2010年12月20日月曜日

ゴッホ展最終日・・・猫跨ぎ

ゴッホはいいね。最終日で混んではいたが、まあ東京ではこんなものか。我々はゴッホ好きだが、多分に、その一途な人柄、悲劇的最後を知っており、その物語を通じて絵に接しているところがある。
  最近の展覧会は、或るテーマがあって、ストーリー性を持たせている。今回は駆け出しから最期まで画業の変遷を一応辿ることができる。種蒔きのミレーを思想性を含め一生師とした。危機を迎えるとミレーに戻るところがある。パリへ出て、印象派の洗礼を受けるが、それも一途に学んでいるところがいい。とにかく実直な人間だった。細い短い線でなぞるのがゴッホの絵の特徴だが、成る程、スーラなどの点描法から得た方法だという。今回「ひまわり」はなかった。アイリスの盛り花が今回は一番いい。静物作家としてある頂点を極めたのではないか。逸徳氏のいう蟹の絵は確かにゴッホの静物にしては意表をつくもので、なにか心象を読みたくなるが。
  ゴーギャンとの共同生活と破綻も今回の出し物。他者への熱狂的な愛情と、もどかしい対立、そして破綻。精神の崩壊。それにしても恐ろしいほどの自己否定。日本の中世の妙好人を連想してもいいだろう。
ゴーギャンの絵も陳列されていたが、ゴッホと比べて全然違う物だ。彼は具象を描きながら、画面は頭の中で構成し直したもの。結局、その後の絵の歴史はこのゴーギャンの流れではないか。 ゴッホは頂点に立ち、後続を持たなかった。ふとそう思った。
それから、ゴッホの麦畑が絶筆とされているが、違うらしい。青い麦の穂が画面一面の地味な絵がそれ。蕭条たる烏の飛ぶ麦畑がいかにも死のイメージだが、そううまくは話は終わらない。享年37歳。天才というしかない。生涯売れた絵は一点だけだったとか。

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