1957年の東海村の原研原子炉の臨界、運転開始はよく覚えている。朝野をあげての大歓迎だったと記憶する。たしか中学二年生だったか。新聞や週刊誌にも次々に関連科学記事が連載され、いっぱし判ったような気分で大いに読んだ記憶がある。あの年だったか、北海道博覧会があって、原子力利用のコーナーがあったのもよく覚えている。原子核の周りに電子軌道を描いている模型があちこちにあって、進歩の象徴の様に見えた。
当時の研究者は底抜けに未来を信じていたのに違いない。技術の進歩と経済の成長と生活向上とがセットになって無邪気に未来が信じられていた幸福な時代だったね。
佐佐木信綱の短歌はあの時代をよく反映していると思う。
短歌は社会タネをよく扱う。短歌の特徴かとも思うが、戦時下の国威発揚、反戦歌しかり。
安保の時も、福島泰樹とか道浦もと子らのスター歌人を生んだ。その点、俳句は戦後どうもおかしい。先般、戦時下の新興俳句弾圧事件に触れたが、その後遺症か戦後社会性俳句は全く勢いがない。安保の時もさっぱりだった。久しく花鳥諷詠のホトトギスの天下だね。俳句の特徴かもしれないとも思うが。
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