2010年12月18日土曜日

人が狂うということ・・・・逸徳

ゴッホ展は、そんなに心配するほど混んでいなかったよ。ただ、熱くてまいった。それとずっとたっているのがくたびれたね。・・・・ で、ゴッホである。かれが繊細でデリケートな神経の持ち主だということはよくわかった。 対象に集中してそれを絵にしていくということは、ものすごく精神的なエネルギーを費やすことだろうと思う。今回の展覧会で印象的な絵が1枚あった。それは蟹を裏返しにしてそれを油彩画として描写したものである。おそらく、その制作中には、自意識はずっと後ろにさがって、かにがゴッホか、ゴッホがかにかというくらいに対象と一体化していたのではないか。そして、そのような精神的な格闘の中から微妙な存在感や、美を浮き上がらせてきたのだろう。だが、それはぎりぎりのところで精神のバランスをたもっている、あやうい作業のように思える。 まことに芸術にとって創造とは、狂気の作業であるような気がする。炎の人ゴッホというがいいえて妙である。 そして、彼は対象と格闘して、その内部に沈潜する作業をすすめていくうちに遂に狂ったのだろうと思う。

しかし狂気とはいったい何なのだろう。人が狂うとはどういうことなのか。アルルに移住して自殺するまではわずかに2年しかない。その二年の間にゴッホの状況は悪化する。耳を切り落として売春婦に送ったり、テレピン油を飲んでみせたり、しばしば気を失ったり・・・・奇行の果てに村人の要求により遂に精神病院にいれられてしまう。 彼の絵は生前たった1枚しか売れていない。・・・・・・ かれはいろんな意味において孤独であった。画家として孤独であり、ひとりの人間としてもその生活は孤独であった。唯一弟テオとの交流がいったが、しかしその他の人との交流はすべてうまくいかない。芸術家の共同体をめざしてゴーギャンをよびよせ仲間としていっしょに制作にあたろうとするが、それも2か月で挫折する。 考えてみると、アルルの生活における一連のかれの奇行は、「みんなもっとおれのほうをみてくれ」という孤独な魂の叫びだったのではないだろうか。もっともれを感じさせるのは彼のピストル自殺である。あれは本当に自殺だったのか。 なぜならかれは額をうたずに(ピストル自殺はみんな頭をうちぬく)腹をうっているのである。そして撃った後自分で自分で歩いて部屋にもどって2日後になくなっている。これはふつうの自殺とは違う。最後の作品を見ながら、おいらにはほんとは彼は半分は死ぬ気はなかったのではないかという気がしてならなかった。

しかし、いったい狂気とは何なのだろう。彼は狂ったという。だがこの世界を流されるように生きて、われわれはなぜ狂わないのか。 かれと我々はどう違うのか。・・・・ そういうことを考えながらいっぱい飲んで新幹線に乗ったら、静岡で降りるのを忘れて掛川までいってしまった。おそまつ。

追記  褌子さん 1月くらいの一番寒いころに五能線いこう、いこう。 ふたりで一人旅というのもいい。 秋田に出てきりたんぽ食って帰ってくるか。 計画するよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿