの本の読書会をやったがよかった。大学生の必読書にしてもいい。とにかく気が向いたら読んでみてくれ。




おうすげえ・・・・逸徳

こんどはネパールかよ。いいなあ・・・・英語をがんばっているのも褌子さんらしい。奥様もお元気なようでなにより。しかし、ちと英語は妙でないかい? Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods. He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese → シェレスタ氏は友情と食事に満足しなければなりません。かれは西沢夫妻にネパールに来るか聞きました。最初の分でmustを使うかなあ。最後の文は主動詞がないぞ。たとえばWe could have a happy time with Nepalese・・・でどうだ? なんちゃって・・・・ 
しかし頭の体操で、ここで英語の勉強もいいなあ。だれか英語で書いておくれ。 国兼先生なんかに直してもらおう。


2011年10月6日木曜日

ネパール人がわが家にとまる・・・・褌子





ネパールからシュレスタさんという反核平和運動家が来日し、わが家に泊まりました・
Mr. Shrestha must be satisfied for friendship and foods. He asked Mr. and Ms. Nishizawa to come Nepal. We could happy time with Nepalese anyway???
通訳として泊まった写真の男性は私の英会話の先生、環境問題の専門家で工学博士。

2011年10月3日月曜日

金木犀・・・猫跨ぎ

  昨日、我が家の庭の金木犀も開花した。土曜日の東京句会でもその話。考えてみればこの同期性は不思議なことだ。特にこういう栽培植物はルーツを辿ると数本の苗木に収斂する(?)から、謂わばクローンみたいなものだと思ったりするが、それにしても不思議な時計を内蔵しているものだ。
  生物の話を続けると、ロシアで狐の家畜化が研究されているという。人なつっこい狐を選抜し続けると50年ですっかり人間になつく狐が得られたという。
形質に特徴がある。尾が巻く、耳が垂れる、鼻先が短くなる。ひと言で言えば子供っぽさを残している。これはネオテニー(幼形成熟)ではないかというのである。幼体の特徴をのこしたまま動物が成熟することである。外見のほか、柔軟性に富み、好奇心に満ち、探索行動が長続きする。
  実は人間自身がサルのネオテニーとして進化したという仮説がある。体毛が少なく、顔が平らなサルの子供はヒトに似ている。子供時代の延長が、知性の発達に大きな力を貸した。想像力の射程を伸ばし、光と闇のコントラストを教え、喜びと悲しみの深さを示し、美意識を育て・・・・子供っぽさ、それはヒトのヒトたる根源に繋がる。

2011年10月2日日曜日

行きましょう!   褌子

  ゆうがた、散歩をしたらあちこちからキンモクセイの香りがしてきた。
 まちがいなく秋がきたようだ、と思ったら肌寒くてくしゃみがでた。
 逸徳さん、ぜひ父島母島行きましょう。
 そのまえに羽黒山と山寺だね。

いきたいなあ・・・・逸徳

五能線はよかった 酒もうまいし、ド寒いなかではいった露天風呂もよかった。背中もかかされたし・・・・で、島への旅、いいねえ、褌子さんがあげた島、どれもいいが、一番興味があるのは、父島、母島の小笠原。飛行機が飛んでいないのがいい・・・・いったっきり帰ってこれなくなるかも。 参加者つのって本気で計画してみようか。

2011年10月1日土曜日

現代の古墳・・・・褌子

  セシウムが1000分の1になってまず心配なくなるのに300年かかるという。
 表土を5センチ削り取ると95%くらい除染できるというが、東京ドーム23個分もの汚染土をどう保管するかで大議論になっている。東大アイソトープ研究所の児玉先生は、政府がいうように、いまの仮置き場 ⇒中間保管所 ⇒最終保管所というのは六カ所村の現状をみただけでもまったく現実味がないという。けっきょく各市町村ごとにこまめにまとめて厳重に放射線がもれないようなシェルターをつくって300年間、忘れないように地上にも仁徳天皇陵みたいにわかるようにするしかないという。
 まさに現代の古墳。
 日本人はいまから300年間、21世紀はじめに築造した古墳を子々孫々語り伝えていくことになる。

やっぱり恥ずかしいです・・・褌子

 フリチンでまちなかを歩くのは僕の場合はやっぱり恥ずかしいです。男なら全員おなじものをぶらさげていると自らをはげましても僕のばあいどうしてもできません。いくつになっても、何卒それだけはお許し下さい。
 しかし俳句をつくらなくなったのは駄作の発表が恥ずかしいからではありません。
 いろいろ雑用もあって…。
 しかし兼好法師がいうことは本当だ。なんでも恥ずかしからず人様のまえでどんどん発表すればいいのだ。そうするといつのまにやらそれなりに上達するのだね。―――とおもって上海のホテルでフロント嬢数人のまえで自分では英語だとおもって胸はって話したんだがぜんぜん通じなかった。フリチンで舞台にたったみたいに恥ずかしかった。