2010年12月31日金曜日

雪激し・・・猫跨ぎ

  出汁(だしじる)はたしかに通常「だし」と言いますね。だしと読める人読めない人がいてはっきりしないのでは。出汁に「だし」とルビを振る方法もあるけれど、これは、娘(こ)、女(ひと)の類に通じいけませんね。なら、そのまま「出し」と記載しては如何かな。広辞苑にも載っている。
「氷切る」は長野なんかで冬に行われる池の氷を切り出すことですね。氷室に貯蔵しておいて、次の夏に使う。該句は、どんな状況の句か知らないけれど北海道でそんな事は行われていないだろうし、例えば、晴れた朝、外で不注意で氷結させてしまった箇所を割っている風景を想像したんだけれど。「氷割る」そのものは季語ではないけれど。別にいいでしょう。
  拙句のことですが「犍陀多」は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の主人公といえばもうおわかりでしょう。思いつき一句。
「雪激しポケットの中に繊き指」
繊きは「ほそき」と読みます。私のコートのポケットの中で繊い指の手を握っている風景。
雪しまきは雪嵐のことですね。あの時はひたすら雪が激しくて風はなかった。

追記)投稿したら逸徳氏の投稿があった。また改めて。

俳句をよむということ・・・逸徳

まずもお師匠の句の印象をと思って書きはじめたが、はたと気が付いた。読んでいるようで、自分の心理状態をかたっているのではないか。鏡になっているのである。そう思ったらなんだか、考えさせられてしまった。 こわくてなかなかさらっと書けないのである。そういう意味で、心に残った句を。
 
・小春日や象は言はれたまま坐り ・・・・・ 密林の王者の象なのである。威厳と沈潜している巨大なエネルギー。それが、ただ黙っていうことを聞いている。もはやも彼の前にあるのは鉄格子のみ。ときに、アフリカの自由な大地を夢見ることもあろうに。  お前なあ、気にいらなかったらほえろ。かよわい人間なんか踏み潰していけ・・・・ それなのに小春日和の中でただ黙っていうことをきく。諦念だろうか。いやそんなことはどうでもいいのだろう。 優しい小春日和の日の中では、いうことを聞いてやるのもわるくない。 なあ象よ。お前の優しさがいい。すまぬ。 ちいさい人間だ。

・蓑虫の揺れて犍陀多(かんだた)の孤独 ・・・・犍陀多は芥川龍之介の「蜘蛛の糸 」の主人公だな。 うす闇色の空間に地獄の血の池から極楽へとのびた1本の蜘蛛の糸。そこにぶらさがったひとりの男犍陀多。 蓑虫からすぐに犍陀多につなげたところはすごい。作者の神経の鋭敏さを感じる。糸はいつ切れてもおかしくない。存在のあやうさと孤独。うーむ、飲まずにいられるか。

・冬の滝電流弱くながれをり ・・・・・ 心象風景の滝だろうなあ。深山の深い雪。万物は凍りついて、動くものはない。太いつららを従えて、ごうごうと滝が落ちる。まるで凍りついてたまるかというように滝が落ちる。それはひとつの強固な意志ではあるまいか。立ち止まらんぞ。死なないぞ。おれはここにいる。・・・・ 弱い電流とは言いえて妙。これが俳句だろうなあ

・粉雪やレーニン選集括られて ・・・・・ 粉雪の中にレーニン選集はくくられてすてられるんだ。青春への哀悼とみたが・・・ すてるのか・・・さみしい。 しかし、ずっと持ってはいけないなあ。そうしないと明日の朝の雪は止まらないぞ。・・・・しかし・・・すてるのか。さらば20世紀。

・雪激しポケットの中に繊き指 ・・・・ 繊き指がいい。ほそきゆびだな。ふと幸田文の随筆を思い出した・・・「・・ふとすれちがうおみなごの、みみのつけねのしろうして、みやこおうじにゆきふかく・・・」
彼女は美人を美人と書かない。「みみのつけねがしろい」のである。この表現にであって、しばらくは若い女の子の耳のつけねばかりみていたのだ・・・

・おでんの卵逃げ来年は小吉 ・・・・・ おでんの卵がにげて、かわりにおでんの鍋の中から分厚いステーキでも浮上していただければ、作者にとっても来年は大吉ではあるまいか。


函館通信127・・・大晦日・・・仁兵衛

 函館は雪が降る天気予報であったが今回は低気圧が北に上らないものだから九州や四国で雪が降っている。但し風は強く寒さはしっかりと寒い。歩道は根雪、大きい車道は雪無し、ななかまどの赤い実は残っているものの極めて貧弱だ。こんな風景は猫さんに指摘された私の沈鬱さの一要因かもしれない。
 猫さん、褌子さんの早速のご句評有難う御座いました。言い訳も含めていくつか付け足させて下さい。
・出汁は精確には「だしじる」と読むんだろうがここは「だし」として俳句的に使いました。
・日本大歳時記には「氷割る」がなく「氷切る」が季語になっていたので使用。「氷割る」はバーテンダーが氷を割っているイメージが強すぎていかん。
・日記をつけると散髪に行った日を確認できるとは全く同感である。いや一冊目の10年日記が8年目に入っているんだが色んな過去の自分の行動を振り返ってうなずくことが実に多い。
 
 猫跨ぎ宗匠句鑑賞と行きましょう。相変わらず優れた句が多く勉強になります。
・小春日や象は言はれたまま坐り
 何となく象に寂しさを感じるが小春日との取合せ妙。
・短日や根付ばかりの骨董屋
 根付を造るのは細かい神経が必要。
 骨董屋の親父の顔が浮かんできそう
・蓑虫の揺れて犍陀多(かんだた)の孤独
 「かんだた」とはどんな方?なのか教えてください。
・冬の滝電流弱くながれをり
 水量の減った冬の滝は何を象徴しているのでしょう。
・山茶花の向かう山茶花忌日かな
 函館にも山茶花の咲いた垣根ぐらいがあって欲しいと思っています。
・鍵束をざらりと置きて年の夜
 重たい鍵束を無造作に置いている瞬間にざらりと感じる。
 類句を見た様にも感じたが年の夜との取合せが距離があっている。特選。
・鉄瓶の口の湯垢や雪催
 湯垢と雪催い、どちらもどんよりして好きになれなかった。
・粉雪やレーニン選集括られて
 どうにもこうにもユーモアを感じた。
 「レーニン選集」と焦点が絞られているのが気持ちよい。並選。
・雪激しポケットの中に繊き指
 「繊き」は「ひわき」でいいでしょうか。
 女性のひ弱き指を指しているとしたら作者の繊細さを感じます。
 「雪激し」をこちらでは「雪しまき」と当てさせて貰いました。
・おでんの卵逃げ来年は小吉
 実感と共にユーモアが生まれ楽しませてくれますね。並選。
 来年は小吉とまとめて頂いたのが歳晩十句の締めとしてぴったり。
 
 皆様本年はお世話になりました。又来年もよろしくお願いいたします。
 

2010年12月30日木曜日

歳晩十句・・・猫跨ぎ

  今年もあとわずか。色々あった年ではあったが、虚子ではないが、つらぬく棒の如きものを渡りながら、年を越す。独りの生活となって、まあそれはさておき、俳句三昧の生活だった様な気がする。ヒマ人と見越されてか、なにやら色々負わされ、時がどんどん経つ。これも巡り合わせか。二月に五能線という結構な試みも聞くが、いいね。小生は一周忌で、そのあとグァム島に行ってくる。

年末十句。

・小春日や象は言はれたまま坐り
・短日や根付ばかりの骨董屋
・蓑虫の揺れて犍陀多(かんだた)の孤独
・冬の滝電流弱くながれをり
・山茶花の向かう山茶花忌日かな
・鍵束をざらりと置きて年の夜
・鉄瓶の口の湯垢や雪催
・粉雪やレーニン選集括られて
・雪激しポケットの中に繊き指
・おでんの卵逃げ来年は小吉

墨蹟大成・・・褌子

   そうか、
   仁句の年忘れの「散らしけり」は、忘年会場面だったんだね。それならよくわかります。いい句ですね。
   どうも小生は頭蓋骨が堅牢で脳がちみつすぎるのか深読みしすぎるようだ。理でなく情でさらりと来年から生きていきたい。
   台北で買った「千字文」の本をよくみたら『五体千字文選集』とあった(体も集も台湾式の繁体字で難しい字だが)
  五体とは楷書・行書・草書・隷書・篆書でそれぞれ清・明・元・宋・唐の名筆が書いた中国の子供たちの習字のお手本である。
   さて書院ならぬ書淫とのことであるが、『支那墨蹟大成』(手巻全四冊)という妙なものを所有している。
   中国の古代の詩を王義之、顔真卿などの書聖がかいた名筆大成である。現代中国人が蔑称だときらう「支那」とあるから昭和十三年の初版、京都の興文社が編集した。
   戦後に同朋舎が復刻版をだしたときに、知り合いの女流書道家藤巻笙子先生が買いもとめたものらしい。先生がお亡くなりになり、ご主人が「うちにおいても邪魔だからもらってくれ」ともってきたもので大事にしている。
  岩波の「語感の日本語辞典」まだ買ってない。二月頃五能線のひとり旅に逸徳さんに連れて行ってもらうので要するにいま金がない。誘惑しないでほしい…


  【写真は、『支那墨蹟大成』(手巻全四冊)絹装本】

2010年12月29日水曜日

辞書あれこれ・・・猫跨ぎ

  どうも褌子氏も書淫の気があるな。これがいいよと聞けばともかくも買ってしまう。
ところで岩波の『日本語語感の辞典』(中村明)はもう買ったらしい。噂は聞いていたが、千葉の本屋にあったので早速開いて見ようと思ったら、なんとしっかりビニル包装していて駄目。どうなんだろうね。こういうのは得てして、買った後あまり開かないことが多いのだが。どうなのかな。
 三省堂が変な辞書をよく出すが、最近買ったのではその三省堂の『難読漢字辞典』。漢字なら漢和辞典となるが、ヘンテコな慣例熟語なんかは意外に役立たない。こんなのを探していたので重宝している。新潮社の『日本語漢字辞典』は買ったんだ。私は買ってないが、良さそうだね。『千字文』は習字のお手本だが、これ岩波文庫にある。意味内容が詳しく解説してある。

師走の仁句鑑賞・・・褌子

・ 買ひ迷う十年日記夕暮れて
 作者の心象風景。夕暮れてがいいね。迷いがでている
 「ten years diary」迷うことなく買うべし。
 わたしはいま五年目の最後の数日をつけている。1日分たった三行、寝る前に布団で書く。あと五年つけると73才になる。そ のあと20年日記に挑戦したい(笑)
・ 年忘れ百の話題を散らしけり
 散らしけりがわかったようなわからんような
 今年の話題を特集しているテレビでもみているのかね
・ すべり込む新幹線や冬木の芽
 なんとなく新青森着の話題の新幹線を想起した。
 冬木の芽がつかず離れず一句をひきしめた。
 新函館、新札幌にもそのうち走ることだろう。
・ 風呂吹きやゆるりと出汁の染込んで
 これは師走のじつにいい句だなあ。
 終日、大掃除に精を出した晩、大根にだし汁がじっくりとしみこんだのをユズ味噌で食べる。むろん日本酒がいい。
 風呂吹きを一瞬、仁ちゃんちはまだ五右衛門風呂で下から竹でふうふう吹いているのかと思ってしまった。恥ずかしい。
 猫跨ぎさんが歳時記を読みなさいというので開いたら、こんな句があった
   風呂吹の一きれづつや四十人   正岡子規
・ 逆さまに話し詰込み冬帽子
 話し詰込みがわかんない。俳句は解釈せずにそのまんま味わえというのだが…
・ 水中の熊の目細くなりにけり
 面白いことに気づくひとだ。
 白クマか黒クマか。大自然の激流に鮭を追って飛び込むヒグマか、動物園の景か
・ 氷切る星の産るる欠片かな
 想像画。アートスペースだね。
・ 寒に入る律儀な人の減りゆきて
 現代の寒々とした風景。説教臭があるのが難点
・ 吸入器汽笛鳴らして寒の空
 吸入器の実在感。寒の乾いた空気、吸入器の蒸気の対照の妙。
 特選
・ 骨壷の蓋閉じられてしずり雪
 合掌するのみ

歳晩仁句鑑賞・・・猫跨ぎ

  冬将軍という言葉も懐かしくなってしまったが、北の地は明日からますます厳しいらしい。こちらでは寒い寒いといいながら、芯から冷え込むなんてことはない。
それもあらぬか、今回の仁句は、一読、寒さが沁みるね。いささか沈鬱な気分が漂う。

・買ひ迷う十年日記夕暮れて
 深読みは止めよう。ところで十年日記なんて、同じ装丁を毎日見るもの面白くない。せめ て三年日記くらいで気分を刻んだ方がいいんじゃないかな。ところで私はパソコンに一行日記をつけて5年になる。検索できるから便利。散髪へ行く頻度も教えられたりして。
・年忘れ百の話題を散らしけり
忘年会のとりとめのない話題のあれこれ。あれこれ話題沸騰で、明日になると皆忘れている。これがいい。
・すべり込む新幹線や冬木の芽
これは、新幹線青森延伸の挨拶句かな。
・風呂吹きやゆるりと出汁の染込んで
出汁(だしじる)なら、中七に納めるには
風呂吹きやゆるり出汁染込んで
じゃないかな。冬大根の出番だね。
・逆さまに話し詰込み冬帽子
脱いだ冬帽子のさまを詠んだか、あべこべに理解した頓珍漢を嗤うか。
・水中の熊の目細くなりにけり
プールで季節到来とご機嫌な白熊かな。
・氷切る星の産るる欠片かな
 氷を切るときの欠片が飛び散るさま。星の誕生をイメージしたか。ただ「氷切る」なら、夏の氷屋を連想する。「氷割る」が北海道の冬じゃないか。
・寒に入る律儀な人の減りゆきて
まあ、昨今減ったね。律儀者の子沢山が減って、少子高齢化なんだ。
・吸入器汽笛鳴らして寒の空
喘息持ちとしては、実感が迫る。そう、蒸気機関の喘ぎなんだね。
・骨壷の蓋閉じられてしずり雪
垂り雪が眼目だね。蓋閉じて、永訣だ。

函館通信126・・・雪・・・仁兵衛

 函館では雪は単なる邪魔者に過ぎない。11月末から降ったり解けたりを繰り返し12月の25,26、27日の三日間で40センチぐらい積もり今は除雪機が通った後がやや融けた状態だ。想像してみてくれとても雪見酒を片手に楽しむ気にもなれない。
 雪虫が飛んでいた頃が雪の淡い感じが一番優しく感じる。いや少しは雪に対しての期待感もあるのかもしれない。今はどうだメインの車道は除雪されているが一寸横道に入ればでこぼこの雪道にハンドルが取られ運転に神経を使う。歩道と言えばアイスバーンが悪魔のようにして待っている。神経痛の足の疼きがそれの輪を掛けてどうにもならん。
 そんな中2週間ほど前叔父の葬儀で札幌に行った。火葬場に近付くとどこか見たような風景だと思った。なんと中野さんが眠っている里塚霊園ではないか。雪がだいぶあったので風景を思い出すのにちょっと時間を要してしまった。中野さんの墓から更に奥まで入ると三十炉を構えた大きな火葬場が鎮座しているには驚かされた。
 又明日から雪が降り寒さも一段と厳しくなる様だ。義母の介護や0歳児の体調不良などに気を使っている内に歳を越してしまいそう。まあいいか、日記と思って又俳句を皆さんに味わって貰おう。

     ・ 買ひ迷う十年日記夕暮れて
     ・ 年忘れ百の話題を散らしけり
     ・ すべり込む新幹線や冬木の芽
     ・ 風呂吹きやゆるりと出汁の染込んで
     ・ 逆さまに話し詰込み冬帽子
     ・ 水中の熊の目細くなりにけり
     ・ 氷切る星の産るる欠片かな
     ・ 寒に入る律儀な人の減りゆきて
     ・ 吸入器汽笛鳴らして寒の空
     ・ 骨壷の蓋閉じられてしずり雪

高田宏『言葉の海へ』・・・褌子

   仁ちゃんへ。函館の寒そうな冬景色の写真を掲載してほしいです。お手数ですが…
   岩波書店『さえずり言語起源論」』(岡ノ谷和夫) および 『日本語語感の辞典』(中村明)は購入しましたか。
   興味があります。
   地貌季語なることばを知ったのも本欄で紹介された宮坂靜生『語りかける季語 ゆるやかな日本』岩波書店でしたね。
   小生が自慢の辞典は『大言海』いがいは、むろん石家荘でたった80元(1200円くらい)で買った『康煕字典』。それに先日、台北故宮博物院で日本円2000円の大枚をはたいた天地玄黄ではじまる『千字文』、楷書・草書・行書・篆書さらに篆書にいたる象形文字まで達筆で書いてある。
   いぜん、猫跨ぎさんに本欄ですすめられて?九千九百円で買ってしまった『新潮社・日本語漢字辞典』、これは元来は中国語の漢字を日本語で解説した従来型の「漢和」辞典でなく、日本語化した漢字をまさに日本語そのものとして解説してある。
  ぱらぱらとめくって読んでいても楽しい。というのは、日本語である漢字をすべて、「坊っちゃん」や「阿部一族」「暗夜行路」などの短い用例付きで紹介している優れものなのだ。
  ―――――標題の高田宏『言葉の海へ』は『言海』を編んだ大槻文彦博士の生涯を描いた小説。

2010年12月28日火曜日

年末の読書・・・・  褌子

   いよいよ残り少なくなりましたね。
  新聞読んでいたら「ネットとは不便なものよ また漏れた」という川柳がありました。
  ほんとうにマル秘データがたくさん漏れましたね。来年は何が漏れるやら。(茅ヶ崎でもふんどしに漏らさないように…
  井上ひさし最期の小説『一週間』新潮社を読みました。シベリア抑留のはなしだが文句なしに面白かった。
  辻井喬『私の松本清張論』新日本出版社も面白く、清張と司馬遼太郎の歴史観を比較して、断然清張に軍配をあげている。
  さらに雨宮処凛・小森陽一『生きさせる思想』も何年か前の本だが、現代の孤独社会を告発している。
  毎日、事務所に訪ねてくる孤独で生活苦の青年や中年の独り者おじさんたちの相談にのっているが、我々の世代は、戦争も経験せず、高度成長にのりにのってつくづく戦後日本のいい時代に生きてきたものだなあと思う。
  静岡県掛川在住の清水真砂子『本の虫ではないのだけれど』かもがわ出版、これはぜひ逸徳さんにも読んでいただいて、『ゲド戦記』の翻訳者として知られている清水真砂子先生(昭和16年生まれで朝鮮からの引き揚げ者で掛川九条の会呼びかけ人)を訪ねていただきたい。これがことし読んだ一番いい本かもしれない。
  こういう本とワンカップを握りしめながら、「さいはての五能線男孤り旅」を逸徳さんといっしょにお願いします。
  手塚治虫の長編マンガ『ブッダ』14巻をいっきに読んで悟りをひらいたと思ったら、大掃除を強要されてゾクカイにひきもどされた。あさってから恒例の信州湯田中温泉の4泊スキーに幹事役でいかねばならない。めんどうくさいなあ

2010年12月20日月曜日

ゴッホ展最終日・・・猫跨ぎ

ゴッホはいいね。最終日で混んではいたが、まあ東京ではこんなものか。我々はゴッホ好きだが、多分に、その一途な人柄、悲劇的最後を知っており、その物語を通じて絵に接しているところがある。
  最近の展覧会は、或るテーマがあって、ストーリー性を持たせている。今回は駆け出しから最期まで画業の変遷を一応辿ることができる。種蒔きのミレーを思想性を含め一生師とした。危機を迎えるとミレーに戻るところがある。パリへ出て、印象派の洗礼を受けるが、それも一途に学んでいるところがいい。とにかく実直な人間だった。細い短い線でなぞるのがゴッホの絵の特徴だが、成る程、スーラなどの点描法から得た方法だという。今回「ひまわり」はなかった。アイリスの盛り花が今回は一番いい。静物作家としてある頂点を極めたのではないか。逸徳氏のいう蟹の絵は確かにゴッホの静物にしては意表をつくもので、なにか心象を読みたくなるが。
  ゴーギャンとの共同生活と破綻も今回の出し物。他者への熱狂的な愛情と、もどかしい対立、そして破綻。精神の崩壊。それにしても恐ろしいほどの自己否定。日本の中世の妙好人を連想してもいいだろう。
ゴーギャンの絵も陳列されていたが、ゴッホと比べて全然違う物だ。彼は具象を描きながら、画面は頭の中で構成し直したもの。結局、その後の絵の歴史はこのゴーギャンの流れではないか。 ゴッホは頂点に立ち、後続を持たなかった。ふとそう思った。
それから、ゴッホの麦畑が絶筆とされているが、違うらしい。青い麦の穂が画面一面の地味な絵がそれ。蕭条たる烏の飛ぶ麦畑がいかにも死のイメージだが、そううまくは話は終わらない。享年37歳。天才というしかない。生涯売れた絵は一点だけだったとか。

2010年12月19日日曜日

ゴッホ展・・・猫跨ぎ

  ゴッホは絵画オタクだと思っていたら、どうも違うらしい。小説、哲学、神学の書物を読みあさり、英語、フランス語、ドイツ語に通じた、いわばインテリだったとは驚き。求道精神が強すぎて既成の教会組織に受け入れられなかった。その辺が齟齬の発端か。
昨日までバタバタして時間が取れなかったが、明日最終日か、行ってこよう。

 ちょっと旧聞に属するが、先月気象変動の研究結果(東大海洋研究所)の報道があった。先年、暴風雨で倒れた室生寺の大杉を使って、樹木に含まれるCやOの成分を詳細に分析。太陽の活動が弱まった17世紀後半から18世紀初頭にかけての「マウンダー極小期」を中心に太陽活動と気候変動の推移を追跡。その結果この極小期を含む100年間で、太陽活動の目安となる磁力が特に弱くなった時期は4回あった。地上に飛来する宇宙からの放射線が大幅に増大し、同時に降雨も顕著に増えていた。
 要するに、気象変動の第一要因は太陽活動であって、CO2濃度は影響はあるが、存在比はずっと小さいということだ。すでに太陽活動は弱まる変動傾向にあり、温暖化どころか寒冷化を心配する声が上がっている。調子にのって農業自由化はやらないことだな。

山内昌之東大教授がこの前、「宰相の胆力」という一文を書いていた。菅首相の外交の場における意味不明の笑みに、おびえと恐怖を見るといい、宰相の資格に疑問を呈している。国立大学の教授が時の総理大臣をこれだけぼろくそにいうのも珍しい。山内教授は北大出身。

2010年12月18日土曜日

人が狂うということ・・・・逸徳

ゴッホ展は、そんなに心配するほど混んでいなかったよ。ただ、熱くてまいった。それとずっとたっているのがくたびれたね。・・・・ で、ゴッホである。かれが繊細でデリケートな神経の持ち主だということはよくわかった。 対象に集中してそれを絵にしていくということは、ものすごく精神的なエネルギーを費やすことだろうと思う。今回の展覧会で印象的な絵が1枚あった。それは蟹を裏返しにしてそれを油彩画として描写したものである。おそらく、その制作中には、自意識はずっと後ろにさがって、かにがゴッホか、ゴッホがかにかというくらいに対象と一体化していたのではないか。そして、そのような精神的な格闘の中から微妙な存在感や、美を浮き上がらせてきたのだろう。だが、それはぎりぎりのところで精神のバランスをたもっている、あやうい作業のように思える。 まことに芸術にとって創造とは、狂気の作業であるような気がする。炎の人ゴッホというがいいえて妙である。 そして、彼は対象と格闘して、その内部に沈潜する作業をすすめていくうちに遂に狂ったのだろうと思う。

しかし狂気とはいったい何なのだろう。人が狂うとはどういうことなのか。アルルに移住して自殺するまではわずかに2年しかない。その二年の間にゴッホの状況は悪化する。耳を切り落として売春婦に送ったり、テレピン油を飲んでみせたり、しばしば気を失ったり・・・・奇行の果てに村人の要求により遂に精神病院にいれられてしまう。 彼の絵は生前たった1枚しか売れていない。・・・・・・ かれはいろんな意味において孤独であった。画家として孤独であり、ひとりの人間としてもその生活は孤独であった。唯一弟テオとの交流がいったが、しかしその他の人との交流はすべてうまくいかない。芸術家の共同体をめざしてゴーギャンをよびよせ仲間としていっしょに制作にあたろうとするが、それも2か月で挫折する。 考えてみると、アルルの生活における一連のかれの奇行は、「みんなもっとおれのほうをみてくれ」という孤独な魂の叫びだったのではないだろうか。もっともれを感じさせるのは彼のピストル自殺である。あれは本当に自殺だったのか。 なぜならかれは額をうたずに(ピストル自殺はみんな頭をうちぬく)腹をうっているのである。そして撃った後自分で自分で歩いて部屋にもどって2日後になくなっている。これはふつうの自殺とは違う。最後の作品を見ながら、おいらにはほんとは彼は半分は死ぬ気はなかったのではないかという気がしてならなかった。

しかし、いったい狂気とは何なのだろう。彼は狂ったという。だがこの世界を流されるように生きて、われわれはなぜ狂わないのか。 かれと我々はどう違うのか。・・・・ そういうことを考えながらいっぱい飲んで新幹線に乗ったら、静岡で降りるのを忘れて掛川までいってしまった。おそまつ。

追記  褌子さん 1月くらいの一番寒いころに五能線いこう、いこう。 ふたりで一人旅というのもいい。 秋田に出てきりたんぽ食って帰ってくるか。 計画するよ。

桜田門外ノ変・・・  褌子

    逸徳さんはゴッホ展を混雑のなかで覗いている頃であろうか。
   私はガラガラの映画館で佐藤純彌監督『桜田門外ノ変』をみた。
   吉村昭の原作にくらべて全くの期待はずれ。
   原作から頭のなかで描いていたものと全然違った。
   吉村昭は桜田門外ノ変の参謀格だった関鉄之介の遺族から日記の提供を受けて、全国を逃走中の関がついに水戸藩によって捕縛されて斬罪になるまでをまるで本人になりきったかのように書き続けて大作を完成させた。
   吉村昭は事件の評価とか感想は一切書かない。浅田次郎のように感動物語も書かない。ただどこまでもたんたんと書き綴るだけだが、これが読者の様々な想像を惹起するのである。
   いっぽう、ここ何年もかけ中断したり折にふれ読み続けたりしているものに大仏次郎『天皇の世紀』(朝日文庫17巻)がある。
   実に丹念に書き綴った幕末維新の記録で将来もこれ以上のものはでないだろうと言われている。当時の日記、手紙、書簡などを引用しながら、幕末の諸事件をえんえんと書いているのだが、吉村昭とちがって、大佛次郎は随所に一二行の短い感想を言うのである。これが当時の日本人の有り様を端的に語っていて実に面白い。
   めんどうくさいので文語文の引用箇所はとばし読みしているが、毎晩、ふとんのなかで数ページづつ読みつないで、数年がかりでやっと六巻(義兵)までたどりついた。17巻(金城瓦解)まで読了するのに何年かかるだろうか。
   そのあとは早乙女貢『会津士魂』などを考えている。たぶん中里介山『大菩薩峠』にたどりつくのは10年も先のことだろう。

2010年12月17日金曜日

五能線 その3 ・・・褌子

   今朝はこの春一番の寒さの中、早起きして善行を積んできたせいか、筆がすすむなあ。
   逸徳さんの五能線ひとりたびの御決行はいつごろですか。
   ひとり旅を男ふたりでやるのは可能ですか?
   来年、一月か二月の一番寒いころだったら、私もひとり旅に連れて行って下さい。
   (『五能線情死行』でなくてごめんなさい) 



【写真は日本海の荒波打ち寄せる五能線千畳敷駅】
   

水森かおり♪五能線♭・・・褌子

   逸徳さん  大発見
   水森かおり「五能線」があります。五能線の終点、青森県南津軽郡田舎館村の川部駅(なんかさみしそう)のあかちょうちんでハタハタじゅうじゅう焼きながら「♪五能線」歌って熱燗ですね。
   千葉駅うらの人通りが少ないが「ほのか」は定食すべて五〇〇円なのに魚の煮付け、刺身がうまい。さらに焼き魚が上手で、ここのサンマだけは頭からはらわたまでぜんぶ食ってしまう。
   ここのママさんが熊本出身で八代亜紀と水前寺清子と石川さゆりをミックスしたみたい顔でじつに気さくですばらしい性格の持ち主なんだ。(ここんところだけママに読んでほしい)
   このママさんが水森かおりの大ファンで店内いたるところ水森かおりのポスターだらけ。
   先日、相談にのっている農家のおじさんが、軽トラでどさっとイタリアカボチャとアンノウイモをもってきたので、この奇態なカボチャと芋を「ほのか」に届けたところ、きのうお返しにブリと子持ちカレイのあら煮をどさっともらった。
   女房が喜んだがとても食べきれないので、例の面倒見ている無籍のKさん(まだ裁判所が調査中)とか、もと羽幌炭鉱労働者で脳梗塞で自宅にこもりっきりのSさんとかに朝いちばんに配ってまわった。
   今朝は霜がおりて寒い。が、なんともほのぼのと暖かい話ではないか【写真イタリアカボチャ。逸徳さんもこのカボチャのように元気いっぱいで欣快欣快だね!】

五能線・・・   褌子

  ゴッホ展、興味あるが大変混んでいるとおもう。
  逸徳さん、必ず朝一番にいくべし。
  台北の故宮博物院も朝一番のりしたので、殷の銅器などゆっくりみていたが、十時頃になったらどっと修学旅行の生徒や中国からの観光客がおしよせて、たちまち大混雑となってしまった。
  そのてん、五能線はぜったい混雑しないので非常に精神的にもよろしい。ipodで♪津軽海峡冬景色♪をききながら「飢餓海峡」か「砂の器」でも読むのがよろしい。ほおかぶりした土地のじいさんとダルマストーブ(もうないだろうが)でワンカップあっためながらが、逸徳さんに似合うな。
  いま井上ひさし最後の本『一週間』を読んでいる。非常に面白いので、これを持参することを一番すすめます。突き刺すような吹雪の中の灰色の日本海のはるか向こうのシベリア抑留の話だが…

2010年12月16日木曜日

とつぜんですが・・・逸徳

新国立美術館のゴッホ展みたかたいますか?  突然ですが、明日11時ころにいきます。 興味あるかたいっしょにいかがですか。 最近は、きれいなものとか、たのしいもの、めずらしいもの、にぎやかなところなどにどうも興味を持てなくなりました。年かもしれない。ゴッホの狂気にひかれているのです。ゴッホ展は、なかな日本では見れないものが来ているらしく、見納めだろうと思いいってみるみとにしました。この冬に五能線に乗りにいってみようかと思っています。 雪の灰色の日本海をみながら単線の1台だけの汽車。そういうものにひとりで乗ってみたくなりました。こういう精神状況はやばいなあと思っているのですが・・・・

ことし食ったうまいもん・・・・ 褌子

ことしもうまいもんたくさんくったりのんだりしたなあ。
  忘れないうちに書いておこう。
  無論いちばんは台北での小籠包(しょうろんぽう)、熱々でジューシーなんだ。
  これだけを喰いにもういちど行ってもいい。
  次は、鹿児島のあかちょうちん四元百合子ママのところで飲んだ焼酎『名山堀』、安宿のおやじさんがキープしておいたのを只で飲ませてくれたのだが、お湯割りがあつからずぬるからず。キビナゴのさしみがまた絶品なんだ。
  これだけを飲みにもういちどママに会いに行きたい。
  さらに、ほろほろ会で浅草でスカイツリーを見ながら飲んだ紹興酒も割り勘のせいか旨かったね。
  國兼夫人が御馳走して下さったホッキ貝の炊き込みご飯、これも最高でした!!。お代わりを二回もしてご夫婦が唖然というかぼうぜんとしていた御表情が忘れがたい。
  期待はずれは、なんといっても松江のあまりに小粒なシジミ(笑い)。次はベトナムで飲んだ米の安酒。露天食堂でまわりのおじさん達に「客人!飲め飲め」とすすめられたがノドを通すのがやっとだった。(ベトナムの米の揚げパンはうまかった)
  高いのにがっかりだったのは指宿でのバッテラ。しめ鯖の寿司なんだが生々しくて…
  そのてん、わが家の生協からとっているしめ鯖は実にうまい。いちおし
  いま、千葉県八街の「ゆで落花生」で勝浦の「腰古井」を飲んでいる。
  春に千葉検見川の大賀ハスの象鼻杯で飲んだのも「腰古井」だったなあ。

2010年12月12日日曜日

清張モノ・・・猫跨ぎ

  同じだなあ。「点と線」は私も高校生の頃読んだ。それまでの探偵物とは全く違うリアリティにすっかり虜になってしまった記憶がある。読者を引きずり込む筆力はすごい。筋書きは勿論だが、清張モノに共通するある雰囲気があるね。心中に見せかける北九州の淋しい海岸風景なんかは象徴的。モノトーンの蕭条とした風景。その後の小説はどれもその感じがする。清張氏の精神風景だったのではないか。後になって、それがちょっと窮屈になって離れてしまった。

『点と線』・・・・   褌子

   50㍍の地球史、大田皇女などの面白い話題にわってはいるようだが・・・・・
   松本清張『点と線』がでたのが昭和33年で高校1年生のときだった。
   きょうの日曜日、ひょいと読み出したら面白くてやめられず、一気に読んでしまった。社会派推理小説時代の幕開けになった有名な作品なので自分では読んだと思っていたが、どうも読んでなかったのではないか。まったく記憶なんていいかげんなものだ。
   青函連絡船にのる場面で、「船までの長いホームを旅客はいい席を取るために、気ちがいのように競争していた…」とあった。小生がはじめて北海道に行ったのは昭和36年であったが、青森で桟橋までみんな走るのでつられて走ったが、摩周丸は大きな船で船室はたっぷり余裕があったので、何でこんなに走るんだろうと思ったものだ。たぶん終戦後の混乱期の習慣が残っていたのではなかろうか。(いま函館港に係留されている摩周丸は二代目かもしれない。)
   さらに「急行まりも」で函館から札幌まで五時間とあったが、当時はそんなにかかったのか。
   刑事が容疑者のアリバイをくずすのに列車で博多や札幌にいったりするのだが、列車時刻表と首っ引きでさんざん頭を悩ました末に階段で足を滑らせたとたんに「あっ、と危うく叫ぶところだった。どうして今までこれに気がつかなかったのか。耳が鳴った」とはじめて列車でなく飛行機に気づくのである。
  すぐ刑事が日本航空の時刻表を繰ると東京13:00 ⇒札幌16:00(503便)とある。
――――― 
  そうか。あのころは飛行機に乗るなんて今、パリやローマに遊びにいくよりもはるかに贅沢だったのだなあ。東京、千歳が三時間かかっているから無論、プロペラ機であろう。
  『点と線』 はなんともなつかしい推理小説の傑作である。

2010年12月11日土曜日

函館通信125・・・地球の歴史・・・仁兵衛

 逸徳さん、 長さ50メートルの「地球の歴史」年表の話しなかなか面白そうだね。知っているかもしれないけど富良野の倉本聡の塾の近くに47メートルの「地球の歴史」道があるそうだ。今年この塾も倉本が歳で閉鎖されたらしいが年表が出来たらこの道も1メートルが1億年で出来ているそうだから子供と一緒に併せに行ったら面白いんじゃないかい。
 今の時期は雪で埋まっているんだろうがね。

大田皇女・・・猫跨ぎ

  古代史で重要な発見があった。奈良の牽牛子塚(けんごしづか)古墳に隣接した地点に大田皇女の墓と見られる古墳が見つかった。日本書紀によると斉明天皇陵の前に大田皇女を葬ったという記述があり、牽牛子塚古墳こそ斉明天皇陵が確認されたというのが眼目。
牽牛子塚古墳が斉明天皇陵であるというのは、専門家の間でははぼ定説化していたが、それが決定的になったという。大田皇女といえば天智天皇の娘。天武天皇との間に大津皇子をもうけたが若死にし皇后に成れなかった。のちに大津皇子が謀反の咎で刑死した悲劇は有名。
  さて、この発掘を行ったのが明日香教育委員会というマイナーな機関。当地には奈良文化財研究所と橿原考古学研究所がある。因みに前者が東大系、後者が京大系とかいう、時代遅れのアホな話もある。いま日本古代史は発掘調査の成果が相次いで、とくにこの両者の競争は激烈らしい。そのなかにあって明日香教育委員会は影が薄かったが、今回の発見で一発鼻を明かせたという側面もあるとか・・・この辺は、ある消息筋から聞いた。
  ところで、宮内庁が指定する斉明天皇陵はそこから2㎞ほど南にあり、大田皇女陵も傍にある。宮内庁は墓誌が発見されたのならともかく、検討に値しないとけんもほろろらしい。専門家の間ではいまはっきり特定できるのは天智稜と天武陵くらいで、あとはみな眉唾。天皇陵の本格的調査をやらねばという古代史専門家のコメントは耳タコで聞かされるがさっぱり進まない。宮内庁は「天皇陵は文化財である以前に祀りを継続している陵墓である」という理由でテコでも動かない。こういう問題を打開するのは、いまの日本でどういう形が可能か。ケーススタディで考えて見るのも面白い。

2010年12月9日木曜日

光化学・・・   褌子

   太古の海でPが今日のAsと同じくらい少なく、Asが今日のPと同じくらい豊富に存在していたら、恐らく我々もAs人間になっていただろう・・・という國兼博士のリンとした至言を私はいつまでもヒソかに記憶していることだろう。
ことしは、ヒ素バクテリア、ハヤブサ(イオンエンジンはじめて知ったが原理がまだわからない)によるイトカワの岩石片もちかえりなど科学分野のビッグニュースがあったね。残念ながら、「あかつき」の金星軌道再突入は6年後になってしまったが。
   鈴木先生といっしょにノーベル賞もらった根岸先生が新聞のインタビューのなかでこんなことをいっていた。
   問い「これから、化学が解決していくべき課題は何でしょうか」
   根岸「化学者として恥ずべき問題は、太陽がやっている光合成を、いまだに人工的な化学反応でうまくできないことです。
二酸化炭素と水を吸って、木や草が炭水化物にし、炭水化物を食べた牛が生命活動の中でタンパク質を作り、牛乳を作る。つまり、光合成によって二酸化炭素はすべての有機物のもとになっている。社会は二酸化炭素の排出削減という方向に動き始めているが、本来は『二酸化酸素さまさま』なんです。化学者からすると、目の敵にするのはとんでもない」
   問い「どんな研究が(環境・エネルギー・食糧問題)などに対処するカギになるのでしょうか」
   根岸「一つは太陽と光。光化学の進歩が大切です。もう一つは私のライフワークでもある金や銀、銅、鉄など遷移金属と呼ばれる金属の触媒の分野です。自然界の光合成も鉄を使っています。こうした金属は反応をすすめる触媒としても多彩です・・・

ウィキリークス・・・猫跨ぎ

  ウィキリークスという集団が主にアメリカの外交文書をすっぱぬき始めた。印象的だな。一種のスキャンダルという扱いだが、思うにこれは歴史的快挙かもしれん。いま、世界は国家主義の時代。尖閣、竹島なんかちっちゃな島嶼をめぐって、双方がいきりたつ。
国境という仮想のラインが命をかけたもめ事になる。しかしこれはいつからか。そんな古いことではない。国家を背負って本格的な戦争を始めたのはたかだか第一次世界大戦に遡るのみ。寸土を巡っての争いはそれ以来なんだな。
  北朝鮮のアナウンサーが「神聖なわが国土を0.001㎜でも侵すものは無慈悲な懲罰を受けるであろう」と厳かにいうのを聞いて笑いが止まらない。そうだね、北朝鮮それに中国も、国家主義にどっぷり漬かっている真っ最中。しかし経済はとっくに国境を越えている。インターネットしかり。世界の下部構造は地殻変動を準備している。つまり国家主義は終焉を迎えているのかも知れない。ウィキリークスは完全にその予兆と見るね。
その文脈でよむと、日本の政治の流動化は、もっともその先端を走っていると言えなくもない。違うかな?

ふたたび生命について・・・・逸徳

歴史にもし、・・・はないというが、過去の時点でこの「もし」を想像してみると、現在ここにわれわれが存在していることの不思議さに心動かされる。 猫跨ぎ氏のあげたアミノ酸のdlの問題や、国兼氏が訳してくれたAs人間の問題など、想像力をかきたてられるなあ。 昔、読んだだれかのSFで、d体のアミノ酸の世界の中で生まれた人間の男とl体のアミノ酸の世界で生まれた人間の女の間の悲恋ストーリーを読んだことがある。ロミオとジュリエットが下敷きである。二人の間でセックスは可能なのかという下世話な想像をしたりして面白かったなあ。
 実は今、地元の小学生に科学実験をやるグループをたちあげているのだが、そこで使ってやろうと思い幅20センチ長さ50メートルの「地球の歴史」年表をつくっている。 そこであらためて地球の歴史を調べなおしているのだが、おいらは高校や大学で地学をやらなかった世代で、いまだに天動説の方が正しいという気分をもっているくらいの人間であるが、あらためておどろかされている。 「全海洋蒸発」とか「全球凍結」(スノーボールアース仮説)あるいは5回以上の生物大量絶滅があったのだという。まったく、よくもまあ、あぶられたりひやされたりしてもなお、このかすかな生命の炎は消えそうになっては立ち上がり、ここまで何とかもっきてくれたのだなあ。そこで今回つくった年表には「奇跡の惑星」という冠タイトルをつけてやることにした。 年表は1メートルが1億年で、その計算でいくとエジプトや縄文時代なんかはわずかに0.05ミリである。その0.05ミリががん細胞みたいにこの地球をこわしかけているのかもしれない。・・・・・子供たちにこの年表のよこをゆっくり歩かせて、最後の0.05ミリのところにきたらふりかえらせて、何かを感じさせてやろうと考えている。なーんもわからんやつももちろんいるだろうが・・・・ こういうことをやっていると、ほんとに国会でやっていることがうすっぺらでバカみたいに見えてきてしまうのである。

 閑話休題・・・・・で、ことばである。「暴力装置」という言葉が話題になったが、これはれっきとした社会科学用語でなかったか。たしかマックスウエーバー?? 原語がOrganized Violenceだったと思う。 してみるとこれは単に社会科学用語をつかった表現をしただけで、別にそこに価値評価をいれているわけではない。(本音はしらんが) だからこれは生物学者が「ぶた」を「ぶた」と呼ぶのと同じであって、そうよばれたからといって豚はプライドを傷つけられたとおこるだろうか。 おいらが仙石さんならそういってあしらって「もっと勉強しなさい」といってやるがね。 とにかく今の政治家、勉強していないなあ。 まあどうでもいいけど・・・・

2010年12月8日水曜日

ヒソかに思う・・・国兼

   砒素細菌が話題になっているので原文に当たってみた。
 この砒素の多い湖(リンは更に多く存在している)から採取した細菌の生体分子(DNA,RNA,及び細胞内でのエネルギー交換に必須のATP等々)は、通常の生物と同様にリンから構成されている。この細菌を通常の培養液(ただし、リン酸塩やリン化合物を除き砒素酸塩を含む)で培養した。何回も培養液を取替え(細菌が細胞内に最初に持っていたリンがなくなるまで)、砒素の濃度を少しづつ上げながら培養した。実験者も驚いたらしいが、その培養皿の中で細菌が増殖していたと言う。
 オリジナルの細菌に比べこのAs細菌の体積は1.5倍という。ただし、リン酸塩を含む培養液に比べ増殖は劣る。Asの同位体でラベル化した砒素細菌の細胞からの抽出物を調べたところ、DNAやRNA等の生体分子がリンから砒素に置き換わっていること、As-CやAs-Oの結合が明らかになったことが記載されている。

 この論文をきっかけに、砒素細菌のDNAやRNA、エネルギー代謝や反応等が詳しく報告されると思うが、それにつけてもAsDNAとかAsATPとかはじめて見たね。生物学者も驚いたことと思う。
 おもうに、太古の海でPが今日のAsと同じくらい少なく、Asが今日のPと同じくらい豊富に存在していたら、恐らく我々もAs人間になっていただろう、と言うことが想像される。そのときには、石見銀山-猫いらずはAsの代わりにPを用いることになるだろう。

2010年12月7日火曜日

ヒ素余話 “石見銀山”     ・・・褌子

   ヒ素バクテリアの驚くべき話のついでに低レベルのことを書くようだが、時代劇で“石見銀山を盛る”といえば、毒殺するということである。つまり石見銀山とはヒ素でつくった毒だんご=猫いらずのことなのである。
   そこで10月の旅行で石見銀山の案内ガイド嬢のおばさんに、石見銀山ではヒ素もでるのか?と質問したところ、全くヒ素はとれません。じつは、石見銀山に20万人ものひとびとが住みついて大繁盛したときに、ネズミが増えて困った。そこで津和野のちかくのヒ素鉱山のヒ素をつかって猫いらずをつくってネズミを退治したのが、いつのまにやら石見銀山=猫いらず=毒薬として上方・江戸にも広まったのである、とのことであった。

ゴールデンスパイクと地磁気逆転層・・・・褌子

  この同じ地球上でヒ素バクテリアが生きているという話には、逸徳さんの興奮以上にこちらも亢奮したり昂奮したり。
  さてぐっと地味な話で恐縮だが、78万年前の地磁気逆転期の地層が、市原市の奧の養老川の崖に露出しているというので朝早く起きて見に行った。





  現場は市原市の田淵という集落近くの竹藪をおりたところの一見、何の変哲もない川っぷちであった。78万年前というと第4紀更新世の前期と中期の境にあたり、ちょうど地磁気が逆転している時期なのである。
  いまのところ、地球上でみつかっている露頭はイタリアとここ市原市田淵だけだという。地質年代の境目にあることが一番明確にわかる場所(世界模式地)として地層の境にゴールデンスパイクが打ち込まれるのであるが、現在、イタリアと市原市のここのどっちが国際地質科学連合に選ばれるか競っているのだそうだ。
  付近には紅葉の名所、養老渓谷があって観光客の車で混雑していたが、この78万年間の露頭は世界の地質学者や地磁気研究者がときたま訪れるだけで川音だけが静かにこだましていた。

2010年12月4日土曜日

ヒ素バクテリア・・・猫跨ぎ

  この論文は「サイエンス」誌に載ったと言うから、いずれ国兼さんから詳しい解説があると思うが、一知半解でいうと、そもそも生命現象が、C、H、O、N、S、P の六元素により特異的に構成されるということが、どれほど証明されているのだろうか。解説記事に、地球外生命があるとしても、それはこの六元素が主役であることは間違いないだろうと識者はいう。その根拠が知りたい。
  それはそうと、生命の起源においては、創造主の色んな試みがあったのではないか。そのなかにAsを使う生命があっても不思議はない。その他数多くの前期生命体があったと思う。それらが進化の過程で淘汰されたのだろう。C、H、O、N、S、P の六元素の生命がエネルギー代謝的に、またそのた諸々、地球環境に最も適していたということか。今回のバクテリアはカリフォルニアのAsが高濃度の塩湖で発見されたというのは、極めて限られた特異的な環境でこっそりと生き延びた痕跡だったのではないか。類似の話に、アミノ酸のl体、d体の件がある。原始、両者は同時に存在していたのだろうが、l体の生命が優勢となりd体を駆逐したという。生存上有利だったのだろう。
  Asが猛毒だということは、多分代謝でPと比較的容易に置換されるからか。

2010年12月3日金曜日

びっくりした。・・・・・逸徳

最近の人間界でおこっていることにはあんまり驚かなくなっていたのだが、今回のNASAの発表にはほんとにびっくりした。 ヒ素の存在下で生存するバクテリアが発見され、しかもそのヒ素は体内にとりこまれて、DNAのリンと置換したということらしい。 つまりリンではなくヒ素を構成元素とするDNAがあり、それによる生命がこの地球上に存在していたということなのだろう。 いやおどろいた。ひさしぶりにほんとにおどろいた。・・・・ 生命の定義が広がったということだろうか。 リンとヒ素は同族だから化学的性質はにているから、こういうこともあり得るのだろう。・・・・宇宙は広い。ヒ素型生物はこの宇宙のどこかに存在していて進化しているのだろうか。・・・・・ むかし、だれかのSFで、炭素の代わりにケイ素が主役になる生命の出てくる作品を読んだ記憶がある。そんな生物がいたら岩石みたいな生物になるだろうし、体内の反応速度も相当遅くなるだろうから、100万年かかって1センチ動くというようなことがあるかもしれない・・・・と荒唐無稽なイメージがわいてくる。・・・・・・
    おお、ホーレショよ。みるがいい。この宇宙には我々の哲学でははかりしれないことがあるのだ。
(シェークスピア ハムレット)

2010年12月2日木曜日

空巣老人・・・猫跨ぎ

  空巣老人には笑ってしまったね。独居老人、もしくは子供に去られた老夫婦。私は一足はやく独居老人だが、諸兄もまあ、去られた老夫婦かな。
しかし日本でも「空の巣(からのす)症候群」というのが、以前から言われているね。これは40~50代の主婦。子供が巣立ち、亭主はというとこれが会社人間。拠り所をすっかりなくした主婦の空虚感をあらわす言葉だとか。
  中国では特に奥地で問題になっているらしい。社会保障制度がまだまだの国だから深刻な社会問題を内包している。沿岸部に押し寄せる農民工の背後に、この空巣老人問題があるということだ。
ちょっと形は違うが、日中に同種の問題が、同じ漢字で表現されるのも興味深い。つまり、核家族化と家族制度の崩壊が両国で起こっている。

客員は右へ。組員は左へ・・・・・褌子

   今度の台湾旅行ほど、人間と言葉というものについて思索をめぐらせたことはなかった。
  というのは、中国残留日本人孤児の夫婦(夫ないし妻が中国人)が七組参加するなど全員が中国語を話す人ばかりで、旅行中、中国語をシャワーのように浴びつづけたが、全く何をいっているのかわからなかった。台湾人ガイドも、バスの中でずっと北京語で話していた。(中国東北部で育った彼らに、台湾語は全く通じない) やさしい女性ガイドさんが「すみません。中国語ばかりで…」とたまに心配して日本語で話しかけてくれたが、私は私でけっこう音楽をきくように中国語のリズムを楽しんでいたのである。
  残留孤児(70才近くても孤児といわれている)たちはだいたい五〇才を過ぎてから祖国に帰ってきているので、日本語がほとんど身につかない。日本語は(いろんな言い換えがあって)、実に難しいそうだ。そこで日本に帰っても夫婦の会話はぜんぶ中国語、外でも中国語が話せる孤児どうしで群れをなしてしまう。いっぽう中国で生まれた子供たちでも、中国語で考えながら結構日本語を話せる。そして孫の世代は当然日本語100%である。
  台湾人ガイドは、日本に留学したことがあるので日本語がはなせるが、中国語と英語は構成が似ていて、中国人は日本語より英語の方が早く身につくと言っていた。
  英語と中国語は見た感じが対極にあるとおもっていたが、主語、述語の順番は似ているんだそうだ。
  台湾のホテルのパソコンを借りて、horohorokaiに投稿しようと思ったら日本語への切り替えができないので、ローマ字で投稿する羽目になってしまった。来年あたりは私も垢抜けた英文で本欄に投稿できるようになっているかも…
  帰途、台北空港で搭乗するときに矢印で「←組員  客員→」とあるのでギョッとしたが、組員はCREWのことだと知って安心した。ちなみに中国語で「空巣老人」とは独居老人のことである。
  なお、スチュワーデスstewardessの日本語訳はむろん「とびしょく」。飛び職。
  【上の写真・台湾出身の大人・宋さんは奥さんが日本人孤児】【下の写真・台北の花博の会場で「美の競演館」もこんな風に書く】

常用漢字    九州の熊

念のため改めて確認してみたら・・。
「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を表す場合の漢字使用の目安を示すもの」じゃげな。「熊」はこれまで常用漢字として認められていなかったとか。してみると新聞に¨人里に熊がでた!¨と記載することはなかった、ということになる??? 正しくは¨人里にくまがでた!¨となるのだね。少し賢くなったなぁ。でも国兼さん、「九州の熊」は固有名詞だから必ずしも常用漢字だけで表記するとは限らない、非常用漢字でも記載可能なんです。わたしはずっと以前から大手をふってこのブログに出没しております。あんまり存在感がないのがたまにきずだけど・・。
俳句の世界もいろいろ難しい漢字や当て字まがいの意外な表記があって、鑑賞する以前にとまどい、悩み、もうじんましんが出そう。これも常用漢字ではない表現方法が許されている世界なのでしょうね。常用漢字だけだと味気ないものになってしまうのでしょうね。
難しいものなんだなぁと思う一方で日本文化の味わい深さに感心してしまいます。 ~おしまい~

函館通信124・・・カタ文字・・・仁兵衛

 覚えていますよカナ文字タイプライター。入社して一年半位までだったと思う、商事会社、特に伊藤忠とのやり取りがこのタイプライターで書かれたものが多かった様に記憶している。普通に書いた報告書をこのタイプライターで清書?され正式な文書として外に出て行ったりしたりしていた。いつの間にか無くなってしまったがワープロの時代までは結構時間が空いていたのではなかろうか。
 しかし、俳句をやっているといや文章を書こうとすると言葉というのが本当に厄介な難しいものだと思い知らされる。言葉を使って相手に感動を与えられる人間なんて余程優れた人なんだと思うよ。こうやって文章を書こうとしてもなかなか良い文章にならずいらいらしてしまい情けなくなってしまうよ。
 そんなことを考えていたら新聞の岩波書店の広告に①「さえずり言語起源論」(岡ノ谷和夫) ②「日本語語感の辞典」(中村明)なるものが出ていた。面白そうだと思うのだがどなたかご存知の方は内容と評をお願いしたい。
 よろしく。

2010年12月1日水曜日

ヘボン式とか・・・猫跨ぎ

  褌子氏もローマ字文の書き込みには一苦労しただろうね。
小学校の頃、ローマ字の授業があった。
ふたつ様式があった。調べると、
英語式ローマ字(タ行 ta chi tsu te to) 別名ヘボン式。
これに対して物理学者・田中館愛橘が 提唱したのが、
日本式ローマ字(タ行 ta ti tu te to)で、二派は激しく対立したという。
我々が習ったのは、日本式だった。いま、両方混在して使われているが、どちらかというとヘボン式かな。
  北大時代、図書館で、岩波講座RIKIGAKUという古い教科書を見たことがある。全文ローマ字記載で、読みにくいこと甚だしい。著者は田丸卓郎東大教授。この人はローマ字会副会長でもあった。強い情熱をもってこの運動が進められてきたらしいことに驚くが、今は、影も形もない。
  今は、漢字混じりの仮名文が完全に根付いて、これに疑問を抱く人は殆どいなくなった。多分にパソコン、ワープロの普及によるのではないか。つまり漢字変換がまことにスムースに出来る。むかし、梅棹忠雄氏がカード式整理法を提唱していたころ、カナ文字のタイプライターが便利で情報を整理しやすいと言っていた。ワープロが出現するちょっと前。いやあ、隔世の感があるなあ。

ところで、せっかく拙句を引用して頂いたが、やや間違いがある。

Hitujidano tohoki denshano otohibiki

Hitujidaya tohoki denshano otokawaki

なので、よろしく。目がちかちかするね。

ローマ字文を読んで・・・国兼

何十年ぶりかにローマ字綴りの文章を読んだ。読みづらいと言うか、頭の中で、カナ/漢字変換をして読んでいる気分である。カタカナばかりの、或いはヒラカナばかりの文章を読んでもこれと同じなのだろう。漢字の持つ表意文字の有りがたさが身にしみる。

 終戦後、アメリカの教育使節団が来て日本を軍国主義に導いた教育制度とそのような背景を作った漢字を廃止し、ローマ字綴りにするよう勧告した。こんな難しい漢字を使っているから国民は新聞も読めず、軍の言いなりになったのだと。喜んだのは日本のローマ字会とカナ文字会のメンバーで、勧告を採用するよう活発にGHQや日本政府に働きかけた。中には、志賀直哉のようにこの際日本語を廃止して、フランス語にと言う人物もいた。
 アメリカの優れたところは、実際に日本人の識字率を統計学的サンプリングにより広範囲に調査を行ったことである。その調査からの日本人の識字率(97~98%)の高さにアメリカは驚いたという(進駐軍の中で自分の名前も書けない兵隊がかなりいたらしい)。この調査以後、アメリカは漢字や日本語に関して一切口を出さなくなったという。

 やや突飛ながら、俳句をローマ字つづりで書いて見る。例えば猫跨さんの秀句
 Hitujidano tohoki denshano otohibiki
漢字が出てこないと感じ方もかなり異なり、味気なさのみが残る気がする。以前、司馬遼太郎と赤尾兜子の対談の中で俳句は「目で読む」ものだと書いてあったが、17文字と言う短い表現の中で漢字、漢語の意味する奥深さが俳句にとって重要であると。漢字を廃止して日本がローマ字やカナのみを使う国家になっていたら、俳句を詠む人は殆どいなくなるのではと思う。
 常用漢字が200語近く増えると言う。結構なことだと思う。「熊」と言う字も今まで常用漢字に入っていなかったとは驚いたネ。九州の熊さんもようやく大手を振って漢字で標記できますね・・・。