古代史で重要な発見があった。奈良の牽牛子塚(けんごしづか)古墳に隣接した地点に大田皇女の墓と見られる古墳が見つかった。日本書紀によると斉明天皇陵の前に大田皇女を葬ったという記述があり、牽牛子塚古墳こそ斉明天皇陵が確認されたというのが眼目。
牽牛子塚古墳が斉明天皇陵であるというのは、専門家の間でははぼ定説化していたが、それが決定的になったという。大田皇女といえば天智天皇の娘。天武天皇との間に大津皇子をもうけたが若死にし皇后に成れなかった。のちに大津皇子が謀反の咎で刑死した悲劇は有名。
さて、この発掘を行ったのが明日香教育委員会というマイナーな機関。当地には奈良文化財研究所と橿原考古学研究所がある。因みに前者が東大系、後者が京大系とかいう、時代遅れのアホな話もある。いま日本古代史は発掘調査の成果が相次いで、とくにこの両者の競争は激烈らしい。そのなかにあって明日香教育委員会は影が薄かったが、今回の発見で一発鼻を明かせたという側面もあるとか・・・この辺は、ある消息筋から聞いた。
ところで、宮内庁が指定する斉明天皇陵はそこから2㎞ほど南にあり、大田皇女陵も傍にある。宮内庁は墓誌が発見されたのならともかく、検討に値しないとけんもほろろらしい。専門家の間ではいまはっきり特定できるのは天智稜と天武陵くらいで、あとはみな眉唾。天皇陵の本格的調査をやらねばという古代史専門家のコメントは耳タコで聞かされるがさっぱり進まない。宮内庁は「天皇陵は文化財である以前に祀りを継続している陵墓である」という理由でテコでも動かない。こういう問題を打開するのは、いまの日本でどういう形が可能か。ケーススタディで考えて見るのも面白い。
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