ネパール人のシュレスタさんはゆっくり考えながら英語をしゃべるので大体わかった。いぜんわが家に何度か泊まったインド人の英語はさっぱりわからんかった。
しかしやっぱり旅行するなら日本語が通じる日本にかぎる。
四泊五日で佐渡と妙高山にいってきた。そのかんもずっとhorohorokaiは携帯電話でみていた。
女房と車で郡山まで北上、阿賀野川沿いに新潟にでて佐渡へ。86歳の長兄の運転で山にはいり、登山靴にはきかえて近年評判になった杉の巨木群をフウフウと二時間かけてみてまわった。翌朝、小木港から直江津へ。妙高山で一泊。イモリ池というところで青空をバックに朝日にかがやく妙高山にみとれた。錦秋というよりも全体の色調は少し紫とダイダイが混じった深い黄色。あの世を黄泉というが極楽の色はこんな黄色なのか。そういえば人生の黄昏=tasogareもなぜか黄色だ。妙高山がイモリ池にくっきりと映っていて純白の蓮の花も(本当は睡蓮)咲き出した。
あんがい極楽は近くにあるんだね。国兼さんのように骨壺、辞世の句を急いでつくって無理に三途の川を強行渡河せんでもよいとおもった。
熊谷カメラクラブと腕章をした10人くらいのおじさんたちがマイクロバスでのりつけ高級カメラの三脚を林立させてしきりにカメラアングルの調整などをわいわいやっていて早朝からうるさい。その奥に五六人の上品な美しいおばさん達が無心に妙高山をスケッチしているのをみて好感。それとなく講評したらよろこばれた。殺し文句は「どんな高級カメラでもしょせん自然のコピーに過ぎないなあ。はかない。絵はこの世にたった一枚しかない。まさにゲージツ品」などと楽しそうにスケッチしているご婦人の後ろでそっとつぶやくだけ。
「自分もシルクロードで写真ばっかり撮っていて女先生に怒られたくせに」と盛んにシャッターを切っていた女房にたしなめられた。
「西沢さん!貴方はレンズを通してしか世界をみていません。心の目でみてください。もっと真剣に生きて下さい。帰国したら真面目に生きて下さい」とおれより年下の芸大のT女史にタクラマカン砂漠でしかられつづけた地獄の日々を思い出した。極楽と地獄も案外ちかいところにあるんだな。あの口吻五月蠅(英語でkuchiurusai)な女先生ももうイスタンブールまで到達したかな。さいきん手紙がこなくなってせいせいしている。なんとなく少しさみしい。
【写真:小谷温泉ちかくの雨飾山のふもとの釜池でひとり苦吟する筆者。結局haikuはできなかった…】
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