2011年8月16日火曜日

またすれ違いかな?   褌子

  戦争も原発事故もそうだが、社会現象の歴史的評価は一番ひどい目にあった人びとの立場に少しでも接近したほうが大きな判断ミスをおかさないのではないか。
  聖戦神話や原発安全神話をふりまいた者にたいして、事後であっても、怨嗟の声をあげている被害者の前では言えないような言葉なんて無力ではないか。
  ましてや「汝罪なきものは石でぶて」などと下賤な姦淫の罪などとごっちゃにされて「皆の衆、いままで原発の恩恵に浴していただろうに手のひら返して原発文化人などとは卑しいとは思わんかい」と高いところからいわれても。
  私はといえば、ずっと核兵器廃絶運動もやってきたから原爆の恐ろしい体験談はずいぶんきいてきたし、原発が人類にはまだ技術的に手に負えないものらしいという知識はあった。が、内心、核兵器はだめだが温暖化問題を考えると原発は必要悪かもしれんなあ…と思っていた。
  しかし、いま原発がこれほど恐ろしいものだとは知らなかったという自分の不明を恥じている。
  百万キロワットの原発一基で年に広島型原爆1000個分もの放射能物質をためこむとは。福島第一原発三基から放出された放射能物質はほんの1~2%に過ぎないというのに、これだけで原爆20個分の放射能に相当するとは。
  まさに猫跨ぎ氏のいうごとく人間は経験して学ぶ動物だから、私はいま心底、原発はなくさなくてはと確信し署名運動に猛暑がすぎたら街頭に立つつもり。もうすぐ借り物だが八万円の線量計も手にして駅頭に立つことになる。

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