2011年8月12日金曜日

いやいや・・・・逸徳

陰謀というと、時代劇で悪代官が「越後屋・・・・おぬしも悪るよのう・・・・ムフフフ」という光景とか、ウォーターゲート事件みたいに、暗い部屋に人相の悪い男が数人あつまり、どういうわけか中にひとりだけは太った男がいて葉巻なんか燻らして、ひそひそと話している光景が目にうかぶ。だが、前述の戦後史の曲り角なんか、そういう陰の謀(はかりごと)なんか、実はほとんどないーと思っている。白日のもとで、堂々と資本は効率的に最大利潤を追求しており、その結果としてこういう時点にわれわれはたどりついているのだからたちが悪いのである。ちなみにアメリカという力があるのではない。アメリカをも支配している巨大資本があるのだろう。(最近、文化的にも政治的にも本当にアメリカという国があるのかと感じることがある。アメリカとはきわめて観念的な存在ではないだろうか。だからこそ、アメリカの結合をいいつづけないとアメリカは崩壊するのではないだろうか。ユナイテッドステーツという言葉が意味深いと思う)どうもそうみえてしょうがない。ウォール街という力のうごめきの上にワシントンという虚構の劇場のドラマが進んでいるように感じる。だから、陰謀ということばはあまりいただけないと、正直思う。アメリカの陰謀というラベルをはるのは、よほど観念的なやつだ。事実の追求と、客観的分析の姿勢が大事だ・・・と思うが、どこまでやれるか自信はぜんぜんない。とにかく、ことばはこわい。そのことばを使うと何かみえたように錯覚してしまうのだから。

 石炭と石油の転換点は、我々が大学にはいったころであるが、ひとことでいえば、民族エネルギー資本と、国際的石油独占資本のたたかいだったのだろう。第一段階に民族資本の水力発電との協調の試みがあった。このころ佐久間ダムがつくられる。だがこれは、石油資本の価格攻勢でふっとぶ。エネルギーの問題はコストだけで考えられないといいつづけたのは、電力の鬼といわれた松永安左衛門であると記憶している。そして価格攻勢で石炭産業がとどめをさされ、日本が石油に完全に支配されて、その独占的価格支配の軍門に下るのは50年代当初だろう。このような、安値攻勢やそのほかの戦術で対抗馬を完全にぶちこわしておいてから、市場を支配するやりかたは20世紀初頭の自動車産業と鉄道会社の競争にも例がみられる。ちなみに、このような石炭と石油のたたかいの構図をおいらにはじめて語ってくれたのは、大学1年の冬に旅にでて、偶然一晩とめてくれた美唄の1炭鉱労働者であった。目からうろこという感じで、とりはだがたつような感動をしたのをおぼえている。青春の思い出である。

 世界最初の原発は1954年ソビエトのオブニンスク発電所である。この年、世界最初の原潜ノーティラス号が進水している。原発という平和利用において先を越されたアメリカは相当あせったらしい。そこで1957年シッピングボート原子力発電所を建設するが、これは加圧水型ということで、原潜と同じ形式、というより二隻目の原潜の技術をそのまま陸揚げするしか、アメリカにはソビエトにおいつくすべがなかったのだろう。したがって、アメリカの原発の技術はそのDNAにおいて、色濃く軍事の技術の影響(ということは、環境や安全性は二の次)を受け、その主役がウエスチングハウスであり、これは福井原発につながる。一方それとジェネラルエレクトリックをくらべ、後者からコピーのように原発技術を輸入したのが東電であり、その技術的な流れの下流に今の保安院の技術者たちがいる。だって福島1号機が動きだしたころ、保安院なんてかげも形もなかったもんね。だから、保安院が東電を調べるのは、外様大名ぐらいが江戸城にのりこむようなもんで、まともにやれるわけがないとおいらに慨嘆したのは、中電浜岡原発の技術屋である。 ああ、もう何をかいわんや。


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